第六十一話 賢人が見た世界
太祖の奴を不浄アタックでKOした後、私はくろりんちゃんやお仲間の皆様に散々ヘンタイ扱いされ、本堂に戻って服を返してもらってから、待望の飯に有り付いていた。
「ハムッ、ハフハフ、ハフゥッ! コメがうめぇ、ハフハフッ!」
なんか自分がどっかのアスキーアートみたいな状態になってるのを自覚しながらも、食べる手が止まらない。嗚呼美味い、空腹は最大の調味料とか言うのは真理だなぁ……ハフハフッ。
「湊さん、がっつきすぎですよ……はいお水」
「ンー、はりはとう、ウグングング……ぷはっ、水もうめぇ~」
くろりんちゃんに貰ったお水を飲み干してひと心地つく。飲み込んだ食べ物も水も、まさに体に染み込んでいくようなこの感触、いやぁ最高!!
実際、本気で飢え死にするかと思ったからな、ああ生きてるって素晴らしい。
「あの、椿山様……」
食べてる最中に、テーブルの向かいからネローメさんやラオラさん達が居並んで、申し訳なさそうに声をかけてくる。
「その、本当に……なんと謝罪をしたらよろしいか」
神妙な声で頭を下げようとする。が、今の私はそれどころじゃない、飯を食うのに忙しいんだからな。
「あーいいからいいから。あんたらも太祖の言う事に従っただけなんじゃろ?」
「ですが……私どものしたことは、いくら恨まれても仕方なきことで」
「ええってええって、腹が立ったら膨らして寝かせるんじゃ。だから、お代わり!」
そう言ってお茶碗を突き出すと、彼女は「あ、はい、ただいま!」と受け取って、おかわりをよそってくれる。いやぁ流石は東北の米だ、食い過ぎて胃をパンクさせないようにせんとなぁ。
「湊さん……本当にそれでいいの?」
隣に座るくろりんちゃんが頬杖をついて、呆れたように聞いて来る。
「本当に死にかけたんでしょ? もっと怒るもんだと思ってたのに、いつかみたいに」
ああ、横浜のケンカの時か。まぁあれはヒカル君とくろりんちゃんがピンチだったからな。あの時は久々に怒髪天を突く思いだったが、今回はまぁ私だけのピンチで済んだし、このメシで相殺としてもいいだろ。
「罪を憎んで人を憎まずの精神だよ。ほら、ヒカル君もそうだっただろ?」
そう言って彼女が抱く小ホイホイを目で示す。そう、彼は常に自らを律し、親の敵の憎しみに囚われてホイホイに入る事もせず、この世界にとどまったのだ。
「うん! そうですよね」
満面の笑顔でヒカル君のホイホイをぎゅっ、と抱きしめる彼女。そうだ、人は誰かを憎むと果てしなく残酷になる。その果てにあるのはお互いの破滅でしかないだろう。
だからこそ、私はヒカル君を尊敬している。彼を育てた両親を心から称賛したい。
そして、くろりんちゃんにも是非、そんな優しく正しい心を持って欲しいと思う。
腹を満たした後、打ち身で痛む肩をシップで冷やしつつ、私たちは本堂にある畳敷きの祭壇の部屋へと向かった。そこには教祖である霧生院太祖と、私の身を案じて駆けつけてくれた石川の羽田杏美さん、そして何と太祖の奴と既知だった山伏、天禅院白雲氏が座して待っていた。
「腹は落ち着いたかな?」
「おかげさまで、生き返りました」
白雲さんの言葉に笑顔で返す。隣に座る羽田さんはさすがにさっきの全裸登場が印象悪かったのか、私をジト目で見ながら無言の圧をかけてくる。まぁ社会が生きてたらセクハラものだからな、すんませんでした。
そして太祖は、何も言わずに畳を見つめ、顔をしかめたまま動かないでいた。なのでここはひとつ、こちらから声をかけてやるとしよう。
「よう教祖様、私のケツの穴の味はどうだった? がはははは」
あえて奴のガハハ口調でそう言ってやると、太祖はハァ、と息をついた後、その神妙な顔をこちらに向ける。
「言い訳はなにも無い。覚悟はできておるよ、いかようにも為さるが良い」
あーもうこいつも、宗教やってる奴はめんどくせーなぁ。
「仕返しはさっきの尻アタックで十分だよ、それよりもう、こんな事はナシにしてもらうぞ」
そう言いつつザブトンに座る。隣にはくろりんちゃんもちょこんと腰かけ、五人で円座になって向かい合う。
「それでよろしいのかな、椿山どの」
そう問う白雲さん。なんでも太祖の師匠の兄弟弟子らしく、いわば格上の存在だそうな。なので太祖もすっかり神妙にしているようだ、宗教の上下関係は厳しい、か。
「ええ、この男のお陰で子供達が生きて来られてたのは事実です。そして今後もあの子たちの面倒を見て貰わなければなりませんからね」
場の空気がふっ、と緩む。くろりんちゃんはその結論を知っていたから、えっへん、とドヤ顔を見せている。
「身命にかけて、子供達を正しく育てて見せましょう」
土下座しながらそう誓う太祖。うん、仮にも坊主の言葉なら、一度は信じてもいいだろう。
「最初からそうなら良かったのに」
そのくろりんちゃんの言葉に応えたのは白雲さんだった。彼はふっと息をつくと、神妙に言葉を紡いだ。
「この寺にいた私の同胞たちが、次々とホイホイの中に入ったのも責任はあろうな、この者を導くべきであったかもしれぬ」
ああ、確かにネローメさんの手紙にもあった。ここの最高位の坊さんたちがホイホイされたせいで、修行僧だった太祖は壊れて、この宗教を作ったとか。
「ただのう、小霧よ。お主の師たちは決して、己の欲望に溺れたわけでは無いぞ」
小霧というのは太祖の本来の名前だそうだ。師匠の天禅院霧生の一文字に「小」を付けるのが後継者の習わしなんだとか。
って、大事なのはそこじゃない。ホイホイに入ってしまったのなら、その僧たちは自分の欲に負けたのではないのか?
「それは……いかような、根拠があって?」
太祖の問いに、白雲さんは一同を見回すと、逆にこう問い返してきた。
「各々方、今おのれのホイホイに、何が見えておられる?」
「私は、家族とくろりんちゃん、ヒカル君が楽しく食事をしてる光景です」
かつて見た光景と一緒だった。いつか智美や里香、そしてヒカル君を助け出して、彼らと家族ぐるみのお付き合いをする、そんな未来が今の私の夢だ。
「私は、ヒカル君を助け出して、その……一緒にいる、シーンです」
顔を赤らめてうつむきながらそう話すくろりんちゃん。あ、これキスくらいしてるシーンだな。
「私はもちろん、学会で私の新UFO説を発表してるシーン! そう、このホイホイは実は宇宙人のUFOだったのよーーーっ!!」
羽田さんがやおら立ち上がって、テンションMAXで演説を始める、おいおいおい。
「そう、人一人を吊り上げて空を飛ぶこのホイホイは、もはや未確認飛行物体と言って差し支えないわ。本気になれば光速で飛行する事も、宇宙人だけ自在に出入りする事も出来る乗り物……いえ、いっそ異空間を繋ぐゲートとして、彼らの本星と地球を繋いでるだってありえるわ! どうよ、この完璧な理論!?」
「……いや、その、松波さんとの結婚式とか、は?」
「ぎくぅっ!」
くろりんちゃんのツッコミに、羽田さんが思わず失言を漏らす。あー、見えてるのは実はそっちか。素直になればいいのに、なんで無理にキャラ作ろうとするかなぁ。
「拙僧は、子供達を正しく導く未来が……」
太祖、いや小霧でいいか。がぼそりと呟く。真実かどうかは定かではないが、己の師匠と同格の人の前で、そうそう嘘は付けないだろう。
全員の自白に、白雲氏はふむ、と嘆いて、座布団の際に置いてあった錫杖を取って立ち上がると、己のホイホイを見て口角を吊り上げる。
「わしの窓に映る光景、それをお見せしよう!」
え、と誰もが固まる。この大ホイホイは本人以外には砂嵐映像にしか見えない。それを、もしかして、操作する事が出来ると言うのか?
しゃらん! と杖についている輪っかを鳴らし、それを正眼に構えて呪文を唱え始める。その静謐な圧は無宗教な私にすら感じられる、確かな超常の力を予感させた。
「喝っ!」
錫杖を掲げて気合一閃! ホイホイに触れた杖の先が、ぱりっ! とイナズマを響かせると……その砂嵐映像が瞬時に、鮮明なシーンを映し出した。
見えていたのは、地獄だった。
泣き叫ぶ子供、絶望に沈む女性、やけになって物に当たる男性、叫び声をあげて嘆く青年、光を無くした目で地蔵のように動かない少女。そんな負の感情に支配された人々が、遥か向こうの地の果てまで続いていた。
そこは絶望が支配する、まさに地獄のような世界だった。
「なによ、これ……」
羽田さんが思わず漏らす。初めて見た他人のホイホイの中身がこれなら無理もない事だ。白雲氏はこんな光景を望んでいるというのか?
「白雲様、これは、これが……」
「そうだ、お主の師、天禅院霧生や同志たちが見た光景、それに相違あるまいて」
目をむいてその画面を注視する小霧。やがてその瞳から、ぽろぽろと涙が零れだし始めた。
「師よ、師よ! あなたは、この者たちに……教えを説き、救う為に、ッ」
「あ……」
そういう、ことか。
格の高い、悟りを開いたような高僧、偉人。それらをこのホイホイに誘い込んだのは、自らの使命である『迷えるものを救う』世界だったんだ。
おそらくここだけじゃない、他の寺でも、他の宗教の神主や神父も、なんなら教育理念に燃える教師たちもまた、こういう世界に吸い込まれてしまったのか。
私が最初に見たホイホイの中は、色欲に溺れる為の世界だった。そしてこれまで見て来たホイホイの中は、どれも大差ない物が多かった。
だがあの被災地で見たホイホイは、もう会えなくなった家族とのひと時が映し出されていた。幼くして亡くなった子供や赤ん坊との叶わぬ幸せな世界をエサに、人々を捕食していた。
そして悟りを開いた偉人たちに対しては、その使命感までを利用してホイホイの中に誘い込んでいたというのか……どこまでも、どこまでも、コイツはっ!!
「師よ……師よ! お許しください。私は、私は……貴方様を、見誤って、このような、蛮行にっ!」
小霧が泣き崩れたままそう嗚咽する。自らが犯した過ちの出発点、そこでの悲しい食い違いが狂わせた人生を、自らへの責めに変えて泣き続けた。
やがて縁側にネローメさん達が、そして子供達が集まって来た。彼らは上がり込むと。小霧、いや教祖様を囲んで「だいじょうぶ?」「どうしたの」「げんきだしてー」と彼を慰めている。
うん、この寺はもう大丈夫だろう。
◇ ◇ ◇
「さて、椿山殿。ここからは私も同行させてもらうが、よろしいかな?」
白雲さんの提案に、私とくろりんちゃんはもちろん大賛成だ。
この人は恐らく誰よりもこの『にんげんホイホイ』の正体に迫っている。ならば彼が同行してくれるのは、ヒカル君や皆を助け出す何よりの協力者になってくれるだろう!
「「よろしくお願いします!!」」