罪の所在
長いようで短かった長野からの二人のドライブは終わり契約している駐車場に到着すると車を停めて自宅のマンションまで二人で歩いた。
自宅のマンションに着くと彼女は建物を見上げながら深く深呼吸をして自分の両頬をパチンと叩くと
〈良し‼〉と気合を入れてエントランスに入りエレベーターに乗り込んだ。
玄関を開けるとそこには父さんが立っていた。
「いらっしゃい」
父さんはぎこちない挨拶で俺達を出迎えてくれた。それに呼応するように彼女は深々と頭を下げた。
「ご無沙汰しています、信二さん」
「あ、ああ……上がってくれ」
いつも堂々としている父さんが変に緊張している姿を初めて見た。二人の間に妙な緊張感が生まれる。
俺は彼女と横並びでリビングのソファーに座った。正面には父さんが座っている。
坂本家ではほとんど彼女が話を進めてくれたので俺はただ付き添っているだけという感じだったが、今回はそうもいかないようだった。
志穂は終始うつむいたままで父さんの顔をまともに見られないようであり。父さんも何をどう話していいのか戸惑っている様子だ。
元々口数が少ない人だけに気の利いた事を言おうとして余計に焦ってしまっている感じだ。
こんな二人を見るのは始めてなので俺も驚いてしまったがここは俺が主導で話を進めなければいけないという事だけはわかった。
「父さん、先日も話したが俺は彼女が……志穂が好きだ。だから付き合う事にした」
「ああ、そうか」
父さんは短く返事すると彼女は俯きながら両こぶしを握り締めた。
「父さん、聞いて欲しいのだけれど、彼女は最初俺との交際を躊躇して断った。
それは父さんとの事を気にしたからだ。それでも俺は諦めきれずに彼女に迫った、どうしても志穂の事が好きだから
結局最終的には彼女はそれを受け入れてくれた。もう志穂は俺の恋人だよ」
俺は父さんの目を見て真剣に訴えかけた。父さんも無言で小さく頷く。
「徹……」
ウチに来てからずっとうつむいてまともに喋れなかった志穂が俺の方を見て嬉しそうに微笑んだ。
よし志穂の為にももっと言ってやる。
「そして志穂はこう言ってくれたんだ。父さんが何度も抱いたこの体を貴方は抱けるの?って。俺はその時……」
その瞬間、パーンという衝撃音と共に俺の後頭部に何かがぶつかった痛みが伝わってきた。
俺は驚いて後ろを振り向くと、そこには顔を真っ赤にしてハアハアと息を荒げた志穂が立っていた。
「何を言っているの、何を言っているの、何を言っているのよ‼」
彼女はひどく興奮している状態だった。俺にはなぜ彼女が怒っているのか理解できない。
俺が困惑気味のまま言葉を失っていると、それをフォローするかのように父さんが口を開いた。
「何度も……って、俺は二回しか……」
その瞬間、父さんの顔に志穂のバックが投げつけられ彼女が怒鳴るように言い放った。
「い、い、い、言わんでいい‼」
その時俺は父さんの言葉に少し安堵しすぐさま言葉を返した。
「何だ、二回か。だったら俺の方が……」
俺が言いかけた時、目を血走らせ鬼の形相を浮かべた志穂が俺の胸ぐらを掴んでいた。
「それ以上言ったら本当に別れるわよ‼」
「えっ⁉どうして……」
「どうしてもこうしても無いわ、わかったわね‼」
「あっ、はい……」
俺にできる返事はそれしかなかった。別れるどころか殺されるかと思った瞬間だった。
改めて仕切りなおした俺達だったが今の騒動で志穂はすっかりリラックスした様だ。
「信二さん、私、徹さんとお付き合いしています」
彼女はまっすぐ父さんの顔を見て話した。
「うん」
父さんも短く答える。その顔には嬉しさと安堵の表情が浮かんでいた。
妙な緊張感が無くなったせいか、そこからは順調に進んだ。
志穂が喋りその話を聞いた俺と父さんが頷く。とりとめのない話を三十分ほどした後、彼女はふと立ちあがった。
「さて、お腹もすいたし、夕食でも作りますか」
彼女は立ち上がりそのまま台所へと歩いていった。俺と父さんが呆気に取られているとそれを察してか彼女はこちらを見て微笑んだ。
「勝手知ったる松原家の台所、七年ぶりに腕を振るうわ」
志穂はスーツを脱ぎ、腕まくりをして料理の準備にかかる。
「でも男所帯の二人暮らしだと食材とかは……」
彼女はそうつぶやきながら冷蔵庫を空けると少し驚いた声をあげた。
「あらっ?意外と食材あるじゃない。自炊するようになったの?」
彼女は不思議そうな目でこちらを見た。が、その瞬間、俺と父さんはビクッと硬直し気まずそうな表情を浮かべた。
そう、この豊富な食材は萌香が残していった物だ。度々食事を作る為に来てくれた萌香は食材も置いていくようになったのである。
そのことを俺も父さんもすっかり忘れていたのだ。固まる俺達を怪訝そうな目で見ていた志穂は冷蔵庫の横にかけてある赤いエプロンに気が付く。
それを手に取り広げると猫のイラストが縫い付けてあるのが目に入った。
「あら、可愛いエプロンね」
彼女はそう言って俺達の方に視線を向けた。その時の俺と父さんの態度で全てを理解した様だった。
「ふ~ん、どうやらこの食材とエプロンは前の彼女さんが置いていった物みたいね」
図星である。これが女の勘というやつだろうか?口元に薄っすらと笑いを浮かべながらこちらを検閲するような目で見てくる彼女を前にしてどんな言い逃れも無理だと悟った。
しかしこのまま死刑判決を待つだけではあまりに無力な為、できる限りの弁明をすることにした。
「ち、違うのだよ、志穂。その食材とエプロンは確かに前の彼女が用意した物だけれど
別れてから時間が経っていないので処分する暇が無かったというか、何というか……」
身振り手振りを交えて必死に言い訳する俺の姿を見て彼女はクスリと笑った。
「別にそんなに怒っていないわよ、前の彼女さんには悪いけれど食材はありがたく使わせてもらうわ、材料に罪はないものね」
志穂は特に怒ってはいない様で俺も父さんも思わずホッとした。
すると彼女は赤いエプロンを手に取り折りたたむとそのままゴミ箱に入れた。
俺と父さんがあっ⁉と驚きの声をあげると志穂はいぶかし気な表情でこちらを睨むように見た。
「いくら私でも前の彼女が使っていたエプロンをそのまま使用するほど寛容じゃないわ」
俺も父さんも〈そうですか〉とばかりにうなずくことしかできなかった。
食材には罪はないがエプロンには罪があるというのだろうか?
その辺りの罪の所在と裁量は俺には理解できない領域だった。
エプロンは食材の贖罪として犠牲になったという事なのだろうか?
呆気に取られている俺達を見た志穂は俺と父さんをジッと見て小さくため息をついた。
「ハア、なるほど、前の彼女さんは中々のやり手だったみたいね。古の格言に基づいて胃袋を掴みに来たという訳か……」
そして彼女は戸惑っている俺の前にゆっくりと歩いて来ると、人差し指を俺の顔の前に突きつけてきて、宣言するように言い放った。
「いいわ、舌も心も全部私色に染めてあげるから」
彼女はまるで勝ち誇るように言った。もう俺の心はすっかり君色に染められているのだが、それを言うのは野暮というやつなのだろう。
彼女のおかげで随分人間としての感覚が身に付いてきている気がした。




