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神様機構     ~悠久なる歯車~  作者: 太郎ぽん太
始まり
1/57

プロローグ  ☆

初投稿です。生暖かい目で見守ってやってください!

挿絵(By みてみん)


 ■




 ─── 平凡であること。



 気が付いた時には無意識にそれを望むようになっていた。



 ─── くだらない?



 そうは思わない。



 ─── 思わない……

 



 ─── 思わない? 



 

 ◆




 高校を卒業し、社会に出て三年。必死に打ち込んだ武道を通して育んだ情熱も、いつしか失っていた。

 


 ─── 心が乾いていく…… 



 昔の自分が、今の自分を見れば間違いなく『くだらない大人になってしまった』と嘆くことだろう。

 

 何事にも情熱を傾けられることが幼いと感じ始めたのはいつの頃だっただろうか。それに気が付いた時、自分の中の大切な何かが急激に色褪せたのを今でも覚えている。不思議とそれを幼かったのだと理解している自分に満足していた。



 ─── 大人になっていく……


 

 毎日繰り返されていく変化のない日々。


 くるくる くるくる

 

 歯車の様に社会というシステムに組み込まれ回っている自分。


 くるくる くるくると……




 ◇




 ─── ピピピピピッ



 朝六時半。購入した次の日からフル活動で主に付き従っている、頼りになるあいつの騒音が1LDKの我が家に響き渡る。文明の利器、目覚まし時計。素晴らしい。

 

 しかし起きがけの脳内は動作不良を起こし、そいつを怨敵と認識する。必要以上の力で理不尽に殴り飛ばされる、あいつの同胞は全国に何人いるだろうか。○の種の裏表紙を飾れそうな勢いだ。などとくだらない事を考えつつ起床。

 

 寝ぼけ眼を右手でこすりながら洗顔。歯磨きを済ませトーストを焼きながら、作業着へと着替えていく。

 

 俺、川篠定臣かわしのさだおみは一人暮らしだ。

 両親は幼い頃に交通事故で死亡している───……などという、どこかの主人公チックなエピソードは一切無く、就職の折りに職場近くのアパートへと引越しただけという、世間一般的に大多数を占めているであろう事情から……まぁそんなことになっている。

 

 そんな俺の就職先はというと、これまた体育界系高卒男子にありがちな工場勤めだったりする。       

 低賃金ながらも必要最低限の安定収入。夏と冬には〝賞与〟という名の、ナスが棒に刺さったような二つ名の彼をもたらしてくれるその〝会社〟というコミュを、俺はそれなりに気に入っていた。


 職場での人間関係は極めて良好。このまま歳食って人生を謳歌するのも悪くはないなぁなんて思ったりもしてはいるんだが……まぁなんというか我ながら


 

 ─── 平凡だと思う。




「ふぅ……朝からテンション下がりまくりなんですが! 変な夢見たせいですかね!?」



 その日、俺の朝はそんな独り言から始まった。


 

 くるくる くるくる



 今朝の夢は覚えていた。どこか知らない色褪せた場所、そこには大きな機械があって、俺はその機械の歯車の一部となって回っている。そんな夢だった。


 夢の中の自分の姿を思い出しただけで萎えてくる。〝その俺〟は虚ろな瞳で、ただ無機質に同じ動作を繰り返していた。


 夢は現実で自分が体験したことや考えていたことを軸に形成される。すぐに俺は今朝の夢のきっかけを作った犯人に思い当たった。



「間違いなくこれ芳原さんのせい!」


 

 芳原さんは俺の会社の先輩で、入社して以来、俺のことを弟のように可愛がってくれている。


 そう、犯人は間違いなく芳原さんだ。

 

 ようやくハッキリしはじめた頭で俺が思いだしたのは、昨日の職場での彼との他愛もない会話だった。




 ───回想───




「定臣もようやく一人前で数えられるようになったよな」

 

 缶コーヒーをぽんとこちらに投げつつ、芳原さんがそう言ってくれた。普段おちゃらけてはいても、仕事に関しては厳しいこの先輩のことを俺は尊敬していた。それだけにそんな些細な言葉が嬉しかった。


「ありがとうございます!」 

 

 若干の照れを隠しつつ、即答した俺の声は自然と大声になっていた。


「うっせーよ! 体育会系うっせーよ!」


「すいません! 珍しすぎてつい」 


「まぁ礼儀正しいのは結構なこったけどな定臣よ? あんまり気張るなって。今時、先輩は神様とか流行らないぞっと」 

 カンッ 「あ”っ」

 

 空缶をごみ箱へシュート。案の定、束の間のフライハイを強要された彼はゴミ箱の外へと旅立っていった。


「プークスクス」


「前言撤回! 礼儀正しい撤回!」


「それにしても入ったの見た事ないっすねぇ……芳原さんが缶入れたとこと、彼女できたとこだけは見た事ないっす」


「ちょ! おまっ! 彼女関係なくね? 話題無理からすぎね? イケメン死ねよ!」

 

 休み時間の軽い会話のキャッチボール。─── 不意に芳原さんが真顔になった。

 タバコをふかしつつ軽くため息つく。


「なぁ定臣 ───お前、俺みたいにはなるなよな」


「……ちょっと言ってる意味が」


「んー、まぁ肩の力いれすぎるなってこった。お前見てると自分が若かった頃、見てるみたいな気分になってな。─── 必死に働いて働いて、気がつくと周りは敵だらけよ」 


「なんかあったんすか?」

 

 芳原さんがタバコの灰を灰皿にトントンと落とした。


「まぁ愚痴もはいるけどな。本気で仕事やりすぎると、やってねー連中から無駄に妬みつらみを買うわけよ」

 

 どうやらまたスイッチが入ったようだ。仕事態度を語りだすと,この先輩は妙にくどくなる。俺は繰り返し使ってきた魔法の言葉で会話を繋ぐことにした。


「言う奴には言わせておけばいいんすよ」


「まぁそうなんだがな。お前にはうまくやって欲しいわけよ、優し~い先輩としては。─── 別に仕事を手抜きしろってわけじゃねーんだがな。出る杭は打たれ る………───うんたらかんたら………──── まぁ、お前には器用に生きて欲しい。言いたい事はわかったか……? まぁ聞き流せ」

 

 相変わらず長かった。もちろん言うまでもなく、聞き流している。

 俺は話題と場の空気を換えようと、わざとふざけて返事をして見せた。


「自分、不器用ですから(目を細めて)」


「キャー! けんさ~ん……って言うかっ!」


 相変わらず神速を凌駕する速度でノリツッコミが返ってきた。俺の目論見を看破しつつも、ノッてくれる。俺はそんな芳原さんのことを会社の先輩である以上に兄のように思っていた。


「─── ご忠告感謝っす! でも俺は芳原さんかっけーと思ってるんで、今更考え方は変えないと思います」

 

 我ながら臭い台詞である。

 本音を口にするのはどうしてこうも恥かしいものなのだろうか。俺は照れ隠しから視線を天井へと逃がした。

 薄暗い天井には等間隔で水銀灯がぶら下がっていて、休み時間にも関わらずクレーンの振動を与えられた彼らはゆらゆらと揺れていた。


 なに笑ってんだこらあああ!


 笑われている気がしたのでとりあえずガンを飛ばしてみた。


 無機質な物に対して自身の感情をぶつけるのは如何なものか。内心で自問自答するも、すぐにその馬鹿らしさに脱力する。そもそも水銀灯を〝彼〟とするならば〝彼〟はクレーンに振動を与えられ、強制的に揺らされていただけの被害者なのである。ならば先程の非礼を詫びる必要があるのではないか。


 妄想から暴走に移行した俺はしかめっ面から一転、慈しむような視線を水銀灯に向け始めていた。そんな俺に一切、気付かずに芳原さんは先程の会話を続けている。


「まぁなんだかんだで俺はお前のことが気に入ってるんだけどな」


 そう言った後、芳原さんは俺の肩をぽんっと叩いてこう続けた。


「誰にも言わなくていい。心の奥底の奥の方にしまい込んで置けばそれなりに役にたつ事、教えといてやる……」


 肩を叩かれ反射的に芳原さんに視線を戻した俺は、その真顔に思わず息をのんだ。



「立派な社会人と世間で呼ばれる連中は如何に組織の歯車に徹せられるかだ。

 ─── 何も考えないで忠実に同じ動作を延々と繰り返せる人間。

 悪く言えば機械により近づける人間の事だ。ドライに笑顔と反省顔以外の顔を封印して、それを実行できる人間が出世していくわけだ……

 ─── まぁコーヒーで酔っ払った先輩の戯言だけどな」



 必ず最後に話を茶化して終わらせるあたりが、如何にもこの人らしいなと思いながら、相槌を打ったところで休憩時間の終わりをチャイムが告げた。

 



 ───回想終了─── 




 ◆




 ─── ジリリリリ!!


 出勤時間を知らせる二度目の目覚まし時計が鳴った。

 俺はテンションが上がらないまま朝食を済ませてしまい、仕方なく出勤する。



 その日もいつも通りに就業し、帰路につく。帰宅すると適当な時間に家の用事をこなして、趣味のネットゲームで束の間の疲れを癒し、眠る。


 

 くるくる くるくる



 ─── それが続くはずだった。

 


 何がきっかけだったのだろう? わからない。

 


 今になって思い返してみてもわからない。

 


 あえて挙げるなら─── 仕事中に機械の歯車が欠けた。 

 それはとるに足らない些細な出来事だった。

 小さな異音はするものの、機械機構はそのままに、何の支障も無く作業できる。

 大きな機構の一部でありながら、支障が出ればいつでも交換できる歯車。

 


 見ていて───


 

 つまらない。くだらない。



 そう思った。



 そして───



 置き換えてしまった。



 ─── 歯車と自分を……




 気持ちが沈んでいる。別に不満があるわけでもなく、疲れているわけでもない。

 ただ虚しくなってくる。

 社会に出て数ヶ月に一度、こういう状態に陥ることは自覚している。

 

 その日は仕事の効率が悪く、定時前に体調を心配してくれた芳原さんを苦笑いでやり過ごし、十七時のチャイムで家路についた。

 

 自宅は会社から徒歩十五分程の距離だ。いつもは少し遠回りになるが、百円で買える自動販売機に寄ってコーヒーを買って帰る事を日課としている。しかしその日は近道である高架下のトンネルを通って帰ることにした。


「歯車くだらねー」


 声に出してみたものの、予想した通り沈んだ気持ちが浮かぶことはなかった。 

 

 ─── 俺は何やってるんだ……無駄に笑ってテンション上げてみるか?


「……フハハハハハ!」


 どこかで見たアニメの中の登場人物よろしく笑ってみた。もちろん恥ずかしいので、前後に人がいないのは確認済だ。



『いきなり思い出し笑いとは気持ち悪い奴だな。定臣は』


 

 突然、背後から女の声がした。俺は思わずびくっと震えた。


「びっくったぁ~……」


 腰が抜けそうになりながら、慌てて振り向いた先で俺は見た。

 そう、見てしまった。絶世の美女を。

 

 恐ろしいほど美しいその姿からは、綺麗という印象よりも先に恐怖を感じた。


 鮮やかな黒髪を足元まで伸ばし、肌は透き通る様な白。身に纏った黒いドレスは一目では日本の物とも外国の物とも思えなかったが、胸元や袖口から覗く肌を一層、白く際立たせている。

 その女は口元を若干歪ませながら、尊大に─── そして不満そうに、腕を組んで俺の事をじっと見ていた。


 思わず一歩後ずさる。

 


「……」



 何なんだこの人……

 それにしても無茶苦茶、綺麗だな……


 その時、その女に抱いた感覚。それは幼い頃に初めて感じたもので、それが芸術作品だと知らずに感動したあの時の感覚に近かった。そしてそれと同時に、俺は底冷えするような恐怖を再確認していた。女のワインレッドの瞳は明らかに強者のものであり、捕食者の威圧感を放っていた。



『なんだ、私に惚れたのか? 定臣は』



 女のその言葉に、美しさと同時に感じていた恐怖を忘れ、見惚れていたことに気付かされた。

 

 それにしても見ていただけで自分に惚れたのかとは随分と自信過剰な女だな。

 そもそもこの女は何故、俺の名前を知っているのだろう。俺の知り合いにこんな美女はいない。記憶を探ってみたものの脳内ググ様にヒットはなかった。


「えー……どちら様でしょ?」


 とりあえず会話してみることにした。



『私は天使だ』



 無理だった。


 即座に、訓練された兵士よろしく綺麗な回れ右を披露し、後方への進軍を試みる。



『どこへいく─── まだ話は終わっていないぞ』


 

 どうやら逃がしてはくれないらしい。

 その一言と同時に俺の後髪は意味不明な女の怪力によって引っ張られた。というか痛い。すごい痛いです。


「わ、わかった! 聞く! 聞くから! まず離せ!」


 とりあえず痛いので離してください。


 それから数秒後、正確には俺が半泣きになった頃、ようやくその女は謎力を僅かに緩めた。とはいえ解放してくれる気は毛頭無いらしく、俺の後髪はいまだにぐわっしりと掴まれたままだった。


 後ろ髪を引かれるとはこんなことを言うんじゃないなどと、妙な間を取り繕うべく無駄なことを考えてみる。じっとこちらを見上げている無機質な瞳に糾弾されたような錯覚を覚えた。



「え~と……俺の名前は川篠定臣かわしのさだおみ。確か初対面だと思ったけど……

 そっちは?」  


 埒が明かないのでとりあえず名乗ってみる。


『天使だと言ったはずだ。……定臣は人の話を聞いていないな』

 

 名乗っても埒が明かなかった。

 

 とはいえ、再び会話を試みたことで逃走を諦めたと思ってくれたらしく、ようやく俺の後髪は解放された。


「じゃ!(にこっ)」


 千載一遇のチャンス此処に在りとばかりに、心の中で拳を握り締めて逃走を謀る。


 痛い。無理だった。 


 即座に引かれた後頭部が再び悲鳴を上げるはめになった。


 そもそも相手が男ならば、それなりに腕に覚えがあるので軽く逃げ果せるのだが、相手が女とあっては力尽くというわけにもいかない。


 仕方がないか……


 諦めて、降参とばかりに軽く両手を挙げる。すると女は軽く鼻を鳴らし、俺の後髪を再び解放した。


「はぁ……どうやら聞き方が悪かったようだ。

 ……あんたの名前は?」


 俺がそう聞くと女は再び鼻を鳴らし、やれやれといった様子で答えた。


小波透哩さざなみとうり。天使だ』


 意地でも天使らしい。

 俺は再びため息をつくと、この苦行のような会話を続けた。


「OK~天使は置いておこう。

 ─── それで小波さんは何用で?」


『……透哩でいい』


 会話のキャッチボールはなんとかできるみたいだな。ここは適当に誤魔化して逃げよう。とりあえず逃げよう。とはいえ、うまく逃げる自信が無い。まずは指示に従っておいて様子を見るべきか。


 愛想笑いは得意中の得意だ。俺は日本人の基礎アビリティでもある〝それ〟を見事に発動させて、この場を切り抜けることにした。


 シャキーン! 定臣は笑顔を装備した!


 効果音とログを脳内で妄想しつつ、会心の笑顔を披露する。

 

 次の瞬間─── 


「わかったよ透哩! それd『バキッ』


 俺が台詞を言い終える前に鈍い音が耳に届いた。それと同時に俺の世界は暗転した。


 なにやら綺麗な右ストレートが顔面に飛んできていた気がするのだが……




 ◇




「─── ハッ!?」


 目を覚ました俺を迎えたのは見慣れたいつもの天井だった。

 ここは紛れもない我が城。つまるところの自宅である。


 上半身を起こし、時計を見て時刻を確認する。現在の時刻は十八時前。どうやら帰宅早々に居眠りをしたようだ。



「なんだ夢か……にしては妙にリアルだった」



 肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方が、肉体的に疲れているように感じることもある。一見して矛盾しているようで実際にそういう場合があることは今までの経験で学習していた。


 悪夢から始まった今日は〝そういう日〟だったのだろうと、先程の奇妙な夢にそう中りをつけ、自分を納得させた。


 その時───



『人間は目覚めるとそう言うのがシキタリなのか定臣』



 視界の外から声が聞こえた。

 

 慌てて起き上がり振り向く。視線の先には夢そのままに、偉そうに腕を組んでいる〝あの女〟

 ─── 小波透哩さざなみとうりがいた。



「ぉぃぉぃマジかよ……」


『どうかしたのか? 定臣』



 なんでこいつは俺の自宅を知っているのか。そもそも初対面で名前を知っていたのもおかしい。


 いや待て、それよりも尋ねるべきことがある!!


 思考を巡らせ、疑問がそこに到達すると俺は透哩に詰め寄るようにして尋ねた。



「お前さっき俺のこと殴った!?」


『……あぁそのことか。

 いきなり名前を呼び捨てにされて反射的に殴った。まぁよくあることだ定臣』


 ……それだけ?ねぇそれだけ?



「ねぇーよ! というかお前がそう呼べって言ったんだろうが! 不意打ちでも女の子に殴られて気絶とかショックだよ! というかなんで名前と家知ってるんだよ!」


『五月蝿い黙れ。お前が情けないことに気絶などするから自宅まで運んできてやったんだ。私に落ち度は無い。むしろ感謝しろ定臣』


 なんか無茶苦茶偉そうだ……こっちが悪いことした気がしてきた。

 いや待て、それはない!

 ……ん? それよりも膝の辺りがスースーする……って待て! なんだってズボンの両膝が破けてるんだよ! って血出てるよ!それもかなり出てるよ! 目覚めて早々に気付けよ俺!


 というか……



 殴られて気絶した。

  うん、わかる。

 そのまま前のめりに地面に倒れこんだ。

  うん、わかる。

 その時の衝撃でズボンの両膝が破けて大量に出血した。

  うん、わかんない。



「ない! これはない! ……透哩!」


『……なんだ?』

 

「お前、どうやって俺をここまで運んだ?」



 俺がそう尋ねると透哩はあからさまに面倒臭そうにため息をついた。そして徐に組んでいた腕をほどくと俺の頭を鷲掴みし、ずりずりと引きずり始めた。

 

「ちょ! 痛いって! 痛い!!」


『男の子の癖に五月蝿い奴だな定臣は。お前が尋ねるから心優しい透哩さんがわざわざ実演してやったというのに』


 よーし俺が悪かった。全部俺が悪かった。


「ってないわ!」


 嘆きの呪詛を口から吐き出しつつ、数分前に我が身に起こっていたであろう状況を想像してみる。

 夕暮れ時、場所はトンネルを抜けた先の通り。人通りは少ないとはいえ帰宅途中の学生や仕事を終えた人達。犬の散歩をしているいつものお爺ちゃんも歩いていたことだろう。


 そこをてくてくと歩く一人の美女。もちろんすれ違う人達は振り返っただろう。あぁ、さぞ振り返っただろうさ! なんたってその美女の手には頭がぶら下がっていたんだもんな! はい俺です! それが俺です!


 泣きたくなってきた。



『……』



 俺がショックで頭を抱えているのを透哩は相変わらず静かに見守っていた。


「……で? 結局、お前は俺になにか用があるのか?」


 すべてを見透かすようなその瞳に俺は忘れていた恐怖を思い出した。



『……』


 

 沈黙が続く中、怪しく光るワインレッドの瞳は瞬きすらせずに俺を標的としている。値踏みでもしているのだろうか。嫌な沈黙に耐え切れず俺は更に尋ねた。


「人の家まで押し入ってるくらいだ。なにか用があるんじゃないのか?」

 

 この状況で無視され続けるのはさすがに理解できない。俺は少しムッとした表情を作ると責めるように透哩を睨みつけた。


 圧倒的な捕食者を前にした時、獲物は為す術無く蹂躙されるしかない。それからの数秒はそんな当たり前の事実を本当の意味で理解させられる時間となった。



 俺はなにをされたのか。透哩はただこちらを見ているだけだ。息が詰まる。喉が渇く。顔からは一気に汗が噴出しているのがわかる。蛇に睨まれた蛙とはこのことか。透哩を睨みつけた瞬間から俺は金縛りにでもあったかのように身動き一つとれなくなっていた。



 永遠に続くとも思えた金縛りは、透哩が大きく瞬きすることによって終わりを迎えた。

 どうやら品定めは終わったらしい。

 それから一つ、ふんっと鼻を鳴らすとようやく透哩は口を開いた。



『お前の願いは矛盾している』



 意味がわからない。天使の次は願いときた。俺はなるべく透哩の瞳を見ないようにして、しかめっ面を透哩に向けた。

 

 殴った上に自宅まで押しかけての電波発言。普通に考えれば傷害に不法侵入。更には薬物使用の疑いもある。これは警察に突き出した方がいいのかもしれない。さすがに事なかれ主義を押し通すにも限界を感じ始めていた。



「……」

 

 思考を巡らし、押し黙っていた俺を透哩は観察するように覗き込んでいた。


『私が派遣されたんだ。無いはずはないのだが…… この世界の〝主人公〟は川篠定臣。お前だ』


 これはさすがに無理だろう。尚も続く電波発言に俺は遂に痺れを切らした。


「待った! 悪いけど通報する! 女の子に暴力とか振るいたくないけど…… また危害を加えてくるなら…… 反撃するから」


 俺のその言葉を聞いた透哩は少し驚いたような顔をした。あえて言わせてもらう。驚きたいのは俺の方だ!

  

 俺の判断は間違っていないはずだ。客観的に見ても冷静に対応出来ていると思う。俺は透哩に背中を見せない様にして電話の方へと近づいた。そんな俺を気にも留めず、透哩は更に話を続けた。



『定臣、お前には夢がない』



 俺は透哩のその言葉に思わず動きを止めた。

 確かに透哩が言うように俺には幼い頃から夢がなかった。

 そう、確かに夢はない。しかしそれをこの女にどうこう言われる筋合いがあるのだろうか。


「……言いたいことがよくわからないし、目的もわからない」


 俺は憤っている自分を隠すことなく透哩にそう告げた。そんな俺の感情など自分には関係無いとばかりに透哩は更に話を続けた。


 

『夢が無いなら願いを叶える。だが、その夢さえ矛盾している。

 ───定臣は厄介者だな』



 !?



 がんばれ俺! 冷静になれ俺! 相手は女の子だ!!

 

 必死に怒りを押さえ込んだ自分を内心で褒めつつ、俺はできる限り陽気に切り返した。


「OK、認めよう! 確かに俺には夢がない。さらに残念ながら願いもないんだよ。平穏無事に暮らしていければそれでいい。良く言えば現状維持。悪く言えば向上心なし。自分で言ってて若干、虚しくなってきたが─── これでいいか?」


『ふぅ……定臣はどうしようもない馬鹿だな。』


 ため息をついた透哩は、まるで可哀想なものでも見る様な目で俺をみつめた。


 その目は無いだろう。やばい、さすがに我慢の限界っぽい。

 

 「……とりあえず出ていけ!」


 自然と大声が出た。


 今までの人生の中で、女の子相手にここまでの大声を出したのはこれが初めてかもしれない。


 

 俺には一つの制約があった。

 それは十歳の頃に亡くなった祖母との約束だった。 

 ありがちな話だが〝女の子に優しくすること〟

 

 俺は幼い頃に交わした拙いその約束を徹底遵守していた。

 それだけに怒り心頭していても即座に後悔がやってきた。

 

 熱い中で妙に冷めた心を自覚する。それは不思議な感覚だった。

 まるでもう一人の自分が遠巻きに自分を見ているようなそんな感覚だった。



 俺もまだまだだな。自分にそう言い聞かせることでようやく冷静になれた。



「───悪い。今のは俺が良く無かった。まぁなんだ……今は空気が悪い。とりあえず今日は帰ってくれ。話があるならまた今度聞くからさ」



 俺は最大限に譲歩したつもりだった。場の空気を取り繕い、愛想笑いまで付けて次に会う約束まで提示した。だというのに無言の女帝、小波透哩さんは例のごとく


『……』


 これである。



 取り付く島が無いとはこの女のためにある言葉ではなかろうか。あまりの話の通じ無さにそんなことに思考を費やし始める。


 世の中にはアイコンタクトなる素晴らしいコミュニケーションが存在する。それに派生するのが無言の肯定などの素晴らしい文化である。人は目を見、空気を読み、相手との距離を測っていく。その積み重ねが人間関係を築いていくのだと少なくとも俺はそう思っている。


 では透哩は俺に無言で何かを訴えかけているのだろうか。俺は断言できる。こいつは俺に何も訴えてなんかいない。何故ならこいつのは無言ではなく無視だからだ。


 意思疎通が不可能な相手に対してどう対処したものか。先程の大声で怒鳴るという手段は全くもって意味を成さなかった。つまり命令という手段は失敗したのである。ならば他の有効な手段を選ぶのが効果的だろう。俺は再び笑顔を装着すると次なる手段を講じた。



「なぁ頼む! 今日は帰ってくれ……」


 

 ザ・懇願。押して駄目なら引いてみろの精神である。

 顔の前で両手を合わせる。そして流れるように玄関を指差す。

 そんな俺に面倒臭そうな視線を浴びせると透哩は一言呟いた。



『歯車』



 !?


  

 その一言に俺の心は激震した。俺は思わず目を見開いた。

 

 〝歯車〟


 その単語が朝からやけに引っかかる。



「……歯車?」



 無意識にそう聞き返した俺に透哩はにやりと嗤い、そして判決を下すように告げた。



『お前がなりたいのになりたくない物。大きな機構の一部』



 芳原さんの話が脳裏に蘇る。

 組織の中の歯車。俺はそれをくだらないと思った。だがそれと同時に、このまま平穏無事に歳をとり、何事もなく死んでいくことを満足だとも思っていた。


 

「……」

 

『だから定臣は矛盾している』



 透哩が言っている意味が理解できてしまった。

 くだらないけど満足している。確かにそうだ。 


 そう、俺は満足している……



 ─── いや



 ─── 満足している?



『─── そうか定臣…… 〝わかった〟』



〝わかった〟 確かに透哩はそう言った。



 そう…… 〝わかった〟 と。


 

 ─── ズドンッ


 

 いつの間にか暗くなっていた部屋に鈍い音が響いた。

 


「ぅぁ……」



 今の音はなんだろう。というかなんか変な声がでた。


 

  

 それより透哩はなんであんなに血だらけなんだろう?





 あれ? 目の前にいたはずの透哩を俺はなんで横から見てるんだろう。 





 

 透哩の正面にいるのは……?







 心臓を透哩の左手で貫かれた……








 俺だった。



  

 世界が暗転する。

 

 沈んでいく。


 それでようやく、自分が殺されたのだと理解した。


 

 死ぬと天に昇るとかよく言うけど、ほんとは沈むのか。

 我ながら最後に考えることがしょうもないな。

 

 遠ざかる意識の中、俺は最後にそう呟いた。


 

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