〝今〟の最悪
◇
――止まった。
止まったけど。
止まったところで、俺の頭の中の状況は止まらない。
俺は目を細めて、目の前の面子を順に見た。
まずはポレフ。
いつも通りのポレフだ。
いつも通りの顔で、いつも通りに状況が飲み込めてない顔をしている。
……いや、いつも通りって言うのもどうなんだ。可哀想に。
次にマリダリフ。
いつも通りのマリダリフだ。
いつも通りの顔で、いつも通りに〝めんどくせぇ〟って顔をしている。
……いや、こいつは飲み込めてるな。
むしろ飲み込めた上でめんどくせぇ顔だなこれ。
次にルブラン。
いつも通りのルブランだ。
いつも通りの顔で、いつも通りに〝ぇ、ぃゃ、しかし〟って言いそうな顔をしている。
……いや、言ってる。
顔がもう言ってる。
次にロイエ。
いつも通りのロイエだ。
いつも通りの顔で、いつも通りに〝あら?〟って顔をしている。
……いや、その〝あら?〟は、今はやめて。
今は〝あら?〟とか言ってる場合じゃないの。
そして――
エレシ。
エレシは、いつも通りに美しい笑顔だった。
シア。
シアは、いつも通りに無表情だった。
この二人が無反応なのが、逆に怖い。
いや、エレシは多分、理解してる上で無反応だ。
シアは多分、理解した上で興味がない。
……おい。シア。
興味持てよ。ねぇ。
うちの戦力の要に興味持ってよ。
ほら、今、世界の根幹に関わる話してるよ? ねぇ。
そんな俺の祈りなど当然届かず、
シアは淡々と口を開いた。
「ボスって誰」
その一言で、空気が一瞬だけ止まった。
「……誰のこと?」
俺がそう問い返すと、
ほうちゃんは一瞬、口を開きかけて――やめた。
代わりに、ほんの少しだけ視線を動かす。
エレシの方へ。
……あぁ。
そういう呼び方か。
「……お前、勝手にそう呼んでるだけだろ」
「せや」
ほうちゃんは、即答だった。
忠誠じゃない。
尊敬でもない。
ただ、エレシの振り切りっぷりを魔族的な感性で察して、
精神的に距離を詰められただけ。
……そんな感じだろう。
俺は深呼吸をして、出来るだけ冷静に言った。
「マリダリフは普通に人間だ」
「せやな」
「味方だ」
「せやな」
「半分魔族が一人いる」
「……いや」
「いや?」
「そっちや」
ほうちゃんが顎で示した先。
示されたのは――エレシだった。
エレシは相変わらずの微笑みで、俺に視線を向ける。
「はい♪」
はい♪じゃない。
はい♪って言うな。
はい♪で済む話じゃない。
俺は胃の辺りを押さえた。
「……え、なに?」
「なにって」
「エレシって、魔族なの?」
「半分な」
ほうちゃんは、笑わなかった。
さらっと言うな。
さらっと言うなよ。
お前、さらっと言う癖あるよね。
お前の情報、だいたいさらっと来るんだよ。
心の準備ってものがあるだろ。
「え、じゃあ……」
「ワイが言うたやろ。血に逆らえへんって」
ほうちゃんは、少しだけ表情を曇らせる。
「血はな。……だいぶん面倒くさい」
空気が、ほんの一瞬だけ冷えた。
その沈黙を、エレシが軽く崩す。
「厄介ですよねぇ♪」
「お前、軽いな!」
「軽くはないですよ♪」
エレシは微笑んだまま、続けた。
「私の場合は……〝嫌い〟の方向に全振りしただけです♪」
なるほど。
そういう処理の仕方か。
理由までは、聞かない。
今ここで聞く話でもない。
◇
「つまり、だ」
俺は話を戻すことにした。
「魔界に入って、魔王に会うには条件がある」
「せや」
「正攻法で、血の主導権を無効化する必要がある」
「せや」
「そのための儀式が」
「四天王戦や」
「人間は関係ない」
「せや」
「半分魔族は関係ある」
「せや」
「つまり、ポレフは関係ある」
「せや」
「エレシも関係ある」
「せや」
「マリダリフは関係ない」
「せや」
「ルブランも関係ない」
「せや」
「俺も関係ない」
「……それはどうやろな」
「なに?」
「いや、なんでもない」
「なんでもない顔じゃない」
「今の間はなんだよ!?」
「間って言うなや」
だいぶん面倒くさい。
俺は、目の前を見る。
崖の縁だ。
向こう側は、近づくまで見えない。
そういう類の、便利魔法がかかっているのだろう。
「……お約束だな」
「なにが」
「ここから落ちるんだろ?」
「せや」
◆
「よし。じゃあ行くか」
俺がそう言うと、ルブランが一歩前に出た。
「定臣様……その、よろしいのですか?」
「ん?」
「〝飛び降りる〟のは、さすがに……」
「大丈夫大丈夫」
「どうせ落ちるなら、落ち方が大事だ」
「落ちる前提なんですね!?」
「前提だよ」
俺は視線を横にやった。
マリダリフが、腕を組んで立っている。
表情はいつも通り。
でも――口元が、わずかに緩んでいる。
「おい」
「ん?」
「お前、楽しんでるだろ」
「は?」
「楽しんでるだろ」
「楽しんでねぇよ」
言葉は否定。
顔は肯定。
「……お前なぁ」
「うるせぇ」
「うるさいのはこっちだ」
「崖にビビってる奴が偉そうに言うな」
……くっ。
言い返せない。
俺は視線を逸らして、ほうちゃんを見た。
「で、どうやって落ちるの?」
「普通に落ちる」
「普通に?」
「普通に」
最悪の説明である。
ほうちゃんが指差した先には、
崖の縁に――妙に整った石畳があった。
円形に刻まれた石畳。
中心には、小さな窪み。
……祭壇みたいだ。
「これ、なに?」
「境界の儀式場や」
「儀式場って」
「儀式場や」
「雑すぎる説明やめろ」
「雑ちゃうわ。これ以上言うたら長いねん」
ほうちゃんはそう言って、石畳の中心に立った。
「ここに立って、名前を名乗る」
「名前?」
「せや」
「誰に?」
「魔界に」
「魔界に?」
「魔界にや」
……うん。
やっぱり説明が雑だ。
だが、ここで突っ込んでも無駄だ。
攻略本は――こういうところ、だいたい雑に書かれている。
一周目は見ない。
二周目以降は、いい具合の情報制限。
で――
今、俺はどうしている?
攻略本を見ている。
しかも、攻略本の方が現地で踊っている。
最悪だ。
「ラナクロア~魔界の歩き方~」
『誰が攻略本や!』
即座に返ってくるツッコミ。
……いや、やっぱり攻略本だと思う。
俺は小さく頷いて、石畳の中心に立った。
空気が、さらに冷える。
風が止む。
波の音が、遠ざかる。
世界が、ここだけ切り離される。
皮膚の上に、見えない圧が乗った。
――あぁ。
これが、境界だ。
俺は息を吸って、名を名乗る。
「サダオミ・カワシノ」
声が、下に落ちる。
落ちた声は、闇に吸い込まれた。
次の瞬間――
石畳の中心が、淡く光った。
光は円を描いて広がっていく。
足元から、世界が抜ける感覚。
「はい落ちるー!」
「言うなああああああああああああ!」
ロイエの声に反射で叫んだ瞬間、
俺の身体は、文字通り落ちた。
落ちた。
落ちたのだが――今回は違う。
ただ落ちるのではない。
〝落ちていく先が、最初から決まっている〟落ち方だ。
吸い込まれる。
引きずられる。
連れていかれる。
視界が暗転する。
耳鳴りがする。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
それでも、恐怖より先に、
妙な安心感があった。
――あぁ。
これは、儀式だ。
儀式ってことは、多分、死なない。
多分。
……多分。
◇
――落ちた先は、暗闇ではなかった。
赤い空。
黒い地面。
遠くに見える、歪んだ城壁。
空気が熱い。
でも、息はできる。
むしろ、吸いやすい。
……嫌な意味で。
甘い匂い。
鉄の匂い。
焦げた匂い。
全部混ざっていて、
どれも主張が強い。
ここが、魔界。
顔を上げると、目の前に――門があった。
巨大な岩が二つ立ち、
その間に、揺らめく膜が張られている。
膜の前に立っていたのは――
人の形をした、何か。
黒い鎧。
角のような飾り。
背中の黒い羽。
赤い目。
魔族だ。
魔族は、俺を一瞥しただけで言った。
「……天使か」
続いて、低い声が響く。
「名を名乗れ」
「サダオミ・カワシノ」
「目的は」
「魔王に会いに来た」
「……ほう」
一拍。
「勇者を立てよ」
俺が言葉に詰まるより早く、
ポレフが一歩前に出た。
「俺が勇者だ」
「支持者を四名、立てよ」
まず、エレシがポレフの隣に並ぶ。
「支持者です♪」
次いで、定臣が戸惑うより先に、
マリダリフが一歩前に出た。
「支持者だ」
俺も、遅れて前に出る。
「……支持者、だな」
最後に、
俺を見届けてから、
ルブランが静かに一歩踏み出した。
「支持者として、名を連ねます」
魔族は、門番としての主観で、順に確認していく。
「ルブラン・メルクロワ」
「……天使」
「サダオミ・カワシノ」
「……天使」
「マリダリフ」
「……人」
「エレシ」
「……半血」
魔族の視線が、わずかに鋭くなる。
「――血の声に抗う意思は」
「ある」
短く。
それだけで、十分だった。
魔族は、膜に手を翳す。
「呼び出す。魔王の支持者四名」
来る。
俺は、無意識に剣の柄に手を置いていた。
ネタ枠っぽい気配。
だが――肌が、理解している。
これは、強い。
ほうちゃんが、小さく呟いた。
「あっれ……」
その声は、震えていた。
「確か……こんな奴……やったっけ……?」
攻略本が――情報を失っている。
いや、攻略本じゃない。
ほうちゃんの記憶が、揺れている。
俺は、内心で舌打ちした。
――そういうことか。
最強四名を〝便利魔法〟で選出。
時がくれば召集。
つまり――
あらかじめ決まった〝四天王〟がいるわけじゃない。
今この瞬間、
この状況で、
〝最も適した四名〟が呼ばれる。
そして今、呼ばれた一人目は――
俺達にとって、
〝今〟の最悪だ。
現れた男が、こちらを見て笑った。
「おうおうおうおう!」
……うん。
長くなるな、これ。




