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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
ラナクロア
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第二部 ラナクロア編 エピローグ:ただいま




 カルケイオスに、静かな風が吹いていた。


 石畳の継ぎ目に溜まった砂が、さらりと流れる。

 噴水は、きちんと水を巡らせている。

 誰かが直した跡が、いくつも残っている。


 かつてこの地に満ちていたものは、

 呪いと悲鳴と、救われない理不尽だった。


 それが消えたわけじゃない。

 ただ、消えないまま日常に押し込められた。


 穏やかに見えるのは、

 生き残った者たちが、

 そう振る舞う術を覚えたからだ。


 その道を、ひとりの少年が歩いてくる。


 オルティスだった。


 魔王二人の想いを受けた器。

 “役目”の名で何度も誰かを遠ざけてきた存在。


 けれど、その足取りは不思議なほど迷いがない。

 帰る場所が決まった者の歩き方だった。





 広場の端――

 噴水から少し外れた、影の長い場所に、

 少女が立っていた。


 オーネ。


 腕を抱えている。

 強いふりをしているのではない。

 自分が崩れないように、抱えているだけだった。


 視線は落ちている。

 顔を上げれば、

 世界が揺れると知っているみたいに。


 オルティスが足を止める。

 近づきすぎない距離で、言う。


「……ただいま。オーネ」


 その一言で、

 オーネの肩が僅かに跳ねた。


 返事がない。

 驚きも、怒りも、呆れも。

 たぶん全部ある。


 でも、彼女はそれを言葉にしない。

 言葉にした瞬間、

 自分が待っていたことまで、

 露呈してしまうから。


 オルティスは、もう一歩も詰めない。

 ただ、静かに続けた。


「……来ていいか、分からなかった」


 唇を噛み、目を伏せる。

 それから、息を吐いた。


「でも、気がつきました」


 オーネの指先が、

 ほんの少しだけ震えた。


 オルティスは視線を上げ、

 空気の冷たさを確かめるように、

 瞬きをする。


「帰る場所は、

 役目の外にあるんだって」


 そう言い切ってから、

 胸の辺りに手を当てた。


「……誰かの隣にあるんだって」


 一拍。


「それが、ここだった」


 そこで初めて、

 オーネが顔を上げる。


 瞳は濡れていない。

 でも、

 濡れる寸前の危うい硬さがある。


「……遅い」


 声は小さい。

 怒鳴らない。

 責め立てない。


 代わりに、

 胸の奥から搾り出すみたいに言う。


「遅いよ、オルティス……」


 それだけで、十分だった。

 彼女は責めたいんじゃない。

 置いていかれる恐怖を、

 もう一度味わいたくないだけだ。


 オルティスは、

 そこで初めて頭を下げた。


 軽くじゃない。

 ごまかしの角度じゃない。


「……ごめん」


 顔を上げ、

 言葉を選ぶ。


 喉が少し詰まるのを、

 そのままにして続けた。


「オーネが、

 どういう人生でここまで来たか」


 そのことを思い出すように、

 目を細める。


「僕は知ってるのに」


 自分に言い聞かせるみたいに、

 言葉を置いた。


「それでも僕は……

 勝手に遠くへ行った」


 言い訳はしない。

 格好もつけない。


 ただ、

 許しを取りに来た人間の声で言う。


「怖いよね」


 一拍置いて、続けた。


「信じたら、

 また消えるかもしれないって」


 オーネの唇が、震える。


 その震えは、怒りじゃない。

 “嬉しい”が出そうになるのを、

 必死で押し殺している震えだ。


「……私は」


 オーネは言いかけて、止めた。


 言葉にしたら負ける。

 そういう負けじゃない。

 もう一度、

 人間になってしまう負けだ。


 けれど――


 彼女は、

 腕を抱えたまま一歩だけ前へ出て、


 オルティスの服の裾を、

 指先で掴んだ。


 強くない。

 掴み損ねたら、

 すぐ離れてしまいそうなくらい弱い。


 それでも、

 それが彼女の最大の“許可”だった。


 オルティスは、

 その指先を見て、

 息を呑む。


「……ありがとう」


 オーネは、

 視線を落としたまま、

 ぽつりと言う。


「……条件がある」


 オルティスは、頷いた。

 返事を急がない。


「うん」


 オーネは少しだけ唇を噛む。

 それから、

 言葉を選び直すように間を置いた。


「私の前で、

 二度と“いなくなる”って

 言葉を使わないで」


 自分の胸元に片手を添え、

 そこを押さえつけるみたいに続ける。


「……私の中で、

 それは、もう……

 暴力だから」


 オルティスの喉が、

 静かに鳴った。


「分かった」


 そして、少しだけ笑う。

 今度は、

 “影の支配者”の笑顔じゃない。


 ただの、

 帰ってきた少年の笑顔だ。


「ただいま、オーネ」


 一拍。


 彼は自分の足元を見て、

 もう一度だけ言い直した。


「……帰ってきた。

 今度こそ」


 オーネは、

 返事をしなかった。


 代わりに、

 裾を掴む指に、

 ほんの少しだけ力を込める。


 それだけでいい。

 それが、

 この子の「おかえり」だ。





 オルティスは、

 ふとオーネの手元へ

 視線を落とした。


 彼女の指には、

 黒銀の細い指輪が嵌っている。


 飾り気は少ない。

 けれど――

 そこに“抑える”ための

 静けさが宿っている。


 オーネは、

 それに触れない。

 誇らない。

 隠しもしない。


 ただ、外さない。


 それは縛られているからじゃない。

 誰かに命じられているからでもない。


 自分の中の“悪意”を、

 自分の手で制御すると決めた者の、

 選択だった。


 オルティスは、

 何も言わない。

 問いもしない。


 その意味を、

 奪わない。


 代わりに、

 ほんの少しだけ息を吐いた。


 ――受け取った。

 そういう呼吸だった。


 カルケイオスの風が、

 二人の髪を揺らす。


 かつて“悪意”に支配された地で、

 “悪意を司る少女”が初めて、

 自分の意志で、

 誰かを隣に置いた。


 ――こうして、

 オルティスはようやく、


 与えられた役目ではなく、

 自分で選んだ帰る場所に、

 膝をついた。


 その隣には、

 ずっと彼を待っていた少女がいた。


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