体温とぬくもり
萌香に俺の事を話して以降、何か変わったか?といわれると、特に何かが変わったという訳ではない。
しいて言うならばバイト先で〈徹は私の彼氏〉という萌香の露骨なアピールが減ったという事ぐらいだろうか。
俺が浮気をしない、というかできない体質とわかって安心したのかもしれない。
まあ彼女の考えている事はよくわからないし聞いたところで理解も出来ないだろうから深くは考えない事にしている。
俺は相変わらず休みの度に萌香に連れまわされている日々だった。
基本的に恋愛ができない俺に対しても萌香はかいがいしく接してくれる。
本音を言えばもう少しゆったりとしたいという気持ちはあるのだが
休みの日などは家に居ても本を読むくらいしか時間を潰す事がない俺にとって
俺をグイグイと引っ張るように行動する萌香には感謝するべきなのだろう。
そしてあの日以来萌香はちょくちょく家に来るようになっていた。しかも必ず父さんのいる日にである。
いつものように萌香の作った料理を三人で食べた後、二人きりで部屋でくつろいでいると突然萌香が父さんの話をし始めた。
「徹のお父さんって何かカッコいいよね」
萌香の口から出た言葉は少し意外だった。
「そうか?まあ見た目は男っぽいという感じはするが」
「うん、徹とは全然似ていないけれど、男の色気って言うか、渋いというか凄くダンディズムを感じるわ。
年を取ってからモテるタイプじゃないかな?」
父さんの事をそんな風に見たことは無かった。やはり女性というのは独特の感覚というか視点を持っているのだなと感心してしまった。
ただ萌香が来てからというもの、ほとんど話さなかった父さんと少し話すようになったのは彼女のおかげだろう。
それに父さんもどことなく嬉しそうである。
「お父さんは何か趣味とか無いの?」
「特にないな、仕事の付き合いでゴルフとかすることもあるがそこまで熱心という感じでは無いし……
昔はボランティア活動とかしていたけれど今はあまりしていないみたいだ。
基本的には俺と一緒で本を読むことぐらいじゃないかな?」
俺がそう言うと萌香は少し驚いた表情を浮かべた。
「ボランティア活動って⁉そんな事をする人私の周りには一人もいなかったよ‼やっぱりすごいね、徹のお父さん」
何が凄いのか俺には理解できないが親を褒められる事は悪くないと思うべきだろう。
その時、子供の頃母さんを褒められると凄く嬉しかった事をふと思い出した。
「何か嬉しそうね、徹」
萌香が俺の顔を見てニコリと笑った。そうか、顔に出ていたのか。
「子供の頃によく母さんを褒められて凄く嬉しかった事を思い出したのだよ。俺の顔は母さんに似ているとよく言われた」
「へえ~そうなんだ。お母さんの写真とか無いの?」
「写真は無いが画像なら保存してある」
俺はパソコンを立ち上げ、保存してあった母さんの画像を萌香に見せた。
彼女は両目を大きく見開き、パソコンのモニターをマジマジと見つめた。
「徹のお母さん凄く綺麗な人ね。それと……うん、確かに徹に似ている、よく見るとそっくりじゃない。
遺伝子の力を感じるわ」
遺伝子の力を感じるとは具体的にどのような現象なのか不明だが、萌香の言いたい事は何となくわかった。
マウスのボタンをクリックし次々と保存してある母さんの画像を彼女に見せた。
その中には雑誌で取り上げられた時の記事やテレビのインタビューの動画も含まれていた。
「へえ~、雑誌やテレビにも出ていたの?徹のお母さん本当に凄い人だったのだね⁉」
萌香は思わず感嘆の声を漏らす。モニターの中の母さんは美しく、知性を感じさせるその目は自信に満ち溢れていた。
「ああ、母さんは凄い人だった。頭が良くて美人で仕事ができて人当たりも良かった。
料理が得意で友達が家に来た時などは特製のお菓子を作ってくれたりもした。本当に俺の自慢の母親だったんだ……」
自分で口にしながら心に黒く重苦しい何かがのしかかって来る。
ほとんど感情を無くしてしまった俺が母の事になると未だにこういった負の感情が押し寄せてくる。
「だが、母さんの唯一ともいえる欠点。それが子供を愛せなかった事……それを苦に母さんは……俺のせいで、俺は……」
それ以上は口にできなかった。こんな事を言うつもりは無かったのに……
嬉しいとか楽しいとか好きだという感情は殆ど消えてしまったというのに
どうしてこの苦しい感情だけは消えないのか。俺は己の理不尽な心を呪った。
俺の心が暗くて重い何かに支配された時、萌香が俺の頭をギュッと抱きしめた。
「大丈夫だよ、徹。私が愛してあげる。お母さんが愛せなかった分まで私が徹を愛してあげるから……」
抱きしめられた頭から萌香の体温が伝わって来る。それは心と同じで温かく優しいモノなのだろう。
だが俺には物理的な温度しか感じる事ができないのだ。
萌香の優しさも、慈しみも、愛情も、何一つ感じる事ができない。それがもどかしく、口惜しかった。
「有難う、萌香……」
俺にはそれしか言えなかった。俺の異常性を知りながらここまでしてくれる彼女の思いに何とか応えなければ……
この時の俺は本気でそう思ったのである。
「うん」
彼女は一言、小さな声で答えた。
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