交際宣言
一連の行為が終わり一段落すると志穂さんは微笑みながら俺の顔を覗き込んできた。
「何?」
俺が問いかけると志穂さんはにっこりと笑みを浮かべた。
「何か不思議な感じがしてね……」
志穂さんはしみじみとした口調で俺の顔をジッと見つめている。
「不思議って、何が?」
俺が再び問いかけると志穂さんはクスリと笑った。
「だって、私が徹君と初めて会った時、貴方はまだ小学生だったのだよ。あんなに可愛いかった徹君とまさかこんな事になるなんて……男と女はわからないわよね」
志穂さんはそう言って俺の胸に顔をうずめて来た。
「ねえ、志穂さん」
俺が話しかけるとそれまで感慨にふけっていた志穂さんは不機嫌そうな顔をこちらに向けた。
「その言い方止めてよ」
「えっ、何で?」
俺は思わず聞き返す。
「その〈志穂さん〉って言い方よ」
「どうして?志穂さんは志穂さんじゃないか」
俺が当然のように言うと志穂さんは目を細め、顔を近づけて来る。
「ねえ、私は貴方の何?」
「何?って……」
志穂さんにどんな答えを期待されているのかわからずに戸惑ってしまう。すると志穂さんはワザとらしく大きなため息をついて再び口を開いた。
「ハア……いい、私は貴方の恋人、彼女になったのよ。その恋人に対して〈さん〉付けはおかしいじゃない‼」
志穂さんは頬を膨らませ怒った仕草を見せた。それにしても恋人だと?志穂さんが俺の恋人⁉
志穂さんに言われるまでピンとこなかったが何かジワジワと実感がわいてきた。
「でも俺にとって志穂さんは志穂さんだからなあ……その呼び方じゃダメなの?」
「ダメよ‼」
即答だった。
「どうして?」
俺は素直に問いかけると志穂さんは視線を逸らして答えてくれた。
「貴方に〈志穂さん〉と呼ばれると、私は〈いいお姉さんでいなければいけない〉という気にさせられるのよ。だから止めて」
なるほど、そういうモノか。そういった心境には全く気が付かなかった。
「じゃあ、どう呼べばいいの?」
「志穂って呼び捨てにして」
俺の質問に対し食い気味に答える彼女。
「呼び捨て⁉何か少し抵抗があるなあ……」
俺は素直な気持ちを吐露する。
「志穂って呼んでくれなければ返事しないから」
彼女はスネたようにポイっと横を向いた。先ほどまでのクールな大人の女性という雰囲気から随分と様変わりしたが
俺はこれが本来の彼女だと知っている。
「じゃ、じゃあ……し、志穂」
「なあに、徹?」
恐る恐る口馴染みのない言葉を発した俺に対し、彼女は素早くこちらに振り向き満面の笑みで返してくれた。とにかく彼女の嬉しそうな顔が俺を幸せにしてくれた。
「もう一度、もう一度志穂って呼んで……」
彼女は俺に寄り添うように頭を寄せてきて静かに言った。
「大好きだよ、志穂」
「うん、有難う」
俺は彼女と唇を重ね、再び愛し合った。俺の中で志穂が恋人になった瞬間だった。
俺と志穂はそのままラブホテルに宿泊し翌朝彼女の実家へと向かう事にした。
二人が正式に交際することを報告するためである。
「大体、二十七歳の娘の恋愛に家族が口出ししてくるってどうなのよ?」
車の助手席で彼女はブツブツと文句を言っていた。どうやら家族が自分の恋愛にアレコレ口出しさしてくることが不満の様である。
「でもそれは仕方がないと思うよ。相手である俺はまだ二十歳の学生だし……」
すると彼女はいぶかし気な目でこちらを見て来た。
「徹、貴方どっちの味方なのよ?向こうの肩を持つつもり⁉」
言いがかりともとれる言い回しだが彼女にしてみれば単純に自分の意見に同調して欲しかったのだろう。
それを思うと何だか彼女が可愛く思えて来た。
「どっちの味方も無いよ。ご両親にしてみれば相手がまだ二十歳の学生というのは不安だろうし、一応こちらの意図として〈結婚を前提に〉と伝えてあるしね」
「そんな正論、聞きたくないわ」
俺の意見は理不尽なまでに一刀両断された。まあ本気で怒っている訳ではないので良しとしよう。
「でも心はいつも君の味方だよ、俺が愛しているのは志穂だけだから」
俺がそう告げると彼女は窓の外に視線を向けてボソリとつぶやいた。
「有難う……でも徹って何か、ズルいわね」
「えっ⁉何が?」
俺は彼女の言葉にどこか納得できずに聞き返した。
「だって、徹ってそういう事をサラッと言うじゃない。日本の男性はそういった台詞はあまり言わないモノよ
よほどのジゴロじゃない限り」
「そうなの?まあ俺が普通じゃないのは自覚しているし、単に素直な気持ちを口にしているだけなのだけれど……」
「そうよね、わかっている、わかっているわ。これは私の問題なの」
彼女は自分自身を納得させるかのようにつぶやいた。
「どういう事?」
俺が再び問いかけると彼女は恥ずかしそうに答えた。
「そういう事を言われて一々喜んでいる自分のチョロさに腹が立つのよ……」
恥ずかしそうに窓の外を見ている彼女は耳まで赤くなっていた。
そんな彼女の言動がとにかく可愛く愛おしかった。俺はその勢流れのままある質問をぶつけてみた。
「ちょっと聞いていいかな?」
「何、あらたまって?」
志穂は少し意外そうな表情を浮かべこちらに振り向いた。
「俺は子供の頃から君が好きだったから恋人同士になれたことは念願を叶えたといえるのだけれど。どうして君は俺と付き合ってくれる気になったの?」
俺にとっては最も聞きたい事柄だったのでこの流れでなら、と思い聞いてみたのだ。
「そうね……」
彼女は遠くを見るような目で車のフロントガラス越しに空を見た。
「やっぱり最初は抵抗があったわ。何せ私は貴方のお父さんと交際していたのだし、本気で貴方のお母さんになろうと思っていた時期もあったのよ。でも……」
彼女は話を一旦区切り、心を落ちつかせるような仕草を見せた後、再び語り出した。
「ずっと私を好きでいてくれて、私だけを好きだ、君しか愛せない とか言われたら嬉しいじゃない。やっぱり私も女だし……」
彼女はそれ以上言わなかったが気持ちは伝わってきたので俺は満足した。
それからの彼女は終始ご機嫌であった。窓の外に見える景色を指さし〈あそこの店には家族でよく行ったわ〉とか
〈あのコンビニ潰れちゃったのか~〉とか、〈私あそこの先にある高校に通っていたのよ〉とか途切れることなく話していた。
おかげで彼女が中学時代にバスケ部だった事や高校時代はハンドボール部のキャプテンをやっていたことも知った。
昨日の夜は窓の外を見ながら物憂げな表情でずっと押し黙っていた人と同一人物とは思えない豹変ぶりだったが、俺にはそれがとても嬉しかった。
彼女の実家に到着すると心なしか緊張してきた。何せ〈娘さんと結婚を前提に交際することになりました〉とご家族に報告するのだ。
車から降りてドアを閉めると益々緊張感が高まって来る、こんな経験は初めてだ。
昨日から俺にとっては初めて味わう事ばかりだが苦ではなかった。
俺がそんな色々な事を考えていると彼女は突然俺にすり寄り腕組みしてきたのだ。
しかも顔を俺の体の方へと傾け、身を寄せるようにくっついてきたのである。
「ねえ、これ何のつもり、志穂さん?」
俺が問いかけるが彼女からの反応はない。この距離で聞こえないはずは無いのだが……
「ねえ、聞いている志穂さん?ご両親の前でこの態度はマズくない?」
俺が再び話しかけるが彼女はガン無視の姿勢である。その時俺はある事を思い出した。
「ねえ、志穂」
「なあに、徹?」
俺の呼びかけに即反応した志穂は満面の笑みで振り返った。
彼女は〈志穂って呼んでくれなければ返事しないから〉という公約をさっそく守ったのである。
「ご両親にご挨拶に行くのに、この態度はマズくない?」
「いいわよ、いい年をした娘の恋愛事情に一々口を挟んでくるような家族には思いっきり見せつけてやるのよ‼」
志穂は鼻息荒く言い放った。彼女なりの精いっぱいのアピールなのだろう。
俺にはその理屈は全く理解できないがここは黙って従っておくのが吉なのだろ。それだけは学習した。
「ただいまー‼」
声高らかに玄関を入っていく志穂。報告を兼ねて昨日の続きの話をするという事で再び居間にご両親と弟さんが集まってくれた。
俺達二人と向こうの家族がリビングテーブルを挟んで話をするというのは昨日と同じなのだが、志穂の態度が明らかに昨日と違う。
俺と腕を組みながらピッタリと身を寄せ終始笑みを浮かべているのだ。
娘のあまりの豹変ぶりにご両親も言葉を失い呆気に取られていた。
「私達、付き合う事にしたから。以上、報告終わり‼」
志穂は家族に向かって宣言するように言い放った。俺はどう説明しようかと悩んでいたのだが、その不安と緊張は無駄に終わりそうだ。
呆気にとられ言葉の出ないご両親の横で弟さんが思わず口を開いた。
「姉ちゃん、その変わりようは……はっ、そうか⁉昨日その男とやっちゃって……」
弟さんがそう言いかけると志穂はテーブルに置いてあったお茶の葉が入った缶を素早く手に取り弟さんに投げつけた。
投げられたお茶の缶は見事弟さんの顔面を直撃しカーンという甲高い音が鳴り響いた。さすがは元ハンドボール部の主将である。
「そういう事だから。もういいわね」
強引に話を切り上げようとする彼女。するとそこまで何も語らなかったお父さんがジロリと俺の方を見て口を開いた。
「徹君だったね。君は二十歳だったな?」
「えっ⁉あっ、はい」
質問の意図がわからず思わず返事するとお父さんは小さく頷き席を立った。
「ちょっと待っていなさい」
席を立ったお父さんはそのまま部屋を出て行った。そして五分ほど待っているとある物を手にして戻ってきたのだ。
それは酒を注ぐおちょこと一本の日本酒、お父さんがこの工場で作っている酒だった。
呆気に取られている俺達を尻目にお父さんは酒を注ぎ始め無言で俺に差し出した。
「いや、俺は、酒は……」
酒を飲んだことがない俺はやや言葉を濁して断ったのだが、お父さんはそんな俺の言動を無視するように無言のまま差し出してきた酒を引っ込めようとはしなかった。
元々俺自身が酒やたばこといったモノにはあまり良い印象を持っておらず
〈どうして体に悪いモノをワザワザ摂取する必要があるのだろうか?〉というざっくりとしたイメージしかない。
しかしこの場合は飲まないという選択肢は無いのだろう。
「いただきます」
俺は覚悟を決めて注がれた酒を一気に喉に流し込む。味わった事のない香りと味が鼻と舌を刺激する。
飲んだばかりだというのに何か体の奥が熱くなってくる気がした。
「どうだね?」
お父さんが端的に問いかけて来た。
「何か……変な感じです」
酒のプロである相手に変に取り繕ってもどうせバレてしまうだろうと思った俺は感じたままの感想を述べた。
「正直だな」
お父さんは目を細めニヤリと笑った。そして改めて正座に座りなおすと急にかしこまって深々と頭を下げたのである。
「娘を、志穂をよろしく頼む」
言葉が出なかった。どこか職人気質で口数の少ない人という印象だったがその短い言葉の中に娘の事を思う気持ちがひしひしと伝わってきたからである。
「お父さん……まだ嫁入りする訳じゃないのよ……」
先ほどまで家族に対して悪態をついていた志穂もそんな父親の態度に何か感じたのだろう。目が少しうるんでいた。
「はい、命を懸けても娘さんを守り生涯志穂さんだけを愛し続けると誓います」
俺は思ったままの言葉を返した。誠実な思いには誠実な思いで答えなければいけないと思ったからだ。
隣で彼女が〈また徹はそういう事を……〉と小声で呟いた。
いまだに頭を下げ続けているお父さんと何度も小さく頷き続けているお母さん
そして〈ひゅ~〉と口笛を鳴らし〈良かったな、姉ちゃん〉と声をかけて来た弟さん。
そこには俺お知らない家族の温かさというモノが感じられ少しだけ胸が熱くなった。




