初恋
その日を境に僕は彼女、坂本志穂の事が大好きになった。
「志穂さん、今日学校でね……」
何かある度に志穂さんに話した。今までたまっていた鬱憤を吐き出すかのように全ての感情を彼女にぶつけた。
志穂さんはそんな僕の話を聞いてくれた、優しく微笑み何度も小さく頷きながら〈そう、良かったね〉と嬉しそうに聞いてくれたのだ。
だから僕は志穂さんに話をどう聞いてもらおうか?と頭を回転させたものである。
そして彼女はただ聞いてくれるだけではなかった。僕の考えが間違っていると思ったときは。
「徹君、それは間違っているわ。友達の事をそんな風に言ってはダメよ」
「違うよ、僕はそんな風に言ったつもりは無いのだけれど……」
僕は志穂さんに話を聞いてもらいたくて少し大げさでやや演出過剰気味に話を盛って語っていた。
そこが行き過ぎてクラスの連中の事を馬鹿にしてしまう事が度々あった。
そんな時の志穂さんは必ず僕をたしなめてくれた。それが僕には嬉しかった。
志穂さんのおかげもあって僕の心の傷も徐々に癒え毎日が楽しく感じられた。
この幸せな時間がずっと続けばいいのに……と思っていた。
だがその幸せな時間は長くは続かなかったのである。
ある日の事、学校ではインフルエンザが流行りクラスの生徒数人が来られない為に授業中止というという状況が起きた、いわゆる学級閉鎖というやつである。
先生からその報告を聞いた時、僕は挨拶もそこそこに喜び勇んで教室を後にした。
なぜなら今日は水曜日、志穂さんが来る日だからである。
家に着くと僕はあることを思いついた、こっそりと家に入って志穂さんを驚かしてやろうという計画である。
まだ時間的に志穂さんが来ていない可能性もあったがその時は部屋のどこかに隠れて志穂さんを驚かせるというプランに切り替えるだけだ。
僕はなるべく静かに鍵を開けそっと玄関の扉を開けた。
中に入ると奥から話し声が聞こえて来た、どうやら父さんと志穂さんが話している様だ。
そうか、そういえば今日は父さん休みだと言っていたな……
そんな事を思いながらリビングに近づき扉を開けようとした時である。
「嫌よ、そんなの‼」
中から叫ぶような声が聞こえて来た、僕は驚いて硬直してしまう。
間違いない、志穂さんの声だった。しかしこんな志穂さんの声は聞いたことがない
父さんを相手に何を話しているのだろうか?僕の心に不安がよぎった。
「落ち着いて、志穂。わかって欲しい」
「そんな、無理よ……」
事情は僕にはわからないが複雑でかなり込み入った状況であることはわかった。
僕はしばらくリビングの扉の前で立ちすくんでいると突然扉が開いて中から人が飛び出してきた、志穂さんだった。
泣いていた。志穂さんは右手で口を押えボロボロと涙をこぼしながら泣いていたのだ。
僕の頭はパニックを起こし何が起きたのか理解できない、いや理解したくない。
僕は茫然として志穂さんを見上げた。次の瞬間志穂さんと僕の視線が合った。
志穂さんの目が大きく見開き僕を見た。戸惑いと困惑と焦燥が入り交じった表情で僕を見たのだ。
知っている、僕はこの目を知っている。そう、これは母が僕に向けたあの時と同じ目だ。
僕にはその瞬間がまるでスローモーションのように感じられた。
僕を見降ろす志穂さん、志穂さんを見上げる僕。そして志穂さんは消え入りそうな小さな声で呟いた。
「ごめんね、徹君……」
志穂さんはそのまま玄関から出て行った。追いかけるようにリビングから飛び出してきた父さんが僕の姿を見て驚いていた。
「徹、どうして……」
父さんはそれ以上言わなかった。それは〈こんな時間にどうしてお前がいるのだ?〉という意味なのだろう。
もしかしたら〈どうしてお前はいつも聞いてはいけないモノを聞いてしまうのだ?〉という意味なのかもしれない。
だがそんな事はどうでもいい。その瞬間子供の僕にもわかった。おそらくもう志穂さんに合う事は無いのだろう、と……
その後、少しだけ落ち着いた僕はすがるような気持ちで父に問いかけた。
「ねえ、父さん。志穂さんと何があったの?」
僕の本心は〈別に何も無い、些細な事で言い争いになっただけだ。また土曜日には来てくれる〉という言葉を待っていた
頼むからそう言ってくれと心で叫んだ。だが父の口から出た言葉はある意味僕の予想通りの言葉であった。
「志穂さんはもう、来ない」
父の吐いた言葉はそれだけだった。僕に説明するにはそれで十分だと考えたのだろう
口数の少ない父らしい言葉だった。僕が聞きたかった事はそれだけだったのでそこで会話は終了した
そして色々なモノが終わったと思った。
父の言葉通り志穂さんはもう家に来る事は無かった。
土曜日には代わりのヘルパーさんが来た、四十過ぎの少し太ったオバサンだった。
僕とは自己紹介と簡単な挨拶を交わしただけでその後も僕に絡んでくる事は無かった。
僕の心は再び暗雲に包まれた。そして志穂さんがいなくなって初めて気づいた事があったのだ。
僕は志穂さんに母を求めていただけではない、これが僕の初恋だったのだと……
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