第二十五話:前にたつ者
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戦場の後は、静かだった。
勝敗が決した場所に、歓声は残らない。
嘆きも、長くは続かない。
踏み荒らされた地面と、
処理しきれなかった気配だけが残る。
白い影が、戦場の端に立っている。
前に出て、
叩き、
終わらせた。
それだけのはずだった。
それでも、
白い鎧の内側には、
澱のようなものが沈んでいる。
理由は、分からない。
名を呼ばれることは、もうない。
誰も近づかない。
誰も声をかけない。
それでいい。
その方が、楽だった。
◇
背後から、足音がした。
軽くもなく、
重くもない。
だが――
無視できない。
白い兜が、わずかに傾く。
そこに立っていたのは、黒だった。
漆黒の鎧。
無駄のない装甲。
誇張のない輪郭。
立っているだけで、
周囲の空気を締める存在。
十神槍の長、
ハルガン・レイノルト。
サダオミは、戦う準備をしない。
構えもしない。
理由は、ない。
ただ、そうする必要を感じなかった。
ハルガンは、白を見る。
遠目ではない。
戦場の外からでもない。
同じ地面に立ち、
同じ空気を吸い、
同じ高さで。
「……名は」
短い問いだった。
形式でも、確認でもない。
白は、答えない。
沈黙が、落ちる。
ハルガンは、その沈黙を咎めなかった。
名がないことは、
もう分かっている。
「お前が、戦場を終わらせた」
事実を置く声だった。
評価でも、称賛でもない。
サダオミは、動かない。
肯定もしない。
否定もしない。
「私が出る必要は、なかった」
淡々とした言葉。
だが、わずかな重みが乗っている。
ハルガンは、戦場に視線を流した。
「ここで切るつもりだった」
そのまま、言葉を継ぐ。
「主力も、切り札も、すでに出ていた」
つまり――
自分が来た理由は、確かにあった。
少しだけ間を置いてから、
黒は結論を告げた。
「だが、終わった」
白い兜の奥で、
サダオミは思う。
それが、何だ。
ハルガンは、視線を外さない。
「お前は、勝ちに興味がない」
続けて、静かに言う。
「名誉にも、地位にも、関心がない」
一呼吸。
「それでも、前に出る」
サダオミは、初めて口を開いた。
「……前に出なければ、終わらない」
それだけだった。
ハルガンは、わずかに口元を緩めた。
嘲りではない。
愉快でもない。
ただ、確信が深まっただけだ。
「だからだ」
一歩、近づく。
圧が、増す。
威圧ではない。
距離が、揃っただけだ。
「冗談だが」
声の調子は変わらない。
「前に立てる者が現れたなら、
長の席は譲る」
本気にも聞こえる。
冗談にも聞こえる。
だからこそ、
場の空気が、わずかに緩んだ。
サダオミは、動かない。
意味が、理解できない。
「……意味が、分かりません」
拒絶でも、反発でもない。
本当に、分からない。
ハルガンは、頷いた。
「分からなくていい」
それだけだ。
「お前は、すでに前に立っている」
言葉を置いてから、続ける。
「名もなく、理由もなく」
一拍。
「それが、長の資質だ」
サダオミは、答えない。
受け取れない。
今は、まだ。
ハルガンは、踵を返す。
引き止める言葉は、ない。
説得もしない。
去り際に、
振り返らずに言った。
「考えろ」
一拍置いて、続ける。
「前に立つ者が、
いつまで一人でいられるかを」
◇
黒い背中が、遠ざかる。
白は、そこに立ったままだ。
風が、吹く。
戦場の匂いが、薄れていく。
サダオミは、
白い鎧の中で、静かに息を吐いた。
答えは、出ない。
だが――
問いは、置いていかれた。
前に立つということ。
一人で立つということ。
誰かに託されるということ。
白い影は、
再び歩き出す。
まだ、選ばない。
だが、
もう、見なかったことにはできなかった。




