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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
ラナクロア
68/120

役目を終えたあと




 気配が、薄れていく。

 消えたわけじゃない。

 遠ざかったわけでもない。

 ただ、

 最初からそこにいなかったかのように、

 場から抜け落ちていく。


 エレシは、そちらを見なかった。

 見る必要がないと、

 本能が告げていた。

 あれは、

 敵でも味方でもない。

 理解する対象でも、

 怒りを向ける相手でもない。

 ――役目を終えただけだ。


 魔力の流れが、わずかに変わる。

 術式が解ける音はしない。

 空間が歪むこともない。

 それでも確かに、

 世界の一部が、静かに畳まれた。


 ミレイナだけが、

 ほんの一瞬、視線を上げた。

 追わない。

 呼び止めない。

 そうしてはいけないと、

 理解していたからだ。


 次の瞬間。

 そこに在ったはずの気配は、

 完全に失われていた。

 最初から、

 そうであったかのように。


「……透哩」

 定臣の声は、

 それだけだった。

 問いでもなく、

 呼び止める言葉でもない。

 ただ、

 そこにいた事実を、

 確かめるような声だった。





 エレシは、

 自分の内側に残っているものを確かめる。

 怒り。

 殺意。

 否定しきれない憎しみ。

 ――全部、まだ在る。

 消えてはいない。

 薄まってもいない。

 それでも、

 今は放たない。


 視線の端で、

 ポレフが息をしている。

 いつも通りの呼吸。

 いつも通りの立ち姿。

 何も知らない顔だ。

 それでいい。

 それ以外は、要らない。


 選んだのは、

 正しさじゃない。

 許しでもない。

 ただ、

 守るべき順番を、

 一つだけ間違えなかった。


 誰もが、

 無意識にオルティスを見る。

 命令を待つ視線ではない。

 答えを求める視線でもない。

 ――判断を仰ぐ視線だった。


 その時点で、

 この場に異を唱える者はいなかった。

 魔王の座は、

 すでに移っていた。


 オルティスは、

 いつも通りに笑っていた。

 柔らかく、

 人を安心させる笑顔。

 けれど、

 その奥にある緊張を、

 誰も見逃してはいなかった。





 世界は、

 救われたように見えた。

 血の呪いは止まり、

 争いの理由は失われ、

 最悪の未来は潰れた。


 それでも。

 誰もが分かっていた。

 ここで起きたことは、

 終わりじゃない。

 選び直しでもない。


 ――不可逆だ。


 エレシは、

 ポレフの前に立つ。

 背中を向ける。

 それ以上のことは、

 何もしなかった。

 それで、

 十分だった。


 それぞれが、

 それぞれの立場を引き受けたまま。

 場は、

 静かに解けていく。


 この日、

 世界は確かに前に進んだ。

 同時に、

 いくつもの感情が、

 取り残されたまま。


 ――それでも。

 それでいいと、

 誰もが思っていた。


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