勇者を目指して Ⅴ
■
オルティスが定臣を前に一人で悶える様子を秘かに観察する者がいた。
便利魔法を無駄な精度で駆使し、周囲の認識を撹乱した彼女はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべたまま部屋の中を透視している。
「これは実に愉快だ♪」
曲者だらけのオルティスPTである。
つい数分前に激怒の演出の後、部屋を出たはずの彼女〝ミレイナ・ルイファス〟はすぐさまに状況を理解できないままに、あたふたとしていたロイエルを引き連れ、部屋の前へと舞い戻っていた。上機嫌なその様子は先程の演出がすべて今の状況を作り出すためのものであったことを暗に告げていた。
「ちょ、ちょっとお姉さま、覗き見は良くないと思うわ!」
「しっ! 静かに。 今いいところなのだ」
「うぐっ …… いいところって ──
あ~~~!! ちょっとあの人、なにをしようとしてるのよ!」
「ええいっ! 黙らんかっ」
「うぐぐ ……」
一方、その頃、部屋の中ではミレイナ達が舞い戻っていることに気付く様子もなく、勇者オルティス・クライシスが暴走を始めつつあった。
「え、えぇえええと! あの、その」
な、なんなのですがこの上擦った声は!? まったくもって僕らしくない。
「こ、こほんっ、まずは落ち着いて …… って声に出してどうするのですかっ!?」
自分の焦り具合に驚かされる。
こんな気持ちになったのは初めてのことだった。
少しでも落ち着きを取り戻すべく、思考を凝らす。そしてすぐ様に1つの答えへと辿りついた。
彼女を見ていると心を乱される。それならば彼女を見慣れてしまえばいい。
我ながら安直な考えではあるものの、原因の追求とそれの対処さえ突き詰めてしまえば大抵の問題は解決するものなのだ。僕は彼女に少し近付き、じっくりと観察を始めた。
初対面の時は背中を踏まれたことで接近し、あまりの隙の無さにただ驚かされた。
初めてその姿を見た時は、予想していた人物と違い、らしくない顔を晒してしまった。
あれ?もしかして彼女からの僕の第一印象って最悪なのでは ……
観察の途中で意識が別のことへと飛び、落ち込みそうになる。それを必死に抑え、引き続き観察を始めた。
まずこれがいけません。
あんなにも見当たらなかったのに今は隙だらけ。そのギャップが余計に僕の意識を惹きつける。それに加えてこの美貌。出会いが出会いだっただけに気付くのが遅れた自分が情けなくなる程に圧倒的。エレシ・レイヴァルヴァンの親戚という嘘の情報を周囲の人間が疑いもせず、信用するのも頷けます。
そして極めつけはこの服装。部下から送られてくる映像の中では、常にボーイッシュな服装をしていた彼女がこんなにも女性らしい服で着飾っているなど ……
思わず近くで見ていたくなる。僕は芸術作品を愛でるように無意識に彼女との距離を縮めていた。
大きな空色の瞳は柔らかに閉じられ、今はただ長いまつ毛が美貌を際立たせている。小さな口は緩やかな唇で縁取られており、そのピンクは甘い果実を彷彿とさせていた。
もう少し近くで見ていたい。
もう少し ……
気がついた時には僕は彼女の唇へと自分の唇へ近付けていた。
── 一方、部屋の外では
「ほぅらロイエ、いつも綺麗事ばかり口走っている男こそ裏ではあんなものだ」
「ちょ! ちょっと姉さま! 止めないと定臣が!」
「あれが所謂、むっつりスケベというやつだ」
「うぐぐ …… きゃ~~! きゃ~~~! 本当に止めないと!」
「あはは! ロイエはかわゆいなぁ
なぁに、キスくらい別にかまわんだろう」
「駄目! なんだか駄目なの!」
「ん~? ヤケにつっかかるじゃないか
おやおや~?」
「あ~! あ~! …… あ」
── そして部屋の中
彼女の吐息が顔に触れる。
自分の鼓動が早くなっているのを自覚する。
甘い果実まではあと少し。僕はその距離を楽しみながら少しずつ侵食していく。
そしていよいよゴールを迎えようとしたその瞬間 ──
彼女の青い瞳が開かれた。
「!?」
意識を取り戻すや否や、僕を突き飛ばすとソファーを跳び越え、距離をとる彼女。そんな彼女に向って僕がすぐ様に放った言い訳は自決したくなる程に酷いものでした。
「違うんです」
「い、いいいいま、なにをしようとしてた!?」
「違うんです」
咄嗟にでた自分の言い訳に泣きたくなる。
じと目でこちらを見据える彼女に冷静さを削ぎ落とされる。
慌ててフォローしようとした僕は更なる墓穴を掘ることとなった。
「あ、あのですね!? ミレイナさんがつまり、その、ええと
意識を失ったあなたをここに連れ込みまして、ですね?
ぼ、僕はその看病の一環でして! あの、ええと、その」
「…… あっ、そうなんだ♪ 看病してくれてたのか♪ ありがとなっ!」
「は、はい」
「なんて言うと思うか?」
「ひゃ、ひゃい」
「駄目だな。 部屋で二人きり、眠れる美女。
うん、気持ちはわかる。 痛い程わかるぞ」
「は、はい」
「でもな君、嘘は駄目だ。
俺になにをしようとした? 正直に言えば許してやろう」
「そ、その」
「うむ」
「キ、キスを」
「キス …… キ … ス …… だ …と?
…… ないわあああああああああああああああああ!
うわー! うわー! なにしてんだよお前! まじでないわあああ!」
「えぇ!? 許してくれるって言ったじゃないですか!?」
「あほかっ! せいぜい抱きつこうとしたとかだと思ってたわ!
キスってあほかっ! うわー! うわー! ないわああああああ!」
「それはその …… つまり …… ええと ……据え膳だったんです!
その美貌にその服装とか無理だったんです! わ、悪いですか!?」
「逆ギレ!? そこで逆ギレなの!?」
「ぼ、僕だって勇者である前に一人の男なんですよ!」
「いや、待て待て、落ち着け」
「悪いですか!? あなたを見ていると胸がドキドキするんです!」
「ぇ~」
「それが悪いことなんですか!? というかごめんなさい!」
「勢いで謝った!?」
「はぁはぁはぁ …… すみませぇん ……
出来心だったんです~ ……」
「泣いた!? 今度は泣いたよ!?」
結論から言うと僕は許してもらえました。
〝男がそれくらいで人前で泣くな〟彼女は苦笑いを浮かべながら、そう言って僕の頭を軽く撫でてくれました。それですっかりと落ち着きを取り戻した僕は、もう一度非礼を詫び、それから堂々と彼女に交際を申し込みました。
◆
「お友達からお願いします!」
泣き虫エロ勇者がなにやら真剣な面持ちで頭を下げてくる。
真摯な態度には出来る限り応えてやりたくもなるが、用件が用件なだけにそれだけは無理な相談だった。
「これって一種の呪いみたいなものだよなぁ ……」
ぼやきながら透哩の意地の悪い笑みを思い出す。それから軽く溜息をつくと、これから先、幾度となく使う破目になるであろう言葉で返答した。
「はぁ …… 友達はOK。 だけどその先は絶対にないよ」
「ありがとうございます! 尽力します!」
「ぃ、ぃゃ、尽力されても困るからさ」
「あとは僕の努力次第ということですね
えぇ、こう見えても僕は努力するのは得意な方なんです」
「そ、そんな爽やかな笑顔で言われても困る」
「あ、こう見えて女性には結構モテるんですよ
でも安心して下さい。 一途にあなただけを見つめていきますから」
よくも照れもせずにそんな歯の浮いたような台詞が言えたものだ。
男の俺から見ても、超がつくイケメンぶりなこの男にそんな台詞を吐かれれば、くらりくらりとくる女性も多いのだろうなと客観的に分析してみる。
そこで現実に気がついた。
見つめられているのは俺。
そしてこの先も見つめていくと宣言されているのも俺。
え、俺!?
「待て! 待て待て待て!」
「はい?」
「あ~、わりぃ。 俺さ、実はこう見えて男なんだよ」
「ふむ、やはりあの噂は本当だったと」
オルティスの呟きに嫌過ぎる予感がした。
「その噂とやらを聞かせてもらおうか」
「その前によろしいでしょうか」
「ん?」
「お互いに認識しあっていたので、つい省いてしまっていたのですが ……
こうして面と向かってお話しするのは初めてでしたね。
僕の名はオルティス・クライシスと申します」
そう言って丁寧に頭を下げられる。
今更ながら名乗りを交わしていないことに気付かされ、慌てて名乗りを返した。
「そういえばまだだったね。
俺の名前はサダオミ・カワシノ。 よろしく!」
「よろしくです。 それでは話を戻させて頂きます。
サダオミ …… さんと呼ばせて頂いても?」
「サダオミでいいよ。 俺もオルティスって呼ばせてもらうし」
爽やかな笑顔に〝なんだか恋人みたいです〟などとふざけたことをのたまうオルティスに羅刹に似たものを感じつつも、俺は世に蔓延しつつある自分の噂へと耳を傾けた。
「サダオミ・カワシノは同性愛者だと。
それに最近ではロリコンという説まで浮上していますね」
「ぶっ殺すぞ!」
思わず叫んでいた。
「ま、待ってくださいよ! これは僕が言ったのではなくてですね!?」
「俺は本当に男なんだよ! 誰も信じてくれないんだよ!
あ、あとロリコンじゃないよ」
「後半の方だけなんで小声なんですか!?」
「うっさいわー! バーカ! バーカ!」
「な、なんてこと言うんですか!?」
「がっかりエロ勇者のくせに人をロリコン呼ばわりすんな!」
「ちょ!? それは酷いですよ! 先程のことは許してくれると言ったじゃないですか!?」
「ふーんだ!」
「ふーんだって …… ちょ、ちょっと可愛いじゃないですか」
『ええいっ! 飽きてきたわ!!』
それはオルティスの言葉に戦慄を覚えた瞬間の出来事だった。
声と同時に振り返った先には姐さんの姿。その脇からは苦笑いしているロイエの姿も見えていた。
それを確認した瞬間、姐さんの両手が眩い光を帯び始める。俺はそれに既視感と危機感を覚え、即座に回避運動にはいろうとする。そんな俺の手をオルティスの馬鹿が『やっぱり大好きです』などとのたまいながら、がっしりと掴んできた。
まぁ ……
そのせいで
── チュドーン!
「うぎゃああああああああ」
「お揃いですねええええ」
二人まとめて意識ごとすっ飛ばされる破目になったわけだ。
◇
ミレイナの気紛れによってエドラルザに連行された定臣とロイエルの二人であったものの、件のミレイナには二人に特別な用件などがあったわけではないようで、結局なにがなんだかわからないままにその日の内にシイラへと送り返されることとなった。
夕暮れのシイラ、去り行くミレイナの背中を茫然と見送りながら、定臣とロイエルの二人はなんともいえない苦笑いと共にその日の事件を〝無かったこと〟とし、忘却の彼方へと追いやるのだった。
── そんな珍事件から数週間。
月日は巡り、充実した日々を駆け抜けた勇者候補〝ポレフ・レイヴァルヴァン〟は尋常ならざる成長を遂げていく。
宣言通りの一ヶ月を過ぎた時、ポレフは拙いながらも〝剣士〟と称して違わない実力を身につけるまでに至っていた。
◇
「レベル15ってところかなぁ」
地面に崩れ落ちたポレフを見下ろしながら定臣がそんなことを呟いた。
「そろそろいいんじゃねぇのか? 定臣」
二人の打ち合いを脇で観戦していたマリダリフが問いただす。定臣はすらりと納刀すると顎に手を当て、一つ頷いた。
「ん、俺的にはもうイケると思う。
問題は ──」
定臣がちらりと視線を送った先にはエレシが沈痛な面持ちで立ち尽くしていた。
普段ならばポレフ、エレシ互いに眠りの日に行われる実戦形式での鍛錬である。それをこの日は日取りを替えて、エレシ観戦のもとに行われていた。
「すみません ……
私の希望で観戦させて頂いたのに ……」
青褪めたエレシを気遣いつつも、定臣はエレシを説得する。
定臣達がエレシがこうなることをわかった上で観戦を許可した理由の一つとして、ポレフの成長を見届けさせ、次のステップ …… つまるところの〝勇者への第三の課題〟へ挑むにあたり、少しでも不安を取り除こうという目論見があった。
しかしながらその目論見は ──
「ほら、な? エレシ、俺を相手にこれだけ戦えるようになったんだ
指名手配犯くらい軽く倒せるって」
「うぅ …… 全然戦えてませんでした」
「いや、だからさ~」
「私の半分も保ちませんでした ……
これではポレフが酷い目にあってしまいます …… うぅ」
現在進行形でものの見事に裏目に出ていた。
そもそもが何でも器用にこなし過ぎるエレシである。
定臣の弟子として剣術を学び始めた時点で、苦手とする接近戦においてもポレフとは天と地ほどの実力差があった。
圧倒的な実力差。それに加えて時を経てその差は開くばかり。
故に気付かない。
気が付けない。
いつもであればポレフの成長を誰よりも喜ぶはずのエレシは、この時ばかりは只々悲観するばかりであった。そんなエレシの様子をしばらく伺っていた定臣であったが、仕方がないかと呟くと顎に手をやり、おもむろに一つ頷く。それから諭すようにして話し始めた。
◆
出来る子、エレシに頭を悩ませる。
エレシの不幸は多才過ぎることだった。
もう少し凡庸ならば愛する弟の成長を心の底から喜ぶことが出来ただろうに ……
自分が成長し過ぎて弟の成長に気が付けないとは、まったくもってお茶目さんである。
それにしてもエレシの奴 ……
魔術、魔法の師匠であるエレシ・レイヴァルヴァン。
今は哀しみに暮れる彼女の教えを思い出し、俺は少しばかり呆れていた。
◇
「つまり魔を司る力の源は、すべて〝想い〟から紡がれるのです」
「ほへ~」
それはエレシの最初の授業の時のことだった。
〝魔力の発現を促すために〟と題された講義の内容は実に曖昧なもので、その曖昧さに俺は内心でるるかの講義を思い出していた。
定臣様にとって〝一番強い想い〟とはなんでしょう?
不意な問いに脊髄反射で小夜子の名前を口にする。
そんな俺に対してそれこそが魔力の源です。と、にこやかにエレシが宣告する。
アホ顔で固まる俺。にこやかなエレシ。
次の瞬間、俺は言い放った。
「ぇ、意味不っ!」
想いの強さがそのまま魔力となるラナクロア。魔法や魔術を行使するには、最初に連想した最も強い想いに魔力を載せる訓練から始める必要があるのだという。 つまり、ことラナクロアの魔法使い、魔術師において、想いの強さはそのまま才能に直結しているということであり、その種類によって自分の魔力が魔法、魔術のどちら向きであるかを判断できるのだという。
そんなわけで、まずは魔力の属性を知る必要があるとしてエレシの指示通りに意識を集中する。
その結果 ──
「純度100パーセントの魔法使いですね」
なにやら呆れると共に、驚いたような声色でエレシがそんなことを言う。
通常は偏りはあれど必ず魔法、魔術のどちらの属性も兼ね備えているものなのだという説明に〝稀どころか前代未聞〟と付け加え、エレシは自分の反応の意味を示してくれた。
「えと …… つまりそれってどうなの?」
「これも天使様特有の …… ということでしょうか ……
過去に前例がありませんので〝恐らく〟の域を出ないのですが ──」
そう前置きするとエレシは自身の見解を述べてくれる。
それによると魔力による攻撃、つまり魔術を発動しても効果を得られない可能性があるのだという。
「がっかりだよっ!」
RPGよろしく魔術をばんばん使いたかった俺がそう嘆いたのは言うまでもない。そんな俺にエレシは〝その代わりに〟とつけ加えると一つの朗報を知らせてくれた。
対価を支払えば得るものがあるのは世の常である。
その理はこのラナクロアにおいても変わりないらしく、エレシの朗報に俺の好奇心は大いにくすぐられることとなった。
「これも恐らくになるのですが、魔術が残念だった分、魔法はびっくりする程、お上手かも知れませんよ♪」
びっくり便利魔法 …… だ …… と?
なにそれわくわくする。
「エレシ! 早く早く! 続きを!」
その反応になにやら慈愛に満ちた微笑みを返されて照れたりもしたが、それからエレシは魔力を扱う心得のようなものを説き始めた。
魔法と魔術。細かい違いはあれどその源流を同じ魔力としているだけに、原則として注意すべき点は同じなのだという。
曰く、想いの限界を定めないこと。
曰く、想いの純度を高めていくこと。
それに加えて最も重要なこととして〝自分に出来ないことはなにも無い〟という思い込みが必要なのだとか。
為せば成る。
好きすぎる精神である。
それからエレシは参考までにと、興味深い話をしてくれた。
ある種の傾向として、優秀な魔術師であればある程、傲慢かつ暴力的な強い想いを持つ者が多くみられ、優秀な魔法使いであればある程、空気を読まない能天気なお人好しさを兼ね備えた者が多くみられるらしいとのこと。
魔術の姐さんに魔法のエレシ。
その説明にあまりに人柄がはまりすぎていて思わず笑いそうになる。
それにしても ──
自分に不可能は無い。
高く …… 高く ……
どこまでも ──
魔力を扱う上でのその心構えは、奇しくも自分が刀を振るう時のイメージに近いものだった。
◇
そう ──
エレシは俺に限界を定めるな、と。そう教えてくれたはずだ。
そしてその教えに俺は感銘を受けていた。
道は違えど一つのことを極めようとする上で、それはなによりも大切なことだと思うし、終わりの無い頂を目指し、切磋琢磨し続ける充実感はなかなかに心地良いものだ。
マイスターであると共に魔法、魔術の実力でも高名なエレシ。そんな彼女の軸となっているその心意気には大いに共感させられた。
なのに ── だ。
目の前にはおよよと嘆くエレシの姿。己にどこまでも厳しい彼女は弟相手には激甘そのものだった。
「エ~レ~シ~」
呼んだ声に顔を上げた彼女の額に軽くチョップをいれる。
「ポレフが可愛いのはわかるんだけどさ
過保護の度が過ぎて自分の信念を曲げちゃってるじゃん」
「わ、私はただ ……」
「ポレフは諦めてないのにエレシが勝手にポレフの限界を決めるのか?」
賢いエレシならこれで気がついてくれるだろう。
そう思い伝えたその言葉をエレシはしっかりと受け止めてくれたようだった。
真顔になり一礼。背筋に芯を入れたエレシに先程までの弱々しい様子は無く、どこか決意の籠められたその瞳には思わず息を飲まされた。
「定臣様」
「は、はいぃ?」
「先程は取り乱してすみませんでした。
これからもポレフのことをよろしくお願い致します」
更に頭を深く下げたエレシの様子にどこか違和感を覚えつつも、その言葉に快諾の意を示す。
それを聞き届けるとエレシはにこやかに笑い、そしてその場を後にしようとする。
その背中になにかが〝引っかかる〟
「なぁエレシ」
呼び止めたその声に歩みを止め、エレシが応える。
こちらを振り向かないその背中に俺はこう続けた。
「ポレフのこと、信じてやってくれよな」
「…… はい♪ もちろんです♪」
そう言いながら振り返ったエレシはいつも通りの笑顔だった。俺はそれを確認すると軽く手を挙げ、その場はエレシと別れた。
それにしても先程の違和感はなんだったのか。
小首を傾げていると背中をばしんと叩かれた。
「痛いぞマリダリフ」
「らしくねぇじゃねぇか! 熱いのは嫌いなんじゃなかったのか~?」
「嫌いだなぁ、俺はゆる~い感じが好きなの」
「とか言いつつ、いつの間にやら熱くなってるんだよな~
お~、お~、いい女だねぇ。 早く俺の嫁になっちまえよ?」
いつものマリダリフに脱力させられつつも、俺は愛弟子のことへと思考を飛ばしていた。
あれ?そういえばエレシって、魔術師としての腕もかなりのものなんだよなぁ。
てことは、エレシの魔力の源には暴力的な想いも含まれてるってことか。
それってなんだろうなぁ ……
何故か気にかかったそんなことを思いつつも〝永遠なるお友達〟マリダリフ・ゼノビアを一瞥する。
お友達のその人はご立腹だった。
「なんかー、定臣がー、シカトするんですけどー」
それもかなりウザい感じに。
「悪い悪い、ちょっと考えごとしてた」
「お前それ多いよな~ ──
で? 今後のポレフのご予定は?」
「あぁ、一応、エレシの許可はとれたと思うし」
「いよいよか」
「あぁ、レベル15といえば最初のボスくらい楽勝だしな」
「レベル15? 最初のボス?」
「あ~、こっちの話だから」
ふ~ん、などと聞き流すマリダリフから視線を外すと最近の日課になっている動作を行う。
今日もすり合わせた指と指は擦れた微音を鳴らすだけだった。
そんな俺をにまにまと覗き込むとマリダリフはどや顔で言い放つ。
「下手くそっ」
俺は拳を握りとふるふると怒りを噛み殺し、マリダリフにじと目を送る。
「うっせ!」
そんなやりとりを交わしつつも、意識を失ったポレフを抱え、その日は宿屋へと帰還するのだった。
◆
こんなところは本当に子供だと思う。
それが意識を取り戻したポレフに俺が抱いた感想だった。
我がPTのリーダーにして〝ぼろ雑巾の君〟ことポレフ・レイヴァルヴァンは、兼ねての願いである最終試練への挑戦権を得た途端、大声を上げて喜んだ。
そして次の瞬間にはシアとロイエの手を引き、早々に〝旧傭兵雇用所〟へと出かけていったのである。
俺はそんな背中を見送りつつ呟く。
「ちゃっかり両手に華とは …… ませガキめっ」
ともあれ、この短期間で見れるようになったポレフの努力は賞賛に値する。
鍛錬開始直後は見るも無惨だったポレフ。まずはとその姿を只々、生暖かく見守るところから始めた。
人には人のタイミングがあり、そしてテンポがある。それをやれ〝やる気〟だの〝才能〟だのと断定的な言葉に置き換え、すぐさまに可能性を潰したがる人のなんたる多いことか。
自戒の意味も兼ねたその考えを軸に指導に臨めば、たちまちに世界が優しく回ることを教えてくれたのは誰だっただろうか。いや、誰でもあるまい。
定かではないそれは自らが人生経験を積む上で、自然と身についたものなのだ。
昨日よりも今日をうまくやるために、そして明日はもっとうまくやるために人は経験という名の時間を積み重ねてゆく。そしてその貴重な時間は教えを経て、後世へと受け継がれてゆく。それはどんな〝道〟にも通じるものだ。
少し大袈裟ではあるが、自分を師と呼ぶこの姉弟に俺は自分が覚えた〝うまいやり方〟を少しでも分け与えていければと、そんな風に考えていた。
はて、それではポレフの良いところはどこか。
めっぽう調子にノリやすい馬鹿弟子ポレフのことである。所謂〝褒めて伸ばす〟教え方がハマるのは一目瞭然のように思えた。
そんなわけで、まずはポレフを褒める。
なんせ褒める。
剣を一振りすれば褒める。
少し早く動ければこれまた褒める。
仕舞いには声の大きさまでも褒める。
その結果 ──
「俺って天才かもな! がはは!」
「違うからなスラッシュ!!」
ズバンと一振り。俺はその時、初めて必殺技の名を声にした。
うっかり気絶させたポレフを見下ろしながら、そのやり方がエレシに酷似していることに気がついた。こりゃいかんなと反省。
それからも俺は悪戦苦闘しながらもそれを楽しみつつ、ポレフとエレシに最適な育成方法を模索していった。
教えることで新たに学ばされることがある。その喜びは小夜子に教えてもらっている。
だからこそ俺は心底、楽しんだ。
そりゃあ時にはつい熱の入りすぎた指導の結果、ぼろ雑巾が派出に破けたこともある。
それでもポレフは挫けなかった。
そしてその頑張りがここにきてようやく実を結んだのである。
「雛鳥が旅立つのを見守る親鳥の気持ちがわかった気がするなぁ」
ポレフの走り去った方角を見つめながら思わず呟く。
「まぁ~だ早ぇだろ!」
直後に背後からつっこみがはいった。
俺はスパルタマリダリフ大先生に振り返る。それからにやりと口元を緩めながら言った。
「たまには合格点あげようぜ? マリダリフ大先生さん」
◇
「腕が千切れそう。 いきなり腕を引っ張ったポレフ・レイヴァルヴァンは死ねばいいと思う」
旧傭兵雇用所の店内、恨めしそうなシアの声がする。そんなシアの眼下にはポレフのつむじが突っ伏していた。
「本当に申し訳ありませんでした!!」
「声が小さい」
「ごめんなさいっ!!!!」
「あ、うるさっ」
「どうすれば!?」
「反省は?」
「調子にノッてごめんなさいっ!」
いつものように、いつものやりとりを交わす。そんなシアの僅かな動揺をポレフは知る由もなかった。
「ほらほら、もういいじゃないシア。 ポレフだって謝っているのだし」
いつもであればポレフが血涙を流すまで、のほほんと放置するロイエルであるが、今日のこの日ばかりはいつもより少し優しかった。
傍でその努力を見守り続けていただけに、浮かれるポレフの気持ちも理解できるし、その勢いが余って少しはしゃぎ過ぎたくらいは見逃してあげようと、ロイエルは僅かに口元を緩める。
「そうね、少しやり過ぎたわ」
そんなロイエルの気持ちを汲み取ったとばかりに相槌を打ったシアであったが、その笑顔とは裏腹にその足は次の瞬間には見事にポレフの後頭部を踏みつけていた。
「ちょ! 言ってることとやってることがバラバラだわっ!」
ロイエルが即座にそうつっこむのも無理のない話である。
◇
入店早々、派手な土下座を披露したポレフであったが、周囲に顔馴染みの傭兵達が集まり始めると途端に陽気な様子で話しかけ始める。
本来であれば閑古鳥が鳴き喚いていたはずのシイラ旧傭兵雇用所であったが、マリダリフの長期滞在に定臣が加わり、ビッグフェイスが揃い踏みとあって今では俄かに活気付いていた。
そしてその二人は口を揃えて、滞在の理由はポレフの鍛錬であることを公言しており、それによって更なる注目を集めたポレフは鍛錬のためであるとはいえ、至って真摯な態度で傭兵家業に身を置き続けていた。
そんなポレフの態度は城壁の外の男達の琴線に大いに触れたらしく、いつしかポレフの周りには男達が集まり、そして自然な形で皆がポレフにアドバイスを与えるようになっていた。
意識せずとも名を馳せる傭兵の条件を満たした愛弟子の姿を見つつ、マリダリフは顔を綻ばせる。
その天性の人当たりの良さは姉譲りのものであり、不器用なポレフがそれを意識せず発揮できるようになったのは間違いなく定臣の影響だった。
それは正しく、勇者候補〝ポレフ・レイヴァルヴァン〟の最強の武器だった。
◇
「ねぇ …… 本当にそれを選ぶの?」
提示された任務カードの中から1つを手にとったポレフにシアが問いただす。
いつもならば自分が選ぶカードに黙って師匠連中が付き添ってくれるため、シアのそんな問いにポレフは新鮮さを覚えた。
「おう! これが一番いいと思うんだ!」
元気よく応えるポレフ。そんなポレフの後ろからカードを覗き込むとロイエルは声に出して読み上げる。
「討伐任務 …… まぁ指名手配犯狙いなら当然ね」
「おう!」
「って、これ城壁の内側発? 珍しいわね。
それなら報酬は ──」
富裕層が住まう城壁の内側である。一般的に城壁の内側で問題が発生した場合は、速やかに王国より騎士団が派遣され、対処に当たるため、その任務が傭兵側へと流れることは稀だった。
稀に依頼される城壁の内側発の傭兵任務の報酬は莫大なものであり、言わずもがなその依頼を巡っては早い者勝ちの争奪戦が繰り広げられている。
もっとも近年ではその依頼も、王国からサキュリアスへと直接、依頼されることが多くなってきたわけではあるが ──
「って安っ! 記載ミスなのかな?」
カードに記載された報酬額にロイエルが驚く。
記載された金額は噂に聞いていた相場より遙かに少なく、それどころか一般的な討伐任務の半額以下だった。
「うんにゃ、さっき受付のおっちゃんに確認したけど、それで間違いないってさ」
「どうりで誰も受けなかったわけね …… 僕もシアと同じこと聞いていい?」
「おう! 報酬よりも捕縛対象を見て決めたからな!」
そう言ってポレフは任務カードを指差す。そこには討伐対象の名前が記されており、悪事の数々に続き、最後にはその実力を示唆する文面が踊っていた。
「な? こいつ超つえぇ~んだよ!」
「〝ドルチェ・ロイファルス〟 …… か
山賊頭領ねぇ …… ん~」
「ん? なんか気になることでもあるのか?」
「ん~~~~ ……
この山賊団〝骸の揺り籠〟ってどこかで聞いたことあるのよね」
「ふ~ん」
「ふ~んってさ」
ロイエルは指摘する。カルケイオスに住んでいた時の自分はほぼ外部からの情報を遮断されており、城壁の内側でどれだけ悪名高かろうが、その名を耳にするようなことは滅多に無かったのだという。
そんな自分が一度は耳にしたことがある名なのだから、その危険度はかなりのものなのだろう、と。
それに加えて報酬額の低さも気になると付け加えた。
「あぁ、報酬額がやたら少ない任務は、前金を払っては失敗されの繰り返しで目減りしていった結果、そうなってることが多いから要注意ってことだったよな! 回ってくる頃には前金無しの低報酬って罠がよくあるってアニキに散々聞かされたぜ!」
ちなみにポレフの言うアニキとは隻腕の剛剣こと、マリダリフ・ゼノビアその人である。
マリダリフが教える自らが経験から得た知識の数々は、着実にポレフの血肉と化していた。
「それにさ」
いつもならば知識をひけらかせた挙句、少々うざい具合に鼻高々な〝どや顔〟を披露するポレフだったが、その時ばかりは、そう前置きすると途端に真顔になる。
対どや顔戦線を繰り広げていたシアとロイエルの二人は、意表をつかれる形となり、シアは伝家の宝刀の構えのままに、ロイエルは死んだ魚の目をしたまま、ポレフの言葉の続きを聞いた。
「敵が強い方が燃えるぜ! もしかしたら何か事情があって、こんな低報酬なのかもしれないしな!」
物事を多角的に捉えられるように、常に視線を一歩引いたところから見てみればいい。
珍しく自身の考えを語った定臣のその言葉を、ポレフは人生の教訓と定めていた。
そのため、それに基づいて行動した結果、紡ぎ出された自分の言葉にはある程度、自信が有り、そんな言葉を口にしたからには、気になる二人に自分にとって都合の良い反応を期待してしまうのも、年頃の男子としては仕方の無いことだった。
どうだ、と今度こそ〝どや顔〟で見つめたその先には、低空姿勢のまま無表情に固まったシアと、なにやら生気が感じられないロイエルの顔が待ち受けていたのである。
「あれぇ!? 俺いいこと言ったよな!?」
今日もポレフは哀れだった。
◇
『ねぇ …… 本当にそれを選ぶの?』
その言葉は、任務に対する報酬が少ないとか、ポレフの危険を案じてのものではなかった。
私はやはりどこか狂っている。
旧傭兵雇用所を出、所用があると二人と別れる。それから二人の背中を見送りながら、途端に自虐の念に襲われた。
ポレフにロイエル。二人は確かに友達だし、仲間だと思っている。
むしろ私はそうありたいと願っていた。
そんなポレフの危険を案じるよりも先に、それこそなによりも先に、私は無意識に責務に囚われてしまう。
こんな感情はとっくの昔に殺したはずだった。
「なにもかも定臣が悪い」
ぼそりと呟く。
いつものように手繰り寄せれば、この世界も灰色に誤魔化せる。
それで終わりのはずだった。
それなのに ──
いらない期待をした自分が悪いのはわかっている。
それでも期待をさせた定臣に理不尽に不満を抱いてしまう。
それが例え負の感情であったとしても
自分に感情が残っていたことに戸惑う ──
そしてそんな些細なことがなによりも嬉しかった。
「定臣、恨むから」
〝神〟は肝心なところで無慈悲だった。
無数に視える選択肢の中、変わらぬ未来に溜息する。
それからポレフとPTメンバーの未来を言の葉にのせた。
「三日後、ポレフ・レイヴァルヴァンは最初の困難に遭遇する。
簡単だと思わないで、それはとても過酷で、とても残念な困難だから」
ふぅと、一つ大きく息を吐く。
「その ──」
震えた声で嗚咽を噛み殺しながら声を出す。
「その前日 ──」
それでも涙は抑えられなかった。
「ルブラン・メルクロワは ── 命を落とす」