変なのっ
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朝の空気は、少しだけ乾いていた。
埃の匂いが薄れ、代わりに紙と薬草の香りが混じる。
城下とは違う。
剣も、号令も、噂話も届かない場所。
エドラルザ王国国立魔科学専攻学院――カルケイオス。
石畳の上を、学生服の裾が行き交う。
笑い声は小さく、どこか遠慮がちだ。
ここでは、それが“日常”なのだと分かる。
定臣は、門をくぐってから足を止めなかった。
案内を求めることもなく、迷う様子もない。
何度か通った道。
覚えようとしたわけじゃないが、身体が覚えている。
◇
中庭に面した回廊。
陽射しを避けるように伸びる影の端で、
三人が並んで腰掛けていた。
本を読んでいるロイエル。
その隣で、ルクエが楽しそうに何かを話している。
そして――
キカは、先に気づいた。
視線が上がる。
音も、気配も、遅れてくる。
けれど彼女の中では、
“来た”という確信だけが、先に落ちていた。
ロイエルを見る。
何も言わない。
ただ、ルクエの手を取る。
「え?」
小さな声。
それだけで十分だった。
キカは一歩引き、
自然な流れで立ち上がる。
「行こ」
理由は言わない。
説明もしない。
ルクエは一瞬だけ首を傾げ、
それでも逆らわず、手を引かれるまま立ち上がった。
二人はそのまま、
回廊の向こうへと歩いていく。
振り返らない。
空気を乱さない。
まるで、
最初から“そうなる予定だった”みたいに。
本を閉じる音が、小さく響いた。
ロイエルは、
顔を上げる前に声を上げた。
「あっ、サダオミじゃん!」
軽い。
驚きより先に、名前が出た。
定臣は足を止める。
「通り道だったからね」
即座に返ってくる。
「絶対に嘘じゃん!」
食い気味。
ロイエルは立ち上がり、
本を胸に抱えたまま、定臣を見上げる。
「もう、向こうは落ち着いたの?」
「色々大変だったよ」
一拍、間を置く。
「でも、今はルブランが手伝ってくれてる」
視線を外して、続ける。
「だから――なんとかなるよ。きっと」
「なんとかなるの?」
「便利な言葉だろ?」
「ずるい言い方だなぁ」
くすりと笑う。
さっきまでの空気を、そのまま引き継ぐように。
回廊を抜けると、学園の中庭がひらける。
朝の授業前らしく、
あちこちに人の気配があった。
「今日は回復魔法の小テストがあるのよ」
一瞬の沈黙。
「……え、いけるの?」
胸を張って言い切る。
「いくわよ!
爆発はするけどね! きっと!」
「それはイケてないって言うんだよ」
ロイエルは、くすくすと笑う。
笑いごとではない。
「キカがね、
昨日からずっと復習につきあってくれてたの!」
「さすがキカだな。俺のキカ」
「キカは僕のだからね?」
「はいはい」
何気ない言葉。
何気ないやり取り。
それだけで、
ここがロイエルの“日常”だと分かる。
◇
「そういえばさ」
ロイエルが前を向いたまま言う。
「サダオミ、このあとはどこ行くの?」
「どこにいこうかな?」
「また適当じゃん」
「まっ、だいたいそんな感じだからさ」
不満そうに頬を膨らませてから、
すぐに笑う。
「でもさ」
「来てくれて、ありがとね!」
中庭の端。
分かれ道。
ロイエルが足を止める。
「僕、こっち」
「だね」
視線が合う。
ほんの一瞬。
「またね!」
定臣は答えない。
ただ、笑って――
親指を立てた。
ロイエルは一瞬だけ止まり、
それから笑う。
「変なのっ!」
その間に、
定臣はもう背を向けていた。
歩き出してから、
ロイエルはふと立ち止まる。
そういえば、
キカがさっきまでそこにいた。
なのに、
サダオミは何も言わなかった。
理由までは、分からない。
ロイエルは小さく笑う。
「……ほんと、変なの」
そう言って、
学生たちの輪へ戻っていく。
カルケイオスの朝は、
何事もなかったように続いている。




