第四十八話 被災者たちに贈る言葉
※東日本大震災の話題があります、閲覧ご注意下さい。
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「おはようございます、リポーターのくろりんです。今日はここ、福島県の鹿島海岸『かしまの一本松』の前からお送りしています」
一夜明け、朝のバルサンラジオが始まってほどなく、私達中継班が放送を引き継いだ。今日のテーマは十三年前の東日本大震災、そして今現在世界を襲っている『にんげんホイホイ』による人類の危機を対比して語る、今までにない大真面目な企画だ。
いつもの明るいくろりんちゃんも、今日はかなり神妙に言葉を繋ぐ。機材担当のヒカル君も、海岸の強風がマイクに入らないように彼女の風上に立ってマイクを向ける。
「こちらでホイホイされている方々を何人か見ました。でも中ではみんな、普通の日常を送っていられる方が、すごく、多いんです……」
思わず言葉を詰まらせそうになる彼女。そう、福島県に入ってから度々目にする小ウィンドウ、つまりホイホイされた人達の中の世界は、ごく普通の家族の日常を映し出すものが圧倒的に多かった。
「多分、なんですが……おそらくはあの震災で家族を失った方が、その面影を求めて……この中に、っ」
間違いないだろう。あの日突然失われた家族、そして日常。それを何より求める人が多いのは被災地ならではの話だろう。そこいらの金欲や性欲など、あの日失った大切なものに比べたら望むべくもない。
「特に多いのは、赤ちゃんや幼い子供さんがいるご家庭で……本当はもう、私より年上のはずなのに、っ」
感極まりながら懸命に言葉を紡ぐ彼女。ハンカチを彼女の頬にあてがい(頑張って)という顔で見つめるヒカル君。
そう、両親と幼子や赤子が窓の中にいるなら、それは親の側のホイホイなのだ。あの時命を落とした子供は、生きていたならもう、くろりんちゃん以上の年になってるはずなのだから。
失った大切な大切な、小さな命。それを求めてホイホイに入った親たちを、誰が責められようか。
どうやらくろりんちゃんはここまでが限界のようだ。私は両手で顔を覆って慟哭する彼女をヒカル君に任せ、マイクを受け取って放送を引き継ぐ。
「どうも、椿山です。まずはこの酷な放送をここまで繋いだくろりんちゃんを褒めてあげて下さい」
それを受けてラジオから拍手が、「よくやった」「ご苦労さん」というねぎらいの言葉が響く。
「この『かしまの一本松』は、あの津波に耐えきって、今も立派に立ち続けています」
防波林として植えられた木々の内、ただ一本だけ倒れずに残った一本松。それはまるで欲望に流されずに、『にんげんホイホイ』の誘惑に耐えきった世界の人々と、どこかシンクロする気がしていた。
「こちらでホイホイに入って行った人達を責めることは出来ません。でも、人はいつか悲しみを乗り越え、現実に踏み出していかなければいけないと思います」
我ながら惨い事を言う、と思う。ホイホイの中の彼らにはいつまでも幼い我が子と幸せに暮らして貰いたい……でもそれは、彼らの記憶の中だけにある、限りなく本物に近い嘘の家庭なのだ。だから……
「だから私達は、彼らにこそ、こっちに戻ってきて欲しい、そう強く願います」
辛い現実にも向き合い、未来を見て歩く。そんな復興を成し続けている東北の皆さんに、あまりに残酷な、そして魅惑的な世界を見せたホイホイ。
そんな人が現実に帰って来たなら、ありきたりの欲望でホイホイされた人達はきっと自分たちを恥じ、その行為を称賛するだろう。そうすれば彼らもきっと戻る気になるはずだ。
「なので改めて世界中の方々にお願いします。このウィンドウ『にんげんホイホイ』から脱出する方法を、その情報を、どんなささいな事でもいいからお寄せください」
そう言って一礼する。ラジオなので見えないだろうけど、それでも気配は察してくれるはずだ。誠実である事、その行いは見えずともきっと伝わるはずだから。
”くろりんちゃん、ヒカル君、湊さん、お疲れ様でした。それではマイクを局に戻します”
松波さんが放送を引き継いでくれた。声がマイクに入らなくなったのを確認して、くろりんちゃんがヒカル君にすがって大泣きを始めた。ヒカル君もまた彼女の髪を撫でながら、泣きそうになるのを一本松を見上げて堪えていた。
それほどまでに、この地のホイホイの中の人たちの姿が、痛ましかったから。
くろりんちゃんの涙を、世界に対する宣伝に使ってしまった罪悪感はある。でもそこまでやってでも、このホイホイから人々を引っ張り出す事には価値があるのだ。ふたりもそれを承知で、何度もリハーサルを繰り返して泣かない準備はしていたのだが、それでもやはり本番は酷だったようだ。
彼女の涙ながらの訴えは効果抜群だった。ホイホイに対する詳細な情報が世界中から寄せられ、東京のNHKtスタジオのワシワシさん達は情報の整理に大わらわだ。
”ホイホイの中の人に大声で叫んだら、たまにですが振り向くことがあります”
”でも向こうでお祭りが開催されていたり、コンサートをやっていても、こちらに音は聞こえてこないんですが”
つまり音声の類は現実世界からホイホイの世界へのみ届くということだ。それは人間がホイホイの中に入ることは出来ても出てくることは出来ないのと同様、一方通行のシステムになっているということか。
”小窓が砂嵐になるケース、その前から中の人が中の世界を謳歌していないようだ”
”砂嵐になる直前、中の人がこちらの窓に向かってきているケースがほとんどだ”
これも新事実だ。あの砂嵐映像はやはりというか、戻りたい人を戻らせない、それどころか、あの中がいずれ飽きて嫌になる世界だという事すら隠しにかかっている、という事なのだな。
ああ全く憎々しい、そして良く出来ていやがるな、この『にんげんホイホイ』は!
だがそれを知った以上、これから人間がこの罠にかかると思うな。狼の罠だってそれを理解されたら引っかからなくなるものだ。かの狼王ロボなどより遥かに賢い人類が、二度としてやられたりするものか!
◇ ◇ ◇
夕方、二人はまるで悲しみの涙を汗に変えるかのように、空手の稽古に没頭していた。うん、それでいい。悲しみから立ち直るには体を動かすのが一番だ。
そして夜、私がちょっと頑張って作った夕食を振舞う時には、くろりんちゃんもヒカル君も笑顔になっていた。
「えへへ、泣いちゃたー、ちょっと恥ずかしい」
「ううん、カッコ良かったよ、くろりんちゃん」
「頑張ったな。その想いはきっと世界に、そしてホイホイの向こう側にも届くよ。君の声は、ホイホイの向こうにも届いてる事が分かったんだからね」
世界を超えて訴えた少女の声。それが異世界の中の人の心をも、きっと動かすだろう。
「さ、明日はいよいよ宮城だ。狭間君が待ってるよ」
明日には宮城入りして活動する。仙台市のラジオ局にはかつて富士山で出会ったトランペット吹きの少年、狭間 優君が待機しているはずだ。
高校生である彼は、富士宮市でヒカル君に教わった知識を生かして仙台放送をジャックしてくれていて、ラジオ放送時にたまに演奏を披露してくれたりしていた。
「うん、楽しみです」
「生トランペット、また聞きたいです~」
二人にしてみれば年齢の近い、お兄さん的な存在の彼との再会はさぞ楽しみだろう。ホイホイされていない人間の中で、他に年の近い子がいなかったので猶更だ。
ただ彼はかなりのイケメンで、ひょっとしたらヒカル君の恋のライバルになるかも、なんて邪推もしたが、まぁ最近のくろりんちゃんはヒカル君にぞっこんなんで心配するだけ無駄だろうな、空手を始めてからかっこよくなって来てるしね。
就寝する一同。それがこの旅で、三人で一夜を明かす……
最後の夜と、なった。