再会の長野
父さんは昔を思い出すように静かに語り始めた。
「私と志穂は地域のボランティア活動で知り合った。彼女は元気で明るくてみんなに人気があった。
母さんが死んで落ち込んでいる時に志穂が言ってくれたんだ〈私が松原さんのフォローをします〉と。
当時は志穂も二十歳になったばかりの若い女性だ、そしてお前もまだ小学六年生、こんな中年オジサンと子供の世話とかとても押し付けられないと断ったのだが
志穂は〈私、子供の世話は大好きですから大丈夫です‼〉と言ってくれた。その言葉に甘えるように志穂は週に二回、家に来てくれるようになったんだよ。
そうしている内に段々と私は志穂に惹かれていった。だが志穂はまだ若い
こんな中年オヤジと大きな子供の世話を押し付けるのはあまりに心苦しくて……彼女の為を思って別れたんだ」
父さんはまるで懺悔でもするように語ってくれた。その別れ話の時に俺は偶然居合わせてしまったという訳である。そういう事だったのか……
志穂さんがあれほど俺を拒絶した理由も何となく分かった。
父さんは思い返すように再び口を開いた。
「すまない、志穂の居場所だったな。俺も詳しくは知らないが確か彼女の実家は長野で小さな酒蔵をやっていると聞いたことがある。私が知っているのはそれぐらいだ」
初めて得た有力情報だった。志穂さんが実家に帰っているとは限らないしそこがどこかもわからない。
だがこの貴重な情報に俺は一も二もなく飛びついた、しがみつくと言った方がいいのかもしれない、文字通りこれが唯一無二の頼りなのである。
「有難う、父さん」
俺は素早く立ち上がり、さっそく自分の部屋でパソコンを立ち上げた。そして
【長野 酒蔵 坂本】のキーワードで検索すると該当する酒蔵が二つヒットした。
一つは【坂本】という名前の酒を造っている【雪之酒蔵】という所で従業員が三十名ほどの工場だった。
そしてもう一つは経営する社長の名前が坂本という【坂本酒蔵】だ。
おそらく後者の方が確率は高いだろうとそのホームページを開いてみると。従業員が十二名ほどの小さな酒蔵であった。
トップページには製造している酒の紹介や卸先、取引先の情報。そして大きく従業員募集と書いてある文字が目についた。
人物紹介をクリックすると社長の画像の載っていてその顔にもどことなく志穂さんの面影を感じさせた。
そして社長の名前が坂本隆志となっていて。志穂さんと同じ志という文字が入っている。
これは間違いないだろうと確信した俺はそのページをプリントアウトしすぐさま部屋を出て父さんに頼み込んだ。
「父さん、志穂さんの実家らしきところを見つけた。だから車を貸して欲しい‼」
驚いた様子の父さんだったがしばらくして小さく頷いた。俺は思わず右手の拳を握り締めた。
俺はそのまま右手を差し出すと父さんは静かに口を開いた。
「今日はもう遅い、行くのならば明日にしなさい」
俺にしてみれば居ても立っても居られないのだがここで変に逆らっても車のカギを渡してもらえなければ借りる事も出来ない。
もう時間も遅く終電もとっくに無くなっているのだから他の手段で移動しようとしても動けないのである。
なにより俺自身運転免許は持っているのだが実際に車を運転したことは無い、いわゆる完全なペーパードライバーやつである。
それを考えると父さんの忠告通り夜間の運転は危険だろう。
そういった事情を加味して俺は明日に長野に行くことを決めた。
夜が明け、日が昇るのと同時に俺は行動を開始した。着替えはとうにすんでいて父さんが起きて来るのを待っていた。
そんな俺の行動を見透かしていたのか父さんは驚く様子もなく寝間着姿のまま俺に車のキーを渡してくれた。
「気をつけて」
「ああ、行ってくる」
俺と父さんは短い言葉を交わす。普段からこの程度の会話しかしない俺達親子にとってはその言葉だけで十分だった。
俺は自宅のマンションを出て車の置いてある駐車場へと数分歩いた。
父さんの車は白のハイブリッド車。運転席側のドアを開けそそくさと乗り込みシートベルトを締める。
買って二年近く経つのだが走行距離はまだ1000kmにも満たない為、ほとんど乗っていない状態であり外見も中も新車同様なのである。
「さあ、行くぞ」
自分自身で気合を入れるようにつぶやいた、何せ教習所以来の運転である。
しかし免許を取ったのはまだ三か月前なのでそれ程勘は鈍っていないだろうと思っていた。
そもそも運転免許を取るきっかけも萌香が〈ドライブとかしたいじゃん、だから運転免許取りなよ‼〉という言葉からだった。
結局萌香とドライブに行くことは無かったがそのおかげでこうやって志穂さんの元へ向かうことができるのである。
車を必要としたのはもう一つ理由があった。もし目的の酒造が外れだった場合、ネットで調べた長野の酒造を片っ端から回るつもりだった。
それには公共の交通手段より車の方が適しているだろう。俺は緊張しながらもハンドルをしっかりと握り締め緊張の中で車を発進させた。
白いハイブリッド車は静かな音をさせながらゆっくりと進んでいく。
例え運転手が初心者だろうがF1ドライバーだろうが車というのは運転手の指示された通りに動くものだ、そこに分け隔てなどない。
運転者の力量によって意のままに操れるか、そうでないかの差でしかないのだ。
しばらく走り高速道路の入り口に差し掛かる。スピードを落としたままソロソロとETCのゲートをくぐる。
後ろの車にしてみればさぞかし迷惑な走行だろうがそこは勘弁して欲しい。
緊張しながらも高速道路に乗ると左車線を法定速度で進む、こういった時でも追い越し車線でスピードを出さないのが俺の特徴だ。
下手に違反で捕まったり、事故を起こしてしまったら余計に時間がかかってしまうと判断したからである。
早く行きたいという心情を胸にあくまで冷静を心掛ける。
東京から長野まで約三時間。短いようで長い旅路だがはやる気持ちを抑えながらも安全運転で何とか長野へ着いた。
生まれてこの方ほとんど東京から出た事のない俺にとって長野という土地は新鮮だった。
ここが志穂さんの生まれ育った町か……と思ったせいか、道も街並みもどこか温かい気がした。
今回の件が無ければおそらく来ることは無かっただろう。そんな事を考えながらナビの指示通り進んでいく。
目的地に着き車を止めると【坂本酒造】という大きな看板が目に入ってきた。俺はドキドキしながら歩みを進める。
坂本酒造は母屋と工場が一体になっている様な作りで工場内からは何やら聞きなれない音が聞こえて来る。
俺は母屋の呼び鈴を鳴らすが何も反応がない。二、三度鳴らしてみたが同じであった。
仕方がないので工場の方へと回ると【従業員募集】の張り紙がしてある事務所らしき場所が見つかったので俺はそのドアを叩いた。
「はい、どうぞ」
中から男の低い声がした。俺は覚悟を決めてドアを開け中へと入る。
「すいません、ちょっとお尋ねしたい事がありまして……」
俺は頭を下げつつ事務所の中に入る。中では一人の男性が机で書類を手に事務仕事をしていたようだった。
今はメガネをかけてはいるがホームページで見た社長の顔を同じであり。もしかしたらこの人は志穂さんのお父さんかもしれないと思うと少し緊張した。
「初めまして、私は松原徹と言いまして……」
意気込んでここまで来たはいいが実際志穂さんの家族に会ったら何を言うか?という事を全く考えていなかったのだ。
俺は頭の中で軽くパニックを起こす。そんな俺の姿を見て社長さんは少し微笑んだ。
「求人募集を見てきてくれたのかい?じゃあこっちに座って」
社長さんは微笑みながら応接用のソファーを示した。何か勘違いしているようだが俺はいわれるがままソファーに腰かけた。
「履歴書を見せてくれるかい」
社長は口元に笑みを浮かべ右手を差し出してきた。マズいぞ、当然だが履歴書など持ってきているはずもない。
だがその時ふと一つの考えが浮かんだ。もし志穂さんが実家に帰ってきていなくともここが彼女の実家だったなら
このままここでバイトをして志穂さんとの接触を試みるというのも一つの手かもしれない……
俺がそんな事を考えていた時である。事務所のドアがガチャリと開いて一人の人間が入ってきた。
「ねえ、お父さん。この請求書の金額なのだけれど……」
その声を聞いて全身の細胞が反応した。入ってきたのは紛れもなく志穂さんだった。
狭い事務所内で俺と目が合った志穂さんは驚きのあまり手に持っていた書類を落とした。
「何で……どうして徹君がここに……」
目を大きく見開き、独り言のようにつぶやいた志穂さん。
「志穂さん、俺、もう一度話を……」
俺がそう言いかけると志穂さんは突然クルリと背中を向けて走って出て行った。
「待ってください、志穂さん‼」
俺は慌てて追いかけた。すると志穂さんは少し行ったところで立ち止まっていた。
薄いピンクのカーディガンを着た志穂さんの背中がこちらに向いている。
俺は静かに近づきそっと志穂さんに話しかけた。
「志穂さん、もう一度だけ話できませんか?」
志穂さんは俺の問いかけに答えなかった。しばらくの間二人の間に沈黙が流れ、乾いた風が志穂さんの長い髪を揺らした。
「どうして、来たのよ……」
絞り出すような声で俺に問いかけて来る志穂さん。
「今更理由を言わなければいけませんか?」
俺が言うと志穂さんは唇を咬んでうつむいた。再び沈黙が訪れ重苦しい雰囲気と共に肌寒い空気が二人の頬を撫でた。
その時、後ろから何者かが近づいて来る足音が聞こえて来た。
振り向くとそれはさっきまで俺と向かい合って話していた坂本酒造の社長であり志穂さんのお父さん、坂本隆志であった。
先ほどまでとは打って変わってムスッとした表情でこちらを見ている。
俺は再び会釈をすると、お父さんはクイっと顎をしゃくるような仕草で俺達に示した。
「今日は風が強い、色々と込み入った話もあるのだろう。家で話しなさい」
その言葉には有無を言わせない強制力を感じた。俺と志穂さんは言われたまま母屋のある方へと歩いていった。




