暗躍のマリダリフ
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時は遡る。それはポレフとジミーが決闘する前夜のこと、定臣がエレシとルブランの元へと駆けつけたその頃、別の場所で起こっていた出来事である。
拠点の小屋をロイエルと共に出立したマリダリフは、森の片隅に隠れるようにして、緊張した面持ちである人物を待ちうけていた。
『まったく ── ロイエ、君の〝一生のお願い〟は多すぎて困る
で、君が〝隻腕の剛剣〟マリダリフ・ゼノビア君か』
音も無く突如として現れたのはロイエルの実姉にして、ラナクロア最強魔術師、天才〝ミレイナ・ルイファス〟その人だった。切れ長の目をゆっくりと上から下へ、下から上へ。ミレイナは一言告げると、すぐ様に品定めを開始した。彼女の悪癖の一つであるそれは、対峙するすべての者に絶対的な恐怖と服従を潜在意識下で植え付ける。
〝お姉様とお話する時は唇を見て〟
数々の死線を潜り抜けてきたマリダリフも、ミレイナが醸し出す独特の雰囲気は味わったことが無いものだった。慣れない緊張感に苛まれつつも、マリダリフはロイエルから受けた助言を思い出していた。
〝唇が少し尖ってたらご機嫌ななめだから話かけちゃダメ〟
〝逆に少し笑っていたら機嫌いいから話かけても大丈夫〟
〝あ、ちなみに目を見ちゃダメ、怖くて固まるから〟
唇か ──……
………… ちび姫さんよぉ、違いなんてまったくわからねぇぜ
そもそも初対面の相手のそんな些細な変化など、見分けがつくはずもない。助言を受けた時点でそう気付くべきだったと反省する。この時、マリダリフはロイエルの馬鹿さ加減を改めて再認識させられた。
「あ、お姉様の唇が笑ってる! 機嫌良いわ! 今、絶対に機嫌が良いわ!」
改めて再認識させられた。
「ふふ、ロイエはかわゆいなぁ ……!
そうだ、久しぶりにアレをしてやろう」
「ぴっ!? あ、あああ、あれはいいわ、いらないわお姉様!?」
にやりと嗤うミレイナ。青褪めるロイエル。次の瞬間、マリダリフは我が目を疑った。
「ほ~らロイエ、他界たか~い」
「あああああああああああぁぁぁぁ …… ぁ」
定臣がいれば〝姐さん字違うから! 間違ってるから!〟などとつっこみそうだ。不思議とそんな感想がマリダリフの頭に浮かんでは消えていく。そして文字通りに浮かんだロイエルもそのまま消えていった。
「さて、本題に入ろうじゃないか」
「察して二人っきりにしてくれたのはありがたいんだが ……
いいのか? あれ」
見上げた夜空に星が一つ輝いた。
「瑣末なこと」
「なのか」
この人を相手に会話するには少々、コツがいるようだ。マリダリフはミレイナから炎帝〝ジョルジュ〟に通じる難しさを感じとる。どうやら事は速やかに運ぶ必要があるらしい。
「〝ドルチェ・ロイファルス〟この呼び名はご存知だろうか」
「ふむ ── 悪くない
君はなかなかにキレるようだ」
目を瞑り、くすりと嗤う。第一関門は無事にクリアしたらしい。
── ボッ
それは胸を撫で降ろした直後に起きた。寸手で回避した炎が背後の森を焦がす。マリダリフはそれを見送りながら、そっと懐に手を忍び込ませた。
〝おいおい、今の当たってりゃ死んでたぜ〟
お遊びのような殺人未遂に剣呑な殺気を乗せて返礼する。
「ふむ ── 良いな、君はとても良い
今から君は、私のお気に入りということにしよう」
「…… そりゃどうも」
悪びれもせず、そう言い放つ傍若無人に思わず笑みが漏れた。
◇
サキュリアス〝暗部〟が〝ドルチェ・ロイファルス〟の隠語で指し示す人物。世界を〝正義〟と〝悪〟で単純に分類するならば、彼は間違いなく〝悪〟だった。その人となりを知れば万人が嫌悪する。歪んだ性格がそのまま反映された風貌は、一見すれば泥にまみれた豚のようにも見える。禿げ上がった頭はぬるぬるとした油で光っており、側近達は魔法灯で絶妙に反射するそれに笑いを堪えるのにいつも苦労させられていた。しかしそれを笑う者は誰一人としていない。何故なら彼には絶大な権力があった。彼が黒と言えば白は黒になった。彼が有罪と謡えば善良な一般市民は極悪人へと早変わりした。彼こそはエドラルザの影の支配者。その名も ──
── エドラルザ王国宰相〝ツベル・ギュステイン〟
「あのゴミクズか」
「はは」
その男を捕まえてこの言いようである。小覇王〝ミレイナ・ルイファス〟の有り得なさを目の当たりにしたマリダリフは気の抜けた笑い声を漏らした。
「物事には結果に至るまでの過程が存在する
そこに人が絡む以上、裏には必ず想いが潜んでいる
さて ── 君は彼をどうしたいのか、何故そう思ったのか
なかなかに興味深い ──…… 許可しよう、続けたまえ」
裏に潜む想いときたか。なにかと人を試すことで有名なこの人のことだ。ここで言葉を間違えればまた厄介なことになりそうだ、とマリダリフは息を呑む。それでもやはり後に続く言葉は変えようがないものだった。
「惚れた女がいる! そいつのために何かしてやりてぇ! それだけだ!」
さすがのミレイナもその豪快な言葉には呆気にとられた。ゆっくりと瞳を閉じて数秒の間を置く。それからふるふると震えると堰をきったように笑い始めた。
「ふぅ …… いやはや、久方ぶりにここまで笑わせてもらった
ふむ、〝君〟も私の妹のために世界を敵に回すことを厭ないというわけか」
「妹?」
「あぁ妹だ」
「念のために断っておくが俺が惚れてる女ってのは ──」
「サダオミ・カワシノだろう?」
「ありゃ」
「なに、不思議がることはない
君が置かれている状況を考慮すれば、アレに心奪われるのも仕方あるまい」
「そうかよ ── ところで」
「君達、傭兵でいうところの義兄弟のような関係だと理解すれば良い
私は愛情を籠めて彼女のことを〝チャッピー〟と呼称している」
「心を読まれてる気分だぜ」
「ふん、なにせ私は〝魔女〟だからな」
「〝魔女〟ねぇ ……
それで肝心の用件なんだが ──」
その言葉に呼応するように、くすりと嗤う。
「暗殺」
にやりと釣り上がった口元から紡がれた言霊は、やはりマリダリフの話の核心を先読みしたものだった。
「…… ほんと察しがいいねぇ」
「君はチャッピーに見せたくないのだろう?」
〝この短い会話の中でそこまで見透かすのかよ〟
続け様にミレイナの口から出た言葉にマリダリフは独白する。
──〝魔女〟
今しがた彼女が自らを呼称した言葉が妙にしっくりくる。まずはそれを飲み込まなければならないのだろう。でないとこの先の会話は到底成り立ちそうにはなかった。いや、そこまで見透かした上で彼女は俺が後に抱く疑問に対して、先に答えを提示してくれたのだ。自分のことは〝魔女〟だ、と、そう理解すればいいのだ、と ──
〝正直ゾっとするぜ〟
はったりの笑みが唇に張り付く。これはただの交渉のはずだった。それが知らぬ間に命を賭けた決戦さながらの空気に摩り替わっている。
──〝試されている〟
〝ミレイナ・ルイファスはすべてを試す〟
風の噂で聞いたその意味がここにきてようやくわかった。
すべてを見透かすこの女に偽りは通用しない。一瞬の判断ミスが即座に死に繋がる。これは決戦だ。
〝上等じゃねぇか〟
にぃ、と唇が釣りあがる。それは傭兵〝マリダリフ・ゼノビア〟が腹をくくった際に出る表情だった。
「定臣は俺より遥かにつえぇ、そのくせ妙に弱いところがある
俺はそこを守ってやりてぇ、
あいつが勧善懲悪の〝真の悪〟がいない世界を望むなら、
俺はその悪を定臣が知り得ないところで処分する、
これが嘘偽りのない俺の〝想い〟ってやつだ …… !
── あんたの心にちったぁ届いたかい?」
それに定臣には人間のどす黒い部分をあまり見せたくない。
擦れて草臥れたフリが大好きな、純粋なあのお人好しを、なによりも穢したくないと思っている、と口にしかけて照れ臭くて辞めた。
「ふむ ──
それは危険察知が促した本能的なものなのか、
それとも純然たる想いを〝なんらかの力〟が燻り起こした現象か、
どちらにせよ ── 概ね君の意見には賛成だよ、私は」
「?」
「気にすることはない、こちらの話だ
さて、君は私になにをさせたいのかね?」
「!?」
「もちろん代償は支払ってもらうさ、なにせ君は魔女と契約を結ぶのだからね」
「恩にきるぜ ……!」
◇
魔女との契約成立から数分後、外壁の上から眼下に漆黒のエドラルザ城を捉える。鼠一匹通さない厳重な警備も、天下のミレイナ・ルイファスの魔法にかかっては無意味なものらしい。正確無比な便利魔法は警備の目を完璧に欺いていた。
ミレイナに願いでたのはこのエドラルザ城までの移動と帰りの移動、その二つへの助力だった。尤もその願いすらも実際に本人を目の当たりにするまでは、実現可能かどうかも怪しいものだったわけだが ──
このラナクロアに空間移動の魔法は存在しない。その常識を近頃、世紀の大天才が覆したのだと、風の噂ならぬロイエルの姉自慢により聞かされた時は、眉唾ながらもさすがに胸が躍った。尤も、そんな眉唾レベルの話に賭けた自分も自分なわけだが。
ともあれ、実際にミレイナは空間移動魔法を扱えた。それどころか、こうして魔法を駆使し、より良い暗殺の環境を整えてくれた。その代価に求められたものは ──
ちらりと左腕を見る。長年、感覚の先端を担っていた〝そこ〟は今や腕の中に在る。それとは別に新たに得た先端の感覚。そこには五指が在り、指先特有の敏感さは流れる風の感覚までも正確に伝えてくれる。失ったはずの感覚、失ったことで新たに得た感覚。その二つが共存する奇妙な左腕は、契約成立の際にミレイナによって与えられたものだ。
「君は差し詰め、チャッピーのナイトといったところなのだろう
私からの要求はその役割の幅を広げることに尽きる、
なぁに、難しく考える必要はない」
ミレイナの要求は定臣だけでなく、ロイエルを守ることにも尽力せよ、というものだった。
仲間である以上、それは頼まれることですらない。それを差し置いてもロイエルのことは気に入っている。それをそのままに伝えた答えがこうだった。
「同等だ、
チャッピーと同等の愛をもってロイエルのことも守れ」
なんともまぁ
「私はチャッピーの実力をなによりも信頼している、
それでもチャッピーはどこかおっちょこちょいな面がある、
そこがカワユイところでもあるのだが ──」
「わぁ~ったよ、定臣のフォローは全力でする」
「交渉成立だな、
ところで ── ロイエルにもしも掠り傷一つでもつけようものなら ……」
「尽力する! 尽力するからその殺気を下げてくれ!」
殺気だけで人を殺す、なんてのは言葉の綾だと思っていたんだが ──
どうやらこの人にとってそれは簡単なことらしい、ギリギリと痛む心臓がそんなことを教えてくれた。
「さて、私との契約を履行するにあたって、その拘りは妨げにしかならない」
指差されたのは失った左腕だった。シーザルとの決闘を思い出し、唇を噛む。どちらかの死をもって決するはずだったあの決闘は、命の変わりに左腕を奪われるという結果で幕を閉じた。生き恥に絶望したこともあった。シーザルの野郎を死ぬ程憎んだこともあった。しかし今となってはどうでもいい。野郎のことは今でも大嫌いだが、あの時の奴の情けが無ければ定臣との出会いも無かった。
「別に拘っちゃいないさ、ただの古傷だ」
「想いが籠もった傷だ、魔力の流れを読み取ればそれくらい容易にわかる」
「そうかい、── で、これが邪魔ってのは」
── ぱちん
高等な魔法使いは発動の起点を隠蔽する。ミレイナクラスになろうものなら、その起点など探っても発見しようもない。そのミレイナがわかりやすく魔法を起動させたことに驚いた。
「なっ!?」
次の瞬間、生暖かくなった左腕に目を奪われてみれば、そこには記憶に残る〝以前〟の左腕が存在していた。
「君の特技はなかなかに面白い
その左腕は君の左腕ではあるが、君の肉体ではない、
そう〝認識〟することを勧めておくよ」
その言葉の意味を即座に理解する。
〝まじでゾっとするわ、このお姉さん〟
「礼は ── 言わなくていいのかい?」
「利害が一致したに過ぎん」
「そうかい」
「さて、五分やろう
用件を済ませた頃に迎えにいこう、
それでは出立しようじゃないか」
そう言うとミレイナは、そっと左手を額へと這わせてきた。僅かな魔力の流れに乗って、鮮明な映像が脳内へと転写される。
〝これは …… 城内の見取り図か?〟
左手を放される。今度はすぅっと身体が透明になっていった。
〝おいおい、軽く魔法の同時がけかよ〟
難易度とは裏腹に軽々と披露された芸当に刮目する。今度の魔法の発動起点は、どう探っても発見出来なかった。
◇
「要するにミレイナの姉御が言わんとしてるこたぁ、こういうこったろ」
軽い回想を終えた直後、自分と履行した術者にのみ視認出来る〝透明〟な身体を見やる。意識を集中した左腕はゆっくりとその存在を〝消した〟
武器を空間に隠し〝置く〟のと同じ要領で、新たに得た左腕を物体として魔法で創り出した空間に〝置く〟。それを自在に滑らせて自分の周辺を移動させてみる。体から切り離す形になるにも関わらず、不思議と痛みは感じなかった。
「ったくよ、初対面で奥の手をいきなり見抜くかねぇ ……」
滑らせた隠し武器を取り出すには、自らが触れる必要があった。つまり奥技を発動するには必ず敵に接近する必要があったのだ。俺の中のその常識をミレイナは指先一つで覆した。
〝これならどこからでも取り出せる〟
知らぬ間に広げられた奥技の利便性に驚かされる。加えて先程見せられた城内の見取り図の意味を理解した。
「確かに、愛するロイエル姫の仲間として面が割れてる俺が、
罪人として手配されるのはなにかと問題があるわなぁ」
完全犯罪を ──
やるなら事はパーフェクトに。ミレイナが自分に求めているのはこれに尽きるようだ。
人に指図されるのは好きじゃぁないが ──
ここまでされればプロとして妥協するわけにはいかない。
〝これより、近接武器による狙撃を敢行する …… !〟
意識を集中する。
魔法というものは如何に精度を研ぎ澄ませるか、如何に都合良く、研ぎ澄ませた精度の輪郭をぼやかせるかの、矛盾の共存に尽きる。どこまでも正確に、そしてどこまでもいい加減に ──
ミリ単位で気を配りながら、なによりも速く空間を滑っていく短剣を追うように、新たに得た左腕を疾走させる。物理的に移動の妨げになるはずの外壁を都合良くイメージで擦り抜ける。ターゲットまで直線距離で移動した得物達は静かに牙を研ぎ澄ました。
「結局、定臣には最後の一手はきれねぇだろうからよ、
わりぃが先に死んでもらうぜ、悪の親玉さんよぉ」
── ドスッ
かくして、エドラルザ王国宰相〝ツベル・ギュステイン〟は自室にて突然の死を迎えた。死因は短剣による背後からの刺殺と断定されるも、エドラルザ王国はこれを隠蔽。公表は病による〝突然死〟というものに留まった。彼の死後、秘匿されていた彼の悪事の数々がことごとく露見していくわけだが、それは今回の話とは関係のないところだった。
「恩にきるぜ、ミレイナの姉御」
「ふん」
鼻を鳴らし、小屋の前にて後ろ姿のままにマリダリフと別れたミレイナは、空間移動の際に通過する通路の最中、空の無い空へと語りかける。
「君はチャッピー、ただ一人を救ったつもりかもしれんが、
君が救ったものは案外、世界そのものかもしれんよ、マリダリフ君」
赤髪の去り際を見送ったマリダリフは、ようやく馴染み始めた〝左腕〟をコキコキと鳴らす。それから軽く背伸びをし、ゆっくりと小屋の方へと歩き始めた。
その直後 ──
「ああああぁぁぁぁあああぁぁぁぁああ!!! …… ぁ」
「よぉ、お姫様、こりゃまた派手な帰還だなぁ」
空の落しものを緩やかに受け止め、そんなことを言う。
「し、死ぬかと思ったわ!」
「だろうな」
思わず笑みが零れる。
〝こいつらに汚れ仕事は似合わねぇわな〟
くしゃりと撫でる。それからロイエルと二人で小屋の中へと入っていった。
「お仕事完了だねぇ」
「あれ? そういえばお姉様は?」
「完了、完了~っと」
「ちょっと!? 聞きなさいよ!? お姉様は??」
「定臣まだかなーっと」
「もおおお!!」