第五十七話 最終決断
バン! と応接室のドアを開ける。中央のソファーには、教祖である霧生院太祖がもたれかかり、そのテーブルにはウィスキーのボトルとグラスが置かれていた、この生臭坊主が!
「おお、椿山さん。どうしました? 怖い顔をして」
しゃあしゃあと言い放つ太祖の前にずかずかと歩み寄り、意を決して言い放つ。
「お前さんと問答する気はない。ひとつだけ要求する、あの子たちにホイホ……人を食った後の小さい窓を見せるのは止めて貰おう!」
どんっ! とテーブルに手をついて迫るも、太祖は動じるでもなく笑みをこぼして返す。
「ほほう、それはまた、何故です?」
「問答する気はないと言ったはずだ! 私は学が無いからな。お前さんに言いくるめられるのはもう沢山だ! さぁ、誓ってもらおうか、教祖様とやらの名にかけて!」
詰め寄る私に、ふぅと息をついて瞑目する太祖。しばしの後に顔を上げ、私の目を見て慄然と返す。
「それは出来ませぬ」
「何故だ! あんな小さな子供に性欲や残虐に溺れる大人の姿を見せるなど、トラウマになったらどうする気だ!!」
言った後、思わずコイツの胸倉を掴む。それに反応して周囲の連中が動こうとするが、それを制したのは太祖自身の『大丈夫、動かないで』とでも言うかのような手の平による制止だ。
「ふふふ、結局問答しておるではないですかな? それは貴方が決して暴力的な人間ではない証拠ですよ」
「ぐ……」
本当に口の立つ奴だ。私にしてみても今コイツをぶん殴った所で何の意味も無い。ただ単に自分の立場を悪くし、あの子供たちを救う事も出来なくなるだけ。それを分かっていて、こいつは……
仕方なく掴んでいた胸倉を離す。怒鳴りつけるぐらいじゃコイツは小揺るぎもしないだろうな。
「まぁ聞いて下さい。子供達はあの歳まで清く正しく生きて来た、私たちの自慢の子達ですよ」
訓練か、はたまた洗脳と言っていい程、子供達は礼儀正しく、整然と行動していた。それは決して子供にとっていいイメージを抱かせなかった。特に宗教や権力者に飼われている子供達として見れば尚更にだ。
「ですが真の正道というものは邪道を知ってこそ、なおかつそれに負けぬ精神を持ってこそ育まれるというものです。だから私たちは、あの子たちに欲望に溺れる大人たちの姿を見せなければなりません」
「ほーう。で、あの子たちが性に目覚めたらどうするんだ?」
「そこまでお考えとは……この太祖、感服いたしました」
今度はぬけぬけと持ち上げてくる。が、そう言うからにはこいつらにも対処の仕方はあるのだろう。問題はその方法だな……心して答えて貰おうか
「メローネさん、今は何人ほどですか?」
「はい、先程の時点でちょうど十人です」
なんだ、何を言ってやがる、こいつら?
「今、先程の小さい窓が集めてあるお堂に、寝所をこっそり抜け出して見に来ている子供たちの数ですよ」
「なっ!?」
なるほどそうか、そりゃそうだろう。あんな刺激的な物を見せられて、第一次成長期の子供達が好奇心を掻き立てられるのは当然の話だ。だが……
「あんたら、それを承知で!」
「ははは、誰にでも覚えがあるものでしょう。私や貴方の世代なら、山や河原に落ちているいかがわしい本とかですかな」
「うっ……」
身に覚えがある事柄を述べられて思わず返事に窮する。というか坊主の癖にその例を出すのかこの男は……
「覗きに来る子供達が、全体の半数を超えたら性教育を始める予定です。無論清く正しくの精神でね」
くそ! 相変わらず弁論の上手さは一級品だな。捨てられたエロ本の話に次にこうも真っ当な話に戻されると、目の前の男が偉人にすら見えてくる。
「ですが、貴方の意見にも聞くべき点はあります。で、私があなたをお呼びした本題に入りましょう」
私が掴んだ胸倉のシワを伸ばし、ソファーに浅く腰を下ろして、こう続けた。
「椿山さん、あなたも我が『正道の育み』に入信しませんか?」
「この私を洗脳でもしようと言うのかね?」
「逆ですよ。もし入信して頂ければ、私たちは貴方の意見をよく吟味し、受け入れるべきは受け入れましょう。ですが入信しないなら貴方は部外者、ただの風来坊にすぎません。そんな者に私達の方針を変えられる言われは無いですからね」
入信しないかと来たか。私にはバルサンラジオの報道の役目があり、ホイホイの中の人を助け出すという目標がある。こんな所で胡散臭い宗教にひっかかっている暇など無いのだ。
だが、だからと言ってあの子供達を見捨ててここを去るのも後ろ髪引かれる思いだ。見て、接して、触れ合ってしまった以上、あの子たちをこのままにしておきたくはない。
どうする、椿山湊……。
「ここは入信したら、掟とかはあるのか?」
「いえいえ、何一つ縛る気はありません。退信するのも自由ですし、信者のまま旅をされてもかまいません」
思わぬ好待遇に心がざわめく。ならバルサンラジオの続きをしながら、ヒカル君を助ける方法を模索しながら、なおかつここの指導を正せるというのか、なら……
今、バルサンラジオに通じている人の中には、教育に詳しい人、倫理観のしっかりした人も大勢いるだろう。そんな人たちの協力を仰いで、ここの管理運営が出来たなら、もしかしたら本当にここが子供達にとって、救いの地になるかもしれない。
「あ、ただ一つ。子供達に何か影響を与える行動に出る時は、必ず私達に相談して、協議の結果に従って頂きます。多感な子供をあの窓から守るためにも、早まった判断を下さないで欲しいのです」
あくまで子供達優先か。どうも、ひょっとしたら私はどこか、うがった物の見方をしていたのかもしれない。
単純に見るならこの組織はうさん臭さ爆発で、小さな子供と大人たちの構図から、小児性愛者が子供達にいかがわしい事をする為に、囲っているようなイメージがどうしても拭えないでいた。
だが、全人類に配布されたこの『にんげんホイホイ』の存在ひとつが、その様を劇的に変えているのかもしれない。正しさを教え、それに誇りを持たせるのも、ホイホイに入った人間の醜さを見せるのも、まず子供達を『ホイホイに入らせない』ことありきで行動しているとしたら……
「なら、入信させてもらおう。ただその前に一つだけ、言っておきたいことがある」
その言葉に太祖はまず笑顔を浮かべ、「拝聴しましょう」と続けて私の言葉を待つ。
「私には目的がある。あの小さなウィンドウ、私は『にんげんホイホイ』と呼んでいる。そこから人々を救い出し、社会を元の状態に復活させるのが、私の目指すべき道だ!」
そう、ヒカル君を助け出し、智美や里香を救い出し、世界中の欲望に溺れた人達をこの世に蘇らせて見せる。例え黄泉でも地獄でも、必ずこのホイホイから彼らを助け出す、そこだけは絶対に譲れないのだ!
「……それを成したなら、貴方は真の救世主ですよ。その時には教祖のイスをお譲りしましょう」
「いらんよそんなもん。私は地元の会社営業で十分だ」
部屋に弛緩した空気が流れる、どうやら最善の方法を取れたようだ。
夜が明けたら松波さんやくろりんちゃんに事の次第を伝えて、より良い方法を考えて行くとしよう。
「いや良かった。椿山さんは良く働いてくれるし、子供たちのことを大切にしてくれる、心から歓迎しますよ」
そう言いつつ、テーブルの上のウィスキーのキャップをカリカリッと開ける。
「さぁ、固めの杯といきましょう、お酒は呑めますよね?」
だから……そこでいきなり厳格な宗教から外れるギャップはどうにかならんのか。
とはいえこの酒はどうもその為に用意されていたものらしい、新品っぽいし、私の為に開けてくれたのなら恐縮な事だ。
「頂きましょう」
ネローメさんからグラスを受け取り、酒を注いでもらう。太祖も手酌で酒を注ぎ、彼の音頭に合わせてグラスを鳴らす。
「乾杯!」
その酒を一口で飲み干した後……私の意識は、途切れた――