第一話:白の降臨
ここから3部開始です。
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風が吹いていた。
草原だ、とサダオミは思った。
丈の短い草が一面に広がり、遠くには低い丘が連なっている。
空は高く、雲の流れはゆっくりだ。
――静かすぎる。
戦場でもなく、街道でもない。
人の気配が、ない。
サダオミはその場で一度、深く息を吸った。
「……あと一つ、確認しておくことがあるな」
独り言のように呟き、背中に意識を向ける。
天使として世界に降りた直後、
必ず行う確認がある。
意識を集中させる。
力を“出す”というより、“通す”感覚。
――翼。
だが。
何も起こらなかった。
風が草を揺らすだけで、
背後に重さは生まれない。
空気の抵抗も、魔力の流れも、
何一つ感じられなかった。
「……出ない、か」
小さく息を吐く。
概念がない世界、という可能性はある。
だが、それにしては感触がなさすぎた。
“拒否された”のではない。
“呼ばれてすらいない”。
サダオミは眉を寄せる。
――もう一つ。
今度は、もっと根源的な確認だ。
周囲を見回す。
草原、空、丘。
そして――人。
いない。
正確には、
“誰が主人公か”が、まったく掴めない。
通常なら、世界に降りた瞬間にわかる。
近くにいるのか、遠くにいるのか。
あるいは、まだ出会っていないだけなのか。
だが今は、
その“引っかかり”自体が存在しなかった。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
「これは、明らかにおかしいな」
翼が出ない。
主人公がわからない。
――異常だ。
ここでようやく、
サダオミは自分の身体に違和感を覚えた。
視界の端に、白が映る。
視線を落とす。
そこにあったのは、
純白の装甲だった。
胸部、腹部、脚部。
無駄な装飾のない、
異様なまでに滑らかな曲線。
白一色。
だが、生物的な柔らかさではなく、
完全に“外装”としての白。
「……なんだ、これ」
サダオミは、ゆっくりと自分の腕を動かす。
重い。
いや、重いのに――動く。
関節の駆動は驚くほど滑らかで、
自分の意思が遅延なく伝わる。
装備している、という感覚じゃない。
乗り込んでいる。
そう表現した方が、しっくりきた。
指を握ると、
白い装甲の指も同時に動く。
感覚は、ある。
皮膚の上から触れているのではなく、
感覚そのものが、
装甲の先端まで延びているようだった。
「……目立ちすぎだろ」
苦笑する。
全身を覆う純白。
さらに、頭部。
フルフェイスの兜。
白を基調に、
額から後頭部にかけて真紅の装飾が走っている。
角とも、冠とも取れる形状。
――どう見ても、隠密向きじゃない。
背中に違和感があった。
振り返る必要はない。
もう、わかっている。
大太刀。
だが、普段よりも距離が近い。
いや、近すぎる。
「……間合い、変わるな」
この装甲サイズで、あの刀。
扱える。
だが、
今までと同じ感覚では無理だ。
サダオミは一度、深く息を吐いた。
「……便利魔法は」
試すしかない。
指先に意識を集める。
魔力を“引き出す”。
普段より、薄い。
はっきりと、希薄だ。
だが――ゼロじゃない。
「……いけるな」
空間収納。
マリダリフの便利魔法。
意識を通すと、
白アーマーがゆっくりと輪郭を失い、
空間へと沈んでいった。
重量が、一気に消える。
代わりに現れたのは、
この世界に溶け込む程度の、
簡素な衣服。
サダオミは、自分の身体を見下ろす。
「……よし」
魔法は使える。
翼は出ない。
主人公は不明。
異常は、確定だ。
だが。
「困るかって言われると……困らないな」
そう呟いて、前を向く。
草原の向こうに、
街がある気がした。
理由はない。
勘だ。
そして、
こういう時の勘は、
だいたい当たる。
サダオミは歩き出した。
この世界の“異常”の中へ。




