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3つの偶然

妹の紗那は、その頃、私よりもずっと速い時間を生きていた。

子どもを育て、予定に追われ、生活を回し続ける時間。

長女はあっという間に中学生になり、長男もいつの間にか小学校四年生に成長していた。


私はというと、相変わらず自分の歩幅で生きている。

遅れているとも、立ち止まっているとも思っていない。

けれど、姪っ子たちの成長を見るたびに、時間の流れが明確に違うことだけは分かる。


ある日、紗那からLINEがきていた。

長女・史奈の高校進学について、相談したいという。

パンフレットを見たり、キャンパスがどの場所にあるか調べたりしているらしかった。


「ねえ、お姉ちゃん。どこの高校がおすすめかな?」


私は、ほとんど考えずに答えていた。

「正城学園大学付属高校、いいと思うよ」

自分でも驚くほど、迷いがなかった。

「お嬢様学校だから、史奈ちゃんにもピッタリだよ」


言葉にした瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。

“お嬢様学校”という響きが、私自身の記憶を連れてきたからだ。


そういえば――

私は、なぜあの学校に通えていたのだろう。


父はトラック運転手で、三人きょうだい。

妹の紗那は普通の高校・短大へと進んだ。

弟のシゲも大学付属高校には行ったが、お金持ちの学校ではなかった。

決して裕福とは言えない家庭だった。

むしろ、教育費に余裕があったとは言いがたい。


それなのに私は、

お金持ちの家庭の子が多く通う大学付属高校に、何の違和感もなく通っていた。


冷静に考えれば、普通ではない。

学費、交通費、行事費。

どこを切り取っても、現実的とは言えなかった。


当時の私は、疑問を持たなかった。

「そういうものだ」と受け取って、生きていた。

今になって、その不自然さに気づく。


――あれは、マジックだ。普通なら、ありえない。

そんな余裕は、うちの家庭にはなかったはずなのに。


私は、ふとヴィセラのことを思い出す。

呼ぶつもりはなかった。ただ、思っただけだ。

(あれはもしかして、ヴィセラのしてくれたことだったの?)


答えは返らない。いつものことだ。

否定も肯定もしない、胸の奥の静けさだけが残る。


私は勝手に推測する。

きっと、ヴィセラが関わっていたのだろう、と。

もちろん証拠はない。証明もできない。

だからこれは「信じすぎてはいけない話」だ。


――ヴィセラマジック、なんて呼ぶには、あまりに現実的すぎる。


それでも、あの道が私に開いていた理由を、

私はまだ、うまく説明できない。


紗那とのLINEのやり取りが終わった数日後、

今度は、まったく別の方向から連絡が来た。


正城大学時代の級友だった。


久しぶり、という言葉がぴったりの相手。

私が妄想暴走症になってから、ほとんど連絡を取っていなかった。


最近、同窓会があったらしい。

懐かしくなって、私の名前を思い出したのだという。


――タイミングが良すぎる。


妹が史奈の高校の話をしてきた直後に、

正城大学時代の友人から連絡が来る。


偶然だ。そう言ってしまえば、それまでだ。

けれど私は、どうしても思ってしまう。


やっぱり、この偶然は、ストーリーとしてつながっている。


私は、妄想暴走症を患ってから、十年が経つ。

その間、友達とは自然に疎遠になっていった。


連絡を取らなかった理由を、誰かのせいにすることはできない。

私自身が、世界との距離を取っていた。


それなのに、このタイミングで、大学時代の友人から連絡が来る。

あまりにもタイムリーで、あまりにも不思議だ。


私は思う。

この世界は、不思議なことばかりで成り立っているのではないか、と。

そして同時に、その考えに引っ張られすぎてはいけないことも、私は知っている。


しかし正城大学時代の級友とは話があまりかみ合わず、

ほんの二十歳前後の若者だった私たちは、今はもう立派な大人、四十五歳だ。

それぞれの意見があり、それぞれの世界を歩んできた者同士、

時間の過ぎ去る残酷さを思い知った。

返信はしたが、あっけなく連絡は途絶えた。


私は、机に手を置き、床の感触を確かめる。

時計を見る。

今日の日付を声に出さずに確認する。


現実は、ここにある。


(ヴィセラ、これは考えすぎ?)


答えは返らない。

返らないからこそ、私は自分で立ち止まれる。


私は、偶然を物語にしたくなる癖を持っている。

点と点を結びたくなる。意味を見出したくなる。


それは弱さでもあり、才能でもある。だから私は、こう整理する。

この出来事には、意味が「あるかもしれない」。

でも、意味が「あると決めてはいけない」。


ヴィセラに報告しそびれていたことだけど、

私は、外務省に入省した。

障害者雇用という形ではあるけれど、

現実の仕事を、現実の時間で、現実の責任としてこなしている。


一年後には、ステップアップ試験に臨む。

それが、今の私の目標だ。


もしかして私が外務省に入省できたのも、

ステップアップ試験を勧められているのも、

全部、偶然とは言えない、

私の家庭が裕福ではなかったのに、お嬢様学校に行けたミラクルが、

そうさせているのだろうか。


空想ではなく、生活としての目標。

通勤、仕事、疲労、達成感。

全部ひっくるめて、現実だ。


私は、再び胸の奥に問いかける。

(ヴィセラ、私はちゃんと現実を見て生活できているよね?)


返事はない。でも、それでいい。


あの高校に通えた理由も、

級友からの連絡や、外務省というこの偶然の連なりも、

まだ確定していない。


世界は、相変わらず薄い層を重ねている。

今日も新橋駅から、外務省のある霞ヶ関に向かって勢いよく歩く。

そして時々空想を取り入れる。

(ヴィセラ、私はどこを歩いているの?

もしかしてパラレルワールドを行き来しているの?それとも月にいるの?)


その答えはない。


私は確かに地面の上を、今日も踏んでいる。

信じすぎず、疑いすぎず、足元を確認しながら。


――私の存在を100%信じないで。


その言葉は、もう外側から聞こえてくるものではない。

私自身の中に、誰にも邪魔されないおとぎ話の世界として、静かに響いている声だ。

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