第三十三話:幻の十一
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詰所の空気は、いつもと変わらない。
紙をめくる音。
武具を整える金属音。
声は少なく、動きは無駄がない。
配置表が、壁に掲げられている。
線は短く、想定は成立している。
その端に、
一つだけ、違和感のある記載があった。
十神槍。
並ぶ名の、その下。
番号のない欄。
白。
誰も、指摘しない。
誰も、説明を求めない。
書かれている以上、
それは決定だ。
サリドは、腕を組んで眺めていた。
「……増えたな」
軽い声だった。
冗談でも、確認でもない。
「欠けたわけでもないのに」
独り言に近い。
ロギアは、何も言わない。
フルフェイスの奥で、
視線だけが配置表をなぞる。
合理だ。
前に立つものを、内側に置く。
それだけの判断。
ガルハルドは、視線を外さずに言う。
「前提が変わっただけだ」
声に、感情はない。
「前に置くなら、
指揮系統の外に置く理由はない」
誰も、反論しなかった。
黒い鎧が、一歩前に出る。
ハルガン・レイノルト。
配置表から視線を外し、
白を見る。
距離は詰めない。
威圧もしない。
同じ高さで、
同じ空気を共有するだけだ。
「確認する」
短い言葉だった。
「前に立つ意思はあるか」
命令ではない。
勧誘でもない。
制度の確認に近い。
白は、すぐには答えない。
兜の奥で、
サダオミは一瞬だけ考える。
だが、
言葉を選ぶほどの理由はなかった。
「前に出なければ、終わらない」
それだけだ。
忠誠は語らない。
目的も示さない。
ハルガンは、頷いた。
「十分だ」
それ以上、何も言わない。
名は、問われなかった。
番号も、与えられない。
十神槍の中に、
一つだけ、固定されない位置が残る。
制度に入ったが、
制度に縛られない存在。
少し離れた場所で、
ライアスはその光景を見ていた。
表情は、変わらない。
肯定も、否定もない。
人格者として、
正しい距離を取っている。
それが、できてしまうこと自体が、
わずかに不快だった。
だが、
理由は探さない。
探す必要がないと、
自分に言い聞かせる。
配置表は、そのまま使われる。
十神槍は、十神槍のまま。
欠けず、増えず。
ただ一つ、
数えられない枠が増えただけだ。
白は、何も変わらない。
名乗らず、
理由を持たず、
前に出る。
世界は、
それを自然なこととして受け入れた。
前に立つものが、
前に立つ場所へ置かれただけ。
誰も、
それが後戻りできない配置だとは、
まだ気づいていなかった。




