第六十話 親方! 空から親方(現場監督)が!
※ 下ネタ注意
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朝、静謐な光が差し込んだ白い部屋。椿山 湊は目を覚ますと共に、蘇った絶望感に心身を苛まれる。
(ダメか……もう……)
昨日、あのネローメさんの手紙を見て一念発揮した私は、その部屋の壁に体当たりを続けた。
この部屋、建築の観点から見ると、一部屋だけの建物であり、その形状が円筒形であるのも間違いない、分かり易く言えば地面から伸びた巨大な竹の子の中にいるようなものだ。
背が高く土台が狭い建物なら横揺れには弱い筈だ。なので部屋のあらゆる方向に体当たりをかまして、一番軋み音が大きい方角が最も脆いはず。倒壊させるのは無理にしても、建物にひずみさえ生じさせれば、どこかしら隙間が出来るはずだ。
ドアのロックか丁番が外れれば理想だが、そこまで望めなくともせめて部屋の内壁に貼られた外装補強を剥がす事が出来れば、木材か土壁かが剥き出しに出来る。そこから脱出の糸口が見える可能性はあるかもしれない。
また、上を見上げると天井だけは屋根と一体化した薄い作りになっており、あそこまで登る事が出来たら蹴破って出られそうだ。3~4メートルも上にあるので普通は届かないが、壁を引っぺがせば手足を掛けて登って行けるかもしれない。
それに一縷の望みをかけて、何度も何度も壁に体当たりを繰り返した。一番軋みのする方向を決め、そこと反対側に交互に体当たりを繰り返すことで建物を微量でも揺さぶり続ける。
汗が吹き出し、体当たりを続ける肩口が赤く腫れあがる。それでも私は諦めずに、部屋の端と端を往復しながら、その身を重機に変えて体当たりを続けた。
だが、空気窓から西日が差し込み始めた頃、私の必死の努力は呆気なく打ち砕かれた。
外から数人の気配が感じられたかと思うと、途端にガン、ガンという音が響き始めたのだ。すぐにわかった、それが釘を打ち付ける音だと言う事を!
(建物を補強する気か!!)
なんと馬鹿な事をしたのか! この建物はおそらく奴らの敷地内にあるんだから、一日中派手にドンドンやってたら注目を浴びるのは当たり前なのに!
「止めろ! 出せ、出すんだ……頼む、出して、太祖と話をさせてくれッ!」
懇願も空しく、壁の外から返事は無かった。そして、音と気配が消えた後、建物は押せども引けども、わずかな軋み音すら聞こえなくなっていた……
疲労と絶望でそのまま倒れ込み、あお向けに寝っ転がると、目に映る天井を恨めしそうに見上げる事しか出来ず、そのまま眠りに落ちて行った。
そして翌朝、目が覚めて感じたのは全身の熱を持った痛み、下半身の酷いだるさ、現状に対する絶望感、そして何より、極度の空腹と喉の渇きだった。
(ダメか……もう……)
力が入らない、意志に火が付かない、何よりも腹が減った、もう食い物のこと以外考えられない。
今もし、握り飯の一つでも食べられるんなら、例え悪魔であろうと魂を売っていいと思えるほどに。
(ああ、腹が、減った)
私の目の前に、ひとつの大きなウィンドウが移動して来た、いや、私が移動させたのだ。そこに映っていたのは、懐かしい妻と娘がいる食卓――
「う、うあぁ……」
仰向けのまま窓に手を伸ばす。画面をすり抜けて茶碗に手が触れる。そうだ、食べ物だ、家族とともに味わう、かけがえのない時間――
―みーんなーっ! 楽しい楽しいラジオ放送、はっじまっるよーーーーっ!!!―
その「声」が、私には、天使の声に、聞こえた。
がしゃん、と窓の向こうの茶碗を取り落とす。そうだ、これは『にんげんホイホイ』だ、私を騙して取り込もうとする、憎らしいウィンドウじゃないか!
「くろりんちゃん!」
間違いない、今のは彼女の声だ! 私を助ける為にあえてこの蛇の巣へ乗り込んで来たんだ、私が不甲斐なくも連絡手段を無くしてしまったから!
ダメだ。このままでは彼女もあの教祖に取り込まれてしまう、あの男の口車に乗せられ、ここの信者にされるか、私と同じ目に合うか、そんな事をさせるわけにはいかない! 何としても、それだけは!!
私は死力を振り絞ってホイホイに突っ込んでる手を抜き、その下の枠を両手でつかむ。枠と言ってもホイホイの映像と現実空間に境は無く、握っているのは糸ほども無い鋭利な線のはずなのだが、不思議と手を切るようなことは無い。とことん持ち主には優しいんだなこのホイホイは……悪意たっぷりに。
だがそれも今は利用させてもらおう。握る腕に力を込めて、懸垂の要領で上半身を起こす。気力の付きかけた体だが、せめて起き上がらなければ始まらない。
……あれ? これって、ひょっと、して?
動くのが億劫になっていたせいもあるだろう、このホイホイに捕まって上半身を起こしたというのもある。そしてこのホイホイは、手を触れずとも自分の意思で動かせるのだった。
と、いうことは……
◇ ◇ ◇
―みーんなーっ! 楽しい楽しいラジオ放送、はっじまっるよーーーーっ!!!―
「な、なんだ?」
本堂の執務室。この組織の長である霧生院太祖は、突然聞こえて来たマイク放送に驚きを隠せなかった。側に控えていたネローメも何事? と狼狽える。
”ハーイ今日も始まりました、松波ハッパのバルサンラジオ! 今日はリポーターのくろりんちゃんが山形県の清乱寺から、生き残っている大勢の子供達の声を届けてくれるそうでーす!”
「ラジオ放送、だと?」
「そんな……この世界にまだ、そんなものが?」
社会が死んでもう数カ月たつ。だからこそ世界の危機を報道するマスコミなどとうに絶滅したはず、なのに今もこの地区に響く放送から、軽薄なDJの声とリポーターの女の声が響いているではないか!
「教祖様、東の畑です。ラジオスタッフが数名、子供に囲まれています!」
部屋に飛び込んで来たラオラがそう告げる。なんという事、社会は回復に向かいつつあるのか? ならば我々は、私の取るべき行動は……
「どうしましょう、子供達はラジオと聞いて大はしゃぎです。このままでは」
「うろたえるでない。我々は何物にも恥じる事など無い、そうであろう」
そうだ、社会が生きているなら我が『正道の育み』の正しきを認めさせれば良いだけの事。現に大勢の子供を保護し、育てておるでは無いか。
しゅるっ、と法衣を正し、ドアを開けて外に出る。ふふん、マスコミごとき私にかかれば何程の事もあるまい。
出来るだけ厳かに、東の人だかりに向かう。確かに数人のマスコミらしき輩が子供達に飴を配ったり、マイクを向けて話をさせたりしている。
「あ、きょうそさまだー」
「きょうそさまー、らじおだってー、らじおー」
はしゃぐ子供達に手を振って、笑顔を作りながら先頭にいるリポーターとやらの女性に近づいていく。
「がっはっはっはっは、これはこれはラジオ局の皆さん、こんな山の上までようこそ。私が……」
そこまで言って絶句した。彼女たちの後ろでカラフルな看板を掲げる、白装束に烏帽子をかぶった老僧……その顔に確かな見覚えがあったからだ!
「天禅院……白雲、様!」
「久しいな、小霧よ」
◇ ◇ ◇
私、湊はホイホイの下枠に捕まって座ったまま、そのホイホイを上へ上へと移動させる、当然腕が伸び、それに引っ張られて尻が浮く。そのまま糸で吊られた人形のように体を立たせ、そしてその足が……地面から、離れた。
ゆっくりと、ゆっくりと体が、ホイホイと共に空を飛んで行く。
「ぷっ、くっくっくっ、がぁっはっはっはっはっ!」
これはケッサクだ! 私はホイホイに捕まったまま引っ張られ、吊り上げられて宙に浮かんでいるのだから。
確か絵本にあったな、傘に捕まって空を飛ぶ少女のお話、なんとかポピンズだったか? あっちは可愛らしい絵だが、にんげんホイホイに捕まって飛ぶ全裸のオッサンとかなんちゅう酷い絵面だ、こりゃ笑いが止まらん!
何のことは無い、最初っからこれに気付いていたら楽勝で天井まで行けてたんじゃないか、現に私の体はゆっくりと浮き上がり続け、ほどなく天井にあっさり到達する。ああバカバカしい! ああ愉快だ!!
ざまぁみろ太祖、ざまぁみやがれ『にんげんホイホイ』!!
案の定というか、天井はいともあっさり蹴破れた。そのままホイホイに捕まって外に出、飛びながら周囲の状況を見下ろす。
いた! くろりんちゃんだ。大勢の子供達と、彼女が呼んだであろう数人のスタッフたち、そして太祖の奴もいる! これはもうぐずぐずしてられない、幸いというか当然というか、誰も空になんか意識が行ってない。ならこのまま上から向かって、奴を取り押さえてくれる!
◇ ◇ ◇
「ご健在、でしたか……」
「うむ、そなたも健壮で何よりじゃ」
間違いない、わが師、天禅院霧生様の兄弟弟子、山岳行にその身を捧げ、仙人となるべく修行を続ける天禅院白雲様! だが、何ゆえにラジオ放送などに、このお方が関わずらっておられるのだ……?
「なーに、アンタたち知り合い?」
割って入って来たのは一人の若い女性だ。なんか頭髪をこれ見よがしに一束立たせており、派手に『ウム!』などと印刷された服装を着込んで拙僧にずいっ! と迫ると……
「それよりお坊さん、アンタこのホイホイの中があの世とかぬかしてたけど、そんなワケないのよ!この中はねぇ……ズバリ! 宇宙人の作った人間の牢屋なんだから!!」
人差し指を立てて、若干狂ったような目でそう詰め寄る女。な、なんだこいつは!?
「だーかーらー、アンタも子供達に嘘を教えるのは止めなさいってーの! いい?地球に意思なんて無いし、こんな離れ業のホイホイを生み出すなんて地球の技術じゃ無理、よって宇宙人の仕業にけってーい!」
私はともかく白雲様まで差し置いて、何を言ってるんだこの女は。見れば白雲様まで額に手をやって「やれやれ、また始まった」などと嘆いておられる。どういう状況なんだこれは。
「そ・ん・な・事・よ・り! 太祖さんだったわね、湊さんをどうしたのよ!!」
今度はリポーターの女が二人を押しのけて、ずずい! と迫って来た。明らかに敵意のある目で私を睨みつけ、胸倉の法衣を掴んで前後に揺さぶる。
「さぁ、早く! 湊さんを連れて来て!!」
湊……そうか、先日の小うるさい男か。あ奴は断食蔵に閉じ込めておいて、昨日は蔵が倒れんばかりに暴れておったので、信者たちに命じて補強工事をさせたのであったな。なるほど、この一行はあ奴の仲間という訳か。
まぁもう三日目になる、おそらくは絶望して黄泉への扉を潜っているであろうな。
「ネローメよ、断食蔵はその後どうなっておるか?」
「はい、昨夜以来気配がありません。おそらくは……」
ふむ、とアゴを撫で、掴まれている胸倉をほどいて目の前の娘に向き直る。
「残念であるなお嬢さん。かの男は最早この世にあらず、冥府の窓を潜ったであろう」
「そ……そんな、嘘」
女が愕然として一歩、二歩と後ずさる。ふむ、この娘の父親か? いや、名前で呼んでいたことから察するに、不埒なる関係と察するか。
「仕方なき事だ、もはやあの男はこの世のどこにもおらぬであろうよ」
――ここに、いるぞ!!――
なんと! 天から声が降って来た!?
思わず天を仰いだ私が見たものは……
宙に浮く全裸の男の尻と、穴と、そして……
―どどどっ!!―
そのまま顔面から、拙僧はそれらに押しつぶされて、地面に叩き伏せられた。