第五十一話 さぁ、旅を続けよう
”何ですって、ヒカル君が!?”
「はい……すべては私の至らなさで、申し訳ありません」
熊との死闘から二時間後、私は無線を使って石川の松波さんと連絡を取り、今日あった事全てを報告した。
”……分かりました。明日の朝の放送で全てを伝えましょう”
「お願いします」
ヒカル君という人物を失っただけでも大ニュースなのだが、加えて野生の動物が私達人間をホイホイの中に追い込もうとした事。そして……
「ヒカ君が言ってました。『今が一番いい』と思う人には、ホイホイには何も映らない、って」
くろりんちゃんがそう伝える。あの熊は最初、私が遭遇した熊&鹿と同じように二人をホイホイに誘導しようとしていたが、ヒカル君のウィンドウを覗き込んだ瞬間に豹変し、凶暴化して襲い掛かって来たらしい。
ウィンドウに何も移さない人間。つまり、ホイホイに入る気が無い人間には、容赦なく襲って殺そうとするという事を。
世界には日本のツキノワグマよりも遥かに危険な動物が生き残っているだろう。もしそれらが今回同様、人間にホイホイに入れと迫ってきたら極めて危険な事態になりかねない。
ヒカル君の犠牲を無駄にしない為にも、出来るだけ早くこの事実を世界中に知らせて、備えて貰わなければならない。せっかく多くの人が私達のラジオに応えて、この世界に踏みとどまってくれているのだから。
”ところで湊さん、さっきから何か燃えてる音が聞こえますけど、火事とかじゃないですよね?”
「あ、ええ。私達を襲ったクマを焼いているんです」
”え、ええ~~~?”
「今夜はクマの丸焼きです、食べ応えありそう」
無理に笑顔を作ってそう話すくろりんちゃん。その胸にはヒカル君の小ウィンドウが、しっかりと抱きしめられていた。
あれから仕事が出来た。殺した熊を処理しなければならなかったのだ。このまま放置していたら腐って細菌が繁殖し、臭いも衛生的にも酷い事になるだろう。ここモリモリラジオにも今後誰かが訪れるかもしれない事を考えると尚更だ。
なのでとりあえずロープで縛り、中継車に繋いで玄関先まで引きずり出して、車用の燃料缶に取っておいた軽油をまんべんなく掛けて火を点け、焼却している最中だ。
憎き熊とはいえ、やはり殺した以上はその命を頂くべきとは思ったが、解体するのに肝心の水が無いのだ。水道は止まってしまってるし、ペットボトルの水なんかじゃ全然足りない。
雑菌だらけの野生動物を水なしで解体するなど危険極まりない、病気にでもなったらヒカル君の二の舞だ。
ならばいっそ丸焼きにして、食べられるところだけ切り取って頂こうと言う事になった。まぁ、ガソリン臭い肉になるだろうし、そもそも熊肉はマズイと聞いているので、形の上だけでも頂くという体を取ろうと言うわけだ。
そして、これには副産物的にふたつの利点がある。ひとつは火を燃やすことで動物避けになる事。まだ周囲に動物が居て、私たちを狙ってこないとも限らないが、玄関先で派手に炎を燃やしていれば野生の動物は近寄れないだろう。
もうひとつ。このホイホイを生み出し、動物を操って私たちを滅ぼそうとする何者かに、そうは問屋が卸さないという意思表示を示すこともできる。まぁ、効果があるかは定かではないが。
「「いただきます」」
石油と獣脂の臭いがする背中の皮を切り裂いて、背ロースに当たる部分を切り取って串に打ち、生焼けの部分を残り火であぶってから頂く。これ固いだろうなぁ……
がぶ、ぶちっ、むぐむぐ……
噛み付いて、引きむしるように食いちぎり、口の中で咀嚼する。
「ん、うまい!?」
「本当だ、なんかすごい力になるみたい」
あの恐ろしい熊の力をそのまま取り込んでいるような旨さがある。ガソリン臭いのは玉に瑕だが、この力強い味はきっと明日への活力になるだろう。
折れた心を、また立て直すエネルギーに。
「ね、ヒカ君。クマのお肉、おいひいよ」
食べながら彼のウィンドウに話しかけるくろりんちゃん。画面は無情にも砂嵐で、彼にその声が届いているかすら分からない。だけどそれはヒカル君が、こっちに戻るつもりでいるという意思表示でもあるのだろう。
それでも、残酷な絵だ。何も映らない画面に話しかける少女、というのは。
「ヒカ君にも食べて欲しかったよね。栄養つくからケガにも効くだろうし」
そりゃそうだ、これだけ滋養の付くものを食べれば治りも早いだろうな。
その夜、くろりんちゃんはヒカル君のホイホイを抱いたまま車で眠り、私は日持ちしそうな肉を削ぎ落してクーラーボックスに詰めると、火の前で拳銃を片手に寝ずの番を続けた。
明日からの旅に備えて睡眠を取りたいのはやまやまだが、もしまた熊とかが現れたらと思うと寝てなどいられなかった。
幸いというか、社会が死んでいるから運転中に多少意識が飛んでも事故にはなりにくい。私たち以外には車も歩行者もいないのだから。
くろりんちゃんに助手席に乗って貰って、私が眠りそうだったら起こしてもらうとしよう。
◇ ◇ ◇
翌朝、日本のバルサンラジオ枠で、昨日の事件が世界中に伝えられた。
中継スタッフの一人、ヒカル君が熊に襲われて重傷を負い、やむを得ずホイホイの中に治療に入った事。動物が人間をホイホイに入れようとしているケースがある事や、ホイホイに何も映っていなければ襲われる危険が高い事などが報道された。
”そんな、あいつが……バッカ野郎っ!”
”くろりんちゃんを守ったのね。うんうん、それでこそ黒帯よ”
”きっと帰ってこい、また稽古をつけてやるからな!”
横浜で彼を襲った虎米ルイが、稽古をつけた大熊蘭師範代が、夫で師範の優斗さんが、それぞれ『らしい』言葉で彼の退場をしのんだ。多くの人に愛された頑張り屋さんの少年に、誰もが戻ってきて欲しいとエールを送る。
”私たちの結婚式、延期した方がいいのかしら”
羽田さんが思わずそうこぼす。私達が石川に帰還するのに合わせて松波さんと結婚するつもりでいたのだが、ヒカル君がホイホイに押し込まれたまま自分達だけ幸せになるなんて受け入れられないとでも思ったのか……
「いや、是非やってください。それも出来るだけ豪華に」
そうだ。不幸があったからってくじけてちゃ、ますます落ち込むばかりだ。そうなればホイホイを仕掛けた何者かの思う壺だ、陰鬱になった人間が逃げ込むのがこの『にんげんホイホイ』なのだから!
「そうそう。いっぱい幸せになってくれれば、ヒカ君も出て来てくれるかも」
”天の岩戸か(笑)”
”人類を消そうとしてるなら、逆に子作りしちゃえば反撃になるんじゃない?”
”ちょっと! セクハラ発言禁止!!”
”でも確かにそうだね。大熊夫妻もハッスルしちゃえば?”
放送が悪ノリ方向に向かっていた。まぁ確かに間違ってはいないけど、産婦人科なんてやっていないこの世界では、妊娠出産も大事だ。どこかに産婆さんでも見つかればいいんだけど。
”そんなわけで、くろりんちゃんと湊さん、引き続きよろしくお願いします”
”どんどん放送を広げて、生き残っている人をバルサンしちゃって下さい”
”産婆さんも新しいカップルも、どんどん見つけていきましょう!”
ああ、そうだ。今は人間社会が死んでいる、いわば終末世界なんだ。
当然、困難はある。だけどその中で私たちに出来ることがあるなら、私たちの頑張りが誰かの為になるなら、悲しみを振り切って前を向いて、歩きださなければいけないんだ。
そう、あの東北の震災被災者のみなさんに、私たちがそう願ったように!
「さぁ、出発だ」
「うん!」
朝の放送が終わり、私たちは次の目的地、山形を目指す。運転席に私が、助手席にヒカル君のウィンドウを抱いたくろりんちゃんが乗り込み、エンジンを自らの意思のように発動させる。
――さぁ、旅を続けよう。この三人で――