第二話:無名の始まり
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――困らないな。
そう思って歩き出して、
十数分後。
サダオミは立ち止まった。
「……あ」
声に出してから、気づいた。
金が、ない。
正確に言うなら、
一文無しだ。
「……ないわぁ……」
力なく、呟く。
少し考える。
腹は、まだ減っていない。
野宿も、正直なところ慣れている。
このまま一晩くらいなら、どうとでもなる。
だが。
いずれ腹は減る。
水も必要になる。
そして何より、
この世界で動くには、金が要る。
「……となると」
盗む、は論外。
奪う理由もない。
残る選択肢は、一つだった。
「働くしかない、か」
ため息混じりに呟き、
街道の先へ視線を向ける。
人が集まる場所。
仕事がありそうな場所。
「……まずは職場探しかな」
自分でも妙に冷静だと思う。
だが、こういう時ほど、
焦ってもろくなことにならない。
サダオミは歩き出した。
◇
城壁が見えた。
高くはないが、厚みのある石壁。
無駄な装飾はなく、補修の跡が目立つ。
――使われ続けている。
サダオミはそう感じた。
人の往来は多いが、だらけた空気はない。
門を守る兵の立ち姿も、どこか無駄がなかった。
「……ここ、強いな」
根拠はない。
ただ、そう思った。
街門の前には短い列ができていた。
行商人。
旅人。
家族連れ。
サダオミはその最後尾に並ぶ。
白アーマーは空間に収納している。
今の装いは、この世界に溶け込む簡素な服だけだ。
やがて順番が来る。
門番が顔を上げ――
一瞬、止まった。
もう一人の門番も、遅れて視線を上げ、
同じように言葉を失う。
サダオミは、その理由を考えていない。
「……通っていいですか?」
ようやく門番の一人が咳払いをした。
「旅の方か?」
「はい。仕事を探しに」
嘘ではない。
門番はもう一人と視線を交わす。
武器は見当たらない。
鎧もない。
だが――
弱そう、とは思えなかった。
「身分証は?」
「ないです」
正直に答える。
門番は一瞬迷い、
それから肩をすくめた。
「街で問題を起こすなよ」
「気をつけます」
それだけで、通された。
◇
街の中へ、一歩踏み出した瞬間。
空気が、変わった。
ざわり、と。
音ではなく、視線が動いた感覚。
前から。
横から。
背後から。
「……あ」
そこで、思い出す。
――そうだ。
今の自分は、
この世界基準で見れば、かなり目立つ。
白アーマーを脱いだあとの姿。
髪も、顔立ちも、体格も。
「……そうだったな、これ」
小さく呟く。
門の前では忘れていた。
忘れようとしていた、と言った方が正しい。
だが街に入った途端、
人の多さがそれを許さなかった。
視線は好奇のもの。
値踏みするようなもの。
中には露骨な欲を含んだものもある。
慣れていない。
だが、動揺もしない。
ただ、少しだけ居心地が悪い。
「……目立つな」
サダオミは歩調を落とさず、
無意識に人通りの多い方へ進路を変えた。
孤立するのは、
こういう時にろくなことにならない。
「ねえ」
背後から声がかかる。
距離が、近い。
サダオミは足を止めず、
ほんの少しだけ首を回した。
「はい?」
声をかけてきたのは、
身なりの整った男だった。商人だろう。
「旅の人?」
「そんな感じです」
肯定も否定もしない。
「案内しようか。宿とか、飯とか」
なるほど、と内心で頷く。
サダオミは一瞬だけ考え、
相手の視線を正面から受け止めた。
「助かります。
ただ……お金がなくて」
正直に言う。
男の眉が、わずかに動く。
「働ける場所を探してます。
今日明日をしのげれば十分なので」
余計なことは言わない。
目的だけを置く。
男は数秒、サダオミを眺め、
それから肩をすくめた。
「それなら酒場だな」
「酒場?」
「人手が足りないところが多い。
皿洗いでも、配膳でもな」
「……ありがとうございます」
深追いされる前に、一歩引く。
距離感は、悪くない。
◇
通りを進むと、
賑やかな音が聞こえてきた。
笑い声。
食器の音。
酒の匂い。
サダオミは、その建物を見上げる。
「……まずは、ここからだな」
そう呟いて、
酒場の扉を押した。




