第四十三話 新しい経験
「えええええ……東京に行って、NHKtをジャックしたんスか!?」
埼玉県のホームセンターで再会した天藤巽に、別れてからの旅程と成果を話すや否や、素っ頓狂な声を出して驚く。
「だって東京は……あのウィンドウ見てよく正気保てますねぇ」
なるほど彼、いや彼らもさすがにあの東京のホイホイによる死屍累々の光景はかなりキたらしい。かくいう我々も、あの爺さん軍団がいなければとても都心に突入など叶わなかっただろう。
だが、おかげで成果も絶大だった。なにせ今、彼の軽トラのエンジンをかけて、ラジオのスイッチを入れて周波数をNHKtに合わせれば……
「うわ、マジでやってる」
「今の時間帯はタイかな、あっちは陽気な人多いから楽しそうだ」
翻訳AIが彼らの放送を日本語に訳して流している。なんでもヤシやらバナナやらが普通に庭木としてあったりで食うには困らないけど飽きたとか、栽培していたドリアンが異常成長して臭いが酷いとかの話題を提供してくれている、聞いてて楽しい。
「というか別れる時『ラジオにできるだけ協力しますよ』って言ってたのに、全然知らなかったんですか?」
ヒカル君の指摘に「いやぁ、申し訳ない」と頭をかいた後「何せ生きるのが精一杯で」と続けた。
なんでも彼は連れの風川逆桃と、それぞれの埼玉の実家に帰っては見たが、電気が来ておらず水道も無く、とても暮らしていける状況じゃ無かったとか。
で、天藤のお爺さんの家に来てみた所、残念ながら祖父と祖母はホイホイされてしまっていたが、農家をやっていた事もあり井戸水が確保できていて、生活に必要な薪が大量に保管されており、竈や薪風呂、暖炉など光熱関係が火で賄えることもあって、ここに腰を落ち着ける事にしたらしい。
「で、どうせなら自給自足やってみようと思って」
なるほど、なかなかの見識じゃないか。確かに今はまだ文明の残り物的な食糧や電気にありつけるケースが多いが、それもいつまでも使える保証はない。ならば自分達が食べる物を自作し、生きて行く術を模索するのは大切な事だろう。
「それで肥料を確保してたんですか」
「ああ、農作業っていい運動になるんだよ。ま、ハートの奴は全然だけど」
くろりんちゃんの質問に笑って答える天藤。元格闘家だけあって肉体労働はお手の物らしいな。しかしあの時のロクデナシが、今じゃすっかり好青年じゃないか、良きかな良きかな。
そんなこんなで、今夜は彼らの家に厄介になる事にした。明日の放送ではぜひとも彼らの『田舎の自給自足生活』をリポートさせてもらおう。これから人類が生きて行く上でのいい指針になるし、農業国のみなさんからアドバイスを得られる期待もある。
中継車と軽トラで、埼玉の秩父方面にある山あいの一軒家に向かう。
「あ、ハートさんいた」
いかにも古民家と言った感じの一軒家に行き付いた時、懐かしの社長令嬢にして超キラキラネームの彼女が軽トラを見て、手を振って走って来る。
「ちょっとータツー! 大変だよー。って、あれ、その人たちって……ヒィッ!」
彼女が運転席の私を見て顔を青くする。そういや彼らと喧嘩した時、私は彼女に思いっきり威嚇したんだっけか。まぁ悪かったとは思わないけど、女の子だし、もうちょうい加減してやるべきだったかな。
「大丈夫だってハート。それよりどうした?」
「あ、うん。かかってるの、裏の罠に、シカが!」
え? と中継車組の三人が声を合わせて驚く。あ、そうか、農家なんかやってたらシカの食害は深刻だし、ワナにかかってくれれば肉を手に入れる事も出来る。
これは明日のリポートにとって、非常にいいネタが提供できそうだ。
畑家に裏にある小さな畑の用水路の脇、罠にかかった鹿がもがき暴れている。いわゆる『くくり罠』に鹿の後ろ脚が絡まっていて、必死に逃げようとするがワイヤーが張られているのでそれ以上逃げられない。
「おー! 野生のシカ初めて見た」
「私はシカ自体初めてー」
ヒカル君は近畿の人らしく、奈良公園でシカを見た経験があるそうなのだが、北九州の都会で育ったくろりんちゃんは初めて見る動物に興味津々だ。
「ね、ねぇ、ホントに殺すの?」
ハートちゃんが天藤にすがるように懇願するが、彼は意気揚々と「今夜は肉だぜ!」と仕留める気満々である。
なんでも子供の頃、お爺ちゃんと一緒に罠にかかった鹿を仕留めた経験があるらしく、罠の側に立てかけてあった長槍とこん棒を手にして獲物に向かう。
「どうするんだい?」
「こん棒で後頭部をぶん殴って気絶させ、心臓を突いてドメ差しすんですよ」
その返しにヒカル君がぽん、と手を打って続ける。
「あ、それ知ってる。動画サイトで見た事あります」
ふむ、とアゴをひねって考える。思えばこれも「ホイホイに入ってしまったら決して経験できない、新しい体験」のハズだ。だったらひとつやってみるか。
「私達にやらせてくれないか、こういった事は今後必要になって来るだろうしね」
私がこん棒を構え、罠にかかった哀れな鹿に近づいていく。その頭には立派な角が生えており、迂闊に近づいたら刺されて大けがをする危険もある。ますこっちから威嚇して、背中を向けて逃げ出してワイヤーが張った瞬間を狙いたい。一瞬動きを止めた鹿の後頭部を打ち据えて気絶させるのがベストだ。
三、四度の失敗の後、五度目でようやく狙い通りに鹿を後退させ、ワイヤーが張った瞬間を狙ってその頭に棒を打ち下ろす!
ゴンッ!
「ピィーーッ!」
命中と同時に、鹿は甲高い悲鳴を上げて、その場にうずくまった。
「じゃあヒカル君、後は任せた」
「ヒカ君、がんばっ!」
槍での心臓突きを志願したのはヒカル君だ。天藤のアドバイスに従って、左前脚の脇の内側に狙いを定め、二、三度小さくスイングさせてから思い切って槍を体に差し込む!
ビクン!と鹿の体が跳ねて、そのまま力なく四肢を横たえて、動かなくなった。
「お見事、ごくろーさん」
「うん、ヒカ君すごい!」
そう声をかけるも、ヒカル君は未だ興奮と緊張冷めやらぬ様子で、槍を握ったまま小刻みに震えていた。
無理もない。こんな大きな生き物の息の根を止める経験をしたのは初めてだろう、彼にとってはさぞショッキングな経験だろうな。
その後は天藤の指示によって、鹿の解体作業を私たちで進めて行った。さすがに獣臭と死臭が酷かったが、それでも子供二人は初めての経験に真剣に向き合っていた。
彼らは彼らなりに、これからはこういう事もやっていかなければ生きていけないと理解しているんだろう。
ちなみにハートちゃんは、ドメ差しの時から背を向けて耳を塞いでしゃがみ込んでおり、解体が始まってからは「無理無理無理」と家の方に引っ込んでしまった。
……あんた、横浜で私を解体するとか言ってなかったか?
腸や膀胱を破ってしまうと悪臭で肉がダメになるので、そこだけは天藤が仕切ってくれ、残りは4人の共同作業で内臓を取り出し、枝肉を切り分けてから、用水路の水で洗って軽トラに積み、家まで持ち帰る。
幸いにもハートちゃんはショックでホイホイされるような事もなく、単なるお肉になった元シカを見て嬉々としていた、現金な娘だなぁ。
「「いただきまーす!」」
夕飯は新鮮な鹿のレバーと心臓。他の内臓や頭は寄生虫が怖いので近くの空き地に埋葬済みで、枝肉は納屋の一角で燻し中だ。食事の後は火事にならないように、交代で火の番をすることになっている。
うん、燻す繋がりでこれもバルサンラジオのネタにしよう。
「おいひー」
「やっば、人生最高のお肉!」
「極上の牛肉より美味しいってナニコレ」
「おい社長令嬢、その話詳しく!」
驚いた。まさかこれほどの美味とは。
私がかつて四国の道の駅で食べた鹿肉の燻製とは比較にならない美味さが、私の口内にもいっぱいに広がって行く。何なんだこの差は?
「そりゃまぁ、自分で仕留めた獲物ですからねぇ」
「新鮮さの差じゃないの?」
「やっぱ食性の違いもあるでしょう、いいもの食べてる鹿なら肉も美味しいんじゃ」
私の疑問に対して、それぞれが説得力のある意見を述べる。なるほど確かにその通りだ。
「これが、命を頂く、というヤツか」
飯なんざ当たり前に食う事が出来た今までの世界。そこでは経験しえなかった事が今、実感と栄養として全身に行き渡るのを感じていた。
皮肉なものだ。ホイホイになど入ったらこの経験は出来るはずもない。あそこは自分が知る知識と想像に限定された、いわば知っている事だけの牢獄なのだから。
だが、もしこの世にホイホイが出現しなかったら、私はやはりこの肉の味を知る事も無かっただろう。そう言う意味では、これはこの「にんげんホイホイ」がもたらしてくれた「新しい経験」なのかもしれない。
……いい所もあるじゃないか、この「にんげんホイホイ」も。