心の治療
「前にさ、私が金村のせいで店長に凄く怒られた事があったじゃない……」
しみじみと語り始める萌香の横顔を見ながら俺は黙って話を聞くことにした。
ちなみに金村というのは俺達のバイト先の先輩で、バイトリーダーのような立場の人間だ。
「私が金村に言われて仕込みの準備をしていたら店長が物凄い形相で入って来ていきなり私を怒り始めた。
私は何が何だかわからずに固まっていたのだけれど、どうやら私がやっていた仕込みの準備が間違っていたらしくて
店長は怒り心頭って感じで一方的にまくしたてて来たのよ。私は今更〈金村さんに言われて……〉とも言い出せなくなっていた
それに金村の指示でやっていたのだから当然金村が〈それは私がやらせたものです、すいません〉と言ってくれると思っていた……」
萌香は当時の事を思い出し怒りに震えていた。
「でもアイツ、何も言わなかった。私が怒られているのに何も言わず黙って知らんふりをしていたのよ、信じられる⁉
しかも店長が散々私に文句を言ってようやく収まってきた頃に金村の奴
〈私の方からもきつく言っておきますので〉とか言ったのよ‼ありえないでしょ⁉
もう私、悔しくて、悔しくて、涙が出て来たわ……」
萌香はまだ怒りが治まらないといった感じだった。
確かに金村という人間は下に厳しく自分に甘いという典型的な人物でバイト先の同僚からも嫌われている。
「私が裏で泣いているとみんな私を慰めてくれた。
〈気にするなよ〉とか〈店長は短気でダメだよな〉とか〈金村さんって本当に嫌な人ね〉とか
〈気晴らしに今度カラオケでも行きましょうよ〉とか、色々と気を使ってくれた。
ほら、私って結構可愛いじゃん、だから今までもチヤホヤされてきたの。
だから周りがそういう風に言ってくれるのは当たり前だと思っていたわ。だけれど徹だけは違った」
「俺が?その時、俺は何かしたのか?」
萌香はジッとこちらを見て来たが俺にはその時の記憶が全くといっていい程無い。
そんな俺を見て萌香は〈そうだよね〉と、ばかりにクスリと笑った。
「徹は裏で泣いている私に向かってこう言ったのよ〈アンタが仕事をさぼっていると他の人の仕事が増える。
給料をもらっているのだからきちんと働けよ〉って」
俺はそんな事を言ったのか。だがにいかにも俺が言いそうな台詞ではある。
「それで俺の事を好きになったのか?」
「そんな訳ないじゃない‼」
即否定された、まあそうだよな。
「私、徹の言葉を聞いて驚いて声も出なかった。信じられない、あり得ないって思った。
私が傷ついて落ち込んでいるのにかける言葉がそれなの⁉って本気で腹が立ったわ。
でもそれで意地になって仕事に戻った。でもしばらく泣いていた分、私の仕事が溜まっていて焦ったわ。
でもその時、徹だけが自分の仕事を早めに片付けて私を手伝ってくれた。
何も言わず黙って黙々と手伝ってくれた。他の仲間たちは何もしてくれなかった。
その時の空気というか店長や金村の目が怖かったのね……」
萌香はどこか寂しそうにしみじみ語っていた。
「そして次の日、店長がいきなり私に向かって謝ってきた。私は何が起きたのかさっぱりわからず戸惑っていると
〈昨日の事は本当に悪かった、アレは金村の指示でやった事だったのだね、君には少しも責任は無かった。いや~本当に悪かった〉と
大きな体の店長がペコペコと頭を下げる姿は少しおかしかったわ。
それで〈どうしてそれがわかったのですか?〉って聞いたら。
〈いや、松原君が教えてくれたのだよ。昨日の前島さんのミスは金村さんの指示でやった事ですよ、彼女は金村さんを庇っただけです〉とね」
萌香はどこか嬉しそうに当時の事を語った。
「それを聞いた私は物凄く驚いたわ、あの不愛想で何を考えているのかわからなかった徹が実はいい人だったとか。
私の中で徹の株が一気に急上昇したわ。その後、金村の奴が店長に散々怒られているのを見て胸がスッとした、ざまあ見ろと思ったわ」
萌香は語り終わるとうるんだ目でジッと俺の目を見て来た。
「それで俺の事を好きになったのか?」
「当たり前じゃない、そんな事をされて好きにならない人なんかいないよ」
いや、いっぱいいると思うが……まあ人の心がわからない俺が乙女の恋心について語るのもおかしな話だし、ここはスルーしておこう。
萌香は話し終わると再び俺の肩に寄りかかるように身を寄せて来た。
「ねえ、どうして徹は私に何もしようとしないの?」
それは囁くような言葉だった。
「付き合う時に言っただろ。俺は普通じゃないって」
「そんなに私、魅力ない?」
消え入りそうな声で問いかけて来る萌香。どうも話が咬みあっていないな、ここはしっかりと言っておいた方がいいだろう。
俺の秘密をバラすことになるがそれも致し方ないだろう。便宜上ではあるが萌香は俺の彼女である
ならば打ち明けてもいいだろう。
俺はもたれかかってきている萌香の細い両肩をがっちり掴むと強引にこちらに向けた。
突然の展開に萌香は体を固くし緊張するそぶりを見せたが、俺はかまわず顔を近づけて萌香に言った。
「なあ、聞いてくれ萌香、俺は……」
俺が意を決し説明をしようとした時である。萌香は何を勘違いしたのか目を閉じそっと唇を突き出してきた。
いやそうじゃない、違うって……
「勘違いしないでくれ、萌香。俺はそういうつもりじゃない。話を聞いて欲しいのだよ」
勘違いとわかった萌香は顔を真っ赤にして物凄く恥ずかしそうにうつむいた。
「やだ、私ったら……でも今のは、さすがに……勘違いしても仕方がないよね……」
萌香は顔を背けながら何かいい訳にもならない独り言をブツブツとつぶやいていた。
「俺の言動が誤解を招いた事は認めるからきちんと話を聞いてくれ。大事な話なんだ」
俺の言葉にただならぬモノを感じたのだろう。萌香は急に真剣な顔でこちらを見て小さく頷いた。
「この話は誰にもした事がない、聞いていてあまり気持ちのいい話ではないだろうが聞いて欲しい。
萌香だから話すのだ。いいか?」
すると萌香の表情が突然パッと明るくなりベッドの上で急に正座をすると。目を輝かせながら口を開いた。
「聞かせて、ぜひ‼」
聞いてもあまり気持ちのいいモノじゃないと前置きしたのに
どうしてコイツはこんなに目を輝かせて食い気味に来ているのだろうか?本当に理解できないが、まあいいか。
「どうして俺がこんな人間になってしまったか?という事を聞いて欲しいんだ……」
萌香は何度も大きく首を縦に振った。その姿はまるで犬が餌を待っている姿にも似ていたが、この際それは置いておこう。
俺は子供の頃の話をした。母さんが俺を愛せずに心を病んでしまった事、そして俺の一言で自ら命を絶ってしまった事
それ以来俺の心は壊れてしまって感情が薄くなってしまった事を話した。
最初は目を輝かせて聞いていた萌香だったが思いの外俺の話がハードだったせいか、段々と険しい表情になり最後の方では何のリアクションもなかった。
「徹、私、その……何と言っていいか……」
やはり俺の話がかなりショックだったのだろう、萌香は驚きを隠せず頭が混乱しているようであった。
「いきなりこんな話をしてすまない。だが萌香には知って欲しかったのだよ。
心が壊れてしまった俺は成人男性としての女性に対する感情や欲情がほとんど働かない。
萌香が悪い訳じゃない、俺がおかしいのだ」
萌香が不思議なモノを見るような目で俺を見た。
「じゃあ……女の子を好きになったりしないの?」
「ああ、今のところそういう傾向は無いな」
「じゃあ、好きな人とキスしたいとか、Hなことしたいとか、全然思わないの?」
「思わないな。キスとか、性行為とか、全くしたいと思わない。それどころか考えただけでも気持ちが悪い」
「今流行りの同性愛者……とかではないのだよね?」
「ああ、違う。同性とか異性とか関係ない。俺は人を好きになれないのだ」
俺の突然の告白に萌香は唖然として言葉を失っている様だった。
まあ無理もない、こんな男と付き合いたいという女はいないだろうからな。これで萌香とも終わりだろう……
俺がそう考えている時、萌香は絞り出すように言葉を発した。
「じゃあ、どうして……どうして私と付き合う事にしたの?」
それは魂の言葉と思えた。これ以上率直でストレートな質問は無いだろう。
だが俺はこれ以上ない程の不誠実で残酷な答えを返すことになる。
「俺の心のリハビリと訓練の為に萌香を利用した」
萌香は言葉を発することもなく愕然とした表情でこちらを見ていたが、やがてうつろな目で独り言のようにつぶやいた。
「そっか……そういえば徹、付き合う時そんな事を言っていたね……利用か……」
この様子を見ればいくら心の無い俺でもわかる。俺は萌香を深く傷つけた。
「すまない、萌香。幻滅しただろう。当然だ、全て俺が悪い。別れたいのなら別れてもいい、その方がお前にとっても……」
俺がそう言いかけると、萌香は突然我に返ったかのようにこちらを振り向き強い口調で言い放った。
「別れないわよ、絶対に別れない‼」
萌香は全身で拒絶するがごとく、俺を睨みつけるように言った。
どうして?……俺の頭にはその言葉しか浮かばなかった。そんな俺の考えを察したのか萌香は静かに語り始めた。
「わからないって顔しているね?簡単な事よ。好きなんだもん、私、徹が好きなんだもん、どうしようもないくらいに……」
萌香の目から涙がこぼれ落ちた。そんな萌香の姿を見ても心が動かない自分に少し苛立ちを覚えた。
心が壊れてしまっている俺が彼女にかける言葉など無いのだ。
二人きりの部屋に静寂が訪れ、気まずい雰囲気と重苦しい空気が全身にのしかかって来る。
こんな時、俺はどうすればいい?俺はどうすれば……答えの出ない問題を必死で考えていると。
萌香が突然ベッドから立ち上がり自分の両頬をペチペチと叩いた。
「くじけるな、私‼考え方よ、考え方次第よ、ある意味これはいい事じゃない‼」
萌香は自分に言い聞かせるように言葉を発する、俺は茫然と彼女を見守った。
すると萌香はベッドに座っている俺を見降ろしながら俺の顔の前に指をさしてきた。
「徹、貴方は病気なのよね?だったら私が治してあげる。絶対に私の事を好きにさせてあげるわ。
そうよ、考え方次第ではこんなイケメンエリートが女子に興味がないって、それって絶対に浮気しないって事じゃん。
ある意味理想の彼氏って事じゃない、よし、覚悟しなさい、徹‼」
俺はあまりに意外な展開に呆気に取られていた。俺が病気?まあ病気といえば病気なのだろう。俺は萌香の強さに思わず感心してしまった。
「じゃあ診察を頼む、ドクター萌香」
俺がそう言うと萌香はニコリと笑って言った。
「先生に任せなさい‼」
萌香は精一杯の笑顔で自分の胸をドンと叩いた、そんな彼女の姿を見て俺も微笑んだ。
もちろん心からの笑みではない、そうするべきだと判断したからしたまでの事だった。
これで萌香にも俺の事を理解してもらえただろう。まあ本当の意味では理解などできないだろうが
俺がそういう男だという事を知ってもらっただけでも良かったと思う。
だが俺は一つ失念していたのだ。自分の過去の話をした際に萌香に伝えなかった事があった。
おそらく無意識の内に〈萌香にこれ以上余計な不安を与えない方がいいだろう〉という自己判断だったと思う。
それは志穂さんについての事だった。
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