09. ワイズ、会社設立が決まる
ワイズは自分が丹精込めて夜な夜な作り上げられた書類を開発部門長が嬉々としてページをめくっているのを、ただ見ているしかなかった。それはまるで足に重りをつけさせられた海の真ん中に落とされたように重く冷たく苦しい水の中へ沈んでいく。
それをひと通り見た後、開発部門長は誰かに電話をかけていた。
後日、打合せには開発部門の実力派の3人が揃っていた。ワイズが作った書類にたくさんの付箋が付いている。それを一つ一つ確認していく作業が何日も続いた。
何日かすると開発部門長は上機嫌でワイズに「次の経営会議にかける議案に決まった」と言いながら肩を強く叩いてきた。
そして、経営会議には開発部門長とワイズが出席した。ワイズは自分の作った資料でもあったので、手直しはしたが、全部頭の中に入っていた。
新会社設立とその目的、その目的までの事業計画⋯⋯ワイズは淡々と説明していく。執行役員も興味津々にページをめくっている。質疑応答では予想以上に質問が続いたが、開発部門の実力派の3人の手直しのおかげで詰まることなく答えることが出来た。あとで感謝を伝えようと心に強く決めた。
具体的な日取りは決まっていなかったが、取締役会にもこの件を議題にすると言った。経営会議から1週間後だった。経営会議が終わると開発部門長が頬を上気させ終始笑顔だった。そして、あの3人を呼んで、取締役会に向けた会議が始まった。
ワイズは経営会議での内容を3人に伝え、感謝を述べた。3人はそれを聞くと、安心し満足そうだった。そして、取締役会議までに確認することを洗い出すとスケジュールと役割分担を決めた。
ワイズは疲れた身体を引きずりながらデスクへと戻ってきた。すると部署長がすり寄ってくる。ワイズは嫌そうな顔を向けたが、報告は必要だと思い会議室で経営会議でのことを話した。
部署長は緊張した面持ちだったが、次第に笑顔になっていった。そして次の取締役会議の議題に決まったことを話すとまた黄色の歯をむき出しにしながら笑顔になった。
「いやあ、ようやく君も花開いたね。一時は心配していたが、これで僕の鼻も高いよ」
ワイズは部署長の低い鼻を折ってしまおうかという衝動にかられた。
そこからの1週間は目が回るほど忙しかった。1日に何度も電話をかけて情報を集めなければならなかったし、あの3人にも進捗確認と報告を頻繁にした。夕方にはあの3人と共に進捗報告会を開いた。しかし、さすがは開発部門長の右腕だった。要領よく他部門にも根回しをする仕事ぶりにはただただ感心していた。
緊張の取締役会当日、ワイズは開発部門長のデスクを訪れていた。開発部門長もさすがに緊張をしている。
「もし、うまくいけば開発部門の快挙だ。今まで集めた情報を端的に伝えると同時に、君の情熱を役員にぶつけてくれ」
ワイズはその言葉に頷いた。
取締役会の1番最後の議題に決まっていたため、会議室の近くで待機していた。ワイズは資料をぱらぱらとめくって最終確認する。会社に功績をと垂れて悔しい気持ちもあったがこの資料は1人では作れなかった。それを肌で感じていた。
ワイズは名を呼ばれた。ワイズは無意識にネクタイピンを触る。もちろんルビーのついた宝物だ。開発部門長は緊張した顔をワイズに向けながら頷いた。2人は会議室へと入っていった。
他の会議室とは違い、壁には深みのある茶色の壁になっている。机も1枚の木で出来た重厚感のある長机だった。椅子は皮で出来た座り心地の良さそうな椅子が並んでいる。その椅子に座った代表取締―-社長を含めた9名の取締役がワイズと開発部門長の方へ目を向けた。
ワイズは息を飲んだ。深呼吸すると目を見開いた。経営会議よりも情報を固めてきた。有能な3人に情報の優先順位をつけてもらったので、端的に答えられるようにするためだ。優先順位から淡々と説明する。
「つまり我が社で行っている製品素材とは用途が異なるということか?」
「異なる場合も多く予想されます。当社では家庭用魔道製品に特化されておりますが、私が構想する新会社ではその枠組みがありません――」
素材に特化すれば使える用途の可能性は増える。イノテックの製品にするため前提に考えられた素材と今までにない新素材を提供することは同じ開発と言ってもかなり違う。
イノテックの製品は家庭用魔道製品と小型魔道具がほとんどだ。だが、ワイズの目指すところは大型魔道具や自動車、建築素材などイノテックが行っていない分野への進出なのだ。
そして素材を提供する会社だ。工場の設立など規模も大きい。
始めは馴染みのある家庭用魔道製品と小型魔道具に使われやすい素材のラインナップを増やすことだ。
イノテックは対消費者向けの商品を売る会社だ。対して新会社は顧客はほぼ法人向けとなるがイノテックの子会社と言えば、悔しいが相手は納得しやすい。
「さて、新会社で君の目指すところは何だね?」
ワイズの心を見透かすような、「展望も可能性も資料から見て取れた。そこに書いていないワイズの本心を問う」質問だった。
(こればかりは、上っ面の言葉では通用しないか。俺も会社は作りたい。腹の底を見せるしかないな)
ワイズは腹をくくって最愛の妻の交通事故の話から同じような境遇の人を出したくない、そういう想いから“衝撃緩和素材”を作りたい
「自動車や生活に密接する製品に素材を使って世の中の為になってほしい。それは今のイノテックでは出来ないことです。しかし新しい会社があればそれを作り出すことが出来るかもしれない。私はその可能性に賭けたいのです」
社長はじっとワイズを見ていたが、ワイズの言葉が終わると口を開いた。
「この事業計画は実に具体的な計画が書かれていて、会社設立時から黒字化までの道筋が十分見て取れると判断した。ただ、それだけでは足りないと感じていた。今、君の話してくれた熱意が、この計画を実現へと導いてくれると確信したよ。君が新会社の社長となってこの計画を現実のものにしてほしい」
ワイズは社長の言葉に思わず頭を深く下げた。
取締役会は程なくして閉会した。ワイズたちは話が終わると会議室から出てきた。開発部門長はガッツポーズを高らかに上げた。ワイズは目をぎゅっとつむって、新たな一歩を踏み出したと実感した。
――――――
一方、会議室の中ではこんな会話が繰り広げられていた。
「あの社長⋯⋯本当に新会社を作るおつもりですか?」
「あぁ、もし事業計画通り黒字化して、金の卵を産むのなら連結決算で利益に貢献してもらう。計画通りにいかない場合は、赤字部門でも引き取らせるさ。その責任を取らせるのに首を切るのは容易いことだ」
取締役たちはそれを聞いてほっと息をついている。
「さすがは社長、思慮深いお考えですね」
「ワイズの会社設立の話は人を惹きつけるものがある。大々的に新会社設立を内外に発表して我が社の評判を上げるぞ」
それを聞いた取締役たちは頭を下げた。




