第七話:呼ばれた灯
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酒場の空気は、昨日までとは明らかに違っていた。
満席。
笑い声。
金の音。
だが――落ち着かない。
誰もが楽しんでいるはずなのに、
どこか、張り詰めている。
サダオミは、それを肌で感じていた。
◇
舞の準備に入った瞬間、
視線が一斉に集まる。
期待。
欲。
そして――値踏み。
衣装が、揺れる。
扇情的であることを、否応なく意識させられる。
だが、足運びは変えない。
轟流。
剣を持たず、間合いだけで場を制する技。
最初の一歩は、遅く。
床板が鳴るほどに、丁寧に。
ざわめきが、薄くなる。
――来る。
その感覚だけが、はっきりしていた。
視線の中に、ひとつだけ異質なものがある。
派手な外套。
赤を基調にした、目立つ装い。
だが、派手なのは色だけだ。
視線が、軽い。
熱も、欲も、ない。
ただ、
見ている。
サダオミは、ほんの一瞬だけ思った。
――この男が、この世界の主役か。
ラナクロアで歌われていた者たち。
伝説と呼ばれた存在。
あれに、近い。
似ている、というより。
“同じ距離感”にいる。
目が合った。
それだけで、理解した。
敵意ではない。
だが、無関心でもない。
この男は、
値踏みしているのではない。
評価しているのでもない。
――同じ場に立っているだけだ。
サダオミは、踏み込まない。
踏み込まないまま、
刃の通り道だけを描く。
空を、切る。
その瞬間だった。
――ヒュッ。
乾いた音。
視界の端から、何かが飛んできた。
短剣。
ためらいのない投擲。
不意打ち。
だが、殺気はない。
合いの手だ。
サダオミは、舞を止めない。
体重をわずかに移し、
半歩、流す。
袖が揺れ、
短剣が、その内側をすり抜ける。
指先で、軽く弾いた。
金属音が鳴り、
短剣は床に転がった。
静かだった。
あまりにも。
◇
酒場が、凍りつく。
誰も声を出さない。
誰も動かない。
派手な外套の男だけが、
楽しそうに笑った。
「悪い悪い」
軽い声。
「あんまり綺麗だったから、我慢できなかった」
謝罪なのか、賛辞なのか、わからない言い方。
サダオミは、ゆっくりと向き直った。
「……酒場で刃物を使うのは、
あまり褒められたことじゃないですね」
男は肩をすくめる。
「評価してないさ」
即答だった。
「確かめただけだ」
その言葉に、
サダオミは納得した。
この男は、
上でも下でもなく、横にいる。
「続けていい」
男は、短剣を拾いながら言った。
「舞を」
命令ではない。
要請でもない。
ただの、合いの手。
サダオミは、一瞬だけ迷い――
そして、続けた。
今度は、少し速く。
今度は、少し鋭く。
空気が、鳴る。
客の中から、息を呑む音が漏れる。
派手な男は、もう何もしてこなかった。
ただ、見ている。
同じ場に立つ者の目で。
舞が終わる。
拍手が、遅れて起きる。
だが、その拍手は、
どこか控えめだった。
全員が、理解している。
今の主役は、
舞でも、踊り子でもない。
サダオミは、男を見た。
「……楽しめましたか」
男は、にやりと笑う。
「十分だ」
それだけ言って、背を向ける。
扉に手をかけ、
振り返らずに続けた。
「また来る」
それだけで、
酒場を出ていった。
◇
扉が閉まっても、
空気は戻らなかった。
ざわめきはある。
だが、どこか慎重だ。
ダンおじさんが、低い声で言う。
「……嬢ちゃん」
「はい」
「今の、知り合いか」
サダオミは、首を振った。
「いいえ」
そして、正直に続ける。
「でも――
たぶん、
面倒な人です」
ダンおじさんは、苦笑した。
「客は増えそうだな」
サダオミは、視線を扉に向けた。
灯は、まだ燃えている。
だが――
風向きが変わった。
それを、誰よりも強く感じていたのは、
他でもないサダオミ自身だった。




