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にんげんホイホイ  作者: 素通り寺(ストーリーテラー)
第三章 絆は世界を超えて
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第六十七話 敗北感

 ダムのたもとに向かって走る私に、後ろからくろりんちゃんが声をかけて来た。

「ねぇ、湊さん! どうするのー?」

「もちろん、ダムの水を抜く!」

「どうやってー?」


 そう言われて、はた、と我に返る。そうだ、この近代的なダムにまさか、放水をする為のでっかいレバーがあって、それを下げれば水を抜ける、なんてものがあるわけないじゃないか。

 思わず足を止め。追いついてきた彼女と向かい合う。そうだ、彼女はラジオ放送の為にここのパンフを熱心に読んでたな……


「パンフレットに何か書いてなかったかい? 作業員の事務所とか、立ち入り禁止区域とか」

「ううん、観光ルートとか遊歩道の歩き方とか、お客さん向けの内容しか無かったよ」


 当然と言えば当然か。産業スパイやテロリストに手に入れられたら困るような情報が、わざわざパンフレットに書いてあるはずがない。

 いや、待てよ……彼女は放送の為にパンフを読んでたんだな。それなら!


「くろりんちゃん、君は一度車に戻りなさい。ちょうど放送が始まっている頃だ」

「あっ! 忘れてた」

「うん。で、この状況をリポートして、みんなにアドバイスを貰ってくれ。ひょっとしたらダムに詳しい人がいるかもしれない」


 ダムの決壊はなんとしても食い止めたい。下流域にいる方や人が入ったホイホイももちろん気がかりだが、それ以上に私の心にひっかかる何か(・・)があったからだ。


「湊さんはどうするの?」

「そのへん回って、それらしい所に目星をつけておく。いいアイデアが来たらすぐ実行出来るようにね」

「分かった。くれぐれも気をつけてね」


 声を掛け合って別れる。私はくろりんちゃんが無事に車まで辿り着くのを見届けてから、改めてダムの淵に向けて走り出す。


 レストハウスから階段を駆け下り、ダムのたもとまで辿り着く。ダムの頂上部分は観光通路になっているが、今は完全に濁流の川、そして滝の入り口になってしまっている。これはここを渡るのは無理だろう。


 上の方の展望台から、一番下にあるレインボーテラスとやらまでに石の階段が続いている。まず一番下まで降り、そこから引き返して上に向かいつつ、立ち入り禁止や係員専用などの注意書きがある場所か無いかをチェックして回る。だがどこも観光客用のエリアなのか、それらしいものは見つけられない。


「だとすると……あそこか」

 ダムの壁面、湖のない裏側に沿って、いかにも作業員が下りる為の階段と通路がある。そしてその途中に鉄でできた重そうなドアが点在していた、おそらくはダム内部に点検用の通路があり、そこへ行く用の関係者専用エリアなのだろう。


 だがそこは今、上から大量の水が流れ落ちる瀑布と化していた。水がダムを超える時の流れの勢いで、コンクリート壁面と水のシャワーには1~2mほどの隙間があるにはある。よく漫画なんかで見る、滝とガケの間にあるようなスペースが確かに開いていた。


「濡れるのは……嫌だなぁ」

 何しろ十二月の黒部である。雪が降っていないだけでもかなりのラッキーだろうが、当然ながら気温は相当に低い。そんな中でこんな隙間に入って濡れネズミになれば、風邪を引くぐらいで済むかどうか。


 また階段は作業員専門だけあって相当タイトだ。もしバランスを崩せば滝に打たれて水面まで真っ逆さま、なんて事態だってあり得る。命綱でも無ければ自殺行為だろう。


「命綱……あったりするんだよなぁ」

 自分のホイホイを見て思わず吐く。行かない為の言い訳を自分で潰す行為に呆れながらも、ジャンバーのフードを引っ張り出して頭に被り、右手でホイホイの縁を掴んで命綱代わりにして、濡れた石段に一歩踏み出す。


「……負けるかよ!」


 その言葉が何に対してなのかは、私自身もしばらく後まで、知る由もなかった。


      ◇           ◇           ◇    


”な、なんだって!? ダムが満杯で、きしんで壊れそうって……”

「そうなんです。今、湊さんがどうにかして放水して水を抜けないかって、あちこち探し回ってます」

 中継車の中で(くろりん)は松波さんに事の次第を報告していた。ちなみに白雲さんは車の中には入らず、すぐ外で佇んでいるだけだ、本当に寒くないのかなぁ。


”今すぐにでも壊れそうなの?”

「分かりません、来た時からずっと音が聞こえていますから」

 この軋み音がたった今始まったのか、もう何十日も鳴りっぱなしなのかは分からない。なのでもちろんダムが壊れるまでの時間は私には分かりようもない。


 と、ラジオから若干のノイズと共に、外国語の叫び声が飛び込んで来た!


”Ren daar snel weg!!”

「え? 何て言ったの?」

”ちょっと待って、翻訳AI立ち上げるから”

 そう言って松波さんが外国語を自動通訳するソフトを起動させる。ほどなく「ピピッ」という電子音が響き、すぐさまさっきと同じ単語が叫ばれる!


”Ren daar snel weg!!「早く、そこから逃げるんだ!!」”

「え、ええと、どうして……」

”Kurobe Dam is een boogtype!Voor het geval het kapot gaat Ik betrek de mensen om mij heen!!!「黒部ダムはアーチ式だ!万が一壊れたら周囲を巻き込むぞ!!!」”


 向こうの人が、そして翻訳AIが叫ぶ。この黒部ダムは水に対して弓なりの弧を描いている非常に強固なダムだけど、それだけにもし少しでも破壊されたらたちまちダム全体が崩壊する可能性が高いそうだ。


 そして一気に水と、ダムというつっかい棒(・・・・・)が外れたら、周囲の土地を引っ張り込むように下流に引き込む危険があるという事らしい。つまり、いま私たちがいるこの場所も、ダムが壊れると一緒に引っ張られて流されるかもしれないと。


「大変! 湊さんがっ!!」

 このままじゃダムのすぐそばにいる湊さんが危ない! 早く戻ってきてもらってここから逃げないと……あ、そうだ、子機!

 山形で貰ったスマホの子機をポケットから出して電話をかける。トゥトゥトゥ、という音の後で呼び出し音が鳴りだす・・・・・・・お願い、早く出て!


      ◇           ◇           ◇    


「くそっ! 真っ暗かよ、電気が死んでやがる」

 なんとか階段を降り、鉄の扉を押し開けてダム内部に侵入したはいいが、中は電気が来ていないせいで暗闇の通路だ。仕方なくスマホを取り出し、ライトをつけて周囲を照らす。

 びちゃっ、と水音が立ち足を濡らす。そこかしこ水浸しなのはダムに亀裂が入っていて水がしみ込んでいるせいなのか。そしておそらくはそのせいで電気も死んでしまっているのだろう。

「水力発電のダムの電気が死んでるとか、シャレにもならんな」


 スマホの明かりを頼りに暗闇の洞窟を進む。と、その時、手にしているスマホから着信音と振動(バイブ)が鳴り始めた……くろりんちゃんか、待ってたよ!


「もしもし、湊です」


”早く、車に戻って下さい、急いでーっ!!”


 その悲鳴にびくっ! と身が跳ねる。何だ、なにかあったのか?


「どうした、まさかまた熊でも出たのか!?」

”違うの、ここはもう危ないんだって! 早くここを離れないと!!”


「どういう、こと?」

”ダムが壊れたら、この辺全部流されちゃうかもしれないんだって!だから……”


 ああ、そう言う事か。確かにこのダムの大きさを考えたら、それはあるだろうな。


「私はもう少し探してみる。君は白雲さんと一緒に、さっきのトンネルまで戻っていなさい」

 あそこまで下がれば崩落に巻き込まれることは無いだろう。逆にダム内部にいる私は今更じたばたしてもどうにもなるまい、だったらせめて何か手掛かりがつかめるまで粘ってみる方がいい。


”そんな……湊さんっ!”

「このまま崩壊したら下流域がどうなるか分からない、もし生き残ってる人がいて被害に遭ったらどうする!? やれるだけの事はやらないと!」

”でも、でもっ!”

「それより何か情報は無いか? このダムを救う(・・)方法は!」


 無線の向こうで息を飲む音が聞こえて来た。いかん、どうも語気が荒くなっていたようだ、彼女は私を心配してくれているのに、大人気ない事だ。「すまん」とだけ告げて、一度電話を切る。


「だが……このまま負けるわけにはいかん!」

 ああ、そうか。私の心に引っかかってるものが、理解できた。


 私は小なりとはいえ、仮にも建築業に携わる人間だ。この日本有数の建築物が、観光地として大人気のこのダムが、幾人もの犠牲を出して築き上げたこの黒部ダムが……自然に、いや、人類を消し去ったこの『にんげんホイホイ』に負けるなんて、耐えられるものか!


 そうだ。このダムは私にとって、やり遂げる為の意思とシンクロしているんだ。社会を元に戻す。ヒカル君を、智美や里香をこの世界に取り戻す! そんな意思や克己を支える心のダム(・・・・)が今、この黒部ダムと重なっているんだ。


 ホイホイから人を救い出す、それがそもそも夢物語なのかもしれない。それでも意固地になってそう言い続けて来た意思が、懸命に水を押し止めるこのダムと重ね合わさっているんだ。


 なら崩壊させるわけにはいかない、このダムも、私の意思も!



 ――やれやれだな――


 狭い通路に響いた声。思わず振り返ると、ドアの所に一人のシルエットが浮かんでいた。

「白雲さんっ! なんで、ここにいる!!」

 彼はくろりんちゃんと一緒に避難してなきゃだめじゃないか! 無茶をするのは私一人で十分だ、何をやっているんだ!


 ――外に出てみたまえ、いい物が(・・・・)見られるぞ――


 親指でドアの外を指差す。なんだ、何か手掛かりでも見つけたのか? なら有難い、何でも試してみなければ!


 駆け足で彼に合流し、ドアから外に出て滝のカーテンを抜ける。そして、それ(・・)を見て……世界(・・)を見て……


 絶句した。


 ギャァ、ギャァ、ギャァーッ

 まず目に入ったのは、空を埋め尽くす鳥の群れだった。カラスや白鳥、鶴、鳶、鷹や鷲らしき立派な翼、それらが声を上げながら空をアリの群れのように埋めていた。


「な、なん、だ!?」

 階段を上がり切って見たのは、土手の縁や柵の際、そして対岸にいる動物の大軍だ。鹿が、猿が、猪が、山羊が、カモシカが……ぽつぽつと熊の姿までもが。


 そして彼らは皆、今だ軋み音を上げるダムを、じっと注視していた。


 まるで崩壊するその瞬間を、心待ちにするかのように。



「こ、こいつら……こいつら、ッ!!」

 間違いない。こいつら、ダムの崩壊を……『人間の敗北』を、待ち望んでいやがるっ!


 私が怒りに拳を固めている横で、白雲が手にした錫杖をしゃらん、と鳴らして言葉を紡いだ。



「理解したかな、これが地球の意思(・・・・・)じゃよ、椿山殿」


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