03. 僕は恋焦がれる
2人は少し打ち解けたみたいにリラックスしている。ミッシェルはグレイブに病院に来た理由を聞いた。医師から聞いた話をする。
そして医師からグレイブは【死ぬ】ということ。
ミッシェルは口を開けて言葉を探しているようだった。グレイブもよく分からなかったのだ。ミッシェルはなおさら分からないだろう。
「あなたはこれが最後の人生になるんだったらなにがしたいの?」
グレイブはミッシェルの問いに口を噤んでしまった。そんなこと考えたことがなかったのだ。そこでグレイブは話題を変えた。
「ミッシェルは転生ポイントが貯まるまで何がしたい?」
「何って⋯⋯うーん、足が良ければ色んな場所へ行けるんでしょうけど、このままじゃどうにもならないわ。ただテキトーに過ごすだけよ」
それを聞いたグレイブはミッシェルの足を見続けている。
「君の足は治らないのかい?」
「頑張れば治るって医師には言われたけど、治したいほど強い気持ちはないわ」
何もない自分の人生を救いたいグレイブはミッシェルの境遇と重ねた。
「僕は何もないただの青年として生まれたけど、せっかくの人生だ。何かをしてみたいな。それは大きなことではないかもしれないけど、君の転生ポイントが貯まるまで歩くリハビリしてみないか? 大変で辛かったらすぐにやめてもいいからさ。それでもし歩けるようになったら君の好きなところへ行かないか?」
ミッシェルはグレイブの提案に自信の無さそうな顔を向けたが、思い直したのか少し口を緩めた。
「そんなこと提案する人は初めてだわ。まあやめてもいいなら、やってみようかしら?」
これがグレイブとミッシェルの人生の転機だったのだ。
グレイブはこの人生が最後になるなら、せめて人助けをしてみたいとミッシェルの話を聞いて思ったのだ。
そしてグレイブは時間のつく限りミッシェルのリハビリに付き合うことにした。
初めの日は病院のリハビリルームでミッシェルが立ち上がるだけで終わった。グレイブにほとんど支えながらだったが彼女は初めてのリハビリに頬を上気させて肩で息をした。
何回か過ぎると僕は書店でリハビリの本を探した。病院でのリハビリ以外にどんなことが役に立つのだろうかと気になったのだ。
後でミッシェルに言われたのだが、この時のグレイブの顔は真剣だったようだ。それに気圧されたミッシェルは真剣な顔を作っていたらしい。
グレイブは前世の鍛冶屋のスキルを活かして包丁を研ぐ仕事をしていた。百貨店の食器売り場の隣に小さなブースがある。グレイブは週に1回そのブースで1日包丁を研いでいる。それを4か所受け持っている。
それ以外にも期間限定の刃物市やイベントなどに単発で依頼されるものを受けている。グレイブの包丁研ぎは評判が良く受け持つブースを増やさないかと話をもらうが、グレイブは断っていた。
この人生にそんな熱をかけようと思っていなかったからだ。日給が良いので今の稼ぎでも欲を出さなければ十分やっていけると思っていた。それに最近ミッシェルのリハビリについて行っているのでこれ以上手を広げようとは思っていない。仕事の依頼は極力お断りさせていただいたのだ。
それから彼女は大学を休学していたようだが、卒業したいと思うようになり、復学したようだ。大学には車椅子で通っているようなので、グレイブも都合がつくときはミッシェルについて行くようになった。
グレイブはミッシェルに本の知識の丸かじりだが、家で座って出来る筋力トレーニングの方法を伝えた。筋力がすぐには戻らないので、1人で立つことはなかなか出来なかった。
それでもグレイブは応援し続けた。
そのうちリハビリが終わる度に彼女はトイレへ行くと言うようになり、だんだんとすぐには戻って来なくなった。
ある時、飲み物を買ってミッシェルが戻ってくるのを待とうと思い、トイレの前を通り過ぎると、誰かのすすり泣きのような声が聞こえた。
グレイブはその時ミッシェルはリハビリが終わる度に泣いていることを知ったのだ。
グレイブは自分の不甲斐なさに下を向くと手に持った飲み物を力いっぱい握りしめた。それでも収まらずどこか痛いのかと聞かれそうなほど目をぎゅっとつぶると顔を歪めた。
(僕は馬鹿だ⋯⋯辛い思いをしてリハビリをしているミッシェルに頑張れと声をかけ続けていたんだ⋯⋯もう彼女は十分頑張っていたのに⋯⋯)
ミッシェルが戻ってくると、グレイブは真っ先にミッシェルの前にしゃがみ、目線を合わせた。
「そんなに頑張らなくてもいい。無理しなくていいんだよ」
ミッシェルは少し下を向いて考えているようだった。目は泣きはらしたようで赤く腫れていたが、グレイブを見ながら強い目をして「大丈夫」と答えた。
不思議なことにグレイブが「無理をするな」と言えば言うほどミッシェルは頑張った。
そして月日は流れ、ミッシェルはグレイブにニコリとすると「見てて」と言った。グレイブは頷いて静かに見ていると、ミッシェルは鉄棒のような棒の間に座り両手で掴むと立ち上がり、両手を棒から離した。
グレイブは人生で1番輝いているミッシェルの笑顔を見た。
その時にグレイブはミッシェルに恋をしていると確信したのだ。
■
グレイブはミッシェルに恋をしたと気がついてからミッシェルに会う度に緊張した。それと同時に一緒に居られるのが嬉しくて、ただそれだけで良いと思った。
ミッシェルが初めて立ったときから月日が経ち、ミッシェルが歩き始めると自分の事のように嬉しくなった。
それでもグレイブは気になる。
「転生ポイントは貯まった?」
「まだよ」
杖をついてミッシェルは初めて街へと繰り出した。杖をついて妙に背筋の良いミッシェルは胸で呼吸をしているようで、胸が何度も上下している。
ミッシェルはグレイブのよく行く書店に行きたいと言ったのだ。グレイブはミッシェルの杖の持っていない方の手を優しく握る。
迷子になっている子供のように自信のない顔をしていたミッシェルはグレイブの方へ顔を向けると、笑顔を作りほっと息を撫で下ろした。
2人が書店へと着くとリハビリ関連の本が見たいと言うので連れて行った。
ミッシェルはいくつかの本をぱらぱらとめくり目を通してかごに入れていった。それを見て、初めてグレイブは他人のために書籍として残してくれる人のありがたさを感じていた。
グレイブはミッシェルに少し時間をもらうと刃物、研ぎ、金属などのキーワード検索で気になる本を見つけては立ち読みをしていた。
彼女が頑張っているように自分も研ぎの仕事にもう少し力を入れてみようと思ったからだ。ミッシェルが歩けるようになったら、もう少し自分の仕事を増やそうと考えている。
グレイブはかごの中に何冊か本を入れるとミッシェルを探し始めた。彼女は小説のコーナーにいた。
グレイブは後ろからミッシェルを覗いた。ミッシェルは短く甲高い声をあげた。そして振り返りグレイブだと分かると口を少し尖らせたが、嬉しそうな笑顔を向けてきた。
グレイブはその様子を不思議に思いミッシェルに聞いてみた。
「隣を歩くあなたの横顔がこんなに近くに見られて嬉しいの」
胸が熱くなる。
僕はミッシェルに恋焦がれた――。
「ミッシェル、僕は君のことが好きだ」
「嬉しい、私もグレイブのことが好きよ」
グレイブはミッシェルに自分の気持ちを伝えると唇を重ねた。
それから何日かして会ったミッシェルは三つ編みをやめてセミロングになっていた。グレイブはミッシェルを見ると「すごく似合っているね」と伝えた。するとミッシェルは頬を赤らめて、照れながら笑顔を返した。
僕はたまにミッシェルへ聞いた。
「転生ポイントは貯まった?」
「まだよ」
またある時は、ようやく杖なしで歩けるようになったミッシェルを街中で見つけた。グレイブは嬉しそうに横に並ぶと声をかけてミッシェルの手を握った。するとミッシェルは顔を上げてグレイブを見ると少し身体の体重をグレイブに預けてきた。グレイブは嬉しくて口元を緩めた。真横に見えるミッシェルの顔も笑顔だった。
僕は時折聞いてしまう。
「転生ポイントは貯まった?」
「ふふ、まだよ」
その頃からミッシェルは目に見えて生き生きとし始めたように見えた。そんなある日、ミッシェルはもじもじと落ち着かない様子でグレイブを見つめた。
「あのね⋯⋯私、上手くはないけど歌を歌うのが好きなの」
「へぇ、いいじゃないか。聴かせてくれるのかい?」
ミッシェルは自信のない頷きをすると、少し震える声で歌い始めた。こちらにも緊張が伝わってくる。それでもミッシェルは歌った。少しうわずった部分もある。それでも歌いきった。歌が終わる頃にミッシェルはグレイブを見つめてきた。
「いい歌だ」
「えっ⋯⋯」
「僕には響く歌だ。ミッシェルの歌が好きだよ。」
グレイブはそう褒めたのに、ミッシェルはしきりに瞬きをしながら下を向いた。
「ありがとう⋯⋯」
「僕はありのままを言っただけだよ。また聞かせてくれる?」
ミッシェルは目を潤ませながら頷いた。
それから度々彼女は歌を聴かせてくれた。それは端から聴いたらすごく上手いわけではないのかもしれない。でもグレイブの為に歌ってくれる。その歌がグレイブの心に響かないわけはなかったのだ。
僕は心に胸騒ぎがする。
「転生ポイントは貯まった?」
「ふふっもう、まだよ」
ミッシェルは大学を卒業すると、小さな会社の事務の仕事が決まった。グレイブがその知らせを聞いた日に、ミッシェルは顔を真っ赤にしてグレイブにある事を告げた。
「グレイブ⋯⋯私、あなたと結婚したい」
グレイブは予想外な言葉に固まった。頭の整理が追いつかなかった。少し間をおいた後、グレイブはミッシェルに向かって自信のなさそうな顔を向けた。
「でも転生ポイントが貯まったら⋯⋯」
「まだ貯まってないわ」
グレイブはミッシェルからまだ転生ポイントが貯まっていないと聞いて、心の底から安心したことを感じたのだった。
だから、その日を境にグレイブは聞かなくなった。
グレイブは怖くなったのだ。
ミッシェルの転生ポイントが貯まって、グレイブの目の前からいなくなってしまうことのほうが怖いと感じてしまったのだ。
そしてグレイブたちはすぐに2人で住む準備を始めると、ほどなくして婚姻届を出しに行った。
ミッシェルが結婚したいと言ってくれたとき、そんな人生もあるのかとグレイブは心底驚いた。自分が結婚するとは思っていなかったのだ。
結婚してすぐに一緒に住み始めた。朝起きると目の前にミッシェルがいて、一緒に朝ごはんを食べる。今日はどこに行こうか、何をしようかって言える相手がいるって温かいものなんだなと感心していた。
隣に誰かがいる人生って良いものなんだなと初めて思った。




