見届ける者
■
見た瞬間に、わかった。
軽い。
軽い、というのは身体の話じゃない。
空気だ。
場が荒れているほど、逆に際立つ“整い”がある。
刃を持つ者の整い。
そして俺は、それを見た瞬間に理解した。
――ああ、ここだ。
俺がこの世界に降りてきた理由は。
この瞬間に、ポレフを前に進ませるためだったんだと。
腹の奥で、確信が落ちた。
言葉にする必要のない種類の確信だった。
この世界に降りてきた理由。
探していた答え。
全部。
この瞬間に、繋がった。
俺は――
ポレフを、ここで前に進ませるために来た。
剣を振るうためじゃない。
勝つためでもない。
ここで先に行かせるためだ。
そう思った瞬間、
不思議と迷いは消えていた。
ルクセンが、こちらを見た。
目が合う。
それだけで、十分だった。
「……全部、折るつもりかい」
軽い声だった。
冗談にも聞こえる。
俺は、肩を竦める。
「通すためには、それしかない」
ルクセンは、少しだけ口角を上げた。
「物騒だねぇ」
否定でも肯定でもない。
ただ、受け取っただけの反応。
次の瞬間。
空気が、張り詰めた。
――来る。
◇
最初の剣が抜かれた。
――速い。
抜いた瞬間、すでに“刺さっている”速さ。
俺は反射で半歩ずらした。
ずらしたのに、風圧が頬を削る。
刃が、見えない。
いや。
見えないんじゃない。
見えた瞬間、終わる。
ルクセンが淡々と名を告げた。
「シュンレイ」
最速の剣。
言われた瞬間、理解する。
このまま受け続けたら、いずれ目が追いつかなくなる。
なら――追いつく前に、終わらせる。
俺は一度、後ろへ逃げる。
逃げたように見せて、踏む。
踏んだ瞬間、世界が近づく。
刃の軌道が一瞬だけ“線”になる。
そこへ置く。
叩き込む。
乾いた音が鳴った。
シュンレイが、折れた。
◇
折れた剣の断面を、ルクセンは指先でなぞる。
ゆっくりと。
確かめるように。
騒がない。
騒がないが――折れ方を拾っている。
折った側の癖を、持ち帰るつもりで。
背筋が、冷えた。
この人は、折られたことを“データ”にする。
だから強い。
だから――次はもっと厄介になる。
◇
抜かれる前から、重い。
重いのは刃じゃない。
力だ。
体躯からは発揮できないはずの圧が、刃から出ている。
ルクセンが名を落とす。
「バレイ」
豪剣。
踏み込みが来る。
速い。
豪剣なのに、速い。
受けたら腕が死ぬ。
俺は受けない。
受けずに、滑らせる。
流す。
――流れない。
押し潰される。
足が沈む。
床が鳴る。
焦りが、喉まで上がった。
こんなの、受け切れるわけがない。
そこで、呼吸を変える。
剛に対して、剛で返すと負ける。
だから、舞う。
舞うように、受ける。
受けるんじゃない。
“置く”。
刃の重さの逃げ道を作る。
その逃げ道へ押し出す。
何度も。
何度も。
腕が痺れて、感覚が薄れていく。
それでも、逃がす。
滑らせる。
最後に一瞬だけ、豪剣の根元が浮いた。
そこへ叩き込む。
バレイが、折れた。
◇
ルクセンは、やはり騒がない。
ただ、指先が断面の“癖”を拾う時間が、僅かに長い。
悔しさでも怒りでもない。
――収集だ。
◇
三本目。
抜かれた瞬間、嫌な“やりにくさ”が来た。
速さと重さの、ちょうど真ん中。
どちらにも寄らない。
寄らないのに、どちらにも対応できる。
ルクセンが名を告げる。
「リョウラン」
バランス型。
ここからが面倒だ。
相手の癖が見えない。
こちらの癖だけが削られていく。
打ち合うたびに、“使える手”が減っていく。
俺は歯を食いしばる。
焦るな。
焦ったら、思う壺だ。
剣は正直だ。
心が乱れた瞬間、刃に出る。
ルクセンは、その乱れを見逃さない。
だから俺は、乱さない。
乱さないために、逆に攻める。
圧を掛ける。
圧を掛けて、相手のバランスを崩す。
――崩れない。
崩れないなら、崩れるまで掛け続ける。
息が焼ける。
肩が重い。
足が遅れる。
その遅れを、刃が拾う。
ぎりぎりで避ける。
ぎりぎりの連続。
でも、見えた。
一瞬だけ、踏み込みが浅くなる。
ほんの一瞬、刃が“戻る”。
そこだ。
叩き込む。
リョウランが、折れた。
◇
音が、ひとつ落ちた。
剣が折れる音じゃない。
場が、呼吸を取り戻す音だ。
誰も動かない。
動けない。
次が来ると分かっているからこそ、
この一瞬が、やけに重かった。
◇
ポレフが、唾を飲み込む音が聞こえた。
あいつはまだ口を開けたままだ。
驚いている。
ただ、何に驚いているのかは――
まだ分からない顔だ。
マリダリフは無言。
戦いを邪魔しない距離を保っている。
シアは、瞬きもしない。
エレシは静かだ。
静かだが、瞳が俺から離れない。
ルクセンは、四本目へ指をかけた。
◇
四本目。
抜かれた瞬間、思った。
――剣なのに、槍だ。
点。
点しかない。
線が無い。
線が無いのに、“刺さる未来”だけがある。
ルクセンが名を告げる。
「サイエイ」
突きの剣。
突きに優れすぎている。
優れすぎているから、逆に怖い。
逃げ道が無い。
避けたら追う。
追うのが速い。
見た瞬間に、もう間に合わない。
――焦った。
サイエイが刺さる。
肩。
浅い。
浅いのに、熱が走る。
血が遅れて滲む。
――被弾。
歯を食いしばる。
痛みより、悔しさが先に来る。
今のは、俺の負けだ。
だから戻す。
呼吸を。
足を。
心を。
刺さる未来を“点”として受け取るから負ける。
点じゃない。
点の前にある“重心”を見ろ。
重心が動く。
動く前に、置く。
置いて、誘う。
誘って、外す。
外した瞬間だけ、線が生まれる。
その線を掴む。
掴んで、折る。
数合。
十合。
腕が痺れる。
肩の血が温い。
息が荒い。
それでも、線は生まれる。
生まれた瞬間に叩き込む。
サイエイが、折れた。
◇
ルクセンの指が断面をなぞる。
ゆっくりと。
――そして、僅かに止まった。
止まって、何も言わない。
言わないのに、分かる。
この人は、折れたことを痛がっている。
痛いのに、顔に出さない。
剣に人生をのせているからこそ、出せない。
そういう矜持だ。
俺は、ゆっくり息を吐いた。
まだ、終わらない。
◇
五本目。
抜かれる前から、嫌な“濃さ”が来た。
刃が空気を切っただけで、肌が拒絶する。
剣というより――触れたくないもの。
ルクセンが告げる。
「ナギト」
呪剣。
掠っただけで死ぬ。
そういう類。
一歩、踏み込む。
掠るな。
触れるな。
それだけで、思考の余白が削れる。
刃が走る。
速い。
だが、サイエイの点ほど理不尽じゃない。
見える。
見えるなら――折れる。
……そう判断した瞬間。
刃が、袖を掠めた。
布の端。
皮膚には触れていない。
それなのに、背骨に寒気が走る。
呪いの気配。
「効く」と思わせるだけで、戦いが崩れる。
だが。
身体は、何も変わらない。
呼吸も、視界も、足運びも。
――効いていない。
ルクセンの狐目が、ほんの少し揺れた。
呪いが通らないと、気づいたのだ。
それでも、刃は止まらない。
呪いが効かないなら、剣で落とす。
そこに迷いが無い。
そこで初めて、正面から見る。
剣士として。
名を交わすべき距離だ。
息を吐き、背骨に芯を通す。
その動きを見て、ルクセンが口を開いた。
「名を」
一拍置き、刃先を下げないまま続ける。
「名を名乗りな、剣士」
俺は答える。
「サダオミ・カワシノ」
それだけでもいい。
だが、ここは違う。
負けないためじゃない。
勝つためでもない。
“負けない”ことを、場の理に刻むために。
もう一段、深く落とす。
「轟流免許皆伝」
言った瞬間、空気が変わる。
虚勢じゃない。
これは宣言だ。
――絶対に負けない、という意思表示。
ルクセンの口元が、僅かに上がる。
笑ったわけじゃない。
認めた。
剣を持つ者同士の儀礼として。
そして、返ってくる。
「ルクセン・パロエ」
淡々と。
――そこで、言葉が僅かに滑った。
口が先に出た、という顔。
一瞬、息が止まる。
「……マイスター、ルクセン・パロエ」
その単語が、場に落ちる。
剣士じゃない。
“マイスター”。
目を細める。
違和感が、確信に変わる。
この人は剣士として戦ってきた。
だが今、別の役を持っている。
言い訳はしない。
刃を構え直し、静かに告げる。
「来な」
◇
ナギトが走る。
本能を踏み潰して、踏み込む。
避ける。
流す。
――受けない。
受けた瞬間に終わる相手だ。
狙うのは、刃の根元。
だが、隠される。
呪いを盾にしているんじゃない。
純粋に上手い。
足がぶれない。
手首がぶれない。
呪いを捨てても成立する剣。
だから厄介だ。
数合。
十合。
削られるのは体力じゃない。
集中だ。
「掠るな」という警告が、余白を奪う。
――長引けば負ける。
腹に落とす。
ここしかない。
息を吐ききり、肩を落とす。
視線を刃から外す。
狙うのは、次の一歩。
次に生まれる重心。
そこへ――置く。
大きくしゃがみこむ。
次の瞬間。
声はその場に。
身体は、背後に。
斬撃は十閃。
頭部、肩、肘、膝、腹、背。
最後の三閃を、ナギトへ叩き込む。
呪いがどうこうじゃない。
剣は、剣として折る。
乾いた音。
ナギトが、折れた。
◇
断面に、指先が触れる。
――離れない。
痛いのだ。
剣が折れたことが。
俺は、確信する。
――最後が、一番やばい。
◇
六本目。
抜かれた瞬間、空気が兵器になる。
刃が伸びる。
伸びるのに、しなる。
しなるのに、重い。
速い。
強い。
……全部、ある。
名が落ちる。
「エラド」
最終剣。
これまでのすべてを持ち、尚且つ伸びる。
武器というより、兵器。
背中が冷える。
これは、剣の勝負じゃない。
空間の支配だ。
一閃。
避けたのに、刃が追う。
伸びる。
届く。
跳ぶ。
跳んだ先にも、刃。
しなる。
回り込む。
――受けられない。
床を蹴る。
逃げても、届く。
切り返す。
戻ってくる。
戻って、また伸びる。
息が詰まる。
視界が狭い。
これ、死ぬ。
歯を食いしばる。
死にたくない。
だからこそ――負けない。
負けないと言った。
名乗った。
なら、負けない。
一度、捨てる。
剣の勝負を。
兵器として上回る。
狙うのは刃じゃない。
“制御”だ。
伸びる刃には、必ず戻りがある。
戻りの瞬間だけ、制御が露出する。
そこを狙う。
狙うために、追い詰められる。
耐える。
誰も、邪魔しない。
――今は、俺の戦いだ。
刃が伸びる。
肩をかすめ、血が散る。
足を滑らせる。
わざと、崩す。
追う。
伸びる。
戻る。
そこだ。
再び、しゃがみこむ。
同じ奥義でも、重さが違う。
兵器には、兵器で返す。
声を置く。
「――制御を、折る」
身体が横へ。
刃が、戻りへ。
十閃。
足りない。
二十。
三十。
視界が白い。
腕の感覚が消える。
それでも、叩き込む。
俺の轟流は、手数だ。
殺さずに制するための手数。
狐目が、僅かに見開かれる。
初めての、想定外。
最後を置く。
――折れろ。
乾いた音。
エラドが、折れた。
◇
断面に、指先。
――止まる。
顔を上げる。
薄い表情。
だが、瞳の奥が痛そうだ。
剣に人生をのせている。
だから、痛みは心に来る。
遅れて、口が開く。
「……見届けたよ」
小さい声。
でも、分かる。
これは勝負じゃない。
儀式だ。
生涯を。
運命を。
その先を。
息を吐く。
役目は、果たした。
◇
門番が、ようやく息を吐いた。
事務処理の声で告げる。
「……戦闘、成立」
続けて、淡々と。
「よって、判定を更新する」
結論。
「勇者ポレフ一行の……通過を認める」
――誰も、すぐには動かなかった。
◇
場が、動き出す。
剣を収める。
マリダリフが肩の力を抜く。
エレシはポレフの側へ。
シアは無表情のまま、見ている。
ポレフは、口を開けたままだ。
――置いていかれた顔。
そう思った。
だが、違った。
視線は床。
折れた剣の残骸。
名品。
名匠の剣。
それが、次々に折れた現実。
マイスターの弟として。
そこで初めて、震えた。
遅れて、声が出る。
「……え」
もう一度。
「……え、全部……折った……?」
誰も笑わない。
笑える空気じゃない。
ただ、思う。
前に進ませる理由は、ここにあった。
剣の世界。
剣を人生として抱える世界。
剣が折れる世界。
人生が折れる音を、聞かせた。
だから、前に行ける。
越えた。
越えさせた。
それでいい。
◇
――その直後だった。
「僕なにもしてないんだけど!!!!」
甲高い声が、場に落ちた。
一瞬だけ、
本当に一瞬だけ、空気が緩む。
誰も返事をしない。
誰も、フォローしない。
ただ――
ロイエル・サーバトミンが、そこにいた。
◇
前に進ませる理由は、
やっぱり、ここにあった。




