第四十六話 世界の、裏側で。
※残酷描写注意!
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世界中に浮かぶ、欲望の具現化した小さなウィンドウが。
ひとつ、またひとつ。
砂嵐の映像へと、切り替わっていく。
◇ ◇ ◇
ぼくは、何も無くなった荒野に、ひとり立っていた。
右手に握られているのは七色の光を放つ虹の剣。この世界にあるのは、ぼくと、その剣だけだった。
この世界に来る前、ぼくは虹を見つけては「あの虹の根元に何か宝がある気がする」なんてよく考えていた。
そしてあの日、ぼくの前に現れた宙に浮くテレビ画面の向こうには、大きな虹の足元で光り輝く「何か」が見えた。
胸を躍らせて、その画面の中に頭を入れる。その時僕は確かに感じた、ここは入ったら二度と出られない世界なんだと。
でも、そこは僕にとって理想の世界だった。まるで大昔のヨーロッパみたいな街並みに、お城のテラスで空を見上げるお姫様、ホウキに乗って空を飛ぶ魔女っ娘。遥か向こうにはドラゴンが闊歩し、さらに遥か遠くには蜃気楼のように悪の本拠地が揺らいでいた。
学校では何一つ目立たない地味な存在のぼくが、いつも思い描いていた世界が目の前にあるんだ。ぼくにためらう理由は、なにもなかった。
窓の中に飛び込み、虹の足元まで走って行った。そして僕は「虹の剣」を手に入れた。
最初はスライムやゴブリンを倒し、村人たちに歓迎されて褒められ、可愛い村娘たちがぼくをキス攻めにした。やがて村長がぼくを王様に紹介し、魔王を倒してほしいとお願いされた。
オークやサイクロプス、オーガやドラゴン、そして魔王四天王を次々に打ち倒し、ついに魔王を打ち倒す事に成功した。
お城に戻った僕は英雄になり、毎日のように美味しいご馳走を食べ、金髪銀髪の美女たちとえっちな事をする毎日を送っていた。
あれ? ぼくの望みって、こんなんだっけ?
立てかけてある虹の剣を見て、そうじゃないことに気が付いた。ぼくは戦わなくちゃだめじゃないか。かっこよく悪を倒すヒーローなんだから。
そう思ってたら、魔王の上の大魔王が現れた。
再び暗雲に満たされる世界を、ぼくの虹の剣が次々に薙ぎ払った。災害を操る大魔王の起こした津波を「風の水色」で押し返し、大地震を大地に剣を突き刺して「紫の静寂」で止め、疫病をも「癒しの緑」で沈めて行った。
そしてついに大魔王を「太陽の赤」で焼き尽くし、今度こそ平和が訪れた。
王様は僕こそが王にふさわしいと玉座に招き、国中のあらゆる美女たちが僕の元にはせさんじた。ぜいたくの限りをつくしたごちそうと、ぼくをたたえるうたとおどりが、まいにちのようにとりおこなわれた。
あれ、ぼくののぞみって、こんなんだっけ?
うちゅうじんがせめてきた。
UFOにのってビームガンをうつうちゅうじんに、みんなはなすすべがなかった。
そうだ、ぼくが、たたかわないと。
にじのけんが、なないろのひかりをはっし、てきのUFOをうちおとした。おとされるいなずまをうけとめ、ほしのばくはつのようなレーザーをまっぷたつにきりおとして、みんなをまもった。
てきのじんこうわくせいをかんぜんにはかいし、ぼくは、ちきゅうをすくった。
せかいは、ぼくを、かみとあがめた。
なんで?
だれも、ぼくをうらやましがらない。
ぼくがもし、みんなのたちばだったら、ぜったいにうらやましいと思うはずだ。しっとするにちがいない。なんでぼくが英雄じゃないんだと、くやしがるにちがいない。でも人々はみんな、ぼくをたたえてほめちぎる。
まるで、人形の、ように。
そう思った時、全ての人々が、ぼくを嫉妬の目で見つめていた。
「なんで、お前が英雄なんだ」
「どうして僕じゃないんだよ」
なんだこれ。
何もかもが、僕の、望み通りじゃないか。
――つまんないよ――
だから、ぼくは、なにもかも、こわした。
人も、町も、お城も、お姫さまも、ぜんぶ。
「もう、帰ろう」
もういいや。もう飽き飽きだ。こんな何でも自分の想い通りになる世界なんて。
ずいぶん学校を休んじゃったなぁ、今登校したらまた、意地悪なクラスメイトに嫌味を言われるだろうか。でも、そんな毎日がなんか、ずいぶん懐かしく、そして愛おしかった。
フッ、とぼくの前に小さなウィンドウが現れた。そうだ、ぼくはこれをくぐってこの世界に来たんだった……窓の先にはぼくの部屋が、机にかけてあるランドセルが見える。
その画面に手を伸ばした時、映像の中のぼくの部屋はブツッ!、とかき消えて……
放送を終了したTV画面のような、ざらざらの白黒画面が、ぼくの目を、顔を、照らした。
◇ ◇ ◇
「やりました、ピーター・ステイ選手。前人未到の8秒台で見事オリンピック、32種目金メダルを百メートル走で達成しましたッ!」
ゴールラインを走り抜け、私は大勢のスタッフに囲まれた。このオリンピックでもう32個目の金メダルをゲットした時、私に嬉しさは微塵も無かった。
――私のやりたかったのって、こんなんだっけ――
あっちの世界で、私はスポーツ記者だった。元々運動は好きだったが、私には何の才能も無かった。だったらせめてと思って選んだ仕事だったのだが。
華々しい舞台で活躍する選手たちを見て、私はつくづくスポーツは才能だと思い知らされた。自分にはどうやってもあんな持って生まれたギフトなんて無い、なので私は想像の中でしか、ヒーローにはなれなかった。
そのヒーローへの入り口が、ある日突然開いた。
私はそこで大活躍した。私は天才だから10mだって飛べる、選ばれた人間だから400kgだって持ち上げられる、世界の主人公だから誰よりも速く走れる、すべてが思いのままに――
なのにどうして、こんなに辛いんだろうか。
前の世界に居た時、先輩記者に言われたことがある。
「いいかピーター、スポーツってのは日々のトレーニングが、何より大切なんだ」
そう言って練習場の取材によく連れ出された。でも私はそんな景色を見るのが好きではなかった。泥臭い練習より、華々しく活躍する本番にこそ憧れていたのだから。
無気力に眺めていた選手たちの練習。その中で特に印象深くも無かったひとつのシーンを思い出して、私はすべてを悟った。
「やりましたよコーチ、昨日よりコンマ03更新しました!」
「よしよし、よくやったぞ! 今日のお前のライバルは昨日のお前だからな!」
ああ、そうだ。スポーツってそういう物だったじゃないか。ダイエットを目的にエアロビクスする女性も、健康の為にジョギングやウォーキングする老人だってそうだ。
みんな、今日の自分を明日超える為に頑張る、それが「スポーツ」なんだ。
昨日より健康になる為に、明日は今日よりスタイルが良くなる為に、みんな、汗を流してるんじゃないか。
道理で私は、なにひとつ満たされないわけだ。今の自分が最高最強だと思い込み、想像しただけで力が出せるんだから……私は実際、何一つスポーツをやってなかったんだ。
もう、戻ろう。
そう思った瞬間、私の前に小さなウィンドウが現れた。そう、私がくぐってここに来た、あの窓の小さくなった形。
その向こうには、一人の選手の姿があった。今日もコンマ一秒でもタイムを縮めようと、美しい汗を流す、真のアスリートの姿が!
そうだ、私もいつか、あんな汗を流して……
その瞬間、画面は砂嵐に埋め尽くされ、私はそこに閉じ込められた――
◇ ◇ ◇
「はぁ、はぁ、はぁっ……クソッ!!」
足元に転がる無数の死体を見て、あたしひとり毒づいた。
「こんなの、嘘っぱちじゃないか! コイツは、コイツらは……」
手にした金属バットを放り投げ、あたしは空に向かって吠えた!
「こんなの本物のヤツじゃねぇー! あたしが作った人形じゃねぇかぁーーーっ!!」
彼女、夏柳 美鈴の人生は、堕落した恋愛の連続だった。
初恋は高校生、地元の不良グループのリーダーだった男。彼がある雨の日に、捨てられた子猫を猫なで声で保護している姿にきゅんとして、お近づきになりたいと思ってアプローチを試みた。
数日後、私は彼と数人の男たちに、汚された。
綺麗な体じゃなくなった私は、男に仕返ししてやろうとして、風俗に身を落とした。
極道の男と手を組み、私を抱いた相手から料金以上の金をふんだくった。いわゆる美人局というやつだ。私にはほとんどお金は回ってこなかったが、困惑する男どもを見るだけでも、私の心は満たされていた。
その極道の男とも何度も寝た。そして……出来てしまった。
もしかしたらそいつと、生まれてくる子供の家族三人で、それなりの人生を送れると見た夢は、ある日帰ったアパートに置かれた書き置きと、三百万ぽっちの現金であっさりと断たれた。
男なんて! 男なんて!! 男なんて!!!
やがて娘が生まれた。でもこいつはあの男の種だ、だったらこいつに酷い名前を付けてやる事で、仕返しをしてやろうと思った。
そもそも私の名前からして「美鈴」なんだ。なんで「みすず」にしなかったんだ私の親は! なので私が娘に酷い名前を付けても許されるはずだ!
だけど、そう思っても、赤ちゃんの無垢な顔を見ていると、どうしても踏ん切りがつかなかった。
つけた名前は「黒鈴」。真っ黒な私の気持ちと、私の名前の一文字を合わせてそうした。ああ、全く酷い親だね、だからせめて怨むなら私を恨んでいいからね。
「男なんてロクなもんじゃないからねぇ」
自宅のボロアパートで仕事を幼い娘に見られて、気まずさから客を追い返した後に、私はそんな事を娘に話していた。
でも血は争えないっていうけど本当だった。娘の黒鈴は小学三年生あたりから急激に背が伸び、初潮も四年生で来てしまった。胸も尻もどんどん発育し、六年生になる頃には私すら追い越してしまった。
そして、娘は私の悪い影響を受けていた。男性恐怖症になってしまっていたのだ。極端に早熟なその体が、ますます男の邪な視線を浴びることになり、娘は町中を歩いていても男を見ると、私の影に隠れるようになってしまっていた。
私の人生も、娘の人生も、みんな男に狂わされてしまうんだ。
そんな時、私の前に、ひとつの「違う世界」への入り口が、ぽっかりと口を開けた。
そこはまさに私にとっての、復讐の舞台だったのだ!
憎き初恋の不良が、奴と一緒に私を犯したチンピラ共が、私と黒鈴を捨てたヤクザが、そして金を踏み倒して逃げたハゲデブ政治家が、裸で柱に括り付けられていた。
側にはまるでバッティングセンターにあるバット置き場のような箱に、釘バットや鬼が使うような金棒、硬質ゴム製のトゲ付きムチ、警棒型のスタンガン、そして抜身の日本刀が立てかけられている。
殺しても、いいって、事だよな。
そこから何度、奴らをぶち殺したか、もうよく覚えていない。何度も奴らを肉塊に変え、スッキリした所で優雅な食事を楽しみ、一息つくとまた男どもに対する憎しみがぶり返し、拷問部屋に行くと、何故か殺したはずの連中が生き帰り、涙を流して命乞いをしていた。
ずっと、もうずっと、そんな事を繰り返していた。
そうだ、コイツらを殺したいという私の願望が、今ここにあるだけで、本当の奴らは今も向こうの世界で好き勝手にやってるに違いないんだ。私が想像の中だけでこんなことやっても、いつまでたっても気が晴れる訳は無いんだ。
「もう、いいや。帰ろ」
そう嘆いて、私は傍らにある小さなウィンドウに手を伸ばす。先に見えるのはもう懐かしさすら感じさせるボロアパート。そうだ、あそこで私は散々男と寝て来たんだ、日銭を稼ぐために、そして……娘を、養う為に。
「あれ……娘の名前、なんだっけ?」
この世界で人を殺した。何人も、何度も、何度も何度も。
そのせいだろうか、もうすっかり娘の名前も、顔も、いや娘がいた事すらすっかり忘れてしまっていた。
「ははは、酷い親だねぇ」
まぁいいかとウィンドウに手を伸ばす。戻ってからゆっくりと思い出せばいい、そしたらたまには外食にでも連れて行ってやるか……
――ザ、ザザッ――
「……え、あ、ああ!」
ぼろアパートの映像が消え、画面に砂嵐が走る。それはまるでそのウィンドウが『お前はもう帰れない』と告げているかのようだった。
「そんな、そんな! 嫌だ、いやだよ……せめて、娘の事だけでも、思い出させておくれよ」
ウィンドウにすがって泣く。このままじゃ私はこの世界で、本当に復讐するしか無くなるじゃないか。娘と一緒に居たいと思っても、その名前も顔も思い出せないんじゃ、もう、どうしようも・・・・・・・
―ヒュィーン―
その時だった。砂嵐の画面の奥から、まるで町内放送の開始時のようなスピーカー音が響いたのは。
「……え?」
画面に耳をそばだてる。そこから聞こえてくるのは確かに「放送」だ。だけど、それは何か人物を面白おかしく紹介しているような、なんか不自然な放送だった。なによこれ?
―デカアァァァァァいッ、説明不要!! JSにして170!! 91,60,93!!! 夏柳黒鈴だ!!!―
「……あ!」
ぱりん! と音を立てて、私の記憶の中の、檻か何かが砕けた。
「黒鈴、そうだ、黒鈴だよ! 背も高くて胸もお尻も育ちまくった、あたしの娘だ!」
思い出した、思い出した! いつも男に怯えて、私の影に隠れて、でも自慢の美人だった私の娘。酷い筈の自分の名前を、どこか嬉しそうに自慢していた可愛い娘じゃないか……なんで忘れてたかねぇ、ホント酷い親だよあたしゃ。
―えへへー♪ まぁこの音を聞いて下さいな―
―と、いうわけで大量でした。アジ美味しいです~―
なんだい黒鈴ったら、私がいない間に町内放送のリポーターなんかやってたのかい。なんか男の声も聞こえるし……嫌じゃなくなったのかい? そりゃ良かったよ。
その後、彼女はずっと、そのモニターに耳を押し当てて、娘の声をずっと待ち続けていた。
昨日も、今日も、そして明日も。
娘の声が聞こえた時だけ、満面の笑顔を浮かべて――