第五話:焦らす灯
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翌日、酒場は静かだった。
いや、正確には――
静かすぎた。
昼下がり。
本来なら、誰もいない時間帯。
それなのに、数人の客が席に残っている。
酒を飲むでもなく、話すでもなく。
ただ、中央の空間をちらちらと見ている。
サダオミは、その視線に気づかないふりをしながら、皿を運んだ。
――昨日のせいだ。
自覚は、ある。
あの舞で、
この酒場に「意味」が生まれた。
意味が生まれれば、人は集まる。
集まれば、期待が生まれる。
そして期待は、
同じものを、もう一度求めてくる。
◇
「……妙だな」
カウンターの奥で、ダンおじさんが低く呟いた。
「何がですか」
「客の目だ」
サダオミは、視線だけで店内をなぞる。
昨日はいなかった顔。
見覚えのない服。
武具を外したまま、姿勢のいい男。
「増えるのは、いいことでしょ」
サダオミは、そう言ってから、ほんの一拍置いた。
「……違いますか」
ダンおじさんは、鼻を鳴らした。
「“増え方”ってもんがある」
サダオミは、答えなかった。
その違和感を、
自分も、すでに感じ始めていたからだ。
夕方。
昨日より、客が多い。
満席ではない。
だが、空席も落ち着かない。
椅子の向きが、揃っている。
偶然ではない。
無意識でもない。
意識的に、中央を空けている。
サダオミは、布巾を畳んだ。
――今日は、舞わない。
そう決めていた。
昨日は、必要だった。
だが、毎日やれば、それは“当たり前”になる。
当たり前になった瞬間、
灯は消える。
……はずだった。
「なあ」
声をかけてきたのは、常連でも顔見知りでもない男だった。
「昨日の、やらねぇのか」
言い方は、乱暴じゃない。
だが、遠慮もない。
「何の話ですか」
とぼけると、男は笑った。
「とぼけるなよ。
ほら、あれだ」
中央を見る。
「……あの舞」
周囲の空気が、一瞬で変わった。
聞き耳。
視線。
沈黙。
サダオミは、胸の奥で小さく息を吐く。
――もう、知れ渡ってる。
「今日は、やらない」
はっきり言う。
男は肩をすくめた。
「そりゃ残念だ」
それだけ言って、引いた。
引いた――が。
店を出ていく者はいなかった。
◇
夜。
昨日より、騒がしい。
だが、どこか落ち着かない。
サダオミは、店の中央を避けて動いていた。
それでも、
視線が追ってくる。
期待が、まとわりつく。
――揺れてる。
灯が。
「……やらなくて、いいのか」
閉店後。
ダンおじさんが、酒樽を拭きながら言った。
「やれば、儲かる」
「わかってます」
「じゃあ、なんでやらねぇ」
サダオミは、少し考えてから答えた。
「安売りしたくないんです」
ダンおじさんの手が、止まった。
「……ほう」
「一回やっただけで、これです。
毎日やったら、きっと――」
言葉を選ぶ。
「俺が、俺じゃなくなる」
ダンおじさんは、しばらく黙っていた。
それから、低く笑う。
「嬢ちゃん」
「はい」
「もう手遅れだ」
サダオミは、何も言えなかった。
たしかに。
もう、灯は揺れている。
風は、止まらない。
その夜。
酒場の外で、誰かが言っていた。
「昨日の、見たか?」
「ああ。
今日はやらなかったらしい」
「……焦らすねぇ」
別の声が、混じる。
「次は、いつだ?」
「さあな。
だが――」
声が、低くなる。
「逃がす気は、ねぇな」
サダオミは、店の裏でそれを聞いていた。
聞いてしまった。
月を見上げる。
揺れる光。
消えそうで、消えない灯。
「……困るな」
ぽつりと呟く。
「少しだけ」
それでも。
足は、まだ引いていなかった。
灯は、
まだ――
消えていなかった。




