第八十話 ヒカルの七日間
「クロちゃん! 湊さん!! そうじゃない、そうじゃないんだーーーっ!!」
僕は叫ぶ。ホイホイの中から外の世界に繋がっているはずの小さなウィンドウに向けて。
でも、声は届かない。ふたりは山伏さんに吹き込まれた『間違った地球の望み』を真に受けてしまい、それを訂正する方法は、今の僕には無かった。
彼らは地球が『人類が世界を汚し続けている』からホイホイを生み出し、人間を排除しようとしているものだと思っている。
でも本当は、地球は人類に自分を愛して欲しいだけなんだ。この世界を素晴らしい物と思って、地球の恵みに感謝し、そこに生まれた事を感謝して欲しかったんだ。
湊さんは僕みたいにホイホイに捕らえられた人たちを救おうとしている。でも、その方法への認識をもし間違えたら……仮に誰かを救出したとして、彼らの見識である『文明を捨てて自然と共に生きること』を強要され、そして助けた人がそのせいでこの世界を、地球をより嫌いになってしまったら……地球は二度と人類がホイホイから出てくることを許さないだろう。
「なんとか……なんとか、その事を伝えなきゃ」
でも、いくら叫んでもこちらの声は届かない。向こうからの声や音は聞こえてくるのに、その時に同時に大声で叫んでも、音声は完全に一方通行だ。
映像ももうずっと砂嵐で、あちらの様子など伺い知れないこの状態で、まして向こうに何かを見せるなんて出来ない。
向こうとこっちの世界は、事実上完全にシャットアウトされている。どうすれば……いいんだ?
あれ? と思う。それは違和感と言うよりは既視感だ、確か以前にこんな事があった気がする。なんだっけ……世界がこっちと向こうで仕切られて、向こうの様子を伺い知れない、そんな状況を、どこかで経験したような、しなかったような。
……あ!
「あれだ! 東京のNHKtビル、どの部屋がラジオスタジオか分からなかった時の!」
そうだ。東京に行って国営放送をジャックしようとして、セキュリティの一環として、部屋の中の詳細が一切書かれていなかったあのビル内部。無理にこじ開けたりすれば最悪閉じ込められるかもしれないと案じ、部屋が特定できなくて途方に暮れたんだった。
その時は確か……そう、そうだよ! クロちゃんのアイデアで、そこから流れる放送を外から大音量で鳴らして、共鳴音が一番大きく響く部屋を探すことで特定できて、バルサンラジオを世界に流す事が出来た。
そうだ、音は届かない。映像も向こうに送れない、手紙も電話も当然届くわけがない。
なら、電波は――、ラジオ放送の電波をこちらから向こうに届けることが出来ないだろうか。
バルサンラジオに届く、世界中からのメッセージのように。
それから三日間、僕はリハビリに専念した。電波をラジオに乗せる為の機械だけなら、このあらゆる願いが叶う『にんげんホイホイ』の中の世界じゃ、それを望むだけで勝手に出現してくれる。
でも、それじゃ多分ダメだと思う。例えば僕の体も望めば即座に全快するだろうけど、それは僕が見ているこの世界での願望であって、現実に僕の体が一気に治るわけじゃない。ここにいる時はいいが、現実世界に戻ったらきっと本来のケガに立ち戻ってしまうだろう、最悪戻った瞬間に死んでしまうかもしれない。
それは多分、機械でも同じだ。ポンと機械を望んでさらっと通信が成功しても、それは僕がこのホイホイの中で見ている都合のいい夢かもしれないんだ。初めてここで目覚めた時に、くろちゃんや湊さん、師範や師範代が都合よく出て来たように。
だからちゃんと部品を集め、自分できちんと向こうの世界に届ける為の通信機を制作し、それで向こうにメッセージを送らないと届かないと思う。
このホイホイの中で暮らす内に、そう言う事が何となくわかって来た。地球は僕たち人間を理想の世界であるホイホイに呼び込んだ。そしてそれは理想と現実、言い換えれば精神と肉体の両方で、人の願いを叶える世界だったんだ。
だから焦ってちゃいけない。僕の治療と同様に、通信機もちゃんと現実に即して作り上げなきゃいけないんだ。
なので最優先する事はちゃんと体を治して、機材を集めて作れるように備える事だ。あのクマと戦った時に目突きをした右手の指は脱臼していて、そのリハビリの為に今もゴムボールを握り続けている。精密な作業をするのに指が思い通りに動かないんじゃ話にならない。
体も同じだ。部品を集めるにもちゃんとホームセンターやジャンク屋を自分の足で回って手に入れなくちゃいけない、願えば目の前に出て来るようなホームセンターで入手したパーツじゃ、きちんと仕事をしてくれる気がしないから。
そして今日、いよいよギブスを取る日が来た。
「よく頑張ったね、君の言う都合のいい回復じゃなくて、ちゃんと年齢と肉体相応の時間をかけたよ」
そのドクターの言葉に安堵しつつ、左半身の石膏を回転刃で切り外していく。中から現れた僕の手足はびっくりするくらい細くなっていた……あとめっちゃ臭い。
でもそれが、今の僕の体の『現実』なんだ。だから頼りないし臭う、うん、これでいい!
◇ ◇ ◇
その日から僕は死に物狂いでリハビリに取り組んだ。一刻も早く、せめて松葉杖で歩けるように、そして機材を組み立てる程度には左半身を回復させるために、歯を食いしばって体を動かし続けた。
――感情を、弱さを、怒りを、押して忍ぶ。それが空手の精神だよ――
大熊師範代に教わった心得を支えにして。
「押忍っ!!」
……なんか湊さん達、富山県で美味しいブリ食べてるみたい、いいなぁ。
「お、押忍っ!!!!」
僕はそれからもリハビリを続け、なんとか松葉杖で歩けるようになったのはさらに三日後のことだった。明日は松波さんの結婚式、それが終わるまでは湊さんも誰かをホイホイから出す手段を見つけることはできないだろう、急がないと。
「せめてタクシーくらい使いたまえよ、仮にも神様なんだし」
松葉杖で外出しようとする僕に、専属ドクターの樫葉さんが苦笑いでそう言う。彼を始め周囲の医者や看護師さん達は、僕が主張するこのホイホイの世界をある程度認めて自覚していた。
自分たちはこの少年の望みを叶えるために生み出された傀儡でしかない、この世界の主人公は彼、白瀬ヒカルなんだと。
「いえ、皆さんに甘えられません、これ以上甘えたくないんです。僕は皆さんのおかげで命を繋いだ、皆さんこそ僕にとっての恩人、神様なんです」
親の仕事柄、ずっと色々なアニメや漫画を見て来た僕にとって、『主人公』という存在がいかにずるいものであるかを知っていたし、両親にも教えられてきた。
だから知っている。僕は決して主人公じゃない、誰かに甘やかされ、えこひいきされていい気分になる人であってはいけないんだ。
そんな世界を望む人の心に地球は嫉妬して、ホイホイを生み出したんだから。
二キロほど歩いてホームセンターに辿り着く。ラジオ放送の旅を続けて何度も経験した店内のレイアウトを思い出し、目の前の世界に反映させる。甘えず、楽をせず、
現実的な買い物をしていく……こっちに来た時、お金持っててよかった。
病院に帰還し、疲れから速攻でベッドに倒れ込んだ。組み立ては明日でいいか、寝ぼけながら作ったら、ホイホイの性能に頼っちゃうかもしれないし……
◇ ◇ ◇
”ピッ・ピッ・ピッ・ポーーン”
”ヒュウゥゥ~~、ドン、ドンツ!”
「な、何だぁ!?」
朝、時報らしき音の後に響いた、まるで花火のような轟音にたたき起こされる。そうだ、機械を組み立てなきゃ!
ドライバーとハンダゴテ、クランプなどを使ってひとつずつパーツを組んでいく。目の前の小ウィンドウの向こうからは、結婚式の生中継の音声が流れてきている。
”親方、空から花嫁が”
”UFOだ、UFOに吸い上げられているんだ”
”キャトルミューティレーション??”
何をやってんの、何を。
でもいい傾向だ。僕の想像外の結婚式が行われているならば、それはこのホイホイが生み出した幻聴じゃなく。実際に向こうの世界で起こっている現実なんだ。このホイホイは自分の知っている事や想像できる事しか再現できないんだから。湊さんや羽田さんのショーマンシップに感謝しなくちゃね。
だから、もし、この通信機で向こうに送ったメッセージを、彼らが自然な流れで受け取ってくれたら……通信が本当に届いていると確信できる。
「……できた!」
石川で松波さんに教えてもらい、日本各地で何度も作って来た、ラジオ回線ジャック用の通信機。周波数をバルサンラジオのNHKtに合わせ、電源を入れる。
緑色のランプが点灯し、スピーカースイッチが点滅して押されるのを待っている。
「さぁ、いよいよだね、神様」
っと!? いつの間にか樫葉さん始め、お世話になったお医者さん全員が僕の周りを取り囲んでいる。
「あはは、神様は止めて下さい。僕はただの患者、白瀬ヒカルです」
「君の世界に生み出されてよかったよ。他の世界の登場人物はさぞ主人公に振り回されているだろうからね」
「さぁ、あとは地球様のご機嫌取りだね。君が帰還するのももうすぐだ」
あ! と意識が固まる。そうだ、もし僕が戻ったらこの人たちは、もう……。
「ほーら、そんな顔しない。貴方が居るべき場所はここじゃないでしょ」
お世話になった看護婦さんがウィンクをしてくれる。そうだ、僕はみんなの所に、クロちゃんの所に帰って、伝えなければいけない事があるんだ。
「私達に、ハッピーエンドを見せてくれたまえよ」
樫葉さんが笑顔でそう発する。僕は居住まいを正し、みなさんに深々と礼をする。
「ありがとう、ございましたっ!」
小ウィンドウに向き直り、マイクのスイッチに手を添える。向こうからは何かブーケトスのイベントに、大勢の女性たちが意気上がっているのが伝わって来る。うん、これも僕が想像しえない世界だ。あとはここからの流れで、みんながちゃんと反応してくれれば……
カチッ!
ザ……ザザッ
「もしもし、聞こえますか?」
さぁ、どうだ!?
”どこから?”
羽田さんの声が響く。大勢の人のざわめきが届いて来る。よし! ちゃんと向こうに繋がっている!
「よかった、通じたみたいですね」
大勢の人たちの驚きの声が、混乱する様子が、そして「おい! おいっ!」と誰かに問い詰めるような女性の声がする……これって、あの虎米ルイさんだ!
「僕です、白瀬ヒカルです。松波さん達、ご結婚おめでとうございます」
僕は小ウィンドウを凝視しながら、向こうからの反応を待っていた。さぁ、来い!
その時だった。目の前の小ホイホイの砂嵐の画面が、ぱっ! と鮮明な画像に切り替わったのは。同時に小さかったホイホイウィンドウが、元の大型テレビくらいのサイズまで一気に拡大された! その画面に大写しになっていたのは……
上半身すっぱだかの、クロちゃんだった。