第六十九話 十二月十二日、午前十一時四十五分
その時が来た。
「今、ダムの一番下から水柱が上がりました! 崩壊が始まりますっ!」
くろりんちゃんがそうリポートした直後、遥か遠くのダムから、ゴゥン! という地響きのような音が届き、遅れて空気と地面にビリビリとした振動が走る。
ダム研究者、オランダのロンダさんの言った通りだった。黒部ダムは水の圧をダム下方へといなす構造になっている為、限界を超えるとまずダム下部から崩壊するだろうと予測されていた。
そして今まさに、ダムの中央下から爆発のようにコンクリートと水しぶきが四散し、その穴から噴き出た大量の水がダムを次々と食い破って行く。
「ダムが……見る間に崩れていきます! 大量の水が下流に流れ込んでいきます、ものすごい勢いです!」
彼女のラジオリポートの横で、私はスマホのカメラでその光景を録画し続ける。日本最大級のこのダムが水量の限界を超えて崩壊する様は、今後もし社会が元に戻ったなら重要なサンプルになるだろうし、そうでなくとも今現在、世界中のダムでこの黒部のような崩壊が起こる可能性はあるのだ。なので今日ここで起こる事をしっかりと記録して今後の災害に備えるべきなのだ。
「あ、今、ダムの両岸が崩れ始めました。まるで流れに持っていかれるかのように土砂崩れを起こしています……レストラン、テラスステージ、みんな崩れて川に引きずり込まれていきます……すごい音です、聞こえますか!?」
ドッガァァァァン! ゴドドドドドドド……ッパアァァァァッ――
予想通りと言うべきか、ダムと水で常に外側に圧力を受けていた両岸は、その圧を失って、逆に川の内側へと飲み込まれていった。もしあそこに留まっていたなら、私達も巻き込まれていただろう。
―ピューワッ・ピューワッ・ピューワッ・ピューワッ―
”緊急警報。午前十一時四十五分、黒部ダム崩壊。繰り返します、午前十一時四十五分、黒部ダム崩壊。下流域の方は直ちに計画通りに対応してください”
松波さんがラジオで警報を鳴らす。それに応じて黒部川の下流各所にて待機、準備していた人たちが動き出す。そう、このダムが崩壊して下流域に鉄砲水や土石流が向かうのは予定調和だ。ならば私達人間が、何もせず手をこまねいているはずがない。崩壊を止めることが出来なくてもやれる事、やるべき事は幾らでもある!
”こちら黒部川第四発電所。これより当施設の発電を全て停止します。お使いの電気機器は使用不能になりますので、ご了承ください”
そう放送に告げたのは、秋田県からバルサンラジオを聞いて発電所まで駆け付けてくれた東北電力の社員、船川敏郎氏だ。
彼曰く発電施設が生きたまま濁流に飲まれたら、ショートや漏電により施設のダメージが大きくなるだけではなく、最悪街中や山林での火災発生の危険すらあるとか。なのでダムが崩壊したら直ちに全電源をカットするためにわざわざ来てくれて、準備をしていたというわけだ。
”了解しました、濁流到達時間は約三十分後と推定されます、確実な避難をお願いします”
”了解。電源カットまで5秒、3.2.1……カットアウト!”
バツン! という音がしてそこからの放送が途切れた。よし、これで電気の危険はぐっと減った。下流域への電気の供給が断たれたのは残念だが、それは周知済みなので、みんな何らかの対策は打ってあるだろう。
”こちら猿飛峡避難所、住民全員と全ホイホイを確認しました”
”鐘釣駅の避難所になっている旅館です、たった今、足湯に行っていた人全員が戻って来ました”
”小の沼公園避難広場です。準備万端いつでも来い、な状態ですよ”
黒部川に並走している『黒部峡谷鉄道』に沿って設けられた避難所から続々と退避完了の報が入る。この避難所設置の立役者となったのは、地元富山のJR職員である渡会清美さん、なんと黒部峡谷トロッコ列車の運転手さんだ。
付近の山岳地帯に暮らす人たちを助けるべく、峡谷を何度も往復して人々を避難させ、食料や医薬品を配達して回ってくれたのだ。
やがてそれらの地域から次々と濁流通過の報が入る。いずれの地域でも水勢は衰えることなく、もし避難していなければ犠牲者は相当な数に上っただろう。
だが、私たち人間は来ると分かっている災害に対応できないほどグズじゃない。ラジオで情報を共有し、各所から集まってくれた各エキスパートたちの手を借り、そしてご近所の人たちが力を合わせて、この予定済みの災害を華麗にスルーしていく。
”こちら内山公園にて待機の訓明高校第一班です。今、川の水位が大幅に増えましたけど……これって来てるのかな?”
山を駆け下り、平地にまで達した濁流はさすがにその勢いを弱めつつあるようだ。油断は大敵にせよ、川幅が広くなり勾配がなくなれば必然、流れは穏やかになって行く。
”ユウヒ飲料北陸、訓明高校二班でーす! 今、水位が上がりました。なので河口まで車で並走します!”
”くれぐれも安全運転でね、無免許なんだから”
いよいよダムからの水が終点に到達しようとしている。その末路を見届けるべく、高校生の彼らが川べりから河口へ向けて車を走らせる。ここまで人的被害の報告は一切入っていない……頼む、このままこのまま。
”芦崎警報所に到着、河口に着きました。水はいつもより少し多く、海に向かって流れだす水が扇形に広がっていきます。海から来る波とぶつかって模様を描いてます……脅威は全然ないです”
決壊から約三時間。ついに濁流は河口まで到達した。黒部ダム崩壊という未曽有の災害は今、ここにひとまずの収束を見た。そして、松波さんの報告……
”鉄砲水、および土石流の収束を確認しました。この災害による死者、行方不明者は……ありません!
「いよっしゃあぁぁぁーーーー!!」
私とくろりんちゃん、あと白雲さんとハイタッチを交わす。同時にラジオの向こうでも歓喜の声が、勝ち鬨の音が高らかに鳴り響いた!
”いやったーーーっ!”
”完・全・回・避・たっせーいっ!”
”バンザーイ、バンザーイ、バンザーイっ”
”ざまぁみろ濁流、ざまぁみろダム崩壊っ!”
みんな歓喜している。この大災害でただの一人も犠牲者を出さなかったのだ、そのために全員がしてきた行動が実を結んだのだから、そりゃ浮かれるだろう。
例え富山県内の電気が全て死んでも、日本最大の黒部ダムが消滅してしまったとしても。
それでも私たちは全員が出来る事を全力でやった。そして結果を出した。その人間力に、誰もが酔わずにはいられなかった。
「ざまぁみろ、地球の意思ーっ!」
”ざまぁみろ、宇宙人ーっ!!”
私と羽田さんの声が見事に重なった。隣でくろりんちゃんがズッコケて、次の瞬間に大笑いが彼女とラジオの向こうから、明るいハーモニーを重ねた。