第三十話:考えないという選択
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詰所の外は、少しだけ騒がしい。
戦場のような騒がしさではない。
当番の交代が重なる時間帯の、乾いた音だ。
革紐が締まる。
金具が鳴る。
木箱が擦れる。
引き継ぎの声は短い。
長い説明は要らない。
もう皆、分かっている。
予定から外れる事象が減った。
それだけで、仕事は回る。
ライアスは壁際に立ち、槍の柄を軽く握り直した。
手は慣れている。
視線も、余計な場所に行かない。
当番を終えた兵が、次の兵へ袋を放る。
「ほら、これ。昨日の分」
受け取った兵が、乱雑に頷く。
「助かる。で、異常は」
「いつも通り」
それで終わる。
終わるはずだった。
次の声が混じった。
「白、使ったか」
問いというより、確認だった。
「使った」
返事も、確認だった。
「早いよな」
誰かが笑う。
声は軽い。
軽いからこそ、引っかからないはずの言い方だった。
「白が来ると、終わりだ」
感想じゃない。
称賛でもない。
ただの手順の共有。
それを受けて、別の声が続く。
「来なきゃ」
言葉が切れて、肩がすくむ。
「少し長いだけだろ」
迷いがなかった。
その迷いのなさが、場に馴染んでいた。
誰かが、酒の匂いを残した息で言う。
「最悪、白がいる」
その言い方にも、悪意はない。
保険。
道具。
前提。
どれも、現場の言葉だ。
ライアスは、動かなかった。
聞くつもりはない。
聞こえてしまっただけだ。
交代の兵が、剣帯を整えながら笑う。
「兵器だな」
悪口ではない。
感心に近い。
数字が整うことへの、素直な肯定。
「兵器ならさ」
別の兵が手を振る。
「壊れなきゃいい」
笑いが落ちる。
同意が落ちる。
誰も止めない。
止める理由がない。
そのことが、さらに自然だった。
その流れで、ふと噂が混じる。
「そういや」
軽口だ。
引き継ぎの空気のまま、責任のない話題のまま。
「白の恋人って噂、まだあるのか」
誰かが鼻で笑う。
「踊り子だっけ」
別の兵が、興味なさそうに返す。
「見たことねぇよ」
「誰かが言い始めただけだろ」
どこまでが事実か。
誰も確かめない。
確かめる必要がない。
だから余計に、噂だけが生き残る。
白は強い。
白が来ると終わる。
踊り子の噂もある。
並べて置かれる。
同じ棚に置かれる。
それで終わる。
ライアスの胸の奥で、何かが動いた。
不快だ。
だが、理由は分からない。
分からないままでいい。
そう判断する速度だけは、いつも通りに速かった。
正しい態度を選ぶ。
会話に割り込まない。
否定しない。
叱らない。
正論も言わない。
その全てが、人格者として正しい。
だからこそ。
胸の奥に残る引っかかりは、処理できなかった。
ライアスは槍の穂先を一度だけ見た。
狂いはない。
重さも、位置も、いつも通りだ。
自分は、いつも通りに立てている。
なら、問題はない。
問題にしなければ、問題にはならない。
そう決めて、踵を返す。
背後では、交代が続いている。
短い声。
短い笑い。
短い確認。
白は便利だ。
白は早い。
白は前提だ。
そして噂は、勝手に形を持つ。
ライアスは振り返らずに歩いた。
考えない。
考えないという選択をする。
理由は、分からないまま。
それでいい。




