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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
ラナクロア
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第二部 ラナクロア編 最終話:それでいい




 エドラルザ王国領南部――ライマ山の山中にある靴の村、レイフキッザ。

 城壁の外にありながら、この村だけはいつも“生きている音”がした。


 木を削る音。

 革を叩く音。

 糸を引く音。


 それらは、魔族の気配が近い世界で、

 人間が人間であり続けるための、祈りに似た営みだった。


 村の外れ。

 森へ伸びる小道の先に、工房を併設した一軒家がある。

 その扉は、夜明け前から静かに開いていた。





 エレシ・レイヴァルヴァンは、

 靴のマイスターとしての業務を再開していた。


 ――再開、というより。

 止めていた時間の方が、

 この家には不自然だったのかもしれない。


 作業台の上には、削られたばかりのカダ材。

 型紙。針。糸。

 そして、乾ききらない刻印の光。


 エレシは手を止めず、

 ただ淡々と、いつもの手順を繰り返す。


 村へ納める靴。

 城壁の外で生きるために必要な、正規の“足”。


 けれど。


 今朝だけは、ひとつだけ違った。


 工房の隅に、

 使い込まれた木刀が二本、

 揃えて置かれている。


 靴作りの道具ではない。

 生活に必要なものでもない。


 ただ、

 今日が“そういう日”だと、

 家そのものが知っているみたいに。





 夜明け前。

 空気は冷たく、音が少ない。


 呼び出したのは、二人だけだった。

 理由は告げていない。


 けれど、エレシは察していた。

 前夜、最後の魔法の稽古をつけた時点で、

 もう分かっていた。


 彼が“最後”を選んだのではない。

 世界が、彼を“帰す”準備を整えたのだ。


 定臣が木刀を取る。


 それを見て、

 エレシとポレフは一歩前に出た。


 二人揃って、深く頭を下げる。


「よろしくお願いします」


 声は重なった。

 けれど、その意味は同じではない。


 片方は、

 理解して受け取る別れ。


 もう片方は、

 理解しないまま受け取る設計図。





 先に出たのは、エレシだった。


 剣を構えるその所作に、迷いはない。

 既に“終わり”を理解した者の立ち方だ。


 最初の一太刀。

 速い。

 鋭い。

 そして、真っ直ぐだった。


 そこに乗っているのは、感情ではない。

 感謝だ。


 今まで受け取ってきたすべて。

 教えられたこと。

 守られたこと。

 見捨てられなかったこと。


 それらを、

 一太刀に込めて打ち込んでくる。


 定臣は、それを受ける。


 弾かず、競わず、

 ただ正確に受け止める。


 剣を返すたび、

 エレシの剣が「整っていく」のが分かる。


 恐怖ではない。

 怒りでもない。


 覚悟が、形を持っていく。


 定臣は語らない。

 師匠の顔をしない。


 導く者ではなく、

 並び立つ者として剣を振るう。


 違う分野では、

 彼女の方が先にいた。


 この世界に降りたとき、

 最初に手を差し伸べたのも彼女だった。


 だから、これは教示ではない。

 エレシが、いずれ必ず辿り着く“未来”を、

 先に見せているだけだ。


 一太刀。

 また一太刀。


 踏み込みの間。

 魔力を込める前の一拍。

 剣が止まる“その直前”。


 すべてが、

 彼女自身の剣の未来を指している。


 エレシは、すべて理解した。


 だから、

 最後の一太刀は、

 これ以上ないほど静かだった。


 同時に、剣を収める。


 呼吸が整うまで、ほんの数秒。


 それから、

 エレシは深く頭を下げた。


「……ありがとうございました」


 それだけだった。

 それ以上は言わない。


 言えば、崩れてしまうから。


 定臣は何も言わず、

 ただ頷いた。





 次に前へ出たのは、ポレフだった。


 表情は、いつも通りだ。

 状況を完全には理解していない。


 それでいい。

 彼は最後まで、

 “分からないまま進む”主人公だ。


 剣を構える。


 ポレフは一度、息を吸う。


「よろしく……お願いします!」


 少しだけ声が大きい。

 少しだけ緊張している。


 定臣は頷き、

 木刀を構えた。


 最初の一太刀。

 ――遅い。

 正確でもない。

 力も足りない。


 それでも定臣は一切、手を抜かない。


 弾く。

 返す。

 踏み込ませる。


 ポレフが剣を振るたび、

 その“甘さ”を、

 すべて剣で返す。


 入念だった。

 エレシの時よりも、ずっと。


 何度も、同じ形を繰り返す。

 何度も、同じ失敗をさせる。


 ポレフは分からない。

 なぜ、今それをさせられているのか。


 それでいい。


 定臣は、

 意味を今、理解させる気がない。


 いつか。

 遠い未来。


 迷った時。

 立ち止まった時。


 ふとした瞬間に、

 この一太刀を思い出せば、

 それでいい。


 最後の一合。


 定臣は、

 わざと半歩、遅らせる。


 ポレフの剣が、

 初めて“通った”。


 手応えに、

 ポレフが目を見開く。


「……っ!」


 何が起きたのかは分からない。

 でも、

 確かに“届いた”。


 剣を収める音が、

 静かに響いた。


 朝の空気が、

 ほんの少しだけ緩む。


 稽古は終わっていた。


 ポレフは、まだ息が荒かった。

 額の汗を拭うことも忘れて、

 ただそこに立っている。


 そして――次の瞬間。

 ぱっと、顔が綻んだ。


 子供のように。

 誇らしげに。

 何一つ疑っていない笑顔。


「ご指導……ありがとうございました!」


 それは、渾身だった。

 意味も、理由も、

 そのすべてを理解していなくても。


 受け取ったという確信だけが、

 まっすぐに宿った声だった。


 定臣は、何も言わない。

 代わりに、

 ゆっくりと息を吐いた。


 ――ああ。

 これでいい。


 劉生が、

 そうしてくれたように。


 自分がいなくなったあとも、

 世界が自分を終えられるように。


 一太刀、一太刀。

 設計図を刻んできた。


 それが、今。

 確かに、渡された。


 光が、静かに溢れ始める。


 爆ぜるようなものではない。

 音もない。


 ただ、

 そこに“在った”ものが、

 本来の場所へ還っていくように。


「……あれ?」


 ポレフが首を傾げる。


 エレシは、もう何も言わない。

 ただ、

 剣を持つ手を強く握りしめていた。


 定臣は、

 最後にもう一度だけ二人を見た。


 ――大丈夫だ。

 この世界は、ちゃんと前に進める。


 だから。

 何も言わず、

 ただ微笑んだ。


 光が、輪郭を失い。


 次の瞬間。

 そこには、もう誰もいなかった。





 ――観測。


 遠く離れたカルケイオスの執務室。

 ミレイナ・ルイファスは、

 机に向かったまま、

 瞬きひとつで“それ”を捉えた。


 定臣の反応が――消えた。


 ペン先が、

 紙の上で止まる。


「……ふん」


 吐き捨てるような声は、

 苛立ちではない。

 確認だ。


 そして、

 彼女は何事もなかったように、

 書類へ視線を戻した。


 ――帰ったな。


 風が吹く。

 朝日が、刃を照らす。


 世界は、

 何事もなかったかのように、

 回り続ける。


 ――その日。


 エレシは、

 しばらく剣を振らなかった。


 ポレフは、

 理由も分からないまま、

 胸の奥に残った“何か”を、

 ずっと忘れなかった。


 それでいい。

 それが、

 彼がこの世界に降りた意味だった。

――第二部・完。


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