妄想暴走症
※この物語で出てくる病名は架空のものです。
私の病名は妄想暴走症。
とくに誇大妄想の症状が顕著で、例えば、自分は特別な存在メシアであり、人々を救い幸福にする力がある——そんな妄想を繰り返してしまうのが特徴だ。
ある日、京子は夢うつつの中にいた。
自分の体がふわりと浮き、天井まで届く。そして、その先の外の世界へ行きたいと願うが、行けない。気づくと、体は元のベッドの中に戻っている。この浮遊感のある体験は何度も繰り返されてきた。
「こんな体験をするのは何かある、やっぱり、私は特別なんだ——」
京子はたったそれだけの体験でもそう思うようになる。
それだけならまだしも、本当に空を飛べるようになると信じ、何度もジャンプを試みたこともあった。しかし、現実はそう甘くない。何度試みても、もちろん飛べることはなかった。
「なぜ飛べないの?」
そんな疑問が頭をよぎる。そんな時、まるでその回答のように、「私はイエス・キリストの生まれ変わりなのだ」という天啓が降りてくる。そして、京子は叫んだ。
「私はイエス・キリストの生まれ変わりだ!メシアだ!」
その瞬間、風が吹き、玄関の扉が開いたり閉まったりした。
——奇跡だ。
自分が叫んだと同時に扉が動いた。やはり京子は、自分には何か特別な力があるのだと信じた。
「もしかしたら、本当に飛べるかもしれない——。もう一度飛ぶことを試してみよう。」
人目を避け、浴槽の中でジャンプしてみる。水しぶきが舞う。続けて飛び跳ねるうちに、もしかすると天井に届くのではないかと期待が膨らむ。
しかし、やはり飛べることはなかった。
次も懲りずに外で試すことにする。散歩の途中で何度もジャンプし、飛ぶ練習をする。しかし、現実は冷酷だった。何度跳んでも、空へ浮かぶことはない。
ふと我に返り、京子は気づく。
「結局、ここは現実の世界なんだ——」
急にしらけた気持ちになり、自分のしていたことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。京子は自分が特別でもメシアでもないことを悟る。
それでも、一晩寝て起きると、また使命について考えてしまう。
「いや、私は特別かもしれない……
待てよ、私がメシアだって?こんな性格の悪いメシアなんて、いるわけがない——
もう考えるのはやめよう。」
堂々巡りになり、そう言い聞かせる。
しかし、京子は会社員として働く一方で、仕事から帰るとストレスを発散するように妄想を繰り広げてしまう。なかなか考えるのをやめることはできない。
これが妄想暴走症の怖さ。
決して逃れることのできない病——。
「私はいつか、すごい仕事を任されるに違いない。
人々を救う存在になるのかもしれない——。」
仕事中でさえ、「神様が私を守ってくれている」「すべて神様が私を動かしてくれている」と思い込むことがある。頭ではそれを妄想だと理解していても、現実との境界が曖昧になることもある。
「本当に私はメシアなの?12人の男性の神様、教えて——」
そう悩み、12人の男性の神様のことを家族に話したこともあった。
しかし、家族は呆れたように、「病気だから仕方ない」と受け流すだけだった。
京子は反発する。
「私はただの病気なんかじゃない!」
そう言いながらも、話しているうちに、自分がまるでおとぎ話の世界から来た者ではないかという錯覚に陥る。
「私はいつか、死を迎えたら、体が浮いて天井を突き抜け、そのまま宇宙へ行って、12人の男性の神様がいるおとぎの世界に帰るんだ——。」
家族のことも忘れてしまうだろう。
「家族も私を完全に忘れてしまう。だから、お母さんも私のことを忘れるんだよ——。」
そう話したとき、母は強く言った。
「何があっても、私はあんたのことを絶対に忘れないよ。」
その言葉は、力強く、揺るぎない愛情に満ちていた。
生と死に関する考え方は人それぞれで、何を信じるかによっても変わる。
だけど、京子は漠然とした不安を抱いていた。
「私は死んだら、家族のことを忘れてしまうかもしれない——」
それはある意味、自然な考えかもしれない。
私たちは、記憶や意識が脳に依存していると考えることが多い。
死後、意識がどうなるのか、確信を持つのは難しい。
だけど、母の言葉は確かだった。
「私はあんたを絶対に忘れない——」
その一言には、どんな妄想よりも強く、娘を想う母親の気持ちが込められていた。