第2話「同居人」
雨宮は混乱していた。意識が戻るとそこは、見渡す限り一面が白色で壁はなく床だけが水平線のかなたまで続いているように見えた。
「何が起こったんだ……?」目をこすりながら呟いた。
ゆっくりと起き上がり、深呼吸をして息を整える。
「落ち着け…落ち着け…状況整理をするんだ」
(まず、ここはどこだ……?)
目を凝らしながらも周りを見渡すも、あたり一面は変わらず、白色に覆われている。しかし、ここにとどまるだけでは何も起こらないだろうと、踏ん切りをつける。一面が白のこの場所に端がないのか、脱出方法などを探すために、前に手を突き出しながら、まっすぐに歩き出した。
「壁はあるのか……」
北に数十分歩くと、前に突き出していた手に冷たく、硬いものが当たった。感触はあるが、目には全く見えず、白くもやもやしていた。
「破壊は…できないな」
試しに右手で思いっ切り殴るが、びくともしない。この壁が本当にガラスなのならば、雨宮の拳に触れた瞬間に雪のように粉々に砕け散るはずだった。だが、こうして壁はまったく揺れようとすらしない。
「まるで……!」
唐突に後ろに膨大な気配を感じ、とっさに振り向き臨戦態勢をとった。しかし、そこには何もなく、気配の一つも感じられなかった。雨宮は頭の中が混乱になりながらも、気配を感じた方向に向かって走っていった。
「はぁ、はぁ、どこだ。あの気配の正体はどこにいるんだ」
数百メートル走ったところで止まり、あたりを見渡す。しかし、変わらない風景に苛立ちすら覚えてしまう。雨宮の肌には汗がびっしりで、息が荒い。明らかに焦っているのだった。
『こっちだ』
うっすらと声が聞こえてきたと思ったら、先ほど感じた気配が真後ろから感じ取られた。
「誰だッ!」
腕を思いっきりと振り、威嚇攻撃をしようとするが、その拳は見事に空を切った。その気配によって、雨宮は大いに焦ってしまい、威嚇攻撃の力量を見誤ってしまった。普通の威嚇攻撃は、軽く殴り掛かる程度である。しかし、今の攻撃はそれこそ空を切ったのだが、人に当たってしまっていたのなら、全治二ヶ月の怪我を負わせてしまっていただろう。
この拳のスピードを捉え、避けることができる人はこの世界に魔法が存在していようが、一握りの人間しかいないだろう。三十年近く軍に従軍してくれば、力は人一倍以上に強くなるだろう。そのようなことから考えられることは一つだけ。本当に気配だけでそこには誰もいないという事実。
「嘘だろ! さっきは遠くからの気配だったから目に見えないだけかと思ったが……」
思考をフル回転させて考えていると、床が雨宮のことを反射していると気づく。床に映し出された雨宮は水面のように揺れていた。
それに驚いて、足を動かした。それにより、床に波紋が広がり、波紋と同じように揺れ、徐々に形を作りながら雨宮の後ろに何者かが現れた。
その何者からは殺意が感じられず、完全に形作られていないが、かすかに笑みを浮かべているように見えた。
「いや〜済まんね。もう一人の俺」
大体の形が作られ終わるとその人間は、申し訳なさそうに言葉を発した。
その人間は雨宮と姿形は瓜二つであるが、頭髪の色と、瞳の色が違っていた。真っ白にかぎりなく近い白髪に、瞳はダイヤモンドが少し黒ずんでいるような色になっている。
「もう一人の…俺……?」
「そう、もう一人の俺。お前の意識が戻る前のお前だ」
「すまん、いまいちよくわからないんだが……」
頭に手を当てながら、食い気味に言った。それを言われたもう一人の雨宮は、頭を悩ませるような仕草をした。
「うーん。言うなれば頭のなかの同居人かな」
「同居人か…なるほど」
顎に手を当てながら、呟いた。
「察しがよくて助かるよ。まぁ、俺のことは"柊"って呼べばいいよ」
「分かった。柊ね」
雨宮と柊は、未だ真っ白の空間で会話していた。雨宮は正座で座り、柊は堕落的な座り方をしている。
「この空間を形成するのが初めてでね、ちょいとてこずったんだ。迷惑かけた」
「だからあんな変な感じだったんだね。ああいうのは慣れてるから」
雨宮の慣れというのは、彼がかつての日本で苦しい生活をしていたときに、生ゴミをあさっては腹を壊すの繰り返しだったためだ。
この空間は柊の身体推奨魔術で作り出したものだそうだ。しかし、その魔術の全貌は教えてくれそうになかった。彼が言うには誰であろうと手の内は見せないほうがいいそうだ。
「その、身体推奨魔術っていうのは?」
雨宮は魔法やそれに関わるエネルギーについては義彦から聞いているが、身体推奨魔術という単語は聞いていなかった。
「身体推奨魔術、いわゆる固有魔法っていうのは、自分の体に最適化された魔術の総称を言う」一拍置いて、再び話し出す。「適合者本人は生命力消費を最小限で魔法を行使することができるが、他人が使うと莫大な生命力を消費することになる。それが、身体推奨魔術と言われている。固有魔法は遺伝子に影響されることがほとんどだが、稀に精神力が強い者に発現することがある」
「ということなら、俺はまだ発現してないんだな? その固有魔法とやらが」
「そういうことになる。義彦もそれを気遣って固有魔法について言っていなかったんじゃないかな。発現する年齢も個人差があるから」
柊が喋り終わると、少しの沈黙が二人の間で起こる。
「で、本題は?」
先に口を開いたのは雨宮の方だった。雨宮の瞳は鋭い目付きで柊の方へ向けられている。
「……わかった。話すよ、本題」雨宮の鋭い視線をはらいのけるように手をヒラヒラさせた。「学園の話さ。ほら、義彦に学園へ行くか相談されたでしょ」
そう言い、チラリと雨宮のほうを見る。
「ああ、まだ返答はしてない」
柊は、その言葉を聞いてニヤリと笑った。
「よかった。本題についてはまさにそれだ。その学園だが、お前が通いつもりならば、初等部は行かないことをお勧めするよ」
雨宮は柊のことを疑っている様な表情をした。
「なんでだ?」
雨宮の質問に柊は、即座に迷いなく答えた。
「あぁ、初等部は通うよりも独学で学んだほうが良いんだよ」
「……そうか」
(柊は何か隠してるな)
話が終わると、雨宮と柊のいた白い空間は、チョコのように溶け出したのである。床もろとも全て溶け落ちると、黒い空間に様変わりした。
しかし、床がとけようとも雨宮は、空中にとどまり続けることができた。柊に至っては、無重力状態になることもなく、そこに床があるかのように直立している。
黒い空間になるとすぐに、雨宮が白に近い虹色に発光しだした。
「そろそろ、元の世界に戻る時間だな。しばらく会うことができなくなる。会話も不可能だ」
「構わないな」
そのような会話をしていると、だんだんと雨宮の身体が透明になっていく。その現象は、十分驚きに値するが、雨宮はもうすでに慣れてしまっていた。
「そうだ」柊が思い出したかのように言った。「紗月によろしくな……」
聞き慣れない人名だった。雨宮はつい間抜けじみた声を放ってしまう。
「えっ?」
雨宮がつい間抜けじみた声を出したすぐ後に雨宮を黒い嵐が飲み込む。雨宮の視界は完全な漆黒が包み被さっていた。そして、意識も遠のいていった。




