龍虎相打つ
■
ピンポーンって相変わらずわかりやすすぎだろ!
───え?……ピンポン?
思考が停止する。
「どうしたの?定臣」
笑顔から一転して真顔になっていた定臣を、小夜子が不思議そうに覗き込みながらそう言った。
「い、いや、なんでもない」
慌てて笑顔を取り繕った定臣を不思議に思い、首を傾げていた小夜子だったが、次の瞬間には定臣に頭を撫でられ、あっさりとごまかされた。
そのまま今日は寝ようかと顔を見合わせた二人はゆっくりと家に戻っていく。そんな二人の背中を見守っていた影が一つ在った。影の主はもちろん劉生である。
「───約束は果たしたか……」
そう言うと劉生は、いつもの様に顎に手を添え、すっと空を仰いだ。
「───剣術より剣道か……定臣、貴様は本当におもしろい……
どれ───その刀に真相に迫る機会を与えてやるとするか」
そう言った劉生の顔には穏やかな笑みが浮かべられていた。
◇
今日は一緒に寝ようと、共に布団に入った二人だったが定臣が眠れる事は無かった。頭の中には先程鳴り響いた効果音がいまだに鳴り響いている気がする。
正解って事だよな……仇討ちをあきらめたいって事が……
俺は───小夜子の願いがそれなら叶えるために協力しないとな……
天井をじっと見つめながら定臣はそんな事を考えていた。不意に定臣の顔に『でも』と影が落ちる。
でも───願いを叶えるって事は任務が達成されて俺が天界に戻るって事なんだよな……
小夜子との絆が深まる度に不意に寂しくなり、胸を掻き毟る思いをした事は一度や二度ではない。できるだけ考えないようにしてきた。しかし、いつかは訪れるその別れが現実味を帯びてきた。
───天界に戻ったらもう小夜子とは二度と会えないのかな……あ~だめだ凹む!とりあえず寝る!それから考える!
その日、ようやく定臣が寝つけたのは、雨が降り始めた夜明け前の事だった。
◇
あまり寝ていないにもかかわらず、朝になると定臣はすぐに目覚めた。隣ではまだ小夜子が眠っている。起こさないようにそっと布団から這い出し定臣はそのまま息を殺して屋外へと出ていった。
「今朝は早いな」
外に出るといきなり劉生から声をかけられた。一瞬、驚いた定臣だったが劉生が自分達よりも先に起きている事は珍しくないと、すぐに挨拶を返す。
にしても……雨降ってるのに外で何やってるんだろこの人……
「おはようございます師匠。相変わらず早いっすね」
「うむ」
そう短く返すと劉生はスッと切れ長の目を見開き、定臣の前に姿勢を正した。
なにやら様子がおかしい。
いつもの劉生とは明らかに、雰囲気が違って見えると定臣はゴクリと喉を鳴らす。
「貴様が知りたがっていた事に答えようと思う」
───俺が知りたがっていた事。
それは、尊迩栄が火の国の属国になった理由と黒曜滅亡の真相。そしてそれは、小夜子に仇討ちをあきらめさせるために必要だと思っていた事。
定臣の顔つきが変わったのを確認すると、劉生はそれに答えるには条件があると告げた。
「───俺はこの事実を墓場まで持っていくつもりだった」
だからと劉生は続ける。
「俺を殺せ───」
え~と……死んだら喋れね~だろ!とかつっこんでいい空気じゃないよな……?
「───無敗の剣聖、轟劉生に黒星をつけろという事だ」
「……師匠に勝てって事ですか」
「やってみるか?」
それに定臣は『応』とにやりと笑いながら剣気で応えた。それを確認すると劉生もにやりと笑い返す。そして───無言で抜刀した二人が対峙した。
◇
今日の目覚めは金属音による睡眠妨害だった。いつもは笑顔で定臣が起こしてくれていたのに───私は朝が弱い。
「な、なぁにぃ?この五月蝿い音」
起きがけの頭に欠伸をしながら酸素を供給する。目ボケ眼をこすりながら隣にいるはずの定臣に視線を送る。
「あれ?定臣?」
ようやく頭がはっきりした小夜子は、きょろきょろと部屋の中を見回した後、先程から音が聞こえてきている家の外へと歩いていった。
◇
「き、綺麗……」
───思わず目を奪われる。
外に出た小夜子が見たものは───師匠である定臣と、その師匠である劉生の試合う姿だった。
かろうじて目で追えるその剣捌きは剣筋までが美しく、互いに綺麗な曲線を描いている。
その二人の戦う姿からは試合しているというよりも、どちらの舞が綺麗であるかを魅せあっているように感じられた。
「やっぱり私と試合してる時、全然本気じゃなかったんじゃん!」
心を奪われながらも、小夜子の表情は不機嫌さを訴えていた。
◆
強くなった分わかる。肌で感じる。───この轟劉生という男と自分の実力の差を。
本気で撃ちあった事は弟子入りから数年、一度も無かった。初めて出会った時は助けられた。次の日にはただ、ただその美しい剣技に魅せられた。
孤高の頂きに一人、鎮座していたその男の背中をずっと追ってきた。明確な実力差がある。しかしながらその背中が見える所までは辿りつけた。
背中は見える───見えるがその差が詰まらない。
零から今の自分までの距離よりも、この差は大きく感じられた。
遅れる───こちらが十撃てば劉生が十一返してくる。
───おもしろい!
身体が熱くなる。こんなに楽しいのはいつぶりだろう?楽しい!楽しい!
想いを刀に乗せ、定臣の剣速が増していく。
◇
───俺にここまでついてこられる奴はいなかった。漢遼迩の緒方刀座、火の国の羅刹でもここまでの剣速はなかった。
初めて出会った時は興味本位で助けただけだった。話してみてその人柄が気にいった。次の日には謙虚さが気にいっていた。───気がつくと弟子に誘っていた。
俺の打診を妙に引っ張った挙句、いらぬ弟子までとる破目になるとはな……まったく、ふざけた奴だ……
増したはずの定臣の剣速。それにすら劉生は、にやりと笑みを浮かべながらついていく。
その刹那。不意に定臣の視線が横に流れた事に劉生は気づいた。
◆
───小夜子……起きてたのか。
───真相がわかれば小夜子は仇討ちを完全にあきらめれるかもしれない
───つまりそれは……
ガッ
周囲に鈍い音が響き渡る。鈍い痛みが自身を襲ったと気がついた時には、定臣は意識を手放していた。
「愚か者が!試合の最中に集中を乱すとは」
「さ、定臣!!」
「峰打ちだ。───中に運んで寝かせてやってくれ」
「……うん」
意識を失った定臣を小夜子が家の中へと運んでいく。劉生はその背中をじっと見据えていた。
しばらくその場にじっとしていた劉生だったが、不意に先程から妙に耳につく雨音が気になり、不機嫌そうに空を見上げながらぽつりと呟いた。
「たわけが……」
◇
───目覚めは最悪だった。
意識の覚醒と同時に頭の芯を刺すような痛みが走った。それに加え、なにやら左肩がズキズキする。
「う……」
「あ!まだ起きちゃだめだよ!」
起き上がろうとした定臣を慌てて小夜子が制した。
何だこれ?頭がクラクラすると、無意識に右手を自分の額に押し当てた定臣は驚いた。
───なにこれ?……熱?天使って風邪ひくのか?
「痛っ」
左肩が痛む。
あぁそういえば師匠と試合してて打ち込まれたのか……
ぼーっとする頭でなんとかそこに思考が及ぶ。
「雨降ってたし、左肩の腫れからきてるのもあるかも、熱」
なるほどと目配せで答える。
「ほら、もう少し寝て?今冷たい布巾に取り替えるから」
そう言って小夜子はいそいそと布巾を取り替えて定臣の額に当てる。心地良い冷たさが定臣を眠りへと誘っていった。
───ありがとな、小夜子。
◇
───翌日、熱は尚も下がらないものの、定臣の肩は完治していた。
天使すげ~なと肩をくるくると回している定臣に小夜子が怒鳴りつけたりもしたが、小夜子が一先ずは一安心と内心でほっとしていたのは言うまでもない。
「まだ寝てないとだめだからね!」
「はいはい、わかりましたよ~だ」
「ってわかってないでしょ!なんで外にいこうとしてるのよ!」
寝てなさいとずるずると定臣を引きずって布団にまで引きずり戻す。まだ熱が下がりきっていない定臣に抗う術は無かった。
しばらく『むぅ』だの『あ~』だのと言ってごろごろと、ふてくされていた定臣だったが不意にぴたりと止まり、天井を眺め始めた。
やっと大人しく寝る気になったかと、やれやれと肩をすくめていた小夜子に定臣が話しかけた。
「なぁ小夜子」
「ん~?寝てないとだめだからね~」
「あ~うん、それはあきらめた。小夜子、力強すぎね」
「うんうん、今の定臣抑えるのくらい余裕なんだからね~」
これ聞いたら寝るからと定臣が前置きする。
「もしだけど───もし俺がいなくなったら小夜子どう思う?」
一瞬、目を見開いた小夜子がすぐに口を開く。
「……それって死んじゃったらって事?」
あ、やべぇ……すでに声が潤んでる。
「違う!違う!もしどこか遠くにいっちゃったらって事ね!俺は死なないから!」
慌てて定臣が誤解を解く。
なぁ~んだと途端に明るい表情になった小夜子が続ける。
「死なないならどこにいても一緒でしょ?私達の繋がりって少し会えないくらいでどうにかなるのかな?」
やばい、泣きそう
慌てて小夜子に顔を見られないようにと、ごろんと反対側に向いた定臣を不思議そうに小夜子が眺めた。
「そ、そ~だよな!俺と小夜子だもんな!」
なんか声、潤んでるなぁと小首を傾げながらもあえてつっこまずに小夜子は続ける。
「変~な定臣ぃ」
「悪い!ちょっと熱のせいでネガってたのかも」
───そうだよな。
そう小声で再度呟いた後、定臣は眠りへ堕ちていった。
───【わかった】よ。小夜子。
◇
翌日には熱も下がり、怪我も完治していた。こきこきと身体をならした後、定臣は自身の刀をじっと見つめながら隣にいる小夜子に話しかける。
「小夜子、ありがとな。お陰でよくなったよ」
「ん」
そう短く返した小夜子の頭をいつもの様に自然と撫でる。その定臣の手にいつも以上に想いが籠められている事に小夜子は気づかなかった。
「小夜子、今からもう一度、師匠に試合を申し込む……何があっても絶対に目を離さないで欲しい。───俺は絶対に死なないから」
何があってもともう一度。真剣な眼差しで念を押す定臣に、少し怖い気配を感じとった小夜子が息を飲む。───その気配は定臣の不退転の決意の表れだった。
「それじゃいってくるな小夜子」
最後にもう一度、ぽんぽんと小夜子の頭を軽く叩き、定臣は外へ出ていった。それを慌てて小夜子が追い駆けていく。
外に出るとすでに劉生は刀を抜いていた。
「───半年はかかる怪我だったと思ったが?」
「もう治りました。俺、天使ですから」
そう返すと定臣がにやりと笑う。
「ふむ……家の外まで剣気を飛ばしてきおってからに」
どこか嬉しそうな声で劉生が言う。
「用件は言わなくてもわかってくれている様ですが、あえて言います!
───今一度、果し合いを申し込みます!」
「よかろう!」
劉生がにやりと笑ってそれに応じた。
互いに構えをとる。じりじりと歩みより始めたその時に定臣が刀を降ろした。
「む?」
「あ~いいところだったけどすいません」
一つだけ言い忘れた事がありますと前置きをした後に定臣はこう続けた。
「俺、死なない身体なので。先にこれ言ってないと反則になっちゃうから」
ふむ、と短く呟くと劉生は再度、刀を構え直した。
「構わん───いくぞ!」
「───はい!」
◇
───舞う。舞う。舞う。
二人の剣筋はもはや小夜子ですら追えなくなっていた。辺りには二人が切り結ぶ金属音だけが響き渡る。
傍目に見れば二人が優雅に舞い比べをしている様にしか見えない。しかしながら無数の剣技が交わされている。
───舞い落ちた葉が一瞬で微塵と化す。
───剣圧で吹き荒れる風が小夜子の頬を撫で続ける。
どれくらい時間がたっただろう?不意に小夜子は呼吸を忘れていた自分に気がついた。
◆
昔から実力が均衡している試合で勝った事は無かった。別に勝ちたいと思わなかったし、いい勝負をしているだけでどこか満足している自分がいた。
しかしながら今日、この時だけは負けるわけにはいかない。
───勝ちたい。自分のためではなく小夜子のために勝ちたい。
定臣の剣速が一瞬、劉生のそれを凌駕する。
◇
「むぅ!?」
やはりこやつには天賦の才がある。自分が十年かかった道のりにわずか四年で到達している。師匠として嬉しくもあるが、一人の剣士としては嫉妬する部分もある。故に負けるわけにはいかない。
───出直してこい!貴様はまだ俺には届かん!
二人にしか理解できない領域で、僅かながら圧され始めた劉生は不意に身体を深く沈めた。
───途端に空気が変わる。
その身体から一気に放たれた殺気は、必殺の一撃を予感させた。
───覚悟!
まるで死刑宣告でも告げる様に、切れ長の目を一層、見開きそう口にした劉生であったが、次の瞬間、思わず息を飲んだ。
正面にはまるで映し鏡のごとく、自分と同じ構えをとる定臣の姿。同じく身に纏う殺気からは、その構えが真似事の児戯ではない事が容易に伺えた。
「───この技は教えてなかったはずだが?」
にやりと笑いながら劉生が問う。
「突き詰めれば行き着く所は同じって事でっ」
不適に笑いながら定臣がそう返答した。
「よかろう!参る!」
───ザッ
勝負は一瞬だった。
瞬間移動でもしたかのごとく、劉生が定臣の背後へと現れる。それと同時に定臣の全身から鮮血の色が吹き出した。
「……いやあああああああああ!!!」
───あぁ小夜子すまん、びっくりさせちゃったな……
「貴様、何故打たなかっ」
「俺の勝ちです師匠」
───ゴッ
劉生の声を上書きする様にそう制した定臣は、自身の持つ刀の柄で劉生の後頭部を強打した。
「なっ!?」
一瞬、驚きの声を上げた劉生だったが、そのまま地面に昏倒する。それを確認すると定臣はその場に両膝から崩れ落ちた。
血は止まらない。それどころか口からも溢れてきた。小夜子の声が遠くに聞こえる。視界が歪む。意識が遠のく……
───こりゃ死んだわ……
肉を斬らせて骨を絶つとか格好をつけたつもりはない。最初から骨まで斬られる覚悟でいかないとあの人には届かない。
それにしても痛ぇ!深い傷は痛くないとか言ったのどこの誰だよ!
今際の際で定臣はそうぼやいていた。
◇
『何があっても絶対に目を離さないで欲しい。俺は絶対に死なないから』そう定臣は言った。だから決して目を離さなかった。その定臣から嘘の様に血が吹き出し続け、横たわったその身体からは生命の熱が目に見えて抜け落ちていた。
「なんで……なんでそこまでして勝たないといけないの?こんなの……」
───死んでしまう。最愛の姉までも死んでしまう。
思考がそこに到達するともうダメだった。身体が震える。心臓が苦しい。呼吸ができなくなってきた。視界が徐々に白くなっていく。
「あ……あぁ……死なないって……死なないって言ったのに……あああああああああぁああ!」
───こんなの嘘だ。こんなのは嫌だ!
その場で蹲り、自身の身体を抱く様にしてがたがたと震え始めた小夜子の頭に、何事も無かったかの様にそっと定臣の手が置かれた。
「───え?」
「わりぃ、びっくりさせちゃったか」
───これは幻覚だろうか?
顔を上げた先には横たわったままではあるが、いつもの定臣の笑顔があった。止め処なく溢れていた大量の血液もどこへやら、その衣服には血痕の一つも無くなっていた。
「え?え?」
「言ったじゃん、俺は死なないからって」
まだ困惑している小夜子にそう言うとにやりと笑いかける定臣。その顔を見てようやく定臣の無事を確信した小夜子が泣きながら定臣に抱きついた。
「馬鹿ーーー!!!」
ごめんごめんとしばらく小夜子の頭を撫でていた定臣だったが、小夜子の足元を見て青ざめた。
「小夜子!師匠踏んでる!踏んでるから!!」
「え?……きゃあああああああああ!!」
◇
意識を失っている劉生を、家の中に担ぎこもうと手を伸ばしたその瞬間、劉生はその場に幽鬼の様に立ち上がった。
回復早すぎだろ!この人は化け物か!?
手を伸ばしたまま、硬直している定臣をじっと見ながら劉生が口を開く。
「……斬ったはずだが……ふむ、定臣め、謀りおったな?」
そう問われると定臣は、頭を右手で掻きながら左目を閉じてにやりと答えた。
「謀りました」
定臣のその言葉を聞くと劉生は嬉しそうに笑い始めた。しばらく笑い続けた劉生だったが『貴様の勝ちだ』と定臣に告げた後、二人に先に家の中に入っているよう促すと家の裏手にある納屋の方へと姿を消した。
───敗れはしたものの、その背中からは変わらず貫禄が滲み出ていた。
そう───その背に小夜子の足跡さえなければ……
「あれどーすんの!?」
劉生が姿を消すと同時に定臣がそう口を開くと、その隣でふるふると目を瞑って、ただ首を振り続ける小夜子だった。
家の中に速やかに移動した二人は作戦会議の結果、『風呂入ってる間に服の処理しちゃえばばれねんじゃね?』という結論に達した。作戦が決まると決行のために小夜子はそそくさと風呂の準備をしに外へと出ていった。
しばらくして片手に風呂敷に包まれた刀の様な物を携えて劉生が戻ってきた。
劉生は、おもむろに手に持つ物を定臣の前につきだすと目を閉じてどこか感慨深気に頷いた。
「定臣───免許皆伝だ。」
「え?」
一瞬、理解が遅れた定臣だったが言葉の意味をすぐに飲み込んだ。
「ありがとうございます!」
そう言うと劉生の差し出した風呂敷を受け取る。
「開いても?」
劉生がうむと頷くのを確認した後、定臣が風呂敷を開くと、中から見事なまでに真紅の鞘に納められた大太刀が出てきた。鞘には見た事もない旗印の様な刻印が無数に刻み込まれていた。そっと鞘から刀を少しだけ引き抜くと漆黒の刀身が顔を出す、それを見た瞬間に定臣に悪寒が走った。
「ふむ、わかるか」
劉生はそう確認する様に言うと続いて、抜刀してみろと定臣に促した。
言われて抜刀しようとした定臣だったが何分、刀の丈がありすぎて鞘から抜けきらない。仕方がないので刀の柄を持ち、鞘を投げ飛ばして抜刀しようと気合いの入った面持ちで降りかぶり掛け声をかけた。
「ちょえ!」 ゴンッ
電光石火のゴンケツが頭に降り注いだ。痛い。
「鞘を投げようとする者があるかっ!愚か者めっ」
いあいあいあいあ、でもこれじゃあど~やって抜刀すんのよ!と心の中でつっこみつつも頭をすりすりと撫でながら涙を堪える。
見たところ刀は刀身だけで定臣の今の背丈、160cm前後より遥かに長く、柄まで合わせると劉生の背丈と大差ない。
これを今の自分でどうやって抜刀するのか。しばらく劉生よろしく顎に手を当てて考えた定臣が出した結論は、その刀を背中に背負ってみるというものだった。
劉生に手助けを得て、なんとか背中に背負ってみる。刀は斜めに背負ってやっと地面に着かない長さだった。
あ、これなんかかっけ~かもと刀を背負った自分の姿を想像してにやにやしている定臣を早くしろと劉生が急かした。
それじゃいきますよと目で合図した後、気合いの入った掛け声と共に定臣が前かがみになり抜刀しようとする。
「とおおおおお!!」
───しばしの沈黙。劉生が頬をぽりぽりと掻く音だけが辺りに響いた。
ぬ け な い
劉生の眼前には、綺麗なお辞儀体勢のまま両手で柄をもったままの姿でぷるぷると震える定臣の姿があった。
「う、うむ……まぁ慣れれば抜けるようになるだろう」
しくしく……
哀しみを拭い去る様に定臣は刀の事を色々と劉生に尋ねていくのだった。
劉生曰く、この刀は尊迩栄に古くから伝わる宝刀だったのだとか。
元の名を『飛鳥』といい、人を殺す事を究極にまで突き詰められた刀であったにも関わらずただの一度も振るわれる事無く、代々装飾の類として王家に継承されていた物だとか。
「〝飛鳥〟ですか……なんかかっこいいっすね!大事にします!」
そう言った定臣に劉生はその名でその刀を呼ぶなと言った。劉生いわく一度も振るわれる事が無かったからこその〝飛鳥〟だったのだとか。
───人の血を覚えたその刀はもはや飛鳥にあらず、あえて名をつけるのであれば……
「轟劉生と呼べ」
「ぶっ」
思わず吹き出した定臣に真顔で劉生がこう告げた。
「その刀は俺と剣の道を共に歩んできた物だ。この意味、貴様ならわかると思うが?」
───なるほど……一心同体って事ですか……ってちょっと師匠、かっこいいけど背中こっちに向けないで!足跡!足跡見えてるから!
必死に笑いを堪え、俯き加減で了承した旨を伝えようと頷く。なんとかごまかせたみたいだ。
そこに外にいる小夜子から風呂の準備ができたと声がかかった。
「あ、師匠、お背中流しますよ」
すかさず定臣が劉生に入浴を促す、『背中は流さなくてよい』と念を押して入浴しにいった劉生を確かめた後、慌てて戻ってきた小夜子に服の洗濯を任せ、時間稼ぎに定臣は劉生のいる風呂場へと突撃した。
外でいそいそと洗濯していた小夜子の耳には『ば、ばかもんが!』とか『服を着んか!』とか『背中流しますからいい加減、湯船から上がってくださいよ』とか他にも劉生が焦る様子と、定臣がからかっている様子が伺える単語が飛び込んできていた。
小夜子はそれを肴に作戦の成功を確信しつつ、くすくすと笑いながら洗濯を終えるのだった。
結局、劉生はのぼせて失神するまで頑なに背を向けて湯船から上がる事はなかった。
意識が戻ると『一日に二度も同じ相手に不覚をとるとは』とその日はすぐにふて寝してしまったので、定臣との約束であった件の真相が語られたのはこの次の日の事だった。