動かぬ者
■
膜が、揺れた。
先の熱が、まだ空気に残っている。
誰も動かない。
だが、場は終わっていない。
次の“何か”が来る――
その予感だけが、先にあった。
それに応えるように、
仰向けに倒れていた男の身体が淡く発光し、
膜の向こうへ引き戻された。
現れたのは、軽い気配だった。
踏み込みは浅い。
だが、止まらない。
跳ねるための身体。
男が、姿を現す。
細身。
軽装。
刃も、軽い。
男は、まず――
全体を見た。
定臣。
マリダリフ。
エレシ。
ポレフ。
そして、斧を携えた女。
視線が、巡る。
前に出ている者。
間合いを管理している者。
気配だけで圧をかけている者。
役割。
配置。
連携。
「……なるほどな」
納得が、先に来る。
「……あいつが落ちたのも、無理はねぇ」
一人目。
魔界代表。
誰が、どうやったかではない。
この布陣なら、点は取れない。
男は、そう判断した。
――そして。
そこで、
ふと、目が止まった。
斧を携え、静かに立つ女。
ルブラン。
「……ああ」
声が、落ちる。
理屈ではない。
評価でもない。
ただ、視線が離れなくなった。
「綺麗だ」
軽く言ったつもりだった。
冗談でも、挑発でもない。
ただ――
口に出さずには、いられなかった。
ルブランは、反応しない。
視線も向けない。
斧を、持ち直すだけ。
「……剣を抜け」
それだけ。
男は、苦笑した。
軽口に見えてしまった。
――その事実が、胸に刺さる。
「安心しろ」
声を整える。
「なれ、なんて言わねぇ」
一拍。
「ただ……
勝ったら、隣に立たせてほしい」
沈黙。
ルブランは、
一切、揺れない。
「……来い」
◇
男が、踏み込む。
速い。
鋭い。
点を取りに来ている。
動きは正確だ。
だが――
斧が、振るわれる。
重い。
単純な怪力ではない。
地面ごと、
空間ごと、
引き剥がす力。
剣が弾かれる。
「――っ!」
距離を取る。
躱す。
流す。
だが、残る。
……軽かった。
自分の言葉。
自分の立ち振る舞い。
俺は……何をしてる。
怒りが、遅れて湧く。
ルブランではない。
定臣でもない。
――自分自身に。
「……クソが……!」
剣が、荒れる。
速度は上がる。
精度が、落ちる。
斧は、逃がさない。
一撃。
二撃。
地が砕ける。
膝が、沈む。
男は、笑った。
悔しさでも、未練でもない。
「……やっぱ、届かねぇな」
次の瞬間。
斧が、落ちる。
完全な一撃。
剣が弾かれ、
男は、地に伏した。
勝敗が定まった、その瞬間。
男の身体は淡く発光し、
膜の向こうへ引き戻された。
◇
ルブランは、勝った。
誇らない。
振り返らない。
ただ、斧を戻す。
それで、終わりだ。
空気が、ざわつく。
「……次だ」
門番が、告げる。
「三人目。出でよ」
――だが。
何も起きない。
膜の向こうは、
静かなままだ。
門番が、わずかに首を傾げる。
異常を異常と認めたくない顔。
その静けさの中で、
ホウガンが――遅れて息を吐いた。
今さら、気づいたような顔をした。
――あ?
脳裏に、古い景色が割り込む。
土。
泥。
笑い声。
拳。
喧嘩。
あの二人だ。
一人目。
二人目。
あいつら。
……幼馴染だ。
ずっと一緒に殴り合って、
ずっと一緒に笑って、
ずっと一緒に強くなった。
なのに。
今、魔界代表として選ばれて、
ここに立っていた。
自分と拮抗していたはずの二人が。
自分じゃなく、あいつらが。
胸の奥が、ぎり、と鳴った。
悔しい。
悔しいのに――
気づくのが遅すぎた自分が、
さらに悔しい。
ホウガンは拳を握り、
歯を食いしばる。
門番が、その横顔を見て、
不思議そうに眉を動かした。
「……貴様。聞いているのか?」
ホウガンの意識が、引き戻される。
その瞬間――
ホウガンの身体から、
便利魔法の光が滲んだ。
選出の光。
肌が理解する。
これは召集だ。
“次”の役だ。
ホウガンは、
ふっと口元を吊り上げた。
悔しさは消えない。
だが、そこに――
どこか誇らしさが混じる。
選ばれた。
なら、行く。
ホウガンは、短く頷いた。
「……承った」
光が強くなる。
膜の向こうへ引かれる感触。
そして――
ホウガンの姿が、消えた。
◇




