恋人らしき関係
もう対人用訓練の必要を感じなくなった俺はすぐさまバイト先に電話をしてバイトを辞めると告げた。
いきなり電話で辞めると言ったときはさすがに色々と言われたが
もうバイト先の人間にどう思われても構わないし、元よりバイト先でも萌香以外に親しい人間もいなかったから本当にどうでもよかったである。
バイトを辞めたのはいいとしても萌香にどう対応するか、色々と考えたが良い結論は出なかった。
世間一般的には〈他に好きな人ができたので別れて欲しい〉という理由を伝えるのが一番無難だと思うのだが
今回の俺の場合はどうも違う気がするし、いくら何でも萌香に失礼だという思いもあった。
だが自分の中ではもう結論が決まっているのだ。変に期待を持たせるよりもきっぱりと諦めさせてやるのが彼女の為にもいいのではないだろうか?
などと考えながら家路へと歩いていると、マンションの入り口で誰かが立っているのが目に入った。
「萌香……」
彼女はジッとこちらを見ながらマンションの入り口でたたずんでいた。
どうやら随分前からこちらに気が付いていたようで俺の事を睨みつけるように見つめていた。
俺と萌香は1mほどまで近づいたがどちらも何も言わなかった。
俺としてもどうやって話を切り出そうか?と考えていた時、萌香の方から口を開いた。
「どうして連絡してこないのよ⁉」
「どう話していいのか、わからなくてな……」
口ぶりから俺が何を言いたいのか、勘のいい萌香は気が付いたようである。
萌香は視線を逸らしつつ唇を震わせていた。
「こんな所では何だから、部屋に上がれよ。今は父さんもいないし」
俺の住んでいるマンションの前は人通りも多く、特に夕方になると仕事や学校から帰ってきた人間が多く行き来する為、込み入った話をするには場所が悪い。
逆に言うとこのマンションの前でずっと待っていた萌香は人目について中々気まずかったのだろうと思う
それだけ彼女も真剣だという事なのだろうが……
部屋に入ると萌香はいつものようにベッドに腰かけた。
時間的に遅くなってきたので部屋の電気をつけると薄暗い部屋が萌香と共に白く鮮明に浮かび上がる。
さっそく本題に入ろうとしたのだが萌香に何をどう話せば上手くいくのか、考えても浮かばなかった。
「何かいい訳は無いの⁉」
待ちきれないとばかりに萌香の方から切り出してきた。
「言い訳をするつもりは無い、俺は志穂さんの事が好きだ」
俺がそう告げると萌香の表情がみるみる険しくなる。
「あの女とどういう関係なのよ⁉」
「七年前の話になる……」
俺は志穂さんの事を萌香に説明した。母さんが亡くなって心を閉ざしていた俺を立ち直らせてくれた事、そして俺の初恋の人であるという事を。
「そんなの小学生の時の頃の話じゃない‼」
萌香はヒステリックに叫んだ。取り乱す彼女とは対照的に俺の心は静かだった。
「ああ、そうだ。だが俺はまだ志穂さんの事が好きなのだ。今日それを確信した」
「私よりも?」
「ああ、そうだ」
「何でよ、どうして私より七年ぶりに会ったあんなおばさんがいいのよ‼」
萌香は体を震わせながら俺の事を睨みつつ言葉を荒げた。だが萌香がエキサイトすればするほど俺の心は冷めていく。
「理由などない、志穂さんを見た瞬間体中の細胞が反応したようだった。
体内の血液が全て沸騰したかと思う程体が熱くなり心臓の鼓動が激しくなった。
つまり俺は志穂さんの前でだけは人間でいられるのだと再認識したのだ」
俺は感じたままの言葉を告げると萌香は唇をかみしめ、しばらく黙っていた。しかし意を決したかのように静かに口を開いた。
「私じゃ……ダメなの?」
「ダメだ、萌香には何も感じない。すまない」
俺は自分の思いを素直に告げると萌香は再び物凄い目で俺を睨んだ。そして勢い良く立ち上がり右手を大きく振り上げた。
「馬鹿にして、人を何だと思っているのよ‼」
萌香の怒りは頂点に達した様だった。まあ無理もない、どう考えても俺が悪いのだから。
俺は目を閉じ萌香に殴られる覚悟を決めた。だが萌香の平手打ちは飛んでこなかった
代わりに俺の両頬に手が触れる感触がした瞬間、何かが唇に触れた。
俺は驚いて目を開けると、そこには俺の両頬に手を添え、口づけをしている萌香がいた。
あまり意外な展開に俺は困惑し言葉が出ない。時間にしてみれば数秒だったのだろうが俺には凄く長く感じた。
しばらくして唇をそっと離した萌香は俺を見て無理矢理笑った。
「これが徹には一番嫌なのよね……どう、気持ち悪かったでしょ?ざまあ……みろ……」
萌香の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。涙と感情が溢れてきて言葉を詰まらせる萌香。
俺はただただ彼女を見つめるしかなかった。
「うぐっ」
萌香は急に顔を両手で覆い背中を向けた。そして必死で泣くのを堪えている様だった。
そんな彼女の意思とは裏腹に萌香の隠しきれない声が漏れてくる。
「うっ、うぐっ……えっええっえっ……うううう……」
静かな部屋に萌香の嗚咽のような声だけが洩れ聞こえて来る。
こちらに背中を向け、しゃがみこんで泣いている萌香の姿はとても小さく、そして痛ましかった。
その時、前に萌香が言っていたことを思い出した。
〈フッた男の前でこれ見よがしに泣くとか、私そういうの絶対に嫌なの。泣くなら一人の時に泣くわ〉と。
必死で泣くのを堪えている萌香の行為は俺の前でだけは泣きたくないという彼女のプライドなのだろう
しかしそんな萌香の意思に反して涙と感情が込み上げて来る。そこまで俺が萌香を追いつめたのだ。
受け止めろ、あれほどかいがいしく俺の為に尽くしてくれて、愛してくれた萌香を俺はゴミのように捨てようとしているのだ。
だからこそこの場面で俺ができる事は何もない。黙って見守る事しかできないのだ。
ひとしきり泣いた萌香はこちらに視線を向けることなく静かに立ち上がるとそのまま部屋を出て行く。
そして部屋のドアを開けた時、独り言のように呟いた。
「あんな店、行くんじゃなかった……」
バタンと静かに閉じられたドアを俺はしばらくジッと見つめていた。
萌香には本当に悪い事をした。どんな言葉で謝罪したところで許される事ではないし彼女もそれを望んではいないだろう。
静寂の戻った部屋の中で俺は萌香との思い出を振り返り一人考えた。
萌香の言う通り、もしあの店に行かなかったら俺と萌香はこれからも上手くやれていたのだろうか?
将来同棲とか、結婚とか、そういう未来もあったのだろうか?
そこまで行く前に俺が萌香に愛想をつかされている可能性の方が高いだろうが今更そんな事を考えても虚しいだけである。
ただ一つだけ言える事がある。それはもし俺が正常な心の持ち主でまともな恋愛ができる男だったなら多分萌香の事を好きになっていたのだろう。
萌香にはいくら感謝してもしきれない。こんな異常な男を好きになってくれてありがとう、そして本当にゴメン。
萌香には絶対に幸せになって欲しいと思った。直接ひどい事をした本人がそんな綺麗事を⁉と自分でも呆れるが
それが本心なのだから仕方がない。こうして俺と萌香の短い恋人らしき日常は終わりを告げた。
頑張って毎日投稿する予定です。少しでも〈面白い〉〈続きが読みたい〉と思ってくれたならブックマーク登録と本編の下の方にある☆☆☆☆☆から評価を入れていただけると嬉しいです、ものすごく励みになります、よろしくお願いします。




