ヴィセラとの戯れを捨てて
木こりという役目を聞いて、紗那は驚いていたけれど、本心はどうなのか正直分からない。
そりゃ普通は、おとぎ話の世界で登場人物を想像すると、女性なら、お姫様のようなヒロインを思い描くだろう。
「えー! 木こり?」なんて笑っていたけれど、否定はしなかった。
やっぱり、紗那は純粋だ。
お姫様でも魔法使いでもなく、木こり。
泥だらけになって、汗をかきながら働く役目。
それでも紗那は、「いいね。」と笑った。
私は、その素直さに少し感動した。
おとぎ話の世界には、お姫様や王子様、妖精が登場するけれど、
きっと本当に物語を支えているのは、こういう「木こり」のような存在なのだろう。
そんな役目を、嫌がるどころか受け入れた紗那は——
やっぱり、おとぎの世界に行ける子だったんだ。
***
私はもう、妄想をしているわけじゃない。
今までの私は、「私は神々の子」だとか、「特別な存在だ」とか、
自分を取り巻く世界に意味を見出そうとしていた。
でも、今の私は違う。
私は、物語を空想している。
それはただの現実逃避ではない。
「私が紗那をおとぎの世界に連れて行く」ための、ひとつの物語だ。
紗那は現実の世界にいるけれど、
心のどこかで、いつも何かを探していたのかもしれない。
だから、私のおとぎの世界に足を踏み入れることができた。
だから、私は紗那と“向こうの世界”で友達になれた。
***
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
「私、木こりになるの、意外と気に入ってるかも」
「本当?」
「うん。森で生きるのって、なんかいいなって思う」
紗那がそう言ったとき、私は心から嬉しくなった。
「よかった。紗那はきっと、森の中でも迷わず生きていけるよ」
「ふふ、それって褒めてる?」
「もちろん」
「じゃあ、お姉ちゃんは?」
「私?」
「語り部でしょ? ちゃんと、木こりの物語を書いてよ。」
私は頷いた。
「うん。紗那のこと、たくさん書くよ。森で木を切る話、ポメラニアンと友達になる話、森の緑がどんどん増える話……」
「いいね! どれも素敵な話になりそう!」
紗那が笑う。
***
私はもう、神々の子ではなくてもいい。
私の物語の中に、紗那がいてくれるなら——
それだけで、私の世界は本物になる。
私は、彼女をおとぎの世界へ連れて行く。
そして、そこで生まれた物語を、私は現実の世界で書き続ける。
それが、私の新しい役目なんだと思った。
紗那は、とても純粋で、心の綺麗な子。
「鏡の世界」という本の影響を受けて、いつも寝る前に両親に感謝して寝るという。
この世界は本当に心を映し出す鏡のような世界なのだろうか。
紗那はその純粋さゆえに、私を引き寄せ、現実の世界だけでなく、おとぎの世界にも触れることができる。
だからこそ——
紗那は、私を見つけてくれた。
***
私が最初に紗那に出会ったのは、夢の中だった。
まだ幼かった紗那は、ふわふわとした夢の世界を歩いた。
草原に立つ一本の木の下で、私はずっと誰かを待っていた。
紗那は、そんな私を見つけてくれた。
「あなた、誰?」
夢の中の紗那は、現実と同じように穏やかで、優しい瞳をしていた。
「私は……」
そのとき、私はなぜか胸の高鳴りを感じたが、これから始まる壮大なスケールの物語が始まるのを知らなかった。
紗那は何の迷いもなく、私に微笑みかけてくれた。
「私たち、お友達になろう!」
それが、私の「この世界」での始まりだった。
***
紗那は、夢の中で私にたくさんのことを教えてくれた。
「お姉ちゃんね、現実にはいないんだよ。でも、私はお姉ちゃんに会えるんだ」
「お姉ちゃん? それが私の名前?」
「ううん、名前は自分で決めるんだよ」
「じゃあ、私の名前は京子だよ。」
「京子……うん、いい名前!」
紗那は私の名前を初めて呼んでくれた。
私は、おとぎの世界に住んでいた存在だったのかもしれない。
でも、紗那が私の名前を「京子」と認識して、「お姉ちゃん」と慕ってくれたことで、私は現実の世界と繋がることができた。
***
紗那は夢の中で私に、現実世界のことをたくさん教えてくれた。
「学校っていうところがあってね、お友達と一緒に勉強するの」
「勉強?」
「そう、ひらがなとか、算数とか、色んなことを学ぶの!」
私は、そんな世界があるなんて知らなかった。
紗那が話す世界は、私がいたおとぎの世界とは違う。
そこには、魔法も神々もいないけれど、
お弁当の時間や、体育の授業や、友達と手をつないで歩く放課後があった。
「現実の世界って、すごく楽しそうだね」
「うん! でも、ちょっと大変なこともあるよ」
「どんなこと?」
「宿題が多かったり、先生に怒られたり……それに、時々、お友達とケンカしちゃったり」
私は不思議に思った。
おとぎの世界では、私はいつも女神ヴィセラとドリーミングをしている。
ドリーミングはヴィセラとの遊びのこと。
月の散歩に行ったり
空飛ぶベッドで空中を移動したり、
人魚になって水中を泳ぎまわったり
森林浴しながらエステの施術を受けたり、
ヴィセラはいつも私をお姫様扱いしてくれた。
私はいつもヴィセラと一緒だったから、争うことも、迷うこともない。
でも、紗那が話す現実の世界は、時には楽しく、時には苦しくて、
だけど、それが現実で「生きる」ということなのだと教えてくれた。
「お姉ちゃんも、現実の世界に来ればいいのに!」
紗那がそう言ったとき、私ははっとした。
「私は……現実の世界に行けるの?」
「うん、絶対に行けるよ!」
紗那の言葉には、なんの疑いもなかった。
「だって、お姉ちゃんは私の大事な友達だもん!」
***
それから私はヴィセラとある約束をして、一瞬で現実の世界に存在するようになった。
紗那は大きくなり、私もまた、現実の世界に適応していった。
気づけば、私は紗那の「夢の中の友達」ではなくなっていた。
いつの間にか、私は現実の世界に生きる「姉」になっていた。
でも、それはきっと、紗那が私を現実に呼んでくれたから。
紗那の純粋さが、おとぎの世界にいた私を、現実に繋ぎとめてくれた奇跡だった。
だかは私は、紗那が大好きで、
紗那がいなければ、私は今ここにいなかったかもしれない。
私は、おとぎの世界にいたけれど——
紗那が私を見つけてくれたおかげで、この世界に生きることができた。
だから今度は、私が紗那をおとぎの世界に連れて行く番なのかもしれない。