ラナクロアの海物語III
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海を歩いて渡る。
そんな稀有な体験に初めは踊りに踊った挙句、有頂天だったテンションも、今となってはすっかりと通常業務である。
見渡す限りの地平線。その遥か彼方にほんのりと見える〝テイザール〟
歩けど歩けど近付いている気配すら感じさせないその幻影にさすがに嫌気がさしてきた。
「定臣~ 無理すんなよ~」
メヘ車の操縦席からこちらを見下ろしながらそんなことを言ったのはマリダリフだ。
その後ろには早々に飽きてメヘ車の中へと撤退していった他の面子が揃い踏みしている。
「あいよー」
適当に返事をし、足元を二、三度踏む。
ぷにぷにと反発した海の表面に〝スライムみたいだ〟と引き続き同じ感想を述べると、今度は思いっきり踏み込み、ジャンプしてみる。
「定臣ー なにしてんだー」
「いやさ、ゆっくり触れるとぷにぷにしてるくせに」
「ん?」
「ほっ こうやって思いっきり踏むと普通の地面のようにだな」
「その方が都合がいいだろうがよ」
「またそれですか」
「またそれですねー」
やれやれである。
ともあれ、平地と変わらぬ足場を確保出来るのであれば〝もしも〟なにかが起こったとしても、対処は可能──。
そんな風に思考を巡らせる。
「ん それじゃ俺もそろそろ中に入るわ」
「へいへい 運転手さんは一人で頑張りますよっと」
「うわ 入りにっく」
「冗談だよ 窓から話相手よろしく」
「へいへい」
ぽくぽくと歩くメヘ車。
それを引く〝ジョナサン〟の頭を一撫でし、メヘ車の扉に手をかけた。
『ようやく入ってきたか』
いた。
大きい方の赤髪いた。
「あら姐さん、いらっしゃい」
「うむ」
瞳を閉じ、満足そうに返事をすると優雅に紅茶をすする。
自らが用意した〝特等席〟に突如現れ、どっかりと足を組むその姿はもはやこの場において名物と化している。
「もうそっちは到着しました?」
「さて── それを言ってしまってはつまらないだろう?」
「まぁそれもそうっすね」
「聞き分けが良過ぎるのもつまらないな」
「でも姐さんが大人しく同行してるんだし」
──確信がある。
この人が関わった時点で必ずその先には〝なにか〟がある。起こりうる。
問題はそれを口にして良いものか、という点だ。
探るように表情を伺う。
選択を間違えれば──
「チャッピー 私とてたまには単に遊びにも来るよ」
「あぁ、妹成分補充ですか」
相変わらずに思考を先読みされた驚きを隠しつつ、そんなことを口にした。
妹成分補充。つまりはロイエである。
激妹ラヴな赤髪様は定期的にロイエに触れなければなにかと立ち行かないらしく、その頻度たるや〝え、この人こっちの人ですよね?〟と疑いたくなる程である。
問題は──
その愛情表現が随分と歪で当のロイエは毎度毎度、恐怖に慄いている点なのだが──
「ロイエ、姐さんだよ~」
にっこりと。
「さ、さささ定臣が僕を売った!僕を売ったああ!」
「売ってない売ってない」
「酷いわ!僕は空気に徹していたのに!酷いわ!」
「酷くない酷くない」
「あんまりだわ!」
がしりと──
姐さんの左手がロイエの左肩を捉える。
「ぇぅ」
可愛く鳴ったロイエに慈愛の眼差しを送っていると、今度は姐さんの右手が俺の右肩に伸びてきた。
「え?あれ?」
くくく、と吊り上がった口角には見覚えがあった。
あ、これあかんやつや。
咄嗟に逃げ出そうとするももはや魔法で完全に無力化されている。
がしりと引き寄せられる。
するりと肩を離れた手が今度はうなじを擦り、それから一気に顎下まで伸びてきた。
頬と頬がくっつく。
横目で見れば反対側で同じ動作が行われていたらしく、左からロイエ、姐さん、俺の順で顔が一列に並んでいる状態だ。
「くくくく」
嗤った。
「なぁに、私には妹が二人いるのでな…… くくくく…… あははは…… あーっはっはっはっは」
────……
───……
──……
そんなこんなで嵐は過ぎ去っていった。
勿論、新たなトラウマをしっかりと植え付けて。
まぁなんだ──
言わせてくれ。
やれやれだ。
◇
海上で一夜を過ごすという稀有な──ってこの下りはもういいか。
とにかく一日、海上を歩いてみたものの、警戒していた魔獣の襲撃等は一切無く、その日は緩やかに過ぎ去っていった。
しっかりと休憩をとれる時にとる。
旅慣れたマリダリフのそんなススメは今となってはすっかりと皆に浸透している。
そんなわけで不慣れなこんな場所でもしっかりと休憩をとることにした。
──そうだな。
この日、印象に残ったのは姐さんの他には──
就寝前。メヘ車に上り、寝転び向かい合った星空を思い出す。
まるで自分が海と空との境界になったかのような、不思議な感覚──。
時折、頬を撫でる海風と意識を集中してみれば僅かに波に揺られるメヘ車。
随分と心地良かった。
────……
───……
──……
「で?その結果そうなったと」
見上げればなんともいえない顔のマリダリフ。
その眼下では俺が四つん這いになっている。
「ったく、なかなか中に入って来ねぇと思えばお前は──」
そう、心地良さの中、知らずの内に俺はメヘ車の上で一夜を過ごしてしまったのである。
そして──
「放っておいて…… 今放っておいて…… うげぇ」
ものの見事に船酔いならぬメヘ車酔いしたのである。
おはよう 呪わしい朝。
とにかく海上初日は姐さんが来て、夜が来た。そして翌朝、俺は酔っていた。
なにやらいつも通りな気もするが、だいたいこんな流れである。
この後、エレシの便利魔法に助けられ、ようやく起き上がった俺にシアが膝かっくんしてきたり、見事にお見舞いされた俺をすかさずルブルブがお姫様抱っこで救出したり、その照れ隠しにロイエの頭をくしゃくしゃにしてみたりと──
そんな感じで海上二日目は始まった。
あ、あとポレフはまだ寝てた。
◇
事態が急変したのはその日の正午だった。
エレシ特製の弁当セットを囲み、わいのわいのと楽しく過ごしている最中のことである。
いつも通りに皆より早く食べ終えたマリダリフは、腹ごなしも兼ね、外へと鍛錬に出る。
そこで目撃した。
メヘ車を中心に円形に海上に張った魔法被膜。その下を波に揺られながら通過していく無数の〝漆黒の人工物〟。その端面は今も燻っており、〝それら〟がそんな状態になってさほど時間が経過していないことを物語っていた。
「こりゃあ……」
目的地である〝テイザール〟は今や周囲の岩山で目視出来る程に近づいている。
その向こう側には薄っすらと黒煙が立ち昇っているのが見えた。
「どうやら面倒なことになったな」
◇
王国要塞軍艦〝トティエギウス〟が燃えている。
威光も勇者もなにもかもを無視し、ただただ燃えていた。
その最中──
炎に焼かれ、崩れ往くその中に揺らめく影が在った。
『ったく……難儀なもん持ち込みよってに』
影の主はそうごちると肩に掛けた大鎌を振るう。
次の瞬間──
轟音と共に〝トティエギウス〟は切り裂かれ──
そして海へとその姿を消した。
沈み往くその姿を確認すると黄金の瞳を輝かせながら男はなんとも気だるげに言う。
『ふぅ……門番の仕事も楽やないなぁ』
◆
「え?」
「だから星勇者の奴、しくじりやがったぞ」
楽しいランチタイムの直後、マリダリフが伝えてきた話の内容に頭が追いつかない。
オルティスがしくじった?
何事も実にスマートにこなす奴のことである。
なにかをしくじる姿がまったくもって想像出来ない。
なにやら癪だがその辺りは随分と信頼してしまっているらしい。
ともあれ、またしてもマリダリフの心配性からくる早とちりだ、と即座に中りをつけることにした。
「こ~れ!これ見ろよ!」
ばんばんと手に持った〝なにか〟を叩いて見せるマリダリフ。
どうやらまたしても思考が顔に出てしまっていたらしい。
「それなによ」
やたら熱そうな真っ黒な板。
その周囲はむわっと揺らめいている。
鉄板?
「というかそんなものを素手で持ったり叩いたりするなよ。熱くないの?」
「魔法、魔法っと」
「またそれですか」
「またそれですねー」
「それじゃそれがなにか魔法で説明してください」
「いやそれは口で説明するよ!?」
そこは口でいいらしい。
「いや、だからこれどう見てもよ──」
オルティス達が乗っていた軍艦の外装の一部。
マリダリフはそんな風に手に持つ〝それ〟のことを説明した。
いや、よくそんな鉄板見ただけでそこまで検討がつくな。
即座にそんなツッコミをいれた俺に──
魔法ですねー、とまたしてもマリダリフは説明を省略するのだった。
それはさておき──
マリダリフの言うことに間違いが無いのならば──
これは緊急事態ではないのだろうか。
ビッと親指をこちらに向け、歯を輝かせながらドヤ顔をしたドナポスさんの姿が脳裏を過ぎる。
仮に不測の事態が発生したとしてもあのドナポスさんがお気に入りの艇の破壊を許すはずがない。
それが起こった。
起こってしまったというのなら──
「臨戦態勢完了ってか」
マリダリフのそんな言葉に思考を引き戻される。
「表情の裏側を勝手に読むんじゃありません」
「それがわかるくらいには付き合いが長くなってきたってことだな」
「そうですか」
「そうですねー」
──にしても
「厄介だな」
俺がかよ!?などと素っ頓狂な声を上げたマリダリフのことはとりあえず置いておく。
許すか?
あのオルティスがこんなスマートじゃない事態。
クレハもいる。
セナキは──まぁよくわからんが……
なによりも──
姐さんはどうしたんだろ。
赤髪の小覇王。
先刻、身をもって再確認した理不尽は元気凛々にご健在だった。
「う~む……」
無い……かな。
あの面子をどうこうできる手合いが〝テイザール〟に潜んでいるとは、どう考えても思えない。
「定臣!殺気!殺気!」
またしてもマリダリフの声に思考を遮られる。
「希望的観測ってやつが覆る時ってだいたいこんな感じの時なんだよなぁ」
「ん~?」
「ほら、よくあるじゃん。何連覇もした最強王者がぽっと出を相手に初戦敗退とか」
ふむりと考え込んだマリダリフから視線を外す。
こういう胸騒ぎって──
よく当たるんだよなぁ……
〝テイザール〟を囲む岩山の向こうには微かに黒煙が立ち昇っているのだった。
◇
事態を受けて、急ぎ、目的地へと〝ジョナサン〟を走らせる。
ようやく辿り着いた〝テイザール〟の周囲では遠目からの印象通りに切り立った岩山が侵入者を拒んでいた。
「まぁでもこれくらいなら──」
「無理。」
「ん、でも急いでるからさ、シア」
「無理。」
「おぶっていくよ?」
「だが断る。」
こうなったシアさんはなかなかに面倒である。
即座にそんな共通の認識をアイコンタクトで確認すると、俺達は仕方なく別の侵入方法を模索する。
結果───
「いや、なにこれ?」
「あったな」
正面からはあれ程までに面倒な地形に見えていた〝テイザール〟。試しにその裏側へと回ってみた第一声がこれである。
目の前には白い砂浜。どこぞの金持ちのプライベートビーチよろしく、開けた空間がそこには在った。
〝テイザール〟の玄関口。そんな表現がしっくりとくる。
早々にそこからの上陸を決めると〝ジョナサン〟を進めることにした。
外に出ているのは、運転手を務めるマリダリフとその周囲を警戒する俺。それに車内に飽きたロイエといった具合だ。
幸か不幸か、外に出ていたのがその三人だったことがこの後の出来事の結果を決定することになった。
はじめに上陸を果たしたのは俺であり──
「!?」
その足元には即座に斬撃痕が刻まれた。
『やりまんな~、余裕で躱しよるか~』
「いやいや、結構びっくりしたよ?」
軽く返事をしながら狂撃の主を確認する。
──眼。
なによりも最初に意識を惹いたのはギラギラと光る金色の眼だった。
さらさらと海風に揺れる銀髪に不敵に嗤う口元。そこから覗く、牙からは少し人間離れした印象を受ける。
と、いうか──
「エレシに似てない?」
「似てるな」
「似てるわ!」
つまりは美形である。
エレシが美女なら、こちらは美男子である。イケメンである。
『そないな奴── 知らんがな!っと』
いや、大鎌を持った随分と好戦的なイケメンである。
『また躱す…… お前、おもろいなぁ!!』
勝手に楽しくなられても困る。
というか関西弁だ。ラナクロア初の関西弁の人だ。
「手、必要か?」
「ほっ── いや、大丈夫っとっと」
「だろうな」
そもそも殺気がまるで無い。
手加減していることを隠そうともしない斬撃である。
初めて相対する得物の動きに興味を惹かれ、少しは付き合ってみたものの──
「な?もういいかな?」
『──ったく…… 人間っちゅうのはなんでこう、どいつもこいつも化け物揃いやねん』
自信無くすわぁ等と愚痴りながら男はようやく攻撃の手を止めた。
「うん、そもそもわざわざ喧嘩しに来たわけじゃないしね」
『さいでっか』
「さいですねー、で、俺の名前は〝サダオミ・カワシノ〟。君は?」
『警戒解くの早過ぎやろ』
「少し切り結べば解るよね?」
『……はっ、同じこと言いよるか』
「う?」
『こっちの話や── まぁええわ、〝ホウガン・シュナイド〟』
「わかったよ〝ほうちゃん〟」
「ちょ!誰が〝ほうちゃん〟やねん!いきなりやな自分!」
「それでほうちゃん、試験は合格なのかな?」
「聞けや!つっこんどんねん!聞けや自分!」
「マリダリフー、ロイエー、合格だってさ」
「なんでやねん!」
「なんでやねん頂きましたー」
「おま!……さては馬鹿にしくさっとんな!?」
「いやー、ホントに言うんだね〝なんでやねん〟」
「ぐ……ぐぬぬぬぬ」
「諦めろ〝ほうちゃん〟」
「お前もかい!っつかお前まだ名前聞いてへんからな!」
「諦めるしかないよ〝ほうちゃん〟!」
「お前もか……い?……あ、お嬢ちゃんはええわ、許す」
「わぁ!ありがとう!」
「うん、かわええから許す。──だがしかーし!おっさん!お前だけは許さん!誰が〝ほうちゃん〟じゃごらあああ!」
なかなかに愉快だった。
そんなこんなの出会いを経て、ようやく島への上陸を許された俺達h「許してへん!!まだ許してへんからな!!!」
「え?許されたと思った」
「ええ加減にせえよこのブサイクが!」
「はじめて言われたー」
と、いうかこれは悪い流れかもしれない。
心配になりそっと振り返ってみる。
「あ、やっぱり?」
視線の先には真顔のマリダリフ。その眼は明らかに殺気に満ち溢れていた。
「よぉ、やっぱり喧嘩しようや坊主」
「ちょ、マリダリフ待てって」
「聞けないねぇ」
これはまずい。
慌てて空気を和らげる話題を探す。
ふ、と目に入ったのは〝ほうちゃん〟の腰に下げられていた〝なにか〟の毛髪だった。
「マリダリフ、後でデートしよっか」
「まぢで!?」
「で、ほうちゃんその腰に下げてるのってなに?」
「なんや、やらんのかいな…… お?これか!サダオミ、お前なかなか見所あんなぁ!これはな──」
自分が仕留めた獲物。それから採取した毛髪だ、とほうちゃんは説明してくれた。
随分と物騒なことに、この〝テイザール〟では獲物の首を刎ね、その日の功を誇示する習慣があるらしく、功が勝ち過ぎた日には物理的な面での兼ね合いから、獲物の毛髪を切り取り、その代用品とするとのことだった。
「いや、だったら最初から毛髪だけにしておいた方が……」
と誰しもが最初に思いつきそうなツッコミは勿論入れておいたわけだが、そこは謎の〝仕来り〟ということで一蹴されて終わってしまった。
獲物自慢を始めた〝ほうちゃん〟は実に上機嫌であり、鼻歌混じりの解説は随分と長く続いた。
その断片から〝テイザール〟についての情報を拾い集め、頭の中で整理していく。
海を渡る最中に感じていたことだが、どうやらこの近辺には〝魔獣〟は生息していないらしく、陸地では山の中で隠れている他の動物達も随分と活発的なようだった。
「んでその動物も人間に形が近付くにつれて強さが増していきおってな」
人間に形が近い獲物?
「今日のは特に苦戦したわぁ」
人間に形が近い獲物ってそれもう──
そんな言葉が喉元まで出かかった時、目の前にどさりと毛髪を投げ落とされる。
短い毛を無理やり束ねたそれを見下ろした俺に──
「そいつはなぁ、やたら硬かった。んでやたらでかかった。その癖に俊敏で面倒やったわ」
どさり、と──
次の毛髪は黒色で──
「こいつは総合的に面倒やったわ。なにしても涼しい顔しとるから──ちょっと原型留めんくらいにしてもうたわ」
それから──
次の毛髪は赤色で──
おい、待てよ
「こいつはとんでもない魔術使いでな。さすがにこっちもかすり傷負わされてなぁ」
ゾクリ、と──
背中を駆け上がった寒気と共に、俺の意識はプツリと途切れた。