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神様機構     ~悠久なる歯車~  作者: 太郎ぽん太
ラナクロア
28/57

エドラルザ I



 ■




 ◇




 カルケイオスを出立したロイエル・サーバトミンとルブラン・メルクロワの二人は、カルケイオスの西部に位置する〝シラトト森〟を南側から迂回し、エドラルザを目指していた。

 カルケイオスからエドラルザに向かう際、最短距離をとるには必ず〝シラトト森〟を通過する必要がある。

 〝ミレイナの窯〟が破壊されるという緊急事態が発生し、先を急ぐはずのルブランがこの〝シラトト森〟を避けたのにはもちろん理由があった。


「〝セキオスの間の化け物〟さんでもあいつの相手は遠慮したいんだ?」


 右手に見える〝シラトト森〟を眺めながらそう呟いたのはロイエル・サーバトミンだった。


「結果として迂回ルートを選んだ方が、短時間でエドラルザに辿りつけると思いなさい」


「ふ~ん、噂でしか聞いたことなかったんだけど……相当面倒なのね?」


「騎士団の入団試験であの森で一週間過ごすというものがあるのだが……」


「うん」


「結果として私と同期の者は騎士団には存在しない

 ───もっとも、あまりに入団者が選別されすぎるため、

 私以降の入団試験では廃止された項目なのだが」


「うへぇ……そりゃそれだけ残らないんじゃ騎士団潰れちゃうもんね……」


「騎士団はニー様がいらっしゃる限り、結果として決して潰れないと理解しなさい」


「ふ~ん」


「?……言いたい事があるなら言いなさい」


「ん~、ルブランって一途だなぁ~って」


「なっ!?き、ききき貴様!それが今から死刑になる者の態度かっ!?」


「あはは、いいじゃん~、まだルブランと二人きりなんだし」


 死刑囚と護送の任に就く騎士。二人のそれぞれの立場からは到底ありえない、なんとも陽気な雰囲気のまま二人は順調にエドラルザへの歩みを進めていく。


 実のところこの二人の関係は、単なる部外者とカルケイオス民のそれに留まってはいなかった。

 

 ルブラン・メルクロワがミレイナ・ルイファスに認められる以前、ルブランの食料に毒を忍ばせ暗殺しようとしたやり方に異を唱え、食料を分け与え続けた者が一人だけ存在した。

 それがロイエル・サーバトミンである。

 もちろんルブランとしては、そんな手心など必要無かったのだが、ロイエルの純粋な良心から施されたその行為を嬉しく思う気持ちもあり、少しずつロイエルのことを受け入れていった。


 とはいえ、当時のルブランの状況ではすぐにロイエルのことを信用できるはずもなく、ロイエルの手から食料を受け取る様になるまでには、二人の間で様々なやり取りが交わされることとなった。

 その過程で得られた二人の信頼関係は並々ならぬものがあった。


 公には口に出来ないものの、ロイエルはルブランのことを友と呼び、ルブランはロイエルのことを照れからか、やはり貴様と呼んではいたものの、ロイエルから友と呼ばれることにはまんざらでもない様子であった。


 そういった経緯があり、多少のことには目を瞑ったルブランであったが、法の番人である彼女に公私混同は許されない。許されるぎりぎりの範囲までロイエルの意思を尊重したものの、この先に待ち受ける彼女の死を覆すことは出来そうにはなかった。


 だからこそルブランはロイエルの陽気な雰囲気に、不慣れながらも付き合っている。


 小さな友への最後の手向けとして───


 正午から夕方に時刻が向かう頃、ロイエルはルブランに改まると、先を急ぎたい旨を知らせた。


「む?理由を言いなさい」


「ん、そろそろ空間断絶の効果がきれるのよ……

 たぶん、来るよ。サダオミが」


 ここで行く手を阻まれて自分が死刑にならなければ、他の当番の証言から罪がキカにいく恐れがある、とロイエルはルブランに告げる。

 サダオミの名に一瞬、顔を顰め、迎え撃ちたい衝動に駆られたルブランであったが、ここはロイエルの意思を汲もうとその歩みを早めるのだった。


 カルケイオスからエドラルザに辿りつくまでに要する時間はおおよそ二日。夜通し移動魔法を行使し続けたとしても、二人が到着するのは明日の夕刻過ぎになりそうだった。


「ねぇルブラン」


「用件を言いなさい」


「シラトト森のあいつ、今のルブランならすぐに倒せる?」


 恐らくサダオミは真っ直ぐ西に進み、エドラルザを目指す。彼女の移動速度を考慮するならば、どうあっても道中で追いつかれてしまうことは容易に想像出来た。


 だからこそロイエルはルブランにそう質問したのだった。〝シラトト森〟の主がどの程度の時間、サダオミを足止めできるのかと。


「討伐に一日は要すると思いなさい」


「そっか、それなら……」


 予め敵の手口を知っているルブランでも一日かかるのだ。初めて対峙するサダオミならば、それなりに苦戦するだろうとロイエルは安堵した。もちろんそれはサダオミが負けるわけがないと、確信した上でのことだったわけだが。


 


 ◆




 城壁に右手を添えて、ひたすら西に走れば迷うことなくエドラルザに辿り着くはずだ。怒りに身を任せながらも、それくらいは考えられる程には冷静だったらしい。


 もっとも───


「エドラルザごらあああああああああああ!!!!」


 カルケイオス西部、城壁付近を疾風が駆け抜けて行く。背後に過ぎ去って行く空気が身体の熱を冷ますには、もうしばらくの時間が必要そうだった。


 数時間後───


 個人の状況などお構い無しに、時間と共に日は落ちて行く。その日もやはり当然のごとく夜の闇は世界を侵食し、眼球の働きを曖昧にしていった。


 闇は緑の不気味さを増長し、夜と共にどこからともなく聞こえ始めた獣の声と相まって、森はなかなかに不気味さを増して行く。


 シラトト森───


 ルブラン・メルクロワが避けたその森には、主と呼ばれる魔獣の亜種が存在していた。

 狼の様な外見に身の丈十mを越えるであろう体躯を持ち、二mを越える五本二対の爪はその性質が極めて残虐であることを示していた。


 今宵の主は虫の居所が悪いらしく、徘徊する足取りの先に運悪く、居合わせた生物はことごとくその命を狩り獲られていた。


 雑音がする───


 我が縄張りであるこのシラトト森に、招かれざる客が存在している。

 それが今宵の主がより一層、残虐性を際立たせている原因だった。


 息を潜め、我を恐れおどおどしている存在。それが彼にとっての人間というものだった。

 あくまで己は捕食者である。獲物は恐怖に慄き、最後の瞬間まで顔を引きつらせていればいい。

 

 だというのに───


「なにが森じゃごらああああああああああああああ!!」


 不愉快な雑音が森に木霊する。


 ザシュザシュと草木を踏み締め、獲物との距離を詰めて行く。人間としては極めて異例な移動速度を有してはいるものの、獣である自分のそれはそれを遥かに凌駕する。


 彼はシラトト森の覇者である。故に縄張りであり狩場でもあるこのシラトト森のことは知り尽くしている。

 

 獲物の進路の先、絶好のポイントで何も知らずこちらに向かってくる獲物を待ち受け、絶妙なタイミングでその爪をもって切り裂く。

 不愉快な思いをさせてくれたこの侵入者には、それなりの報いを受けてもらわねばならない。死に行く最後の瞬間まで、悲鳴を上げ地べたをのたうちまわらせてやろうと、彼は爪を研いでその瞬間を待ち侘びていた。


 そして───


「ガウッ!」


 短い咆哮と共に、残像を残す程の勢いで巨獣が侵入者に飛びかかる。獣特有のバネの様な飛び出しは、あらゆる生物の知覚を凌駕し、蹂躙するだけの瞬発力を秘めていた。


 しかし───


「ああああ!!!ああぁぁぁぁぁ……───」


 何が起こったのか理解出来なかったのは彼の方だった。

 絶妙なタイミングで獲物の身体を捕らえたであろう爪は空回りし、地面に彼が着地した時には獲物は進行方向のままに彼の遥か後方に過ぎ去っていた。


 自らの予測スピードを、獲物が遥かに凌駕していたことに気がつくと、彼は屈辱から湧き上がる怒りに身を任せ、即座に知り尽くした森を先回りし、再び獲物の前に立ちはだかった。


 もはや彼に慢心は存在しない。手心を加えるつもりなど毛頭もない。

 不愉快なこの侵入者を一刻も早く排除せねばと、向かい来る獲物に向けてその爪を振り下ろした。


「ガウ……ゥ?」


「ぁぁぁぁ……───」


 捕らえられない───声はその場に姿は遥か後方に。

 またしてもその不可解な現象に彼は見舞われることとなった。


 思わずあんぐりと口を開いた彼の姿は、もはやシラトト森の覇者が持つそれには到底見えなかった。

 

 風に靡かれ、カサカサと鳴る森の草木が自分を嘲笑っているかの様に錯覚させられる。

 たかが人間に獣王としての誇りを傷つけられた。本能の奥底から湧き上がる怒りは並大抵のものではない。


 尊厳を取り戻さねばならない。彼は独り決意する。

 この瞬間、狩りは討伐と名を変えた。


「ガ……ぇ?」

「お前さっきから邪魔なんだよおおおおお!!!!」


 バキッ───


 決意を新たに、再び侵入者に襲いかかるため、先回りしようとした矢先の出来事だった。

 振り返り様に彼を打ち抜いたのは侵入者からの一撃。まさしく目にも留まらぬ速度で打ち込まれた一撃は、獣王である彼の意識を刈り取るには充分な威力を孕んでいた。


「なんかこいつ今、普通に喋った気がするんだが……」


 慣れとは恐ろしいもので、すでに聖獣マノフとの戦闘を経験している定臣にとって、主の規格外であるこの体躯は特に気にならない程度のものとなっていた。


「まぁいいや───すぅ~……エドラルザごらあああああああああ!!」


 そうしてラナクロア暦635年、水の月三の氷の日は終わりを告げていった。

 翌日、土の日。勇者になるための第二の課題が発表されるその日に、物語はようやくしてエドラルザに集結するのだった。




 ◇



 

 ラナクロア暦635年、水の月三の土の日。

 この日の正午過ぎ、王から直々に課題が発表されるとして候補者達、つまるところのラナクロア主人公、ポレフ・レイヴァルヴァン達とオルティス・クライシス達の二組は、然るべきその時を待つべくして謁見の間に集められていた。




 ◇




「これは失念していました」


 左手を頭に添え、若干の悲しみ成分を含有した声色でそう呟いたのはオルティス・クライシスだった。


「いや~、まいったねぇ……さすがに御前でこれはま~ずいぞぉエレシちゃん」


 続いて事態の困窮さを訴え出たのは真っ赤な服のもみあげのその人、クレハ・ラナトスだ。


「しかし……」


 二人の視線の矛先に気がついたエレシ・レイヴァルヴァンは表情を曇らせながら、一呼吸おくと哀しみに精彩を欠いた黄金と翡翠の瞳にすぐさま色を取り戻し、恍惚とした表情になり……


「こんなに可愛らしい寝顔なんですもの♪起こせるはずもありません♪」


 そう高らかに宣言した。


 そう、ラナクロアの主人公であるポレフ・レイヴァルヴァンは現在ご就寝中。姉であるエレシの背にしっかりと背負われたままの姿で、この謁見の間までやって来たのだ。


 そんな三人+一人の背後では、事態を把握しきれていないシアとセナキの双子の二人が

『あれはどういうことなの?姉さま』

『さぁ、知らない』

 などと会話を繰り広げていた。 

  

 そんな各自の事情などお構いなしに、時と事態は無情にも経過して行く。

 玉座の正面、ポレフ達の背後に位置する大扉が仰々しく呻き声を上げながらゆっくりと開かれる。

続いてその大扉から姿を現したのは騎士団長、ドナポス・ニーゼルフだった。


「おほんっ!静粛に……うむ、まぁなんだその……エレシ殿、今日も美しいですな」

「ドナポス様っそうじゃなくてですねっ」


 お付の騎士に先を促されたドナポスは渋々と真顔を作ると仕切り直し、厳粛な雰囲気を纏って宣言した。


「王の御出座であるっ!」

 

 ───エドラルザ・ゾルネバッハ・ドリヒルデ十四世。

 世襲制であるエドラルザ王国に現在君臨している王の名である。

 代々、魔族に苦しめられてきた人類であったが彼の代に完成させられた城壁により、未来を望める程には希望を見出すことが出来る様になっていた。

 それに加え、特産品制度の確立や城壁外の町への騎士団の常駐等、民草にわかりやすい形で成果を挙げてきた彼の評価は『善王である』というものが大多数を占めていた。

 

 しかしながらその実、彼が行ってきた政治というものは極めて〝維持〟することだけに特化したものであった。

 悪く言えば世紀の大天才、ミレイナ・ルイファスが創り出した城壁を我が物にし、それを〝維持〟するためだけに様々な法や軍力を投与していっただけなのである。

 そして〝維持〟するために彼が必要と判断した法には極めて死が付き纏う。それは長いエドラルザの歴史の中で育まれてきた帝王学の賜物であった。


 ───人を支配するには暴力が最も成果を挙げる。


 死とは最大の暴力である。それを絶対的な権力のもとに振りかざす。

 それこそが彼の。エドラルザのやり方であった。


 その絶対権力者の御前で惰眠を貪ること。即ちそれは死に直結する行為である。

 ラナクロアの常識で考えるならば、そうなることこそが妥当であるはずのこの事態に、ラナクロア人の一同は固唾を飲んで二人の様子を見守った。

そんな周囲の様子などお構いなしに、当事者の一人であるエレシ・レイヴァルヴァンはにこにこと優しい笑みを携えて、背中の弟の寝顔を眺めていた。


 王の御出座しの際だけに用いられる特殊な魔伝音が謁見の間に響き渡る。

 それを確認すると一同は臣下の礼をとるべく床に膝まづいた。

 

 そしていよいよとして、姿を現したエドラルザ・ゾルネバッハ・ドリヒルデ十四世は、周囲に威厳を漂わせながら徐に玉座に着いた。


「面を上げよ。……うむ、まず確認する。

今ここにいる者は候補者オルティス・クライシス、候補者ポレフ・レイヴァルヴァン両名の付き人で間違いないか」


『はっ』


 小気味良い返事が謁見の間に木霊する。それを確認すると王は更に問いを口にした。


「セナキ・タダノ、シア・ナイ両名。お前達には候補者になる資格があるが、辞退で間違いないか」


「は~い♪」

「はい……」


 ちなみにこの双子の苗字であるが。

 苗字を尋ねたポレフに対してシアが頑なに


『ない……しつこい死ねクズ』


 と繰り返した事でそのままそれが苗字になっていたりする。

 片やオルティス側のセナキも似たような理由からタダノ等という苗字になっていた。



「うむ、認めよう。では早速ではあるが───」


 眠り続けるポレフのことには一切触れず、王が第二の課題を発表しようとしたその時のことだった。


 ───バンッ!


 謁見の間の大扉がけたたましく開かれ、その勢いのままに大音響を奏でた。


「何事かっ!御前であるぞっ!」

「賊です!」

 

 控えていた騎士がお決まりの台詞を口にしたのと、駆け込んできた騎士がそう告げたのはほぼ同時のことであった。




 ◇




 ───予定より少し早い気がしますね。


 駆け込んできた騎士を傍目に、片膝を地についたままそう思案していたのはオルティス・クライシスだった。騒然とするこの場において、端整なその顔には場に似つかわしくない笑みが浮かべられている。


『ふむ、警備兵をすべて下がらせよ。その賊、抗うだけ無駄である』


 落ち着きを払った様子で王がそう告げた。

 王のその言葉こそがオルティス自身が描いた謀が、いよいよ終局に突入したことを告げる合図だった。



 ───僕は勇者になります。


 実のところ、裏で描かれていた謀略の内容は事前にすべてエドラルザ王には知らせてあったのだ。


 故に王は理解している。激怒のままにこのエドラルザに赴いた者の正体を───


 ふふ、さすがのエドラルザ王もあの方相手ではたじたじですね。

 

 しかしながら今、この場での彼女の乱入には目を瞑って頂く他にはありません。彼女の加入無くして、エドラルザの未来を照らし出す勇者PTの完成は有り得ないのだから……


 ───ミレイナ・ルイファス。


 僕はどうしてこうまでして彼女を必要としているのだろうか。

 もちろん職業『影の支配者』であった自分が、権謀術数の数々を用いることは日常茶飯事だった。


 とはいえ、そこにオーネを近づける様な真似は決してしなかった。


 彼女には幸せになる権利がある。理不尽に耐え、それでも生き抜いた先でようやく辿り着いた心落ち着ける場所。彼女にとっての僕はそうでありたかった……


 その想いを凌駕する程に僕はミレイナを必要としている。本能の奥底からそう訴えかけられる様な奇妙な感覚さえ覚えている。


 ───『渇望』


 不意にそんな単語が思い浮かんだ。


「ふぅ……」


 思わず溜息が出た。それに気がついたクレハが隣から軽く目配せを送ってきた。


「大丈夫です」


 気遣ってくれる友に軽くそう返答する。それで決意が固まった。

 

 過去のことを悔いても仕方が無い。オーネは怪我を負いながらも今のこの舞台を整えてくれたのだ。ならば自分はそのお膳立てを無駄にしないようにしなければならない。


『してオルティスよ。問題は無いのだな?』


 王の声が謁見の間に響く。その声色はいつもの威厳に満ち溢れたものではなく、どこか恐怖を孕んでいる様に聞こえた。


「滞りなく」


 その不安を払拭すべく、短く返答する。


 さて───


 そろそろ準備をしなくてはならない。ここまでの彼女の進行速度は自分の予想を遥かに上回るものだった。ならばすぐにでもこの謁見の間に姿を現すことだろう。


 自分は彼女をどんな表情で迎えるべきだろうか。数秒の間に様々なパターンを思考してみる。

 

 ───男は背中で語るものだぜぇ!


 不意に隣に控える友の言葉が思い浮かんだ。


 ───ふむ


 クレハの人を惹きつける奇妙な魅力には目を見張るものがある。ならばここはその男の言にのってみるのも悪くはない。


 自身の中でそう判断を下すと、すくと立ち上がった。


 扉が開かれるタイミングで軽くマントを翻し、背中をアピールしつつ流し目で迎えよう。そんなことを考えつつ、背中を飾っている純白のマントに視線を落とす。


 この日のために、マントを新調してくれたクレハには後でお礼を言っておかなければ。


 耳を澄ませば、遠巻きに回廊を駆けている音が聞こえてき始めた。


 そろそろか。マントを翻すべく、左手で内側を少し寄せ右肩にすっと添えた。セナキが不思議そうな視線を送ってきたりもしているけれど、今は気にしないことにする。演出というものはなかなかに大事なものなのだ。


 目を瞑りタイミングを計る。


 ───5


 ───4


 にしても早いですね……


 ───2


 ───1


 ───バン!


 今だ!


 扉の音とほぼ同時に、謁見の間にマントを翻す音が響く。


「ようこそ、エドラr」

『エドラルザごらあああああああ!!!』

 ───グシャ!

 

 次の瞬間、用意していた口上と共にゆっくりと振り返ったオルティスの背中を美女の咆哮と木製の靴裏が襲った。


 天使、川篠定臣の到着である。




 ◇


 


 勢いのままに飛び込んだ大扉の先には、謁見の間と思しき空間が広がっていた。

 それを証明するがごとく、正面の玉座には白髪白髭に偉そうな王冠を被っている見るからに王様な風貌の男が鎮座し、その正面、つまるところの自分とその男の間には左右に綺麗に分かれる形で片膝をついた者達が控えていた。


 飛び込んでから数秒。広間は耳鳴りが聞こえてくる程の静寂に包まれていた。 

 

 ……あれ?なんか妙に静かなんだけど

 

 目的地に無事に到着した安堵感と夜通し全力疾走した疲労が相まって、ここにきてさすがに冷静さを取り戻した定臣は、思わず周囲を見回しながらそんな事を思った。

 

 よく見れば王の御前に控える者達の中には見知った顔がいくつかある。


 というかポレフまた寝てるよ……あっ、エレシが手振ってる。


 思わず手を振り返そうかと思った矢先、真っ赤な服のもみあげのその人の視線が妙に気になった。

 クレハ・ラナトスのその瞳は慈しみに彩られている。


 あ~……


 なんだ……


 なんというかあれは……


 あの目は知っている。広間の静寂と相まって記憶はより鮮明に思い出された。


 それは学生時代のこと。

 授業の際ついうっかりと先生のことを『お母さん』と呼んでしまった時に教室を包み込んだ静寂。そしてその際に自分に向けられた友達の瞳に携えられていた色と酷似していた。


 となると次にくるのは……爆笑か?などと相変わらずに場違いなことを考えつつも、あの時の恥かしさを思い出しつつ頭を掻いていると突然、足元の床が隆起した。

  



 ◇




 計算外でした。まさかいきなり足蹴にされるとは……


 激怒の登場を演出するにはそれも有りか。そう自分の中で軌道修正する。


 それにしても今の僕の姿はかなり惨めな姿なのでしょうね……


 すべての民の注目の的。誰しもに尊敬され常に光輝く存在。今日より勇者に着任する自分は他者からはそう見えなくてはならない。


 その自分が不意打ちとはいえ、背中を踏まれた状態のまま地面に平伏している等もっての外である。


 なんとも言えない感情にほだされて左手がプルプルと震えている。肘をついてそれを制しながらゆっくりと頭に添え、この後にどう挽回しようかと思案する。


 それにしても、いつになったらその足をどけてくれるのでしょうか……

 

 いっそのこと力技で吹き飛ばして立ち上がろうとも思いはしたものの、どうもそれは自身の美的感覚が許してくれそうにもなかった。


 平常心に笑顔を装備する。


 まずはゆっくりと立ち上がり、背中の埃を払おうではないか。

 そして次に先程遮られた口上の続きを述べよう。

 何事も無かったかの様に。

 違和感無く。

 周囲の人間が先程起こった出来事の方こそが、何かの間違いであったと錯覚する程の態度をもってして。


 心の中でそう決意し、ゆっくりと立ち上がる。もちろん踏まれていることを感じさせないため、笑顔のまま足には万力を込め、自然な動作に見せる演出を心がけるのは忘れない。


 結果として僕を足蹴にした犯人は前のめりにバランスを崩し、慌ててこちらを振り返ってきた。僕はそれを感覚で確認しながら目を瞑り、左拳をぎゅっと握った。


 本当に───ここまでが長かった。


 ミレイナ・ルイファスを口説き始めて三年。ようやく目処がたったのが数週間前のこと。

 長くかかった分、ここからは一切立ち止まりはしない。


 そう、ここからが僕の勇者としての覇道の始まり。

 

 そして───


 ここ、こそが最初にして最大の難関。


 さぁ、ミレイナさん勝負です。


 心の中でそう宣言する。

 

 燃える赤髪の小覇王と対峙すべく頭を上げる。


 そして僕は力強く目を開いた。





「………………だれぇぇぇぇええええ」


 瞳に力を宿らせて頭を上げたオルティスを迎えたのは、燃える様な赤髪の小覇王ではなく、風で編まれた様なブロンド髪を携えた絶世の美女だった。




 ◆




 床だと思ったら人だった。どうやら俺はこの人を足蹴にしていたらしい。

 これは悪いことをしたと謝ろうとした矢先にその出来事は起こった。


「………………だれぇぇぇぇええええ」

 

 これが俗に言う『がっかり美男子』というやつか。若干、造語な気もするがここは気にしないでいこう。ともあれ、男の俺から見ても端整な顔立ちをしていたその人は、絶叫と共に見るも無残な変顔に変貌した。


「ぇ~……と?」


 変声をもって迎撃する。なんとなしに対抗心を燃やして変な声を出してみたものの……


「うははは!無理っ!なにその顔っ!うははは!」


 あっさりと笑わされてしまった。


 それからしばらくの間、謁見の間に場違いすぎる定臣の笑い声が木霊した。

 その間、元凶となったオルティスはおろおろと『わ、笑わないでくださいっ』やら『あなたは一体、誰なのですか!?』などと珍しく取り乱しながらも定臣の笑いを止めさせようと懸命に努力したりもしていたが、オルティスに声をかけられる度に先程の変顔がフラッシュバックし、思い出し笑いが止まらない定臣にとっては全くの逆効果であった。


『おほんっ!……静粛に』


 すっかりと厳粛な場の雰囲気がしらけきった頃、ようやく謁見の間にドナポス・ニーゼルフの野太い声が響き渡った。


 一見、遅すぎるそのタイミングであったが、ことオルティス・クライシスが冷静さを取り戻してからという意味合いにおいては、ドナポスのその一喝は絶妙なタイミングであったと言える。


『して……オルティスよ』


 一喝から数秒、静まった謁見の間を一頻り見回し、重々しく口を開いたのはエドラルザ王だった。その声にようやくその存在を思い出し、定臣が声の方へ振り返ったのとそれが起こったのはほぼ同時の出来事であった。


「問題ないで……」


 オルティスの声が背後から聞こえる。


『問題ないです』

 

 恐らくはそう言おうとしたのだろう。しかしその言葉は最後まで音を紡がれることなく───



 ───ガシャン!



 再び叫び声を上げた大扉によって掻き消された。

 

 空気が強震する。大音響と共に圧倒的な力で吹き飛ばされた大扉は、ただの物体と化してそのままの物量でオルティスの背中を巻き込み、定臣越しで王へ向かって一直線に侵攻して行く。


 それを半身を捻り咄嗟に回避した定臣は、尻餅をついたままの姿で事の経過をあっけにとられたまま見送った。


 視線の先、大扉だった物越しに玉座が粉砕する。

 続け様に砕け散った大扉の破片と玉座の背後で崩れ落ちた内壁が混じり、一瞬にして埃がたちこめ視界を奪っていく。 


 急展開した事態が、その場に居合わせた者達の意識を置き去りにしていったその最中。


『馬鹿者っ!未然に阻止出来ずになにが親衛隊であるかっ!』


 騎士団長、ドナポス・ニーゼルフの怒号が響いた。

 その怒号に払われる様にして砂埃が徐々に集束していく。その砂埃の中から両手を顔の前で交差させた姿でドナポスが現れた。それに驚いた一同は、先程までドナポスが控えていた玉座の遥か左脇に各々に視線を送った。


 するとそこには───


「お見事です」


 先程、大扉と共に吹き飛ばされたはずのオルティス・クライシスが朗らかな笑みを携え、そう口ずさみながら佇んでいた。


 襲いくる王への脅威を取り除きつつ、被害者であるオルティスをも救ってみせる。


 エドラルザの盾、鉄壁のドナポス。その二つ名が伊達では無いことを身をもって証明してみせたその人は交差させた腕を解くと、謁見の間の入り口、先程まで大扉があったその場所を見やり、更なる大声と共に王を襲った犯人の名を口にした。


『ミレイナ・ルイファス!これは一体どういうことだっ!』


 

 


 

  

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