邂逅・前編
■
「うわあああああああああああああ」
俺はひたすら森の中を逃げていた。
天界の異様なまでの明るさから一転した暗闇。
降りた世界は運の悪いことに夜だった。
そもそもなんでこんな目にあっているのか。
俺は全速力で走りながら我が身に降りかかった不幸を思い返した。
──回想──
「お、翼消えてるなぁ。へぇ~、服装は勝手に変わるのかぁ」
そう、確か転移が終わった俺は、自分の格好を見てそんなことを呟いていた。
値踏みするように自分の格好を確認する。
ゆったりとしたその服装は、TVの時代劇で見た剣客さながらのものになっていた。
「ちょっとサイズが大きい気がするなぁ…… にしてもいつ着替えたんだ? ……まぁどういう仕組みになってるかとか考えるだけ無駄か」
俺は軽く駄目出しをすると、るるかに教えられた通り〝この世界の主人公〟を確認するべく目を瞑った。
……主人公の名前は鞘野小夜子。
名前が浮かぶと同時に鮮明にイメージが広がる。
映し出されたのは一人の美しい少女だった。
これが鞘野小夜子か。
俺はその姿を記憶するべくゆっくりと確認していく。
印象的な大きな瞳からはどこか陰りが感じられた。
まるで人形みたいだ。
その表情と綺麗に整えられた黒髪が相まってそんなことを連想した。前髪がぱっつんなあたり、差し詰め日本人形といったところだろうか。
居場所は…… ここから結構近いな。
るるかの話によると、研修レベルである俺の神力はかなり制限されているらしい。
自分なりに纏めてみると
1、主人公の顔、名前、居場所が感覚でわかる。
2、任務遂行世界の言語対応。
3、神力によって主人公を不老不死化できる。
4、主人公の夢、願いに虚偽がないか感覚でわかる。
だいたいこんな感じである。
つまり、透哩の様に夢やら願いやらを言い当てられるわけでもなく、るるかの様に額に手を当てただけで対象者の世界の知識を得られるわけでもない。
えっと…… なにこれ。
ぶっちゃけ主人公を不老不死にする以外に特別なことできねーじゃん!!
こんなんでやっていけるのか!?
わしゃわしゃと頭をかきまわす。
この時、俺はようやく自分の身に起った不幸を理解していた。
その時だった。
「おい姉ちゃん!」
世の中には不幸中の幸いなる前向きな言葉が存在する。
しかしそれと同時に泣きっ面に蜂という反対の意味を指す言葉も存在する。
俺はどっちに転んでもいいように予め逃げ道を作っておく
そんな日本人が大好きだ。
だからいいだろ?
この出来事を不幸中に幸いにしてくれないか。
怒気を孕んだ男の野太い声に、俺はそんな希望的観測を抱いた。
希望的という地点でわかるだろ? これは恐らく俺にとって不幸なんだろうさ。
だから俺の選択は一つだった。
聞こえない。なにも聞こえない。俺は兄ちゃんだ。
てくてくと歩き去ろうとする。そんな俺を逃がすまいと山賊風の男達が取り囲む。
げっ! なんかいっぱいでてきたし……
闇の相乗効果で男達は余計に不気味に見えた。
俺は内心で焦りながらも男達を観察する。
男達の手には青龍刀の様な物が握られており、中にはそれを振り上げ威嚇している者や、舌を這わせながら意地の悪い笑みを浮かべている者まで見受けられた。
うわー。どっかで見たB級映画の世界だなー。
あまりの現実感の無さにそんな感想を内心で述べる。
「うぇっへっへ、こりゃ上玉だぜ」
やっぱりB級映画な悪役の方ですか。
使い古され過ぎて今や聞かなくなったその名台詞に感動する。
とはいえ我が身に起こっているこの事態は紛れもない現実である。
ならばこの先に『カット!』の掛け声がかかることは当然ないだろう。
できることならゴングに救われたいものではあるが……
俺は臨戦態勢を取るべく男達を再度見回した。
さてさてこの人数を相手にやれるだろうか。
……ん~親分ぽい奴はちょっと奥の方か。
手前に居てくれれば楽だったんだけどな。
まぁ大体、親分って奥の安全なところにいるよな。
俺は一番手前の男に対して斜に構えた。
透哩にはやられ続きだが、男を相手にした喧嘩では負けたことが無い。
格闘技の有段者を相手に数十人抜きを達成できる者が、素人を相手に負けるはずが無いのは道理である。
男達の隙だらけの構えに、俺は忘れかけていた確固たる自信を思い出した。
「やろうってのかい姉ちゃん!」
俺が怯えて逃げ惑う姿を期待していたのか。
そりゃ大勢で取り囲んで怒鳴りながら刃物を見せられりゃ
大抵の人は怯えてくれるだろうよ。
俺の行動に予想を裏切られた男達は、安っぽい脅迫に磨きをかけて詰め寄ろうとする。
一番近くの男の一歩。
俺はそれにタイミングを合わせ、大きく踏み込んだ。
「……先手必勝!!!」
過去の経験上、十人以上を相手にする場合は強そうな相手から二、三人倒せば他は戦意を喪失することは知っている。
しかしそれには急ぐ必要があった。
多勢に無勢という言葉が示すように、一人を相手に全員が同時にかかれば、一溜りも無いのは明らかだからだ。
だからこそスピードは命だった。
───バキッ!
鈍い音が響く。
俺に顎先を打ち抜かれた男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
ふぅ…… 女になっても腕力は変わらずか。
これならうまく捌けば逃げきれるかな。
自分の身体を確かめながらも、体は次の敵に向かって斜に構える。
無意識に行われたその動作は過去の鍛錬の賜物だった。
「てめぇ!! やりやがったな!!」
先手をとられた男達が、怒りを爆発させて前後から二人同時に斬りかかってくる。
それを目で見るより先に前方に飛び出し、手前の敵に拳を打ち込む。
昏倒する敵を確認しながら、背後に脚を蹴り上げる。
蹴り上げた脚は見事に背後から斬りかかっていたもう一人の顔面を捉えた。
どさりどさりと男達が倒れる音が闇に響く。
仲間の身に起きた事態を把握した男達から、次第に怯える声が出始める。
こうなればこっちのものである。
俺は内心でほくそ笑んだ。
その時───
俺の耳に思いもよらない言葉が飛び込んできた。
「……殺せ!」
その男の指示を聞いて、俺の背後から木の葉が揺れる音がする。
「!?」
しまったと思った時にはもう遅かった。
───ズブッ!
闇を裂くようにして飛んできたそれは、音を置き去りにして俺の太ももを貫いていた。
「っつぅ!!」
なんだこれは。
あまりに現実味が無さ過ぎる。
売られた喧嘩を買って、矢で射られる破目になるとは誰が想像できようか。
俺は痛みから反射的に蹲った。
それにしても痛い。
有無を言わさぬ痛みは、嫌でもこれが現実であることを伝えてくる。
そもそも話が違うじゃないか。
天使は死なないんじゃなかったのか?
……無茶苦茶いてーよ!
普通にいてーよ!
……にしてもまずい。
ぱっと見でもまだ十人以上残っている。
しかも俺に怪我を負わせたことで意気を盛り返してやがる。
これは…… 逃げるしかないか……
いや、逃げれるのかこれ。
とりあえずは……
「ああああああああああ!! 脚が…… 脚が!!」
一度、逆転された形勢を取り戻すには油断を誘うしか無い。
俺は大袈裟に声を上げて痛がって見せた。
余裕の薄ら笑いを浮かべていた男達の瞳に黒い光が灯る。
「待て! 殺すな!」
とりあえずの射撃停止命令が下る。
俺は突き刺さった矢を抜くと、大袈裟な演技を続けた。
「ぐっ! ……脚が ……脚がぁ……」
怯えたフリをしながらそう呟く。
矢を抜いた痛みから、都合よく涙声になった声色が演技に拍車をかける。
そんな俺をニヤリと見下ろしながら、一番偉そうにしていた男が近付いて来た。
「へっへっへ、最初から大人しくしてりゃ痛い目に会わなくて済んだのによぉ」
ここにきて、またしてもお決まりの台詞を炸裂させたそいつは、舌なめずりをしながら腕をまくり、更に俺との距離を縮めた。
俺はタイミングを計りながら演技を続ける。
不思議とその時には脚の痛みは消えていた。
「脚が…… 脚がぁ……」
「わかったからこっちにこい!」
チャンス到来。
頭を鷲掴みしようとした手を掻い潜り一気に踏み込む。
「脚が…… 脚が…… なおったあああああああああああああああああああああああ!!!!」
───バキッ!!
俺は的確にそいつの顎先を打ち抜き、殴り倒した。
突然の出来事に唖然とする男達。
そこを俺は間髪入れずに走り出す。
それもものすごく綺麗なフォームで。
「うわあああああああああああ」
──回想終了──
背後から複数の足音と怒声が迫ってくる。
「さっきの親分じゃなかったのかよ! 介抱くらいしてやれよ!」
俺はそんなことを叫びながらも全力逃走をやめない。
足の速さには自信があった。
運動会ではいつも一番だったし、地区の代表選手なんかに選ばれたこともあった。
でもそれは舗装された道路や整備された運動場での話だった。
ここは慣れない山道で、少し前には雨が降っていたらしく、足元はぬかるんでいた。
「くるなあああああああああ! バーカバーカ!」
餅は餅屋とはよく言ったものである。
山での略奪を生業としている男達にとって、この足場は大した弊害にはならないないようだった。
男達は最短の距離で移動し、俺との差を少しずつ詰めてくる。
焦った俺が思わず幼稚なことを叫んだのも無理の無い話だろう。
いや、やっぱり恥かしいから気のせいだったってことにしてくれ。
そんなことを思っていたのも束の間。
…………ボテッ!
こけた。この窮地にこけた。
あ り え な い
いやいやこけるなよ俺!!!
まじでやべーって!!!
そこに、ここぞとばかりに男が飛びかかってきた。
妙にスローモーションに見える男の動きに
『これが噂に名高い走馬灯というやつか』などと感想を述べながら
俺は───
自分の短い生涯を諦めた。
勢いのままに男が刀を持った手に力を加える。
そのまま片手の腹を刀の底に据えると、先端を真っ直ぐ俺の身体に───
!?
咄嗟に目を瞑る。
そこに生暖かい雫が降り注いできた。
「……ぎゃああああああああ」
……ん?
俺は声なんて上げちゃいない。
だとすると今の声は誰の声か。
恐る恐る目を開いて確認する。
そこには───
俺に飛びかかったはずの男が、両手を掲げたままの姿で目を見開いていた。
「……あれ?」
不思議に思い自分の身体を確認する。
突き立てられたはずの刃はそこには無く、代わりに何かがぽたぽたと降り注いでいた。
なんだこれ?
べったりと衣服に張り付いた粘着質のそれは嫌な匂いを漂わせていた。
俺はそれが降ってくる方を見上げた。
そこにはやはり先程の男がいて───
その男が大きく振りかぶっていたはずの両手は───
どこかへと斬り飛ばされていた。
───なにこれ? なにこれ?
目の前で人が両手を失った。
その事実に唖然とする。
そこに───
「ああああ!! ……ぅぁ」
絶叫を上げていた男が僅かに呻き、沈黙する。
次の瞬間、それが男の断末魔だったと知った。
ずるりと嫌な音がした。
見上げていたせいで、小さく見えていたはずの男の顔が大きく見えた。
男の体は後ろに倒れているのに顔だけはゆっくりと迫ってくる。
胴と頭が斬り離されている。
それを見て理解した。
男の頭は落下途中で輪切り裂け、肉片となり覆いかぶさってきた。
「………ぇ?」
人が…… 死んだ?
その事実に茫然とする。
どさりどさり。
周辺では先程の嫌な音が繰り返されていた。
◇
辺りは静寂に包まれていた。
周囲には肉片がばら撒かれている。
そんな中、一人佇む長身の男がいた。
男は身の丈程もある日本刀のような武器をじっと見つめている。
『血だらけにしてしまったな…… まぁ命が助かったんだ。許せ』
男のその声に俺はようやく我に返った。
そして、この人に助けられたのだと理解した。
命の恩人という言葉はよく耳にする。
でも俺にとってその言葉はどこか現実味の無いものだった。
耳にしていたのはドラマの中か、はたまたドキュメンタリー番組の中でのことか。
いずれにせよ、そんなドラマチックな事態が自分の身に起ころうなどとは……
まぁ思いもしていなかったのである。
そんな命の恩人さんは突然現れた。そりゃもう颯爽と現れて俺を救ってくれた。
人間、自分勝手なものである。
自分にとって都合が良ければ不都合なところなんて見えやしない。
この人はなにをやらかした?大量殺人だ。
普通なら恐怖に慄いて目を合わすこともできなかっただろうさ。
それをどうだ。俺は目を逸らすどころかキラキラと輝かせながら、その人のことをじっと見ていた。
もちろんそこに恐怖の感情なんて一つもなかった。
銀色の長髪が月夜に揺れる。
その人は切れ長な目を細めながらゆっくりと近付いてきた。
先程の返り血のせいだろうか。その人の衣服は真っ赤に染まっていた。
それにしても半端じゃない。気配が違う。所作が違う。
一挙一動のすべてが只者ではないと伝えてくる。
こんな人がいるなんて……
すっと鞘に納められる大太刀を眺めながら、俺は無意識に姿勢を正していた。
「……あ、あ、あの、ありがとうございます」
『なに…… 女に死なれるのが嫌いな性分でな』
そう言うとその人は俺の足元を一瞥し、目を瞑ってからこう続けた。
『立てるか?』
「はい、もう大丈夫です。」
そうかと頷き、顎に手を当てる。少し考えた後、その人はこんなことを言ってきた。
『近くに家がある。風呂と着物を用意しよう。来るといい』
一瞬、躊躇する。しかし直ぐに『助けてもらって疑るのも悪い』と結論付けて
「ありがとうございます……」
俺はその人の言葉に甘えることにした。
『礼には及ばんよ。ついてこい』
案内されながらその人の後を追う。
その人は道中、よたよたと歩く俺をマメに振り返り、気にかけてくれていた。
……なんかいい人そー
先程助けられたこともあり、その背中は果てしなく頼りに見えた。
しばらく歩くと視界が開けた。
そこには昔話にでも出てきそうな藁作りの屋根の家が一軒あった。
『ここだ』
戸を開き視線で入るように示される。
そういえば自己紹介がまだだった。
お邪魔する前に名乗るのが筋というものだろう。
俺は改まって姿勢を正した。
「お邪魔します…… えっと俺の名前は……」
『まずは風呂に入れ』
言葉を遮られてよくよく自分の格好を見る。
泥と返り血だらけになったその姿は、とてもじゃないが他人様の家に出入りできるものではなかった。
『風呂の支度をしてくる。中で寛いでいるといい』
そう言い残し、家の裏手へと向かっていく。俺は慌てて呼びとめた。
「あ、あの! 自分ちょっと汚過ぎるんで! お風呂の用意できるまで外で待ってます!」
『かまわん。中に入っていろ』
一瞬、足を止めたその人は、振り返らずにそう言うと姿を消した。
「……さすがにこんなじゃ人様の家にあがれねぇよ」
そう呟いてはみたものの……
「ハックション!」
水分を含んだ泥に塗れた体は冷えきっていた。
俺はぶるっと身震いした後、申し訳ないと思いながらも家の中へと入っていくのだった。
◇
家の中は綺麗に整理整頓されていた。
棚に陳列された食器類は1組ずつしか見当たらない。
どうやらあの人は一人暮らしのようだ。
「男の一人暮らしでこれはなかなかすげーな」
自分の部屋と見比べてぼやく。それから一通り家の中を見回すと、部屋の片隅に移動してちょこんと座り込んだ。
にしても───
ようやく一息ついた俺は先刻の出来事を思い出した。
ひどい目にあったな…… 山賊とか初めて見たし。
いきなり殺されかけるわ、矢で脚打ち抜かれるわで……
っつか天使は死なないんじゃなくて死ねないの間違いだろ!
無茶苦茶痛かったぞ!!
すぐ治ったけど!!!
あの人いなかったら……
まじでやばかったな……
そこで思い出したのは目の前で輪切りにされた男の姿だった。
「……うっ」
すぐに立ち上がり慌てて戸を開く。そのまま近くの草むらへと走った。
「うえぇええええ」
吐く。吐く。吐く。
刃物を持った敵と相対したことは過去にあった。
しかし人が殺されるところを目撃したことなど当然無い。
「はぁ…… はぁ…… はぁ…… なんだ…… 天使も人間と変わらねーじゃん」
俺は喉に苦いものを感じながら、人間らしい自分の反応に安堵していた。
落ち着きを取り戻した頃を見計らって家へと戻る。
そこに『支度が出来たので入れ』と声がかかった。
「すいません、ありがとうございます」
俺は服を脱いで風呂場へと入室した。
そこには昔ながらの釜戸風呂が設置されており、そこから出る白い煙がもくもくと室内を覆っていた。
なんとも風情溢れる風呂場である。
俺はそれを堪能すべく桶を手に取る。
「かけ湯、かけ湯っと」
そこで自分の裸体を直視した。
「ふぁああああああああああああああああああああ」
『どうした!?』
外から声。
「い、いえ! なんでもないれしゅ!」
完全に忘れてた!
完 全 に !!忘 れ て た!!!
無いものがあってあるものが無いぞおい!
それにしてもこの身体……
───……ごちそうさまでした!!!
ってあかあああああああん! 見るな俺! 見るな俺!!
平常心だ!!
そう!!! 平 常 心!!!!
目を瞑って身体を一気に洗い湯船へと浸かる。
「目を瞑ってましたよ? 目を瞑ってましたよ? 大事なことなので二回言いました!」
『どうした? まだ焚き足りないか?』
外から声。
「い、いえ! 最高です!!」
『そうか、布巾は戸の向こう側においておく。俺はしばらく外にいる。あがったら声をかけてくれ』
「はい! 何から何まですいません!!」
それからしばらく、俺は湯船を堪能した。
風呂をあがると、用意されてあった着物を借り受け、声をかける。
───ガラガラ。
しばらくしてから家の主が戻ってきた。
『!?』
その人は俺を見るや否やものの見事に硬直した。顔は若干赤みがかっている。
「え、えーと」
先程、自分の現状をまじまじと確認させられた俺には、その反応の意味が理解できていた。
はいはい、湯上り美人湯上り美人。すいませんねっと。
え?投げやりじゃない投げやりじゃないですよーっと。
「あ、自分、男ですよ?」
『……』
無言で目を瞑り、ふるふると首を横に振られた。
ですよねー。
まぁそれは置いておくとして。
「えーっと申し遅れました。俺の名前は川篠定臣っていいます。助けてもらった上に、色々とお世話して頂いて感謝してます!」
目を開きこちらを見る。ふっと笑みを浮かべる。
『川篠定臣か…… いい名だ。───俺の名は轟劉生という。なに、たまたま気が向いただけだ。気にする必要はない』
「いえ! そういうわけにもいきません! 何か恩返しさせてください! 肩叩きでも薪割りでも何でもします!!」
劉生さんはまた目を瞑ると顎に手を当て、少し考えるような仕草を見せてから、不思議そうに俺に尋ねてきた。
「俺の名は轟劉生だが……?」
知らないのか? といった様子。
まずいな…… たぶん有名な人なんだろうな……
っつっても俺が知るわけねーしなぁ。
でもこれ、知らないとか言うと失礼かもしれないしな~……
……しょうがないか! ここは正直に言うしかない!
「すいません! 俺こっちに来たばかりで有名人とか知らなくて!」
「……ふむ。───俺もまだまだということだな」
気まずくなるかと思ったりもしたが、劉生さんはどこか楽しそうに目を瞑って頷いていた。
それからしばらく他愛もない会話を交わしていく内に、劉生さんの口数は少しずつ増えていった
「そうだ、川篠。貴様、酒は飲めるか?」
「えっと飲めますけど」
「ふむ。───秘蔵の酒がある。飲ませてやろう」
「まじっすか!」
「あぁ、貴様を気にいった。一晩泊まっていくがいい」
「あざーっす!」
そんな感じで二人だけの宴会は始まった。
秘蔵の酒は無茶苦茶おいしかった。
俺はあっという間に泥酔い状態になり記憶を手放した。
記憶を手放す寸前、そんな俺を劉生さんは楽しそうに眺めていたように思う。
◇
なかなかに楽しい酒だ。たまにはこういうのも悪くはない。
「さて、俺は外で寝る。貴様はそこの布団でも使って寝ろ」
珍客は床に平伏し、先程から訳のわからぬくだを撒いている。
俺は呂律が回らなくなった定臣から、酒瓶を取り上げた。
「らから透哩意味わからんのらって」
「やれやれ、その話はもう聞き飽きたぞ。
貴様の酒癖の悪さはなかなかに面倒だな」
「……ZZZ」
「……ふぅ」
まったく…… 世話の焼ける奴だ。
俺は定臣を布団に包むと外へと出た。
◇
チュンチュン チュンチュン
───翌朝。
小鳥のさえずりが高らかに聞こえ、外は快晴。
そんな中、俺は絶望していた。
そう、二日酔いである。
「調子に乗って飲みすぎたぁ…… うぷっ」
昨日から吐いてばかりだと思いながら、ここで吐くわけにもいかず、重い身体に鞭を打って外へと這い出していく。
───ガラガラ
戸を開けた先には一人の少女がいた。
あちらも戸を開けようと手を伸ばしたところらしく、驚いた顔でこちらの様子を伺っている。
一瞬、顔を見合わせた俺と少女は同時に口を開いた。
「轟劉生殿とお見受けする! 我が名は」
「あ、鞘野小夜子」
再び顔を見合わせる。
すぐにはっとした様子で小夜子が口を開いた。
「お、おみそれしました! 一目で名前まで看破されるとは…… 噂にたぐ」
「ちょっとごめん……」
口上を遮って小夜子とすれ違い外へと出ていく。限界が迫っていた。
よたよたと歩く俺を必死な様子で小夜子が追いかけてきた。
「お、お待ちください!」
小夜子の手が俺の肩に伸びる。
その瞬間───
「うぇえええええええ」
「ええええぇぇぇぇぇええええええ!?」
爽やかな朝の爽やかでない出会いだった。
◇
しばらく、あたふたと介抱していた小夜子だったが定臣からする酒の匂いに気付くと、その症状が二日酔いからくるものだと判断した。
「え、えっと水、水はどこですか?」
「うぇええええええ」
返事になっていない。
「まったく、案の定こうなっていたか愚か者め」
そこに劉生の声。
小夜子が顔を上げると、そこには桶に水を汲んできた劉生がいた。
劉生は訝しげな顔で定臣のことを見下ろしている。
「連れが世話になったようだな」
劉生は小夜子にそう告げると、定臣に水を手渡し、ゆっくりと飲ませた。
「やれやれ…… 定臣。貴様はもう少し家で寝ていろ」
劉生は小夜子を一瞥し、顎に手を当てて目を瞑る。
それから一つ頷くと小夜子に向ってこう言った。
「そこの、悪いがこいつを家まで運んでやってくれんか。男の手で女に触れるのも気が引けるのでな」
「は、はい!」
小夜子におんぶされて運ばれていく定臣は、何やら不満気に『俺は男だ』などと呟いていた。
劉生はそれを一笑に伏し、小夜子に次いで家へと向かった。
家に着くと、二人は定臣を布団に寝かしつけ、今更ながらに自己紹介を交わした。
「あなたが轟劉生殿でしたか!? 私はてっきりこちらの方が……」
定臣を見て小夜子が言う。
「そいつは川篠定臣といってな。昨日、意気投合して飲み交わした仲だ」
「失礼しました! 初見で名前を言い当てる程の読心術を使われていましたので…… てっきり私は…… 勘違いしておりました!」
そう言うと小夜子は深く腰を折った。
それを聞いた劉生は目を瞑り、顎に手を当て思案する。
「こいつにそんな術は無い。鞘野といったか…… 定臣が知っていたか。余程に名が知れていると見える。俺を名指しで会いに来る輩は、果し合いか弟子入りと相場は決まっている。───貴様は果し合いかな?」
劉生のその問いに小夜子が慌てて返事する。
「め、滅相もございません! 私は轟殿に弟子入りしたく!」
「俺は弟子はとらん。ここを探し当てるくらいならば既に知っていよう」
即答。
しかしその答えを予想していたのか、小夜子は動じる様子もなく劉生の目を真っ直ぐに見つめていた。そしてその場に両膝をつくと
「そこをどうにかお願いします!!」
腰を深く折り、土下座した。
部屋の中を静寂が支配する。
二人の間に緊張した空気が張り詰めていく。
そんな二人の緊張をぶち壊しにしたのは
「ぅ…… だ、だれか…… みずぅぅ」
定臣のそんな間抜けな声だった。
しばらく小夜子を見ていた劉生が短くため息をつく。
そして定臣の方を一瞥した。
「頭を上げろ。本来なら追い返すところだが…… 定臣が世話になったのでな。話くらいは聞いてやる」
小夜子の顔がぱぁっと明るくなる。
「ありがとうございます!!」
劉生は小夜子の正面にどっかりと腰を降ろすと、顎に手を当てて話の続きを促した。
「それで…… 何故に力を欲する?」
小夜子は真顔になり少し俯き、ぎゅっと手を握りしめた。
しばらくの沈黙の後、決意した様に顔を上げる。
「父の仇を討つためです……」
それを聞いた劉生は顎から手を離すと、無表情に小夜子を見据えた。
「つまらん理由だ」
「なっ!?」
「そんなくだらんことに俺の刀を使わせるわけにはいかん。仇が討ちたいのならば闇討ちでもなんでもすればよい」
小夜子は歯を食い縛って押し黙った。
再び部屋の中を静寂が支配する。
「ふむ。……危ういな」
しばらく小夜子を見ていた劉生が異変に気づき、そう呟いた。
「わた、私が、やらなきゃ…… わた、わたしが……」
小夜子の瞳からは光が消え、涙が溢れ出していた。
「あ…… あ… ああああ」
ガタガタと震えながら頭を抱え、蹲る。
呼吸が明らかにおかしくなっていく。
ガリガリと頭を掻き毟る。
その手を離したかと思うと、今度は両腕を抱き締め肩口に爪を立てる。
白い肌にじわりと血が滲み始めたその時───
小夜子の首筋に劉生の手刀がすとんと落ちた。
◆
朝のことはよく覚えいていない。
意識がはっきりしたのは昼をまわってからだった。
「おはようございます! 昨日はどうも!」
がばっと起き上がると、隣に寝転んでいた劉生さんに声をかける。
……女だった。
「……えーとエンジェルフォーム?」
なわけないかと、よくよく確認する。
「あれ? この子、鞘野小夜子? ……あぁ~朝いた気がするなぁ」
俺は事情を尋ねようと劉生さんを探した。
しかし家の中に劉生さんの姿は無かった。
「劉生さん外かなぁ」
玄関口まで出ると、空気を連続で裂く様な音が聞こえてきた。
ヒュン! ヒュン!
「す、すげ……」
俺を出迎えたのは大太刀を持ち、鍛錬に励む劉生さんの姿だった。
流れる様な太刀筋。
めりはりのついた静と動。
一連の動作を締める凛とした残心。
他人の鍛錬姿にここまで心奪われたことがあっただろうか。
俺は無意識にその場に立ち尽くして見惚れていた。
◇
しばらくして俺に気付いた劉生さんが手を止めた。
「起きたか」
「あっ」
動きが止まると自然と声が漏れていた。
もう少し見ていたかった。
俺はそのステージにアンコールが無いことを残念に思った。
「なんだまだ二日酔いが抜けきっていないのか」
「い、いえ…… 綺麗だったなぁって」
劉生さんが少し驚いた様な顔をした。
「ほぉ…… 定臣、貴様は刀を持ったことがあるのか?」
確かにあるにはある。
しかしそれと劉生さんのそれとは次元が違う。
俺は少し慌てて早口になっていた。
「ないないないです!」
そんな俺を劉生さんはじっと見据えていた。
それから不意に顔を綻ばせたかと思うと、こんなことを言ってきた。
「定臣…… 貴様はおもしろい。命を落とすまで実力の差がわからん輩も多いのだ。誇っていいぞ」
ぶんぶんと首を振る。
「劉生さんの剣技を見て実力の違いがわからないとか、ただの強がりっすよ」
「ほぉ…… おもしろい。……くくっ、ふ、ふはは、ふははははは」
俺の言葉を聞いた劉生さんは突然笑いだした。
この人ってこんなに笑うんだ。
俺はあっけににとられながら劉生さんが笑い終わるのを待った。
不意に劉生さんが真顔になり、姿勢を正す。
俺はがらりと変わった雰囲気に息を飲んだ。
───何が彼の琴線に触れたのかはわからない。
「定臣」
───ただ、振り返って1つ言えることは
「お前を俺の」
───轟劉生という男が頑なに守ってきた聖域への侵入を
「弟子に迎えたい」
───この日、初めて許したということだった。