表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様機構     ~悠久なる歯車~  作者: 太郎ぽん太
ラナクロア
26/57

カルケイオス V

 ■




 ───翌朝。


 ラナクロア暦635年、水の月三の氷の日。


 ロイエル・サーバトミン宅で一夜を明かした定臣は、その日の早朝から広すぎる庭を借り受け、剣の鍛錬に励んでいた。

 そんな定臣の背後、ロイエル・サーバトミン宅の中では今もチビッ子暴走特急が一人眠っている。


 日付が変わってから今朝方までに起きた事件のことなど、二人は知る由もなかった。




 ◆




「ふぅ」


 一通りの鍛錬を済ませた定臣は、手で汗を拭うと大きく伸びをし、今日も快晴で朝を迎えた空に挨拶をする。  

 

「ん~、いい天気だねぇ……ったく、こんないい天気なのにいつまで寝てんだよ

 ───あのチンチクリンは~」

 

 背後の屋敷に目を見やりそう呟く。ふとそこに慌てた様子で、屋敷に駆け込んでいく少年の姿が目にとまった。


「待った少年!」


 十数メートルの距離を瞬時に移動して少年の頭を背後から、むんずと掴む。

 突然、現れた謎の手に頭を鷲掴まれた少年の顔は、明らかに驚きに染まっていた。


 その姿に思わず透哩に出会った時のことを思い出した。

 

 とはいえキカからの依頼のこともある。昨晩は何事も無くロイエの護衛を無事に果たした。しかしキカの言う〝異質な魔力〟などというものは魔法の類を使えない自分には一切感知出来ない。


 それならば、ロイエに近づくものすべてを排除するほかにないと、気を張り詰めていたところへの来訪である。少々荒っぽい引き止めには、寛大な心を持って頂けるとありがたい。


「ということで許せ。少年」


 少年は『なにが!?』などと驚きつっこみを披露してくれたりもしたが、今はそれよりも重要な用件があってここに来たと、焦り気味の声色で事情を説明してくれた。


「このままだとキカが死刑になるんだよ!!」


 まてまて。この少年はなんと言った?


 〝キカガシケイニナル〟


 キカ?俺の妹の?


「なんでやねん!」

 

 思わず関西弁でつっこんだ。


 焦りながら、そして何故か照れながらもじもじと詳細説明をする少年。その少年の説明は定臣にとってなかなか要領を得ないものだった。


 少年からしてみれば正に時の人〝サダオミ・カワシノ〟とのまさかの邂逅である。しかも話すなりその美顔に吐息がかかる程の距離まで引き寄せられ、延々と詳細説明を求められたのだ。

 

 それでも事態が事態だけにと顔に朱を走られながらも、懸命に説明を繰り返したこの少年を誰が責められようか。


「だぁ~!もうっ!何言ってんのかわかんねぇ!」


 ここにいた。


 少年は知らない。目の前の美女にはカルケイオスの知識が絶対的に欠けていることを。少年にとっての不幸は、ロイエルを呼び出す前に定臣相手に『キカ』の名前を出してしまったことだった。


 それで所謂〝スイッチ〟が入ってしまった定臣に容赦は無い。理不尽にも〝戦力外通告〟を言い渡される少年。ロイエルに伝言を頼んだ後、去り行くその背中がやけに寂し気だったのは言うまでもない。




 ◇




「はぁ!?」


 文字のごとく跳び起きた。


 〝どうせ詳しいことなんて聞いても理解できてないんだろうし〟などと失礼なことを口走りながらロイエルは定臣の背中に跳び乗った。

 

 移動補助魔法の類を使うよりも、移動定臣を駆使した方が早い。

 いつも寝起きがスローリーなロイエル・サーバトミンだったが、事態が事態だけに脳の目覚めは一瞬だった。


 ロイエルは馬の手綱を握るがごとく、定臣の両サイドの長髪をむんずと掴むと即座にGOサインを出した。

 

 そこまでが起床から僅か十五秒の出来事だった。内心で〝お前はレスキュー隊員か〟などとつっこみつつも、ロイエルの指示のままに定臣は疾走する。

 

「そこの角!曲がって!」


「あいよ~」


「止まらなくていいから、この通りを駆け抜けて!」


「りょ~かい」


「あそこの看板の前!通れる?」


「ん、了解しましたよっと」

  

 人ごみを駆け抜けるのはお手の物だ。定臣はロイエルの期待通りの動きで人並みをするすると駆け抜け、要望通りに看板の前を通過した。


 気のせいか?今の看板に俺が映ってた気がするんだが……


 横目で見えた看板にそんな感想を抱いていると、不意にロイエルの手に力が込められたのを感じた。


 力が込められたのを感じ……


「痛い!痛いってロイエ!」


「ぁ……ごめん……」


 意気消沈とは正にこのことか。背中のチンチクリンは先程までの勢いもどこへやら、がっくしと額を定臣の首筋に埋め、ず~んと効果音でもつきそうな程に沈みきっていた。


「ん?どした~ロイエ」


「…………」


「ふむ」


 沈黙の司令塔。このまま適当に歩みを進めても、見当違いの方角に向かうかもしれないと、定臣は一旦足を止めることにするのだった。




 ◇



 

 このままだとキカが死刑になる。


 寝起きの僕に、サダオミが伝言として告げてきた内容はそれだった。

 彼女にラナクロアの知識があまり無いのは、出会ってからのやりとりで把握していた。だから彼女に尋ねるよりも、自分で直接確認した方が確実だとすぐに家を出た。


 魔示板を見れば今のキカの状況が把握できる。そう思ってサダオミに魔示板の前を通過してもらった。

 そこに表示されていたキカ・サミリアスの名と顔。それを囲む枠組みを見て僕は絶望した。

 真紅に黒のばってん模様。それが示すところは死刑確定の意。


 キカが死刑……


 意味がわからない。当番に出かけてなんで死刑になるの?


 授業で習い、知識の上でしか知らなかった死刑確定の枠組み。それを目の当たりにした今でも現実感が無い。その枠組みが親友であるキカ・サミリアスを囲んでいたのならそれは尚更だ。


 駄目だ……冷静にならないと……


 親友の死刑など受け入れるわけにはいかない。何かできることはないかと考えを巡らせる。

 

 当番は通常五人。なのに死刑になるのはキカ一人……

 当番に出かけたキカが死刑になるなら理由は〝ミレイナの窯〟に関することの他には思い当たらない。


 窯の維持失敗?それなら連帯責任で全員が死刑にならないとおかしい。でもそれ以外に死刑になる理由なんて思いつかない……


 わからない。わからない……けど


 伝言では〝このままだと〟ということだった。それならば───


「まだ死刑確定から時間が経ってないってことよね」




 ◇




「まだ死刑確定から時間が経ってないってことよね」


 背中のチンチクリンさんはその声と共に復活した。


「ちょっと降ろして、サダオミ」


 自分から乗っておいて大した口ぶりではあるが、意気消沈されたままよりは百倍はいい。


「はいよ~」


 軽く返事をしてロイエを降ろす。すると正面に回りこんだ一寸ロイエさんは、俺をぴっと指差し高らかに宣言した。


「い~い?サダオミ。今から作戦会議よ!」


 


 ◇




「止まりなさい!」


 で、俺達は〝セキオスの間〟まで来たわけだが……


 声の主に視線を送る。まず目についたのは肩にかけられた大戦斧。次に頬に流れる様に沿った濃い桃色の髪だった。かつて見たドナポス・ニーゼルフとお揃いの鎧に、鼻から上をすっぽりと隠すように被られた西洋風の甲冑を纏っているため、それ以上の容姿は確認できない。

 しかしながら鎧越しにも伺える女性らしいすらりとしたフォルムからは、とても肩にかけた大戦斧を扱えるようには見えなかった。


 ───ルブラン・メルクロワ。


 〝セキオスの間〟の化け物。〝法〟の番人。


 さてさて、その化け物さんと真っ向から対峙しているわけだが……

 

 ロイエの作戦……その内容を聞いた俺は、それを作戦と呼んでいいものかと思わず小一時間程問い正したくなった。




 ◇




「い~い?サダオミ。まず僕がルブランと話してみるから」


「ふむ」


「で、たぶん話、通じないから」


「ちょ!」


「あんたちょっと、僕の用事が終わるまでルブランのこと足止めしててよ」


「しててよと言われてもなぁ」




 ◇




 〝いいでしょ!あんた強いんだし!〟などと有無を言わさぬ様子のプチ暴君に、やれやれと肩を竦めてその無理難題を承諾したわけだが……


 恐らくは対決する破目になる化け物さんに再度、視線を送る。やはり一際目を引くのは肩にかけられた大戦斧だった。


 騎士と聞いていたがまさか巨大斧の使い手とはなぁ。てっきり剣に盾でも持ってるのかと思ってたなぁ


 心の中でぼんやりとぼやく。そんな俺をよそにロイエはルブランに話かけた。


「こんにちは、ルブラン」


「帰りなさい!ここは現在、立ち入り禁止です!」


「キカ・サミリアスに死刑確定のおふれが出ていたんだけど?」


「キカ・サミリアスは〝当番〟の際、暴挙に及び他の四名を魔術で攻撃。更にその後、〝ミレイナの窯〟にも攻撃を加え維持臨界点を突破させた容疑が確定している」


「何かの間違いでしょ。それ」


「私が目撃している」


 そこで何故かロイエが俺に目配せを送ってきた。


 待てロイエ、俺の目には話が出来てたように見えてたんだが……


「は・や・く!」


 まったくもってやれやれだ。


「へいへいっと」


 そして俺は大太刀『轟劉生』を抜刀した。

 



 ◇




 さてと───


 抜刀したまではいい。しかしその後が問題だ……

 

 眼前にはルブラン・メルクロワその人の姿。手に持つは大戦斧。全身鎧づくめの彼女のことを人は〝セキオスの間の化け物〟と呼ぶ。


「ふ~む」


 自らに与えられた任務を再確認する。

 ロイエは扉の向こう側に〝用事〟があると言った。そして出された指示はルブランの足止めをすること。


 恐らく、十秒も稼げばロイエを扉の向こう側へ通すくらいは出来る。しかし問題はその後だ。


「ロイエ、何分だ?」


「何が?」


「何がじゃなくてだな……何分稼げば〝用事〟ってのは終わる?」


「ん~……三十分くらいかなぁ」


 しんどいなそれ。


「なによ?出来ないの?」


「出来ると思ったから言ってるんだろ?」


「そぉいうこと!」


 その声を合図にロイエルは一目散に扉の方へと走りだす。

 それを制止しようとすぐさまにルブランが大斧を繰り出した。

 

 思わず連想したのは柳の様相。根である腕には怪力が込められている様子が伺えるものの、枝である斧自身は実に素早く、そしてしなやかに走り行く少女の背に迫っていた。


 ───ギャン!


 セキオスの間に鈍い剣戟が鳴り響く。

 少女の背を追跡した〝それ〟が柳ならば、〝それ〟を制止したのもやはり柳だった。

 化け物は自らの斧の舞が防がれたことに驚き、慌てて視線を背後の剣士へと向ける。

 そこには不敵な笑みを浮かべる定臣の姿があった。


「やっ、あんた強いね」


「軽く止めておいてよく言う」


 そんな定臣に対してルブランもニヤリと口元を吊り上げた。同時にその背後で鉄扉が開かれる。   

 ロイエルの背中が視界から消えると同時に、バタンと扉を閉ざす音が鳴り響く。慌てて力任せに閉ざされた鉄扉は、なかなかに五月蝿く耳障りな鳴き声を周囲に撒き散らかした。

 しかしながらその騒音は、定臣にとっては最初の難関を無事突破したことを告げる祝音だった。


 後を追跡されれば元も子もない。

 なんとかこちらに気を惹かせようと、定臣は手に持つ大太刀に気を走らせる。

 

「一応、正当防衛ということにしたい。貴様の方からかかってきなさい」


 どうやらその思惑は成功した様だった。しかしながら定臣の剣気は、ルブランの騎士としての食指を存分に動かしすぎた様である。

 定臣の方に向き直り、大戦斧を持ち直したルブランの瞳には、なみなみと闘気が満ち溢れていた。

 

 剣呑な殺気が空間を支配する。

 強者だけが放つ独特の緊張感が場に拮抗する。

 もはや枯葉一枚でも両者の間に舞うようなことがあれば、たちまちそれが戦闘開始の口火を切りそうな様相を呈していた。


 とはいえ、定臣の剣気をルブランがどう勘違いしようが、当の本人にはまったくもってやる気が無いのである。定臣は張り詰めた空気の中、なんとも陽気な雰囲気のまま口を開いた。


「や~だねっと」


 KYここに極まれり。ルブランの甲冑で隠された額にピシッと青筋が浮かんだ。


「貴様……何を言っている?その剣は何だ?戦いを愚弄するというのか?」


 荒ぶるルブラン。しかしながら定臣の当初の目的は達成されつつあった。

 出来ることならば戦闘は避けたい。手よりも、口を動かすことに時間を費やしてくれた方が好都合というものなのだ。


「聞いているのか!」


 その声に思わずにんまりと笑う。戦闘スタイルが似通う二人であったが、ルブランにとっての定臣は口喧嘩の相手としては最悪の部類だった。


 実直なルブランに対して口までが柳な定臣。ルブランから所謂、生粋のいじられキャラの片鱗を目聡くも見つけた定臣は、早くもいじめっ子モードに移行しつつあった。


「そう怒るなってルブルブ」


「誰がルブルブかっ!」


「いいじゃんルブルブ。可愛いし」


「き、貴様!早くかかってきなさい!」


「やだよ。俺、足止め委員の人だし」


「何ですか!それは!」


「ん、今考えた」


「くっ……」


 定臣の戯れ。彼の悪癖である〝それ〟が策の意味を成している。それに気がついたルブランは口を噤み、苛立ちに苛まれ始めていた自身を戒めた。


 なるほど確かに猛者である。簡単に翻弄されてはくれないようだ。

 定臣は内心でぽりぽりと頭を掻いた。


「公務執行妨害だ」


「あらら、新たな罪状追加かな?」


 もう口もきいてくれないか。


 ───ザッ


 縦一閃。様子見するつもりもないといった勢いで、定臣の前髪を巨斧がかすめた。

 半歩下がりそれを回避した定臣に、今度は返し手のままに横一閃の一撃が襲いかかる。


 凡人であったならば、斬られたことにすら理解できないであろう十字斬。それを屈伸運動で掻い潜り、同時に下段から上段への斬り上げを見舞う。


 あまりの一撃に、思わず手加減無しで反撃を放った定臣であったが、今度はそれをルブランが上体移動だけで回避した。


「確かにこりゃ化け物だな」


「貴様……何者だ?

 いや───何者でも構わん!ここで死ね!」


 その大声とは裏腹に巨斧は音もなく迫り来る。無音にも関わらず徐々に、速度と威力を増していく。

 流麗な軌道を描きながら徐々に加速していくそれは、さしずめ無音の台風の様だった。

 

 振り下ろす。

 薙ぎ払う。

 斬り上げる。

 叩きつける。

 そのすべてが一閃。そして一撃必殺。

 連結の節目など到底見当たらない流麗さ


 故にそれは───斧の舞だった。


 一撃でも触れようものならば、粉微塵と化す暴力を孕んだそれを、毛先程の距離で掻い潜る。

 しかしながら、剛と柔の調和が見事にとれたそれを回避し続けることなど不可能だった。


 ───チッ


 巨斧の先端が僅かに頬を掠める。それだけのことだった。僅かそれだけのことで


「がっ……」 


 ───頬が破裂した。


 左から右に強烈な拳を打ち抜かれた様な感覚が走る。右に流される顔に視線が置き去りにされる。同時に噴射装置さながらに、進行方向とは逆方向に向けて血しぶきが飛び散った。


 痛覚が事態に追いつき、我が身に何が起こったのかをようやく理解出来たのは、床を転がり終え、壁に叩きつけられてからのことだった。


 追い討ちと言わんばかりに、ガラガラと内壁が剥がれ落ち覆い被さる。カツカツと足音を鳴らし、巨斧の死神が距離を詰めてくる。


 時間はどれくらい経っただろう。まだ五分も稼いでいない気もするし、とっくに三十分経った気もする。どちらにせよ眼前の死神は、時の経過を待ってくれそうにはなかった。


 蹲っているところを、上から見下ろされると不思議と負けた気がしてくる。それにまた内壁が落ちてきて頭に当たりやがった。


 踏んだり蹴ったりとはこのことか。衝撃で焦点を失っていた瞳に、正気を取り戻しながらそんなことを思った。 


 まぁなんにしても───


「このままじゃ詰むか」


 ───手加減しないのと本気は違う。

 ───舞いには舞いを。

 ───相手が十、撃てば、こちらは二十、返せばいい。


 同じ〝武〟の道を歩む者に対して、〝轟流〟に負けは許されない。

 

 故に決意する。


 ───この試合は今をもって死合と成った。


 大きく息を吐く。

 肩を落とし腹の中心に力を込める。

 背骨の内側にすべてを引き締める。

 

 そして死神に再び相対すべく立ちあが……



「…………」



 ガクガクと。


 膝、ガクガクと。


 待てと。ルブランそこまで来てるんだゼと。


 コツコツと響くルブランの足音をBGMに無性に泣きたくなった。

 

 思い出したのは学生時代。『お前は秘密兵器だから!』と切り札に言い聞かせ、もったいぶったまま緒戦敗退を喫した、対戦校先生のなんともいえない間抜け顔。

 次に師〝轟劉生〟による『最初から全力でやらんからだ!たわけが!』とのお叱りの言葉だった。


 ってこれ走馬灯ってやつじゃね?

 

「終わりだ」


 苦笑いしつつ、膝と睨めっこをしていると大斧ルブルブがそんなことを言い出した。

 その声に顔を上げてみると……


「Wow That’s great」


 あまりの振りかぶり具合に、思わず出来もしない英語を口走った。


 死ぬ。これは死ぬ。 


 もう何度死んだだろう───


 数秒後に訪れるであろう痛みを思う。

 あれだけは何度経験しても慣れるものではない。


 痛いのは嫌だ。

 不老不死だろうが何だろうが嫌なものは嫌だ。


 だから───


「断固拒否する!!」


 高らかに宣言する。


 刹那───

 声はその場に姿はルブランの遥か後方に。

 膝の回復と同時に繰り出した奥義に込めた剣技は十閃。

 頭部。両肩。両膝。腹部。背部に計七閃。残りの三閃は大戦斧に叩き込んだ。


 背後には、全力で巨斧を振り下ろすルブランの姿。しかしその斧は床に叩きつけられることなく、空中分解し、斧の主は撃たれた部分の鎧が砕け、唖然とした表情のままその場に崩れ落ちていった。


 ここにセキオスの間での決戦が終結した。


「ふぅ……ルブルブつえ~なぁ」


 疲れた様子でそう呟くと、定臣はルブランを介抱するためテクテクと歩み寄るのだった。

 



 ◇


 

 

 ───エドラルザ王国国立魔科学専攻学院内〝医務室〟そこに整然と並べられているベットの上には現在、負傷した生徒が四名寝かされている。


 生徒達の傍らには各一名ずつ、回復魔法を得意とする者がついており、その者達の真剣な表情からは、寝かされている生徒達の容態が急を要するものだということが伺えた。


 そもそも〝魔法〟が存在するラナクロアである。多少の怪我などは、回復魔法を使える者の手によってすぐに処置されるために、医務室はあまり必要とされず、普段はもっぱら暇を持て余した生徒達の茶飲み場と化しているのだが……


 負傷している生徒達は〝当番〟についていた者達。内一名が凶行に及び、他の四名を負傷させた。


 珍しく慌てた様子で医務室に駆け込み、そう告げたのはルブラン・メルクロワである。

 あまりの容態に医務室に待機していた担当者は、他の担当者を緊急招集し、現在の状況に至った。


 ───数分後。


「にしてもこりゃあ……誰がやったんだ?」


 峠は越えたものの、なかなか癒えない魔術跡に一人の担当者がそうごちる。


「この破壊力は……学長の妹さんの、ほら」


「いや、あの子は〝当番〟外されてるだろ?」


「そうだったな……」


 〝なら他に誰がいるんだ?〟その場に居合わせた担当者達は一様に、そう首を傾げた。

 事実、ロイエル・サーバトミンと同等の魔術力を誇る生徒等、この学院には存在していなかった。しかしながらあのルブラン・メルクロワが嘘の報告をするはずも無いと、担当者達は存在するはずのその生徒に当たりもつかず、軽口を交わしながら回復魔法を行使し続けるのだった。


 


 ◇




 ───失敗した。


 覚醒しない意識の中、オーネ・ネルビルは自らの過ちを反省していた。


 〝能力者〟である自分は〝能力者〟だけが持つ心の闇を一番理解していたはずなのに……


 悪意の支配を受けたキカ・サミリアスは、目論見通りに私の支配下に堕ちた。そして私は予定通りに他の三人の支配を解き、私を含めた四人をキカ・サミリアスに攻撃させた。


 そう───攻撃させたのだ。


 あの不可解な現象の中、私はキカ・サミリアスの深層心理の中にある〝魔術を行使することへの恐れ〟を確かに感じとっていたはずなのに……


 浅はかだったと言わざるを得ない。悪意に恐怖が重なり、キカ・サミリアスは暴走した。その闇はもはや私の支配すら届かないところまで深く、深く堕ちてしまった。


 薄れ行く意識の中、ルブラン・メルクロワに助けられたことだけは覚えている。


 ───オルティス……ごめん……


 最後の仕上げが出来なかった。ルブランを支配し、ロイエル・サーバトミンを窯の前まで誘導しなければならなかったのに……


 恐らく、扉の前に立ちはだかったルブランの手によって、この作戦は阻止される。  

 

 彼のために何かしてあげたかった……

 初めて彼が私に頼ってくれたというのに……

 ようやく少しでも恩返しができるというのに……


 ───ごめんなさい……

 ───本当にごめんなさい……


「ォル……ティ…ス……」




 ◇




 ───バァン!


 背後でやかましく鉄扉が鳴った。どうやら背中を任せた彼女は、期待に応えてくれたらしい。

 それなら僕は、僕と彼女の二人の願いであるキカの救出に専念しよう。


 〝セキオスの間〟最深部。そこに〝ミレイナの窯〟は安置されている。そしてその傍らには、ルブラン・メルクロワが持ち込んだ、魔術を無力化させる術式が組み込まれた鉄格子の檻が配置されている。

 自身の命を狙ってきた生徒を、一時的に拘束するために使用されてきた〝それ〟は近頃はめっきりとその役目を果たすことは無くなっていた。

 しかしながら今は違う。景色の一部に溶け込みつつあったそこに、思わず視線が釘付けになる。


「キカ……」


 檻の中にはキカの姿があった。

 でも───あれは本当にキカなのだろうか?

 

 脳裏に浮かぶ優しく微笑むキカの姿。それと眼前のキカの姿を見比べてみる。

 キカの髪はいつも綺麗に手入れされていてあんなにボサボサじゃない。

 キカの瞳はいつも優しくてあんなにギラギラしていない。

 キカの口元はいつも微笑みを携えていてあんなに吊り上っていない。

 それにキカは……


「あぁああああああ!!ああああああああ!!!」


 突然の咆哮。それと同時にキカがこちらに向かって魔術を連続で放ち続ける。しかしその魔術は牢獄の理によってすべて遮られ、飛散していった。


 キカは……魔術は使えないはずなのに。


「キ、キカ?」


「ああああぁああ!!!」


 鉄格子を手で掴む。額を連続でそれにむかって打ち付ける。すぐに額が割れ、血液が周囲に飛び散り始めた。


「やめて!キカ!」


 慌ててキカを止めようと、鉄格子を掴むその手に触れた。

 

 直後───


「ぁ……ぅぐ……」

 

 ぎりぎりと衣服が嫌な音を奏でる。地面から浮き上がった両足が、一瞬パニックになった脳に今の事態を知らせてくれた。同じ目線にいたはずのキカが眼下に見える。

 僕は今、キカに胸ぐらを掴まれ引きずり上げられているんだ……


 ありえない。この力はなんなの。


 肉体強化の魔法を駆使したとしても限度がある。元々が非力な者がここまでの怪力をだせるはずがない。


 どこかおかしい。

 いや───おかしいのはわかっていたはずだ。キカが他人を攻撃なんてするはずがない。

 どうせルブランの見間違いだろうと、勝手に希望的観測に身を任せた自分が悪いのだ。

 

 しかしながらキカのした事が事実にしても無実にしても、どちらにしろ自分がやることに変わりはない。キカの死刑は確定している。それは少々の事では覆らない。


 だからこそ僕は───


 〝ここにキカの命を〝回復〟しにやってきたのだから〟


「ぁ……ぐ……」


 しかし状況がそれを許してくれそうにない。酸素をカットされた脳は次第に運動を停止して行く。先程から眼球が瞼の裏を見たいと、上へ上へと圧しあがってくる。それを制止しようと噛んだ唇の淵からは泡が漏れていた。


「…ぅ……キ……カ……キカぁ!」


 

 

 ◇

 

 


 ───私は何をしているの?


 わからない。わからない。わからない。


 オーネの支配下でも意識を保つことは出来ていた。その意識が途切れたのは……


 そうか。魔術を使わされちゃったんだ。  

 

 それなら仕方ないかと納得する。どうして仕方ないのかは、考えない様にしなければこの〝闇〟は私を更なる深みへと誘うだろう。


 とにかく魔術はいけない。それは私にとっての禁忌だ。

 ……危ない。危うく思い出すところだった。今は駄目だ。違うことを考えよう。


 今の私はオーネの支配をまだ受けているのだろうか。支配されている時の記憶がある時点で、私は彼女にとって〝異質〟な存在であることは間違いない。通常は支配下に置かれている人物は、その時の記憶が一切残らない。それは〝彼女〟になった時に学んだことだった。


 それにしてもここは……


 とても寒くて暗い。まるで学院に入る前の私そのものを表したかの様な〝闇〟。

 そんな〝闇〟を取り払ってくれたのは学長だった。

 それなら暖かさを覚えたのはいつの事だっただろう。


「…ぅ……キ……カ……キカぁ!」


 不意にロイエの声が聞こえた。

 

 そっか……ロイエにルクエ。それに他の〝友達〟達。皆が私に暖かさを教えてくれたんだ。

 私は……恵まれてるなぁ……


 不思議と周囲の闇が少し明るさを取り戻した気がした。

 



 ◇




「ぅ……げほっげほっ」


 た、助かったぁ……


 意識が堕ちる寸前、キカはその手を緩めてくれた。一瞬、正気に戻ってくれたことを期待したりもしたけれど、眼前の彼女は今もどこか虚ろな瞳のまま無言で佇んでいるだけだった。


 それでも鉄格子に頭を打ち付けるのを、やめてくれているだけマシだ。

 猶予は三十分。キカの事は気になるけれど、ルブランを相手にしてくれているサダオミの事も気になる。


「キカ待っててね。僕は僕の〝用事〟を済ませるから」


 そう言うと僕は〝ミレイナの窯〟に向き直った。

 

 恐らくは膨大な魔力が暴走しているのだろう。振り返った先にある〝ミレイナの窯〟は怪しく、そして禍々しく発光し、なかなかに有害そうな色で点灯していた。挙句の果てに数秒間隔で煙まで出している始末だ。


「うへ……これは気がのらないわね」


 そう呟きながらも僕は窯に手をかざした。

 



 ◇




 オーネの目的は私を助けるためにロイエに過ちを犯させること。理由は彼女自身もわかってはいない。ただオルティスがそう願ったからという理由だけで、彼女は納得できていない悪事に手を染めた。〝ロイエル・サーバトミンの命は保障する〟というオルティスの最後の免罪符を携えて……

  

 そう、狙いは始めからロイエだったのだ。

 いけない───このままだとロイエが……


 先程聞こえてきたのは、間違いなくロイエの声だった。それなら近くにロイエが来てしまっているということ……


 駄目だ。駄目だ駄目だ。

 ロイエの思考回路は単純だ。彼女が私を生かすためにしようとすることなんて簡単に予想できる。そしてそれをすれば学長の実妹であろうが、問答無用で死刑になる。


 ロイエ駄目!私のためにそんな……


 手を伸ばしてみたものの周囲は〝闇〟に覆われたままだった。

 この〝闇〟が邪魔だ。私はロイエを止めにいかなければいけないのに……  

 

 ───魔術。


 それは私にとっての禁忌だった。それを犯して出現したのがこの〝闇〟ならば、それを取り払うにはその禁忌と向き合う必要があるのかもしれない……


 出来る事なら思い出したくもない。

 しかし起こってしまった過去の出来事に捕らわれて、友人の命を危険に晒すなんて我慢できない。


 だから認めよう。私は習ったばかりの魔術を無邪気に行使し


 そして───〝両親を殺した。〟


 両親は元々エドラルザ王国騎士団の魔術師団員を務めており、魔術の扱いには長けていた。

 そんな両親から『全力で撃ってきてごらん』と指示され、言われるままに全力で魔術を行使した。


 それからの周囲の私を見る目とか、幼かったのだからという言い訳とか、怖いからもう魔術は使わないとか、今はそんな事は関係ない。

 魔術関係でこれ以上、私の周囲の人間がいなくなるのは我慢できない。


 だから───


 〝闇〟に向かって手をかざす。

 

「そこ……どいて……」

  

 私は呪われた〝力〟を自らの意思で〝解放〟した。

 

 果たして魔術は〝闇〟に当たったのだろうか。

 恐らくは命中したのだろう。

 何かを劈く(つんざく)様な破砕音で今も耳鳴りがしているし、周囲を覆っていた〝闇〟の総量分の〝光〟が視界を覆ったことがその証明だった。


 正気を取り戻した視界に映りこんだ最初の景色は、破壊された鉄格子。それを破壊したのは恐らく、今も手をかざしている自分なのだろう。


 そしてその鉄格子の向こうにロイエの小さな背中が見えた。


「ロイ……エ?」


 更にその背後にある物体を見て思わず硬直する。そこには先刻まで〝ミレイナの窯〟と呼ばれていた物体が〝瓦礫〟と名を変え崩れ落ちていた。


「ぉ?キカ!正気に戻ったのね!」


 陽気な様子でこちらに駆けてくる友人のその姿に、思わず肩ががっくりと落ちた。


「ロイエ、あなた」


「にひひ、不肖!ロイエル・サーバトミン!

 遅ればせながらキカ・サミリアス殿の、

 命の回復に成功致しましたでありますっ!」


 ロイエル・サーバトミンは顧みない。

 たった今、自分の命と引き換えに私の命を救ったというのに……

 これから自分が死刑になるというのに……


「なんなのよ……その笑顔は……」


 小さく敬礼し、満面の笑顔でそう言い放った友人の姿に思わず視界が歪む。

 

「ぉろ?キカ泣いてるの?」


「……ばか」


 そう呟くと、私は大切なこの小さな友人をぎゅっと抱き締めた。


 その日、二人が互いを想い繰り出した回復魔法と攻撃魔術は……

 やはりとてつもない破壊力を秘めてはいたものの……

 

 ───どこか暖かさを孕んでいた。


 

 

  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ