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神様機構     ~悠久なる歯車~  作者: 太郎ぽん太
ラナクロア
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ラナクロアの海物語II

 ■




 ◆




 その男に出会ったのは夕暮れ時のことだった。

 ようやくとして海の日差しが緩やかになった時刻である。

 青天の下、とどまることを知らない他の面子のテンションに付き合い続け、思いつく限りのありとあらゆる〝海での遊び〟を、これでもか、という程に堪能し尽くした。

 そんな後の話である。

 正確にはそれまでに男の存在を〝認識〟はしていた。

 にも関わらず、その存在が〝異様〟であると気がつくのにそれだけの時間を要したのである。

 思い返せば、羞恥心を力技でかなぐり捨て、なんとか浜辺へと這い出した時には、その男はそこにいた。

 自然な形で皆はその男と、その男が運営していた〝海の家〟的な役割を果たす露店を受け入れてしまっていたのである。

 国家ぐるみで〝立入り禁止区域〟に指定していたはずの〝海〟で──

 平然と露店を運営していたその男のことを──

 さも、それが当然であるかのごとく、なんの違和感も覚えることなく──

 完全に──

 完膚無きまでに〝受け入れて〟しまっていたのである。

 事態が〝異様〟であると気がついた原因──。

 きっかけは突然の静寂だった。

 BGMと化していた波の音。それが知らぬ間にメインヴォーカルとして躍り出ていた。

 先程まで耳を打っていた、仲間達の心地よい喧騒は〝気がつけば〟消えている。

 どこか夢を見ているような──

 そんな不思議な感覚に陥る。

 その時──

 そんな瞬間にその男はそこに在った。

 そこは完全にこちらの間合いだった。

 おおよそ三歩前。一振りで斬り伏せることの出来る間合いである。

 そしてそこは剣士として、決して得体の知れない者を侵入させてはならない間合いでもあった。

 そんな〝聖域〟にその男はいとも容易く侵入してみせたのである。

「びっくりした~」

 動揺を隠すように、そんな風に口走る。悟らせないように即座に頭の中を臨戦体勢へと切り替える。

 そんなこちらに気づいてか気づかずか、男は依然、しゃがみこみ、頬杖をついて悠然とこちらを見据えたままだ。

「え~と…… 海の家のお兄さん……だよね?」

 今のを見れば男が〝ただの海の家のお兄さん〟でないことは明白だった。それでもそんな風におどけていなければならない。そんな威圧感がその男にはあった。

『さて──』

 こちらの質問などお構いなしに、男は勝手に喋り出す。

『暫く見せてもらったが──』

 恐らく人間ではない。

 脳が警鐘を慣らす。戦慄する。

 こんな時、ごくりと飲み下すはずの生唾は既にカラカラに渇いてしまっている。

本気マジでお前、自覚無しでやってんだな』

「───?」

 自覚?なんのことだ。

『まぁそれはさておき──』

 ぞくり──

 一瞬で膨れ上がった男の殺気に身体が反応する。

『ほう……二つ目にしちゃあ、随分といい反応するじゃねぇか』

 足には冷たい感触。

 そう言われ、ようやく自分が無意識に男と距離をとり、膝下まで海へと浸かっていることに気がつく。浜辺から海の中へと一足飛びしていたらしい。

「えっと、あんた何者かな?」

 抜刀の心構え。それを忘れることなく、なるべく平静を装おう。

 一方、男にとってはそんなこちらの都合はどうでも良いらしい。

 向けられた殺気は健在── にも関わらず、その表情は突如、笑みに染まる。

『ははっ、ただの〝海の家のお兄さん〟ってやつよ。そう構えなさんな』

 いやいや、無理だろう。

 構えるなと言うなら、まずはその殺気を下げてから言って頂きたい。

 無防備になった途端、こちらの首が宙を舞う。

 そんなイメージしか浮かばない。

「………」

『あ~、なに?構えちゃう?やっぱり構えちゃうか~』

「そりゃ構えるって」

『あ~、なんだ。ちっと誤解が生じちまってる。 あ~、なんて~かその、後輩ちゃんよ、俺ぁただ、お仕事に来ただけだぜ?』

 仕事──。

 いや、それよりも気になることを今言った。

「……後輩?」

『あぁそうさ。お前さんは俺の後輩ってやつよ』

「そうですか先輩。それではご用件をどうぞ」

『って、信じてねぇだろ!!』

 なにやらつっこまれた。それと同時に剣呑な殺気は霧散した。

 少しは話が出来る状態になったらしい。

 ならば後は得意の煙に巻くスタイルを存分に発揮するだけである。

「あっさりバレた……だ…と?」

『バレるわ!!──っと、いかんいかん。こいつのペースに乗せられるなって委員長殿から注意されてたんだった』

「委員長?」

君島海里きみしまかいり。面識あんだろ?』

 それは天界で出会った天使ひとの名だった。

 勝気で随分と愉快な天使ひとだったと記憶している。

 ん?

 と、いうことは──

『ま~だ気がつかねぇのか。俺ぁ天使だ』

「……」

『おい、なんか反応しろや』

「い、いや、おっさんの天使もいるんだな~って」

『おま!失礼な奴だなおい!!』

 なにやら怒られた。

『いいか、おっさんは自分で自分のことをおっさんって言うのは許せるんだが、他人におっさんって言われるとムカつくんだよ!!』

 うわ、この人、めんどくさい。

「うん、めんどくさい」

『口に出ちゃってるだろうがあああ!!』

「あ、今の無しで」

『無しになるかこらあああ!!!』

 どうやら無しにはしてくれないらしい。

 経験上、自ら先輩を名乗り出る人を怒らせると随分と面倒になることは理解している。

「ならばここは適当にご機嫌とりでもするべきか」

『ってだからお前!そこのお前!!』

 ええと、先輩様におかれましては──

「ってあれ?」

『あ~、なんだ── だいたいわかった。 確かにお前は委員長殿が苦手なタイプだわ』

 なにやらだいたいわかられたらしい。

「あなたに私のなにがわかるって言うのよ!」

『いきなり謎のノリを求めんなよ後輩ちゃんよ』

 即座に拾ってくれるあたり、仲良くなれそうだ。そんなことを思った矢先だった。

「!?」

 殺気。

 またしても膨大な殺気が周囲を覆う。

『まぁお前のことは気に入ったとして──』

 ギラリと光る眼光に瞳をえぐられたような錯覚を覚える。

 無意識に額へと這わせていた掌は汗でびっしょりだった。

『仕事はしないとな。委員長殿がうるせーしよ』

 次の瞬間──


 リィィィィィィィン


 その音が小さなものなのか、はたまた大きなものなのか、それすらも認識できない。

 しかしながら、不思議と嫌悪感は無い。むしろ温かな心地よい感情が身体中を駆け抜けていく。

 俺はこの音色を知っている。

 記憶の中でその音色を奏でたのは〝大宮るるか〟

 天界での俺の師匠である。

 あれを奏でた理由はなんだっただろうか──


「定臣さん、良かったです! 無事に承認されましたよ!」

 そう、あれは──


「はい! 失敗したらどうしよ~って思いながらだったので緊張しましたよぉ」


 嫌な汗が一気に噴出す。


「はい、あれが神様の審議でした」


「───…… 失敗してたら?」


「DEATH」


 つまり、たった今この瞬間に、またしても俺は無自覚に死にかけたのである。 

「なにしてくれちゃってんですかこの先輩野郎おおおおお!!!」

 魂の叫びである。

『あ?仕事だよ、仕事』

「ないわあああああ!!ないわあああああ!!!何故、神様の審議を受ねばならなかったのかああああ!!」

『ちっ、無罪はねぇーだろ無罪は』

「ちょっと先輩さああああん!!」

『あ?うるせーよったく、こちとら先読みして待機してた挙句、空振って凹んでるなう。なんだよ、ちっとは空気読めよ』

「そう言われましてでもですね!」

『しかし解せねぇ、過去の実例から見ても間違いなく消滅コースだぞ、この過ちは』

「やっぱり消滅!?俺、消滅しかけてたの!?」

『ったりめーだろ、主人公以外への神力の無断行使、それになにより── 三、いや四回か』

「?」

『今のは忘れろ』

「いやいやいやいや!すごい気になるんですけど!」

『とにかく普通ならとっくにアウトなんだよ、お前アウト。わかるな?』

「セーフ!!!」

『勢いでどうにかなるもんじゃないだろうがよ……ったく』

「う~」

『まぁなんだ、とにかく何がどうなってんだかわからねぇがお前は生き長らえたわけだ、良かったな』

「はぁ、まぁよくわかってませんが」

『しかし解せねぇ、なんでだ?あり得ないんだよお前』

「いきなりそう言われましてでもですね」

『突如始まったリサイクル。その弊害処理ともとれる今回のお前の任務。そもそもがその事後処理を任務に転化するなら、過去の実績そのものが揺らぎかねない── 神はなにを考えている?』

「はいはいはいはいはい!!先輩!仰ってる意味がまったくもってわかんないです!」

『規格外にも程がある』

「無視ですか!?シカトですか!?」

『規格外── まさかな』

 勝手に話が進んで勝手に結論に辿り着いたらしい。

 先輩天使はなにやらこちらへと掌をかざしてきた。

『危害は加えねぇ、ちっとじっとしてろや』

 殺気は無し。ここは先輩を立てて大人しく指示に従ってみる。

 柔らかな光がほとばしる。

 なにかを探るようなそんな気配を感じとる。

『こいつぁ……おま!!!小波透哩の天使かよ!!!!!!』

 ものすごい驚かれた。

 そういえば透哩に創られた俺は随分と〝特別〟な存在なのだと、るるかさんにも説明を受けた事がある。

「透哩にデレデレってことになってます」

『あ、俺ちょっと用事思いだしたから還るね』

「ちょ!?ここで還られたらこっちは投げっぱなしジャーマン状態ですよ!?」

『知るかっ!俺の数多くある信念の中に〝小波透哩〟とだけは関わらないってのがあるんだよ!』

「どんな信念ですかそれ!」

『そんな信念なんだよ!とにかくうるせぇ!俺はここにいなかった!お前は俺に会わなかった!いいな?』

「ぇー」

『頼むから聞き分けてくれ!下さい!お願いします!』

「どんだけ透哩怖いんですか!?」

『ばっか言うんじゃねーよ!怖くねーよ?』

「あ、透哩だ!」

『俺はなにも言ってないですよ!な~んにも知らねぇ!っててめぇ!誰もいねぇじゃねーか!!』

「やっぱ怖いんじゃないですか」

『こ、怖くねーよ』

「あ、うん」

『だ~~~もう!!とにかくだ!とりあえずお前は無罪放免!引き続き任務続行に邁進してくれたまえ!ってことだ!わ~ったか!』

 早急にこの場を立ち去りたい感満載の先輩天使様。しかしながらここで立ち去られれば、相も変わらず、こちらの手札は潤わないのである。

 ここは少々嫌われてでも足止めに徹するべきだろう。

 え、いや、別に焦る先輩をからかってみたい、とかそんなこと思ってないですよ?

「あ、そうだ!先輩、お名前伺ってもよろしいでしょうか?」

『あ?なんでいきなりそうなるんだよ!俺ぁもう還るんだよ!』

「ですよねー、あ、俺の名前は川篠定臣かわしのさだおみです」

『だっかっらっ名乗るなっての!話きけよ!』

「知りたいなー、先輩のお名前知りたいなー」

『てっめ!!!』

「かわゆい後輩のささやかなお願いじゃないですか~」

『自分で可愛いとか言ってんなよっ!』

「やっぱり天使って和名ばかりなんですかね?少なくとも出会った天使ひとみんな和名だったし」

「勝手に話進めんなよ!!」

 もう一押しってところか。にしても随分と名乗りたがらないなこの人。

 と、そんな風に思った直後の出来事だった。

「ちょっと中村屋!さっきの浮き輪、小さな穴が開いていたわよ!僕が溺れたらどうしてくれるのよ!」

 ロイエだった。

 というか、天使的断絶空間じゃないのかここは。天使的断絶空間ってなんだって話は置いておくとして、なんかそんな感じの空間に突如放り込まれたと感じていたのだが──

 そんな疑問の答えは、目の前の先輩天使様が、その顔面をフル活用して答えてくれていた。

『この子苦手です!』

 声に出ちゃったよ。

「ちょっとー!相変わらず商売っ気がないわね!お客を選んじゃいけないって習わなかったの!」

『だから俺ぁほんとに店を開いてるわけじゃなくてだな!数多くある俺の信念の中の一つに、潜伏なう。の時はありがちな店の店主を演じるってのがあるんだよ!』

「うるさいわね!早く浮き輪を交換しなさいよ!」

『わぁ~ったよったく!っつかこの俺様が神経注いで全力で認識誤魔化してんのになんだってこの子ぁ毎度毎度さも当たり前のように気づくし入ってくるかねぇ…… 凹むわぁ』

 なにかと鈍感であり、敏感であるロイエのことである。

 愛すべき馬鹿にとって、規格外の能力だとか、神力だとかはあまり関係ないのだろう。

 ざっくりと理解することには随分と慣れた。

 突如、侵入してきたと思えば、その用件は浮き輪の交換。それが終わるや否や、普通に空間の境目を違和感無く跨ぎ、夕暮れの海へと姿を消していく。

 そんな彼女の背中を見せつけられれば、考えるだけ無駄だ、と一種の諦めの境地へと俺の思考が辿り着くのも無理の無い話だろう。

 ともあれ──

「これからも仲良くして下さいね、中村先輩」

「ちっ……わぁ~ったよ川篠後輩」

「あ、ところで下の名前は」

「うるせーよ!下の名前なんかねぇーよ!」

「嘘もわかり易過ぎると可愛いですよ?」

「てっめ!!!」

「これはあれですね、教えるまで引き止められ続けるパターンですね」

「結構な性格してんなぁてめぇ!」

「褒められちった」

「はぁ~~~……一回しか言わねぇぞ」

「はい」

「中村──俺ぁ中村なかむら一式いっしきだ」

「わかりました中村セット先輩」

「セットって言うなごらああああ!!!お前!言っとくけどそれ小波透哩とまったく同じこと言ったかんな!今!!!」

 小波透哩、怖い子。

「嫌な予感がしてたんだよ、だからすぐに還りたかったんだよ」

「まぁまぁ」

「お前だよ!お前!!!だから小波透哩とは関わりたくなかったんだよったく」

「ところでセット先輩」

「セットじゃねーよ!一式だよ!!」

「少年、もしくは少女は籠の中の鳥を見た時、どう思いますかね?」

「あ?てめぇいきなり何言って──」

「暫く前にある人にされた質問なんですけどね、どうにも性格的に意味深っぽいなって」

「あ~、そりゃダメだ。俺が答えるわけにゃいかねぇ」

「つまり天界のルールに抵触する内容だと」

「さぁな、勝手に解釈して勝手に悩みやがれ」

「ん~、これは粘っても名前以上のことは教えてくれそうもないですかね?」

「その通りだよ、じゃ~な!」

「残念、でもまぁ」

「あ?」

「話せて良かったです」

「んだよてめぇ!やりにきぃーなおい!」

「またお会いできる日を楽しみにしてます」

「俺ぁ楽しみじゃねーよ!」

 そう言うと先輩天使様は足元から消えていく。

 どうやら将来的には自分の意思で天界へと帰還できるようになるらしい。

 そんなことを確認しつつも──

「お元気で、セット先輩」

「てめっ!だからセットじゃねー……」

 首下まで消えた段階でそんな風にからかうと、なんとも面白い具合に姿を消していった、セット先輩こと中村一式なのであった。




 ◇




 随分と刺激的な夕暮れの出会いの後、いつも通りのゆるやか~な時間を経て翌日。これでもか、と日差しが照りつける中、ようやくテントを這いずり出て、そのまま水を求め、波際まで匍匐ほふく前進を試みたのは俺、川篠定臣である。

 時刻は恐らく正午過ぎ、前日のお祭り騒ぎの中、うっかりと〝二日酔い防止〟の便利魔法をかけ忘れたことを呪いながら、亀の歩みを続けること数秒。不意に差し出されたコップの中には、現状を打破するには最適なおいしそうな水がなみなみと注がれていた。

「おはようございます♪定臣様」

「エレシ、まじで助かるよ」

 すぐさまにごくりと頂く。ふぅ、と一息つき、ぼんやりと目をやった沖合いには、なにやらものすごい水飛沫が立ち昇っていた。

 〝ジェットスキー〟か……。

 頭の中をそんな単語が過ぎった後、すぐに違和感に気づく。

 そう── ここは〝ラナクロア〟。RPG系ファンタジー世界である。

「なぁエレシ、海って立ち入り禁止だったんだよな?」

「はい♪」

「んじゃ、海の乗り物って」

「あのボケ……いえ、オルティス君の所有物以外ありません♪」

「エレシいまボケって」

「なにも言ってません♪」

「そ、そっか……」

「はい♪」

「んー、それじゃあのあそこで走ってるやつって」

「ポレフです♪」

「え?」

「ポレフです♪」

「そっかポレ……え?」

 もう一度見やる。水飛沫は方向を変え、次第にこちらへと近付いてきていた。

『ぬうああああああああああああああああああああああ』

 ポレフだ。本当にポレフだ。

 我が愛すべき馬鹿弟子は、なにを思ったか逆さまになり、器用に顔面で水を切りながらこちらへと突っ込んできた。

『そちら側に吹っ飛ぶのは想定外だと知りなさい!』

 と、思ったら今度は水上を疾走してきたルブルブがポレフを打ち返した。

 えっと── 

 ……なんだこれ?




 ◇




 自覚した時には自分の考え方の根底に〝人それぞれ〟というものが随分と根深く息づいていた。

 人当たりの良いラフの割り切り。

 他人に興味を持ち過ぎないスタンス。

 他人の領域に無理に踏み込み過ぎないそんな感じ。

 そんな考え方はやはり〝人それぞれ〟に〝人それぞれ〟の好感度を上げたり下げたりと、様々な経験をもたらしてくれたり、もたらされたり。

 そんなこんなを経て、形成された自分なりの人との接し方には、それなりの自信がある。

 さて── 今回は踏み込むべきか否か。

 そんな風に恰好をつけて思考を巡らし、判断を下すよりも早く

「で、ルブルブはポレフと何してたの?」

 大抵は口が動いていたりする。


 眼下には、ものの見事なスライディング土下座を披露した〝ルブルブ〟ことルブラン・メルクロワの後頭部。左右にぐりぐりと動き続けているあたり、またしても額を地面へと擦り続けているのだろう。

「だからそれ禁止!っと」

 両肩を持ち、むんずと引っ張り上げて立ち上がらせる。ばっちりと合った視線の先で硬直、後に真っ赤っかな〝おきまり〟を律儀にやらかしてくれた挙句、ようやく会話が成立する状態にまで回復する頃には──

「動きが制限されてる状態での体術訓練だぜ!!」

 大抵はポレフが先に口をはさみ、わかりやすく事態を説明してくれる。勿論、会話?に割って入られたルブルブはポレフに力強い〝じと目〟を送り続けているわけだが、ポレフがそれに気付くことは一切無い。

「なるほどねぇ」 

 海での戦闘──

 魔獣なんてものが闊歩するラナクロアである。当然、水の中にも敵はいて然り──

 連想してみる。

 水中。動きにくい俺。すいすい動けるそこ専用な敵。

 あ、死ぬかも。

 だって○ンダムだって○コッグに追い詰められたし、初めて手にいれた船で適当に動いたらだいたい規格外の敵に遭遇して全滅するんだもん!

「よし、帰ろう」

『ふぁ!?』

 仰天する二人を背に浮輪の空気を抜き始める。

「あ、あの定臣様?」

 少し慌てた感じのエレシの方を振り向き、すぐに視線を浮輪に戻す。

 シュー シュー シュー

「これでよし エレシ、着替えはテントの中だよな?」

「そうです……けれど、定臣様?」

「それじゃお先!」

「ぇ……ぃゃ定臣様?」

 エレシの困惑した声が聞こえた気がするけど聞こえないことにする。

 背筋をピンと伸ばしたままそそくさとテントを目指す俺の左手に急に負荷がかかった。

「さ~だ~お~み~」

「なんだよポレフ」

「なんだよ じゃねぇよ!なんでいきなり帰ろうとするんだよ!そもそもどこに帰るんだよ!」

「いやだって海だしな」

「だしな って言われてもな!」

「そもそも海を越える必要なくなくない?」

「いやだってオルティスとの勝負が」

「それだよそれ 毎度毎度うまくノせられてるけどさ」

「なんだかんだで俺の今の実力に合わせた勝負を持ち掛けてくれている」

「そんなこと言ったかな?」

「言いましたー 定臣大師匠様がそう言いましたー」

「その顔むかつくなおい」

「と、いうことで海を越えます」

「嫌です」

「なんでいきなりそんなこと言い出すんだよ」

『昨日までウキウキわくわくと海を楽しみにしていたのにな』

 ここでマリダリフがそんな無くなればいい事実を手土産に会話に参戦する。

「黙らっしゃい!」

「お、おう、今日はいつになく頑なだなおい」

「さぁ帰りますわよ♪マリダリフさん」

「いや、お前誰だよ!腕に抱き着いてくれるのは嬉しいけど急に誰だよ!」

「ちっ」

「舌打ち!?え、舌打ち!?」

 どうにもうまくいかないらしい。自然な形でこの場を撤退したかったのだが……

『定臣は泳げない』

 そんな思惑をやはりこの子が見逃してくれるはずもなかった。

「シ、シアさ~ん?急になに言っちゃってるのかな~?」

 声が裏返った。

「昨日まではそんな事実を完全に忘れていた。そして海で実際に波に打たれてようやくその事実を思い出した。定臣はうっかり屋さん」

 この子は……

「シアさ~ん?」

「死ねばいいのに」

「ちょ」

「え!?定臣泳げね~のかよ!」

 すかさず茶化してくるのは勿論ポレフだ。そしてそんなポレフをエレシが一瞬にして眼で殺す。

 毎度のことながらやれやれだ。

 ふぅと溜息をつく。それから続けたこんな言葉は

「お、おひょげるし?」

 案の定、裏返っていた上に思いっきり噛んだ。




 ◇




 おとこには絶対に逃げ出してはいけない場面がある。

 そして俺にとってそれはきっと多分今のことなのである。

「あ~あ、意地になってるよ」

「放っとけ、あぁなったら定臣はテコでも動かねぇよ」

「定臣様……」

「天の国の遠泳法……」

 今のことなので……ある。

「定臣は素直に出来ないと言うべき」

 今のことなのだ!今のことなでぃあ!

「いくぞ!見てろよ!」

 しっかりと準備運動を終え、そのままの勢いでそんな風に叫ぶ。

 それから海へと向かって全力疾走した。

「とぅ!」

 ジャンプする前はやっぱりこの掛け声だよね!

 一瞬の浮遊感の後入水。角度は上々だ。

 指先が海底の暗がりから角度を変え、太陽の光を捉える。水面越しに揺らぐ光に妙な安堵を覚えた頃には海面から耳が飛び出し、音が蘇る。さぁ泳ごうか。

 そう、俺は泳げないわけではない。

 クラスの25メートル競走では誰よりも速かった。

 先生だって誰よりもフォームが綺麗だと褒めてくれた。

 その後になにか言っていた気がしたけれど今は思い出さない。むしろ思い出す余裕がまるで無い。

 しっかりと角度を意識しながら水面を切る手がその速度を上げていく。

 推進力に弾かれ、身体を撫でながら後方へと駆け抜けていく水に心地良さを覚えた頃には肺に圧迫感がくる。


 だから嫌だったんだ。


次第に手と足のリズムが狂っていくのを自覚する。


そう、俺は決して泳げないわけではない。


 水面を切っていたはずの手が上下に水面を叩き始める。



 ただ──……



『川篠、お前それだけ速く泳げて、それだけ綺麗なフォームで……』


 不意に先生の声が蘇る。


『なんだって息継ぎが一切出来ないんだ?』


 それからそんな事実を突き付けてくる。


 やめて、思い出させないで。


「もがあがががああがあああ」


 それからそんな断末魔と共に、

 俺は意識を手放した。



 酸素って──大事だよね。




 ◇




「と、いうことで海は良くないよね」

 自分を覗き込んでいる全員の顔に向かってそんな風に言う。勿論、満面の笑顔は忘れない。

「さらっと蘇生してさらっと何事も無かったかのように会話を続けるなよ」

 マリダリフのつっこみをスルーしつつ、オロオロしているルブルブとエレシに〝大丈夫だよ〟とアイコンタクトを送る。それから状態を起こし、背筋を伸ばし正座した。

「良いですかマリダリフさん」

「お、おう」

「証明です さっきのは証明だったのです」

「え、あ、はい」

「これではっきりしたではありませんか」

「え?」

「海、絶対ダメ はい復唱」

「いやいやいやいや」

「海、絶対ダメ はい!」

「勢いで乗り切ろうとするなよ……っつか前に湖でぷかぷかと気持ちよさそうに浮いてなかったか?お前」

「あれはあれです そしてこれはこれです」

「よ、よくわからんがその丁寧な感じやめてくれねぇか?」

「とにかく海は良くないよね 海だし」

「また海だしかよ……やれやれ こりゃ参ったな」

 これはなんとかなるかもしれない。マリダリフの困り顔に一瞬そんな希望を抱くも

「よし、そろそろ海を越えようぜ」

 次の瞬間には馬鹿弟子が相も変わらず一連の流れを一切合切無視した感じでそんなことを言う。

「ポ~~レ~~フ~~」

 むんず、と親指と小指にありったけの怨念を籠めてポレフのこめかみをえぐる。

 そんなタイミングで不意に視界の隅に赤髪が写り込んだ。

「お、ロイエ おはよ」

「ふわ~あ おふぁよ定臣」

「今日は随分とのんびりしてたんだな」

「ちょっと泳ぎ過ぎた……って定臣!ポレフが!ポレフが!」

「ん?」

 そういえば静かになったと視線を戻して見れば、そこには小刻みに痙攣しているポレフの姿があった。

「よいしょっと」

 ゆっくりとポレフを砂浜に寝かせる。

「海だしな」

「意味が!意味がわからないわよ定臣!!」




 ◇




 事の顛末を先に語るのであれば、結局、俺達は海を越えることになった。

 そもそも始めからその予定だっただろう、と言われれば全くもってその通りなのであるが──

 問題が生じればそれに対して当然、対策を打たなければならない。

 そして今回の問題はPTの中に泳げない人と泳ぎが苦手な人がいたことなのである。

 人にはそれぞれど~~~~~しても苦手なことがあるものなのである。

 仕方ないのである。

 え?言い訳乙?

 はい、ごめんなさい。完全なる俺の我が儘でした。はい。

 ともかく、それはさておき。

 ならばどうやって海を越えるのか。

 そんな話し合いは──


「え?泳げないなら歩けばいいじゃない」


 ロイエのこんな一言であっさりと決着がついた。


 そう、ここはRPG系ファンタジー世界〝ラナクロア〟

 ご都合主義にまみれたこの世界では〝便利魔法〟等というものが横行し、なんともいい加減に都合が良い感じに〝なぁなぁ〟に出来る。

 そんなわけで──

 俺達は魔法を駆使し、海を〝歩いて〟渡ることにしたのである。


 その先で──


 まさかあんな光景が待ち受けているとも知らずに──


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