ポレフの武器 III
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突如、国家権力を襲った鋭利な一太刀。成す術も無いままにヨイセル(43)は地に伏せる。
急転した事態に唖然とする一同を一瞥するとシア・ナイは無機質に嗤い、そして誇らしげに自身の凶器に軽く息を吹きかけるのだった。
◆
───で。
そんな前フリなどお構いなしに現在、俺達はポレフのための武器を購入しようと、エレシに連れられ、武器屋が建ち並ぶ区画まで来ていたりする。
サキュリアスを基点に発展したルッセブルフには、時間帯に関係無く働く傭兵をターゲットにしている店が多いため、すっかりと日が沈みきった今の時間帯でも昼と変わらず営業している店舗が多々、見受けられた。
「にしても助かったなぁ」
ラナクロアの武器や防具はルッセブルフより遥か北西に位置する『ピセオス』という街の特産品であり、既に城壁の内部の特産品であるそれらには〝回復魔法〟による耐久回復が許されている。
戦闘を終える度に〝回復魔法〟を使用することによって新品同然の状態を維持することが可能であるため、使用者のニーズは自然な流れで武器は耐久性を度外視し、その威力だけを追求したものへと傾き、防具には値段を無視した材質への拘りを発揮する者が多く現れ、それによって中途半端な物は自然淘汰されていった。
傭兵にとって武器や防具は生活必需品の一つである。消耗品であるそれらを消耗する必要が無くなればどういった現象が起こるのか。
『ピセオス』が城壁に囲まれてからの数年。武器や防具は民の間で〝一生物〟としてすっかりと根付き、それによりその価格は想像を絶する高騰ぶりを見せたのである。それと共に戦闘を生業とする者にとって武器や防具選びは重大な一つの儀式的なものへと昇華されていった。
目当ての武器屋へと辿り着くまでの間、定臣はそれらの情報をまたしてもエレシから与えられていた。自身の頭の中で情報をじっくりと咀嚼し、わかりやすい形に置き換えて理解していく。
そうしてようやく情報を整理し終えたその時、先程の事態の収拾へ至った経緯へと思いを馳せたのである。
シア・ナイが放った〝まさむね〟の威力は凄まじく、地べたに横たわる〝お巡さん的なおっさん〟の姿を見下ろした時には、晴れて免罪されたエドラルザから次の街にして、またしても犯罪者に身を堕としたのかと覚悟した程であった。
こちら側に完全なる非がある時、瞬間的に言い訳や逃げ口を探そうとするのは人間の性なのだろう。自身が天使であることを自覚しながらも、まだまだ人間くさい定臣の思考も当然、そちら側へと傾いた。
騎士であるルブランはどうにかできないものか。言われるがままに指示に従ってここまで連行された辺り、もしかしたら騎士と〝お巡さん的〟なこのおっさんとの役割は日本でいうところの自衛隊と警察の役割なのかもしれないと中りを付ける。
ならば素直に謝罪するしかないのだろうか。そもそも誠意ある謝罪を求められてここへ連行されて来たのである。そこで放たれたまさかのかn……〝まさむね〟である。これはさすがに言い訳のしようが無いと定臣は頭を抱え、髪の毛をわしゃわしゃとかき回した。
そこに───
『失礼します。』
救いの女神は現れた。
薄い緑髪が特徴的なその人の名はライアット・サリス。言わずと知れたサキュリアス副社長である。
颯爽と現れた彼女は凛としており、その顔は相変わらずに無表情でシアとはまた違った意味で機械的な印象を受ける。
ライアットは室内に入るや否や、さらりと前髪を横へ流す。そして強調された左目で定臣を捕らえると僅かに表情を綻ばせた。
『クレハ様から連絡を受けてはいたのですが、やはり自分の目で確認すると安心できるものですね』
そう言うとライアットは定臣の方へと歩み寄る。
『ご無事で何よりです。 サダオミ様』
そんなライアットの言葉を聞いて定臣はようやく、自身がマノフ戦の折に知らずに皆を心配させていたのだと気付かされた。
「あ~……連絡遅れてすいません!色々ばたばたしてて……」
定臣は素直に謝罪の意を述べつつも、不死であることに慣れ始め、細かな配慮が疎かになりつつあると自らを戒める。そんな定臣にライアットは詳細は聞き及んでいると告げ、次にマリダリフの安否を確認すると、ようやく地べたに横たわるこの部屋の主であるその人へと視線を落とした。
「どうしてヨイセルさんが横たわっているのかは理解しかねますが……」
「ほんとすいません!!」
「いえ、大方の予想はつきますので」
あれは予想できないだろう。内心でそんなことを思いつつも定臣はライアットの次の言葉へと耳を傾けた。
絶賛気絶中のおっさんことヨイセル・バリアス(43)は元々、異常なまでにエレシの大ファンであり、ルッセブルフの街の所々に飾られているエレシの壁紙が他の宣伝で上書きされようものならば率先してデモ行進を行う程なのだという。
ファン倶楽部みたいなものか……会長みたいなものか……
そう、自身の中でわかりやすい形に置き換えた定臣は引き続きライアットの言葉に耳を傾けた。
「まぁ天罰が下ったのだと理解して頂きます。」
最後にその言葉でライアットが説明を締めると思わず一同から溜息が漏れた。
結局のところヨイセルは少しでも長くエレシを引き止めたいがために、強引な理由付けで不当に長い拘束を強要していただけなのである。まったくもって傍迷惑な話だった。
「後の処理はこちらにお任せ下さい。」
疲れた様子の一同を気遣うようにライアットがそう申し出てくれる。当然のように満場一致でライアットの言葉に甘えることにした一同は、そのまま部屋を出ると当初の目的であった〝旅の準備〟をすることになったのである。余談ではあるが部屋を出る時に事後処理を円滑に進めるためにと、ライアットに差し出された色紙にエレシがサインを施すという一幕があったとか。
◇
最終目標が魔王の討伐である以上、必須となってくるのはまずは武器である。そうして自然な流れでまずはリーダーであるポレフの武器をどうにかするべきだろうということになったわけだが……
必要なのはポレフだけだろうか。というかポレフはエレシを装備しているから武器とか必要ないんじゃないだろうか。
そんなことを考えつつ、他のメンバーの装備を確認してみる。
まず、一番目を引くのはルブラン・メルクロワ。通称ルブルブだった。
背負われた大戦斧はむき出しで、うっかりとすれ違う通行人を傷つけはしないかと不安になる程だし、全身を包む王国騎士鎧は金色で縁取られ、なかなかに威厳を醸し出している。そして他の騎士とは一風違った甲冑の形には如何にも彼女らしい拘りがあった。
「どうしてルブルブの甲冑って他の騎士の人みたいなフルフェイスタイプじゃないんだ?」
なんとなしにそう尋ねた俺にルブルブははっとなると───
「そ、その……え~と……ニー様に……顔を……覚えてもらおうとだな……」
もじもじと赤くなりながらそんなことを言ったものだから、思わず背伸びして頭を撫で回したのは言うまでもない。
そして次に目を引くのはロイエル・サーバトミン。通称ちび……とか言うと怒るのでロイエである。
カルケイオスの学生服である藍色のローブは所々に金糸で刺繍が施されており、なかなかに高級感を漂わせている。そもそもカルケイオス民(今は追放されていることになっているけども)である彼女が外を出歩くこと自体が滅多に無いために、一目で彼女がカルケイオス民だと周囲に知らせるその服は身に纏っているだけでかなり目立っていた。
それに加えて特徴的な燃えるような赤髪は、本人が望む望まずを別にして彼女がミレイナ・ルイファスの関係者であることをド派手に喧伝する。
『お、おい……あれって……』
『カルケイオスの赤髪っていやぁ……ミレイナ・ルイファス!?』
『いや?でもなんか小さいぞ?』
ここまでの旅路でそんな声が耳に飛び込んできたのは一度や二度のことではなかった。その度に凹むロイエを慰めるのはなかなかに骨が折れたけども。
そして基本的に周囲を行きかう人々と変わらない服装をしているにも関わらず、異常な目立ちっぷりを発揮しているのがエレシ・レイヴァルヴァン。シア・ナイ。この両名である。
なんせ目立つ。可愛いから。
お互いに色質は違えど綺麗な銀髪を携えた二人である。仲睦ましく微笑み合いながら会話する様は、遠目に見れば姉妹のようにも見えなくもない。
ただでさえ人目を引く容姿を兼ね備えているというのに、エレシに関しては既に超が付く有名人であるし、シアに関しても〝あの〟クレハ・ラナトスが数年ぶりに服を仕立て、それをプレゼントされたと、既にド派手に宣伝されているものだから、その注目の浴びせられぶりはなかなかに容赦が無いものだった。
ちなみに俺の目には周囲の人と大差が無いように見えるシアの服装は、見る者が見れば斬新なアクセントが散りばめられた至高の一品なのだとか。
そして格好は平凡。武器は無し。おまけに華が無い我らのリーダー、ポレフ・レイヴァルヴァンである。喋らなければうっかり影になりそうなポレフではあるが、エレシが異常なまでに溺愛するために本人は望まずともなかなかに周囲の視線を集め、ある意味では目立ってはいる。
そんなわけでまともなのは俺だけか。そんなことをぼんやりと思っていた俺の耳に信じられない一言が飛び込んできた。
「サダオミってさ~、目立つよね」
「なん……だと?」
ロイエが言うには俺の得物である大太刀『轟劉生』はラナクロアには無い形状の武器らしく、身長に見合わないその武器は背負っているだけでかなり目立つのだとか。
それに加え容姿端麗。おまけにサキュリアスに大々的に宣伝されたせいで今や〝時の人〟なのだとか……
って待て!サキュリアスに大々的に宣伝ってなんだそれ!?
「あんのもみあげ!次に会ったら〝まさむね〟だ!」
ロイエから詳細を聞いた俺の第一声はそれだった。
いつの間にやら撮影されていた写真的ななにかを魔示板なるものに掲載し、おまけに傭兵ランクなるものを駆使し、知らない間に有名人にされていた。
俺の与り知らないところで何してくれちゃってるんだよあのもみあげは……ったく。
話は逸れたが各自の装備はだいたいそんな感じだった。
あれ?……武器持ってるのって俺とルブルブだけ?
「なぁ、武器持ってるのってさ」
「定臣様とルブラン様は物理的な武器。私やロイエちゃんは魔装具ですね♪」
すかさずエレシが説明を入れてくれる。本当に心読めるんじゃないのかこの人。
「それからシアちゃんは……」
そんなエレシの表情が一瞬、曇る。エレシの視線を追いかけるとその先には指鉄砲を構えたシアの姿があった。
「私にはこれがある。」
「まじか」
「まじ」
らしい。
ちなみに魔装具にはアクセサリーの類を用い、魔力を増強するものが多いのだとか。
要するにラナクロアの魔術師は見た目には武器を持たないのだそうだ。漫画やアニメに出てくるような、杖を手に魔法を詠唱とかそういった類のものを期待していただけにその事実にはがっかりだった。
「んじゃ、そうなると丸腰はポレフだけかぁ。シアは置いといて」
「ですね♪シアちゃんは置いといて」
「待つ。私にはこれがある」
「でもさ、ポレフはエレシ装備してるから武器とかいらないんじゃない?シアは置いといて」
「まぁ♪まぁまぁまぁまぁ♪定臣様♪なんて素敵なことを仰るのでしょう♪シアちゃんは置いといて」
「ちょ!定臣!余計なこと言うなよ!俺も武器欲しいんだよ!……あ、シアは置いといて」
「ポレフは死ねばいいと思う(ぼそっ)」
「こわっ!!」
「ポレフ?どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもないよ姉ちゃん」
「ふふ、でもやはり武器はあった方が良いと思いますので……あ、目的の店が見えてきました」
そう言うとエレシはポレフの頭を優しく撫でながら、視線を前方へと向ける。
そこには剣の絵が描かれた看板を掛けた建物が建っていた。
恐らくは魔力が切れかけているのだろう。夜の闇に存在を知らしめる役割を買って出ているその店の魔法灯は時折ちらちらと点滅しており、こちらの到着を『今か今か』と待ち構えているように思えた。
◇
ルッセブルフの一角、傭兵が集う通称〝猛者通り〟の路地裏にその店は忍ぶようにひっそりと佇んでいる。
店の名は
───ルイオアゲイル。
伝説のマーケッター『ジョージ・カユラハ』が店主を務めるこの店は、名だたる傭兵達からこよなく愛されていることで有名だった。
ポレフ達が武器屋『ルイオアゲイル』に到着する僅か数分前、ジョージはその日、最後の客を愛想よく見送ると店内をくまなく掃除し、いつものように我が子さながら可愛がっている店の商品達に優しく微笑みかけていた。
「そうかい……今日はお前の友達が貰われていっちまったもんなぁ……
なぁに、心配無いさ。あの傭兵さんならちゃ~んと大事に扱ってくれる」
店内にはジョージ一人。先程からもっぱら彼の話し相手となっているのは、綺麗に陳列させられた店の商品達だった。
初老と称して違い無い風貌の彼が夜な夜な店内にて、一人ぶつぶつと喋る様は一見すればなかなかに不気味なものである。しかし彼の優しい眼差しを見ればその印象はたちまちに一変する。
〝彼を見ていると自分の得物とも対話出来る気がする〟
この店を訪れた傭兵達はこぞってそんなことを言う。ジョージ・カユラハとはそんな男だった。
「すまんなぁ……お前達。こればかりは止められなくてなぁ」
いつもの日課を終えたジョージはそう呟くとカウンターの奥にゆっくりと腰を据える。そして徐に懐からパイプを取り出すとそれをそっと口に咥えた。
───シュボ。
魔法効果を付与された〝それ〟は火種が無くとも煙を揺らめかせる。
実にうまそうに口からもくもくと白煙を吐き出しながら、今日もジョージはそれを一日の労いへと変えた。
つと不意に───
重ねた年齢が織り成すその穏やかな笑みに陰りが落ちた。
「ふぅ……」
ジョージは軽く溜息をつくとしばらく独白する。そしてゆっくりと背後へと視線を送った。
そこには綺麗な鞘が額縁に納められた状態で展示されている。しかしその鞘に本来、納まるべき剣はどこにも見当たらない。
「なぁに……誰にでも退くべき時は来るんだ。ワシにもその時が来たってだけさ」
ジョージは自嘲的な笑いを浮かべるとそんなことを呟いた。先程までの穏やかで優しい瞳は次第に深い哀しみに支配されていく。
その時───
『幕引きは自分の意思で~♪うんうん、実にあなたらしいよ~』
不意に店内に軽い調子の声が響く。
「おぉ……おぉ、おぉ……これは久しい」
ジョージはその声の主に振り返ることなく嬉しそうな声色でそう答えた。
『うんうん、お久しぶりだね~♪ジョジさん』
「ははっ……ジョジはよしてくれ」
声の主は親しげにジョージの背中を見つめると、その視線をそのままジョージの視線の先に合わせる。そして納得したように大きく一つ頷くと、ジョージにゆっくりと歩み寄りながら語りかけた。
『ん~……そっかぁ、ついにあの子のこと手放したんだ?』
声の主のその問いかけにジョージは肩を落とす。そして軽く首を振りながら自身に言い聞かせるようにぽつりと呟いた。
「……託した。……いや、託してしまったのだなぁ……」
そんなジョージの背中を優しく見つめながら、声の主は得心がいった様子で大きく頷く。
『おやおや~……まったく、性質の悪いのに託したもんだねぇ』
「ほぉ……誰に託したかわかるかい?」
ジョージの問いに声の主は少し苛立った様子で指先で頬を掻く。そして肩を軽くすくめながら口早に返答した。
『アタイはね……マイスターにしろ、マーケッターにしろ、もちろんポーターにしてもさ。
一つの道を必死に走り続けている人間はみんな職人だと思ってる。
あの男は性質が悪いさね。ほんと性質が悪い。
なにが悪いって職人ってものを骨の髄まで理解しているとこさ!
金で買えないはずの職人の大事な部分までちゃ~~~んと価値を認めた上で値踏みするんだ。
そりゃ、周囲の人間から見れば金の使い所のおかしな男なんだろうさ
でも、違う。あいつは全部理解してるんだ。
金で絶対折れない職人の大事な部分を熱意でへし折っていくのさ。
そしてへし折った傷には薬のようにして金を宛がっていく。
もちろん本人に悪気なんてありゃしない。
あの男にとって金こそが職人に対する最大の敬意の表し方ってのもわかるさ……
だからさ……
だから余計に性質が悪いのさ、現にジョジさんもそうなってる』
「ふむ……」
『あの男に誇りを託した人間はこぞってもぬけの殻にされちまうのさ
決して金に目が眩んだわけじゃない。でも自分を金で売り渡したような妙な錯覚に陥っちまう』
語りながら声の主はジョージに歩み寄る。そして
───ポンッ
ジョージの両肩に優しく労うように手が添えられた。声の主はそのままぽんぽんとジョージの肩を数回叩くと、仕草のままに優しい声色で話の続きを紡ぎ始める。
『お疲れ様。でもねジョジさん駄目だよ?あなたは終わらない。終わらせない』
声の主のその言葉にジョージは眉をひそめる。そして一つ息を吐くと視線を鞘へと向けたまま徐に口を開いた。
「いや……あれの担い手はワシが見つける。そう君に誓いを立てたはずだ……それを」
『ま~~った!ジョジさん、あなたはマーケッターだ。
マーケッターが物を売るのはこのラナクロアの常識さね』
自身の言葉を遮られたジョージであったが別段、驚いた様子も無くそのまま声の主の言葉にゆっくりと耳を傾けた。そしてその言葉を聞き終えると大きく頷きぽつりと呟いた。
「そうだな……それは確かにそうだ。
しかしワシは結局……望まぬ形であの子を手放した……
そして拒否したとはいえ利益を得てしまった……」
そう言い終えたジョージの背中は声の主の目には更に小さく映っていた。
声の主はそんなジョージの背中を上機嫌な様子でじっと見つめると、鼻歌まじりでジョージの肩を揉み始める。そして先程よりも幾分か軽い調子でジョージに語りかけた。
『ふふん♪あれを利益と言えるジョジさんだから大好きなんだよアタイは♪』
「……やれやれ〝全部〟お見通しか……すまないなルン」
『その名で呼ばれるのは久しいね~♪
街のはずれに見ない孤児院が一軒♪
聞けば報酬を受け取らない困ったマーケッターのせいで建ったっていうじゃないか~♪
アタイは聞いた瞬間にぴ~んときたねぇ』
「いらんと言ったんだがな……あれの店がある街には同じものが同じ数だけ建ったらしい」
『はん!高く見積もってくれるじゃないのさ!
あ~っもう!むかつくったらありゃしない!』
「ルン痛いぞ」
『っとと、すまないすまない。ど~にもあの男のことだけは好きになれなくてねぇ』
「やれやれ……マイスターとしての奴のことをあれだけ買っていたのはどこの誰なんだか」
『腕は認めてたさ、それに服のセンスだけはね……
でもそれ以外は駄目さね、生理的に受け付けない。
なによりもあの男は服以外のすべてのセンスがぶっ飛んじまってんのさ!』
「はは……相変わらず手厳しいなルン。
しかしこの街であの男のことをあまり悪く言うもんじゃないぞ?」
『あぁそうだろうさね、なんせここの住人はあんな嫌悪の塊みたいなものを許しちまう程あの男のことを愛してる』
「ふふ……それは確かにな」
『な~にがクレハ・ザ・ビューティーだよ!言ってて恥かしくないのかねぇ?』
「おいおい、ルン。ワシもここの住人なんだぞ?」
『っとと、すまないすまない。
……ねぇジョジさん、それはそうとそろそろ顔くらい見せとくれよ』
陽気な様子で会話を繰り広げていた二人だったが声の主のその言葉を聞いたジョージは不意に独白する。それは彼が僅かばかりの覚悟を決めるための時間だった。
不思議そうに小首を傾げジョージの返事を待つ声の主。ジョージはそんな声の主にゆっくりと振り返ると命一杯の優しさを瞳に宿らせながら微笑みかけた。
「やぁルン。互いに顔を見るのは三十年ぶりか」
───カチャリ。
ジョージのその顔を見た声の主は、僅かに驚いた顔を見せると無意識に自身の腰に帯剣していた剣の一本を隠す様にして手の平で奥へと追いやった。
『そぉ……だね。そうか、そうだねジョジさん』
「……そうか、そうだったな」
声の主のそんな姿を見たジョージは僅かに目を見開くと少し頷き、そしてまた声の主に優しく微笑みかけた。
それからしばらく二人は互いに共にしなかった時間のことを語り合い、そしてどちらともなく別れを切り出した。
『ジョジさん、また会えて良かったよ。
……うん、そしてあの子をあなたに託したのは正解だった』
「ありがとう、ルン
ワシこそ君に出会えて本当に良かった」
『〝また〟会いに来るから……』
「そうだな……」
『アタイはもう行くよ。じゃね♪
別れは颯爽と~♪でないと後ろ髪を引かれちまうのさ~♪』
そう言い残すと声の主は足早に〝ルイオアゲイル〟の扉を開く。そして振り返ることなく手をひらひらさせると、ゆっくりとその後姿を闇へと溶かしていった。
ジョージは彼女のそんな後ろ姿に深々と頭を下げると、数多の客に告げてきた一言をゆっくりとしかし、はっきりと言い放った。
「ありがとうございました」
◇
ジョージの店〝ルイオアゲイル〟を後にした先程の声の主は、周囲の人の目も顧みず苛立った様子でガリガリと自身の頭を掻き回していた。
『まったく!なにが〝現にジョジさんもそうなってる〟だよ!アタイも耄碌したもんさね!』
叫ぶようにしてそう言い放った彼女の瞳は涙に濡れていた。
『あの人は誰だい!?そうさ!ジョージ・カユラハだよ!!
あの人が!!!……あの人が誇りを見失うはずなんて……ないさね…うぅ』
ぐすぐすと鼻をすすりながら彼女が思い出していたのは先程のジョージの優しい瞳だった。
『が……がおをみででば、ばでどぅどおぼっだんだどおお』
(訳:顔を見せれば、ばれると思ったんだろ。と言っているらしい)
◇
彼女が店の目と鼻の先で泣き叫んでいるその頃、先程中断された一服を再開したジョージはもくもくと天井を曇らせるスクリーン越しに、又しても額に飾られている鞘に視線を向けていた。
「まったく……ルンよ、相変わらず君は風さながらに掴みどころがないわい」
防音魔法が施されている店内である。まさか先程、颯爽と去っていった彼女が目と鼻の先で泣き叫んでいるとは思いもよらずジョージはそんなことを呟いていた。
ゆっくりと晴れていく天井をぼーっと横目で眺めながらジョージは思考を巡らせた。
先程は努めて気付かないフリを演じてはみたものの、彼の思考は望まずともその事へと辿りついてしまう。
それは一振りの剣だった。
───〝ルン〟
彼がそう呼んだ声の主が、無意識に彼から遠ざけるようにして見せた一振りの剣。視界に捉えたのは一瞬の事ではあったが、その一瞬が彼のマーケッターとしての〝血〟を大いに奮わせた。
「……なぁルン」
ジョージは額に飾られた鞘を彼女に見立てて語りかける。
「さっきワシから隠した剣は……あの子を越えていたんじゃないのかい?
なぁルン……それを本当はワシに託しに来てくれたんじゃないのかい?」
◇
ジョージが鞘に語りかけ始めたその頃、最後に大きく鼻をすすった彼女はようやく落ち着きを取り戻し、大きく天を仰いでいた。
彼女の視線の先には月が一つ。彼女は月に優しく手を伸ばすと、手の平で底をすくうようにしてそっと撫で上げた。
『ねぇジョジさん』
彼女は月をジョージに見立てて語りかける。
今のこの時、二人にとって鞘と月は他ならぬ本人同士であった。
『隠し事をしたのはお互い様さね
あなたは今もアタイが認めたマーケッターのままさね』
「ワシはあの子を望まぬ形で手放した」
『違う。あなたは手放さざるを得なかった。
でもそれが何だって言うのさ?ジョジさんはこの子を見て奮えてくれた』
「あぁ……血が騒いだよ。ルン、君は最期にとんでもないものを見せてくれた
正直、悔しい。ワシはその子を取り扱ってみたかった。心底そう思ってしまったよ」
『ありがとう。ジョジさん』
「でもワシには時間が無い……あの子の担い手になれる者すら現れなかったんだ……
その子の担い手を見つけることなど……」
『あぁそうさね……アタイはただ……それが哀しいのさ
アタイはジョジさんが認めた者しか認めない……だからこの子は……』
◆
「ありゃ?なぁエレシ、なんか店の前で空見てぶつぶつ言ってる人がいるんだが」
「まぁまぁ♪」
「こちらに何かしてくるようならば私が切り伏せると思いなさい」
「ルブランはいつもそればかりだわ」
「……ぉぃ、馬鹿どこへいく(ぼそっ)」
「シア、俺、お前になんか悪いことしましたかね!?」
「あら?シアちゃんがどうかしましたか?」
「〝何も〟ありませんわ♪お姉様♪」
「ふふ、いつも可愛いですよ♪シアちゃんも♪」
「ありがとうございますお姉様♪」
「こ、こいつああああああ!!」
「あら?ポレフ、どこへ行くのですか?」
「ちょっと待ってて姉ちゃん!俺、あの人に用事がある!」
そう言い残すとポレフは定臣が首を傾げていたその人物に向って駆け出していった。
「なぁ!そこのあんた!」
『なんだい?人が感傷に浸っているってのにさ』
これがポレフと〝ルン〟こと伝説のマイスター〝ルクセン・パロエ〟との出会いだった。