マッチングアプリ
朝、目覚めると、また同じアラーム音、同じカーテン越しの光、そして同じ通知音が鳴っていた。私のスマホにはいつもの「Find Your Destiny」という謎のアプリからのメッセージ。「本日中に運命の相手と出会うため、カフェで5人と会話してください。」そんな指示がテキストで浮かび上がる。
この奇妙なゲームが始まったのは、一週間前。友達に面白半分で勧められたマッチングアプリの一種だと思ってダウンロードしたら、今こうして「同じ一日」を何度も繰り返すことになっている。当初は不審なアプリを削除しようとしたが、「削除不可」の表示と、翌朝再び同じ日が始まる奇妙なループに恐れを感じつつ、私はアプリの指示に従い続けた。
最初の頃、アプリが指示するミッションは比較的穏やかだった。「バス停で隣にいる男性に話しかける」「駅前のコンビニで店員に笑顔で挨拶する」など、軽いきっかけ作りばかり。でも、そのうち要求は徐々に大胆になっていく。「仕事帰りにバーに立ち寄り、3人の男性と連絡先を交換せよ」「フィットネスジムでトレーナーに自分の好みのタイプを尋ねよ」――どこか強引で、私を積極的に男性と関わらせる行為ばかりだ。
何度同じ日を繰り返しているか、もう正確にはわからない。多分、十数回はくだらない。繰り返すたびに、私は少しずつ変化していた。最初は戸惑いと嫌悪を抱きながら、アプリの指示を淡々とこなしていたが、同じ日を繰り返すうちに度胸がつき、普段なら絶対に声をかけないタイプの人にも話しやすくなった。IT企業勤めのクールなスーツ男、大学で心理学を専攻する穏やかな青年、古書店でレア本を探していた知的な紳士、クラブでノリノリのDJ、筋肉隆々のスポーツマン。いろんな男性と巡り合ったが、アプリが求める「運命の相手」にはまだたどり着けない。
そんなループのある一日、アプリは今までで最も奇妙なミッションを通知してきた。「本日中に、出会った男性の中から『貴方の運命の相手』を一人選び、夜22時、ホテルルーム512号室に来訪せよ。特別な儀式を通して、あなた達は結ばれる。」何これ? まるで恋愛ゲームの最終イベントのような指示。恐ろしさと興味が入り交じる中、私は今日出会った男性達を振り返る。
その日は、駅前のフリーライブでギターを弾いていた男性に声をかけた。爽やかな笑顔と、音楽に対する情熱が眩しく、何度同じ日をやり直しても一度たりとも接点のなかったタイプだ。彼は少し人見知りするようで、私が勇気を出して話しかけると、恥ずかしそうに笑ってギターを弾きながら、好きなアーティストの話をしてくれた。彼の瞳には優しい光が宿り、言葉の端々から誠実さが滲み出ている。その純粋さに、不思議な確信が生まれた。もしかして、彼が私の「運命の相手」なのでは? 数多の男性と接してきたが、彼といるときの安心感と胸の高鳴りは、いまだかつてないものだった。
22時、指示されたホテルの一室に彼と共に入ると、アプリが新たなメッセージを送ってくる。「ようこそ、運命の二人。これより特別な儀式を行います。あなた方は身に纏うものを少なくし、互いの心と身体を開放してください。」私は一瞬、戸惑いと緊張で鼓動が高まる。だが、彼は軽くギターケースを隅に置き、柔らかい声で私に尋ねた。「大丈夫? 嫌だったら、やめよう。」
その優しい気遣いに、私は笑顔で首を振る。「ううん、きっとこれは大切なことなんだと思う。あなたとなら……」
アプリは続ける。「今宵、互いの肌を確かめ、最後に私が示す『運命のコード』を唱えよ。そうすれば、明日は繰り返されず、新たな時間へ踏み出せる。」半ば呪文じみた指示に戸惑いながら、私達は服をゆっくり脱ぎ、互いの体温と鼓動を感じ合う。指先を絡ませ、唇が触れ合うと、何度も繰り返した一日が遠ざかるような不思議な感覚があった。まるで、ずっと前から知っていた恋人との再会のような懐かしさと、初めて触れ合う新鮮な快感が入り混じる。
アプリの指示に従い、私は彼の耳元で「Destiny Code」という呪文めいた言葉を囁く。すると、スマホの画面が微かに光り、やがて静かに暗転した。その瞬間、胸に熱が流れ込み、彼の腕に包まれている感覚が、単なるゲームの演出ではなく、自分の生きる世界の真実なのだと知る。もうあのループは終わる。明日は同じ日ではなく、彼と一緒に一日を積み重ねていく未来が待っている。
翌朝、目覚まし時計の音は同じだったが、カーテン越しの光はどこか新鮮に感じられた。私のスマホにはもう「Find Your Destiny」のアプリは見当たらない。彼の腕はまだ私を抱いていて、微睡みの中で囁く。「おはよう。」
私は微笑み返す。「おはよう。もう同じ日じゃなく、今日が本当の『新しい一日』だね。」
運命の相手を見つけるための奇妙なゲームは終わり、私達はこの現実を共に紡いでいく。何度も同じ日をやり直す必要はもうない。彼のギターの音色と、私の素直な気持ちが、これからは私達の物語を紡ぎ続けてくれるだろう。