06. ワイズ、イノテックへ入社する
*このお話に出てくるすべての組織、事柄、名称等は架空のものです。
「あなたもとうとうイノベーションテックの一員なのね」
王都歴2012年4月、隣で嬉しそうにそう言うのは2年前に学生結婚をした妻ケイトだ。
ワイズ・マックリンはこの国で知らない人はいないほどの大企業である“イノベーションテック株式会社”、通称『イノテック』に入社した。
毎日イノテックの製品をみない日はないほどだ。
それは家庭用魔道製品、通称『かまど』部門が1番有名で、冷蔵庫、メディアディスプレイ、魔道レンジ、洗濯機など生活に密接している製品が多い。
王都の一等地に立つ本社は空へと伸びるように高くそびえ立っている。
ワイズはケイトと大学時代に結婚した。ケイトには苦労をしてほしくない。その思いから結婚して大学の成績も”優”を取り続けた。
ワイズは嬉しそうにケイトを見る。気慣れないスーツはこの先の相棒となるのだろうか。ケイトからもらったネクタイピンの淵をそっと指で撫でる。細工は特にないが、端に生まれ月のルビーがはめ込まれているシンプルなものだった。
このネクタイピンと共に今日入社する。
「ケイト、いってきます」
「ワイズ、いってらっしゃい」
ワイズはイノテックのある駅まで魔道機関車で移動をする。駅へと着くと自分と似たような人間がたくさん歩いている。なじんでいないスーツ、汚れのない鞄と靴。緊張で固くなった肩。自分も周りからそう見えているのかもしれない。それでもワイズの口元は緩む。
誰もが羨む会社へと入社したのだ。
本社が入るビルはイノテック所有のビルで1階から最上階まですべてイノテックの様々な部門が入っていた。
入社式では覚えられないほどの数の新入社員がいて、着慣れないスーツの胸元に赤い花がつけられている。
誰もが希望に満ち溢れた顔をしていた。
その赤い花は次第に散ってゆくことも知らずに……。
ワイズは目の前の仕事に熱心に取り組んだ。ワイズの所属する部門は開発部門の傍らで、製品に使う素材を研究する部署だった。
ワイズは前世で勇者をやっていたが、魔物を倒す方には才能がなかったようだ。
魔物から腹部に受けた大怪我を機に、自分の命をかけるほど強い魔物を倒そうとは思わなくなった。
ダンジョンの比較的浅い層までしか行かなくなった。だが、ワイズはダンジョンに落ちている素材の方に興味を向けていった。
武器の素材になるもの、効果を付与するもの、効果を上げるもの――
魔物退治だけではなく、生活にも使えそうな素材もあった
変形できる木材、金属、そのどちらでもない加工できる素材――
ワイズは素材を集めてそれをギルドに売って生計を立てていた。だが素材集めだけではなく、次第に素材の掛け合わせをするようになった。
例えば変形できる木材に撥水効果を付与すると水に強くなる。耐火効果を付与すれば熱にも強くなる。なお、耐火効果には耐熱効果も付与されている事が多い。
金属も同様だ。効果を付与すれば熱にも強くなるし固くもなる。ただ、1種類よりも組合せたほうが副効果も呼ぶのだ。
例えば金属に固くなる効果を付与する。
加工した後に耐火効果を付与した後に冷却効果を付与する。効果を上げる素材でコーティングすれば熱に強いだけではなく、冷たいものにも効果がある。
だが、それだけではない。もともと金属が冷たいのでそもそも熱が上がらなくなる。そうすると耐火効果による耐熱効果単体よりもずっと耐熱効果があるのだ。
幸運なことにこの世界でも魔石があり、前世と似たような素材も多いと言うことに気が付いた。
その前世の記憶を使ってワイズは今の会社の製品の改良素材や新素材を探す、開発する事を仕事にしている。元々好きだったこともあってワイズは仕事に楽しさを感じていた。
どのような組み合わせを試してみようか――考えたらキリがない。ワイズにとってその仕事は合っていたと感じていたし、嫌だと思ったこともなかった。
ワイズは仕事も好きだったが、妻のほうがもっと好きだった。
だから残業は極力してこなかった。”新入りのくせに”と嫌味も言われたが、それでも家に帰った。
気が付くと周りの同期は目に見えて減っていた。
過労で辞めていく同期
結婚を機に辞める同期
他の会社にヘッドハンティングされる同期
自分のやりたいことではなかったと気づいた同期――
5年くらいすると、ワイズは残業をしないことが仕事の評価に響いたようで、出世ルートからは完全に外れてしまったらしい。そう気がついたのも最近だった。
それは要領の良い同期が部門長の座に就いたが、自分は小さな部署の管理職だったのだ。
それでもワイズの技量は評価されるものがあり、良くも悪くもない平均的な評価をされていた。
だが、ワイズは幸せだった。
妻のケイトは大学を卒業すると、ワイズは「無理に会社に勤めなくてもいい」と言ったので、ケイトは家事に専念した。
そのうち料理好きが高じて料理のメディア記事を書く仕事に就いた。
そのケイトはワイズがいつも帰る時間には料理を作って待っていてくれるのだ。それがワイズには心から嬉しいことだったので、会社の同僚の嫌みなど振り切って帰るのであった。
王都歴2018年に息子が生まれたので一週間会社を休んだ。ケイトは驚いていたが嬉しそうだった。ワイズは産まれたばかりの壊れそうなガラス細工のように繊細な息子を時間の許す限り抱いていた。
だが、問題は発生した。
会社へ行くと部署長が明らかに不機嫌な顔をしていた。ワイズには理解が出来なかった。仕事の引継ぎもして、事前に予告をして菓子折りも配った。仕事の引継ぎも同僚に了承を得たし、感謝の言葉も何度も伝えた。
有給も残っていたし、社員就業規則に引っかかることは何もしていない。
今日も会社へ来るのにデパートの高い菓子折りを持ってきたのだ。
それでも部署長は不機嫌なままだった。
それからワイズは昇格することはなくなった。
それでも会社より家族の方が大事だとワイズは思ったので、部署長の不機嫌を振り切って帰り続けた。息子が熱を出せば午前半休もとったし、1日有給を取ることもあった。
そのワイズの姿勢を評価してくれたのは女性社員だけだった。




