06.ブーゲンビリアと黄色い果物
王太子の宮で行われたお見合いのようなものから数日後、アストリッドは王城敷地内に作られたばかりの大温室に足を運んでいた。
王太子妃の生国による優れたガラス加工技術の導入により、大きな板硝子がふんだんに使われているこの大温室は、王太子ヴァルドールの婚姻を祝う目的で建てられたものである。
「すごい! 歪みのない大きな板硝子がこんなに!」
「中に入るより先に硝子に食いつくとは……」
目を輝かせるアストリッドの隣に立つのは、少し呆れた気配を滲ませるロディオン。
お見合いをしたのだから次はデートだと言うことで、行きたい場所を訊かれたアストリッドが希望したのがこの新設の大温室――通称、玻璃宮である。
「だって近くで見てみたかったの! 我が家のオレンジェリーのものより建物も硝子も断然大きくてびっくり。まだ調整中なのが残念だけど、もちろん中の植物も楽しみで……あっ……失礼いたしました」
子どものようにはしゃぎすぎたと気づいたアストリッドは、ぶわりと顔が熱くなる。流石にこれは学園卒業を控えた淑女の反応ではないと内省を急がねばならない。
しかしチラと見えたロディオンの顔は、意地悪そうなものではなく存外優しいものだった。
「……いいや、そこまで喜んで貰えるのなら許可を取った甲斐があったものだよ」
この玻璃宮は現在、温室内の植栽を整えている最中のため人の出入りが制限されている。
だからこそ、国の危機とはいえ王太子の無茶振りに応えている最中なのだと少し我儘なおねだりをしてみたのだ。
王太子の権力は抜群で、その側近であるロディオンはきっちり許可をもぎ取ってきた。
「せっかくだから、さっきみたいに気楽に話してほしいな」
「あれはその……だいぶ幼すぎるものなので、どうかご寛恕ください」
「残念。可愛かったのに」
ロディオンは本当に残念そうに眉を下げた。その表情には、これくらいのお願いなら聞いてもいいかな……などとうっかり思ってしまうほどの威力がある。
ああ顔がいいってずるいなと、アストリッドは思考を無理矢理に再起動させた。
この場合は彼の言う「可愛い」が世辞でなかったとしても、それは子どもに対するようなものだろう。アストリッドは他者から自分がどう見えているかなどよく知っている。
小柄で丸顔のアストリッドは普通の年頃の令嬢と同じように振る舞っても、どうにも背伸びをした少女のように見えてしまう。そのため同じ背伸び感があるのなら少し硬めのほうが良いと考え、女官などの話し方を参考にしているのだ。
それにアストリッドは学園卒業後正式に王城の魔道具開発室に出入りするようになるので、場に馴染むという面でもその方が都合が良い。
目を細めたロディオンは、少し拗ねた様子を見せるアストリッドにすっと腕を差し出す。
アストリッドが一瞬躊躇したものの素直に手を添えると、満足そうに空いている手で彼女の指先を撫でた。
そんなロディオンの手慣れた対応がアストリッドの癪に障ると同時に、幼稚な反応を見せてしまった自分が情けなくなってくる。
(要するにこういうところも含めて子どもっぽいということで……気をつけましょう)
アストリッドは内心で反省を済ませ、ぱっと澄まし顔を作る。
思い切って我儘を言った結果で来られた場所なのだから、楽しまなければ損なのだ。
入り口前で待たせてしまっていた案内人に挨拶をし、気持ちを切り替えたアストリッドは勇んで中へと足を踏み入れた。
◇
玻璃宮の中は鮮やかな緑が広がっていた。
散水を終えた後のようで、土と緑の匂いが心地よい。目の前には数種類の薔薇とアストリッドが名を知らぬ花がひしめく楽園。アストリッドが纏うカナリアイエローのドレスにも負けない世界だ。
天井は高く、硝子板を通した日光がさんさんと降り注ぐ。
緑と花を観察するついでに、その隙間にスプリンクラーを発見して嬉しくなった。
実はここで採用されているのは、アストリッドが開発したものなのである。
以前にスプリンクラーをなんとなく作ろうと思ったら、既に吊り下げ式のものが存在していた。
しかし地面に設置するタイプのものはなかったので、朧気な前世の記憶を頼りに作ってみたのがここにある種類のものだ。
こういった天井の高い施設の場合は、吊り下げ式のものを取り付けてもメンテナンスに難がある上に景観に影響が出る。そうして採用されたのが、アストリッドのスプリンクラー。
吊り下げ式のものより強く水を飛ばす必要があるため、風の魔石を多く利用するのでランニングコストが掛かるという欠点がある。しかし貴族や富裕層からの依頼がぼちぼち続いていると、製造委託先の工房から報告を受けているので人気のほどは悪くないのだろう。
順に散策コースを進み周囲を眺めていると、流石に暑くなってきた。
日焼けが気になるものの、暑さには勝てないので羽織っている薄手のショールをおろす。一度止まってもらいロディオンの腕から手を外し、緩く畳もうと持ち上げればするりと取り上げられた。
王城デートなのでいまはお互いに従者を連れていない。アストリッドは自分で持つつもりでいたのだが。
「……ありがとうございます」
「夢中になって鞄を落とさないようにね」
「どうして一言余計なんですか。落としません」
ロディオンはショールを器用に折り畳むと、再び腕を差し出してくる。
手持ちの小さな鞄にショールを詰めたら確かにぱんぱんになってみっともないし、エスコートと鞄で両手が塞がっていたのは事実。
アストリッドはロディオンの行動が親切なのか意地悪なのか、なんとも判別できずにいる。
そのままぐるりとコースを進み、部屋の奥を眺めるとまだまだ育成中の木々が目に入った。
アストリッドが気になったのは、まだ短いブーゲンビリアと青い実が生ったバナナ。今までも樹木は色々と目についていたが、多年草であるバナナは妙に目立つ。
「あ、ブーゲンビリア……と、バナナ!」
「おや、お嬢様はご存知で?」
「南海楽園冒険録で読みました。あの図解、けっこう正確なのですね」
南海楽園冒険録とは、その名の通りの冒険小説。それは製紙と印刷技術の向上により娯楽本が出版されはじめた頃に発表され、挿絵つきの小説本としてはごく初期のものである。
それは完全な空想世界の物語ではなく実在する国々が舞台で、馴染みのない食べ物も沢山登場する。それを読んだ多くの少年少女が異文化を想像し、憧れたことだろう。
アストリッドの場合は前世の記憶にある似たものを当てはめて読んでいたので、他の人よりも詳細に想像が出来ていた気がする。
そうしてアストリッドが案内人と南海楽園冒険録の動植物談義に少しだけ花を咲かせた後、ロディオンがようやく思い出したと声をあげた。
「えっと、バナナって黄色い果物……じゃなかったっけ?」
「ええ、熟すと黄色くなります。しかしアーメッ……ロディオン様もお読みになっていたのは少し意外ですね」
「あのね、僕にも少年時代はあったよ?」
ロディオンの少年時代。
アストリッドにとって、まったく想像ができない未知の領域である。
彼とは四歳ほど離れている上に性別も違うので、接点が無いも同然だったのだ。
ロディオンのほうは王太子の趣味の生贄であるアストリッドのことは早いうちから認識していたのかもしれないが、なんとなく訊くのが怖いので確認はしたくない。
「僕からすれば、君みたいな高位の令嬢が冒険小説を読んでる方が驚きなんだよね」
「両親の意向により、我が家の教育方針は緩めなんです」
「ああ………………なるほど」
「お待ち下さい。いま何を以って納得しました?」
苦笑いを堪える案内人の目の前で、アストリッドとロディオンは軽口を叩き合う。
ロディオンは手慣れたようにアストリッドを女性として扱う一方、友人にするような軽口も向けてきたりする。
アストリッドは彼との距離感をどうするべきか考えあぐねている。とりあえずは名前で呼ぶようにしたが、まだそれくらいだ。
その後もゆったりとコースを進み、緑と花に目を楽しませてもらった。
けれどロディオンがアストリッドをどう思っているのかは何も掴めないまま、玻璃宮を後にした。
玻璃宮はキューガーデンのパームハウスみたいな感じの建物をイメージしています。